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東浩紀著『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社)

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一般意志2.0

 東浩紀著『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011年11月25日発行)を読んだ。
 哲学者の東浩紀氏が「18世紀フランス語圏を代表する思想家」のルソーの思想を「コンピュータとネットワークに覆われた情報社会の視点で」読み替えるという試みの本を短いブログでレビューするのは極めて難しいと思うが、とても面白い本だったので、あえて「つまみ食い」しながら全体の論旨を追っていこうと思う。


 序文によると「本書は、情報技術が民主主義を実現すると主張する書物ではない。そうではなく、情報技術が張り巡らされた社会の出現は、むしろ民主主義そのものを変えてしまう、政治や統治のイメージそのものを変えてしまうと主張する書物なのである」。

 「本書の連載版は、政権交代に日本中が沸き、政治への期待が最高潮に達した直後に始まっている。そして翌年、相次ぐ失策で民主党政権への失望が拡がり、政治そのものへの期待が急速に萎んでいく光景を眺めながら書き継がれた」「それはまた、国内でソーシャルメディアが急速に普及し、マスコミとネットワークの力関係が大きく変わった時期でもあった」「つまりは本書は、日本社会が従来型の政治とコミュニケーションに対する信頼をついに決定的に失い、かわりにネットワークを介した新しい合意形成の可能性におずおずと目を向け始めた、そんな時期に書かれた本なのである」。

 「民主主義は熟議を前提とする。しかし、日本人は熟議が下手だと言われる」「かわりに日本人は『空気を読む』ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ『空気』を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか」。


 一般意志2.0を理解するためのキーワードの一つが「集合知」である。
 「『文殊の知恵』の時代には、ひとはせいぜい3人で顔を突き合わせて議論することしかできなかったが、いまやわたしたちは、3000人、3万人の他者とモニタ越しに関心を共有し、同じ話題を追いかけて意見を集約することができるようになったのである。したがって、集合知の思想はいまや、まったく異なる規模、異なる可能性のもとで再検討する必要が出てきている」。

 「ルソーは、個人の社会的制約からの解放、孤独と自由の価値を訴えた思想家だった。しかし彼はまた同時に、個人と国家の絶対的融合、個人の全体への無条件の包含を主張した思想家でもあった」。
 「ルソーにおいて社会契約とは、人民ひとりひとりが『自分の持つすべての権利とともに自分を共同体全体に完全に譲渡すること』を意味している。社会契約が社会(共同体)を作る。その結果として生まれるのが、個人の意志の集合体である共同体の意志、すなわち『一般意志』だ。
 「一般意志は、その共同体全体の意志を意味している。したがって、具体的にだれがその意志を担い統治を実現していくのか、つまり権力をだれがもつべきなのかの選定は次の段階になる」。
 「政府は一般意志の執行のための暫定的な機関にすぎない」。
 「一般意志は政府の意志ではない。個人の意志の総和でもない。一般意志は、人民が集まり、会議を開き、侃々諤々の議論を重ねてたがいの差異を乗り越え練り上げる、わたしたちが一般に想像するような『合意』とはまったく異なる存在である」「一般意志は、一定数の人間がいて、そのあいだに社会契約が結ばれ共同体が産み出されてさえいれば、いかなるコミュニケーションがなくても、つまりは選挙も議会もなにもなくても、自然と数学的に存在してしまう。ルソーはそう考えた」。
 「ルソーの『一般意志』のアイデアは、思想史的には、代議制や政党政治の成熟に至るまえの未熟なものとして、あるいは全体主義に近接する危険なものとして理解されてきた」「思想界で『未熟』で『危険』だとされてきたルソーの夢こそが、いま思いがけないかたちで『実装』されつつある」。

 「ツイートにしろチェックインにしろ、むろん個々の行為は意識的なものではある。しかし、数千万、数億、数十億というデータの量は、もはや個々人の思いを超えた無意識の欲望のパターンの抽出を可能とする」「そのデータの蓄積こそを現代社会の『一般意志』だと捉えてみたいと思う」「一般意志とはデータベースのことだ、というのがこれからの議論の核になる主張である」。

 「いま誕生しつつあるのは、たとえブログを眺めているだけでもあるいは音楽を聴き動画を再生しているだけでも、その消費行動そのものがすべてデータとして収集され、集合知の生成過程に組みこまれる、そのような貪欲な社会だ」「それは決して総表現社会ではない、どちらかといえば『総記録社会』とでも呼ぶべき社会である」「総記録社会が生み出す巨大なデータベースは、人々の欲望の在処を、250年前のルソーが想像もおよばなかったようなかたちで浮かびあがらせている」。
 「来るべき総記録社会は、社会の成員の欲望の履歴を、本人の意識的で能動的な意志表明とは無関係に、そして組織的に、蓄積し利用可能な状態に変える社会である」。

 「わたしたちは一般意志2.0を手にしている」「だとすれば、もはや自分たちの意志をだれかに『代表』してもらう必要はないのではないか。ましてや、何十万もの有権者が、数年に一度だけの選挙で『民意を託す』ことはいかなる正当性もないのではないか。ルソーがもしいま生きていたならば、現在の政治哲学が取り組むべき課題は、まずはその一般意志2.0の精緻化であり、つぎにその出力と統治機構を繋ぐ制度の設計だと主張したにちがいない」。

 「来たるべき政府2.0は、市民の明示的な意志表示(それはルソーの言葉では『全体表示』に相当する)ではなく、それよりもむしろ、情報環境に刻まれた行為と欲望の集積、人々の集合的無意識=一般意志にこそ忠実でなければならないことになるだろう」
 「具体的には、これからの政府は、市民の明示的で意識的な意志表示(選挙、公聴会、パブリックコメントなどなど)だけに頼らずに、ネットワークにばらまかれた無意識の欲望を積極的に掬いあげ政策に活かすべきであることを示唆している」。
 「市民の積極性を前提とする従来の政治参加の回路は、結局のところ、問題の政策に強い利害関係をもつ特殊な人々か、あるいは政治参加そのものを目的とした『プロ市民』しか集めることができない」。

 「ブログやツイッターに文章を投稿するとき、わたしたちは投稿したいと考えたこと(意識したこと)を投稿しているだけではない。そこでは同時に、投稿したいと考えなかったこと(意識しなかったこと)もまた投稿してしまっている。一般意志2.0は、そのような『意識しなかったこと』の集積として立ち現れる。だから筆者は『無意識』という言葉を使いたいと思う」。

 「19世紀末のフロイトは病者の非合理的な思考を前にして、20世紀のグーグルはネットに渦巻く欲望の群れを前にして、ともに肯定と否定を区別しないモデルこそが分析に適していると判断した」。

 「21世紀の国家は、熟議の限界をデータベースの拡大により補い、データベースの専制を熟議の論理により抑え込む国家となるべきではないか」。

 「現代社会はあまりにも複雑で、すべてを見渡せる視線はもはや存在しない」「いま『選良』と呼ばれる人々は、現実には特定の『業界』の専門家でしかない。彼らはその業界を離れれば、平凡な消費者、無見識な大衆の一員にすぎない」。

 「社会の見通しが悪くなり、大きな公共が壊れ、政策課題ごとに専門家や『当事者』が集まっては『小さな公共』を立ち上げて議論を深めるほかない、わたしたちはそのような時代に生きている」「乱立する小さな公共たちをまとめあげる大きな公共の再興が無理なのであれば、せめて『大きな無意識』の、つまりは一般意志の可視化を利用するとよいのではないか」。

 「わたしたちは、これからのすべての政策審議について、それを密室からネットに開放し、会議そのものはあくまでも専門家と政治家のものであることを前提としながらも、中継映像を見る聴衆たちの感想を大規模に収集し、可視化して議論の制約条件とする、そのような制度の導入を考えてもいいのではないだろうか。

 「ネットを活かした政治というと、多くの人がまず、電子国民投票やソーシャルメディアによる自治体運営のような直接民主主義的な提案を想像する。しかし、筆者は直接民主主義の導入を提案しているわけではない。そもそも本書の出発点は、現代社会はあまりに複雑で、その理解が有権者の認知限界を超えているために政治が麻痺している、という問題意識にあった。それゆえ、直接民主主義の導入は解決にならない」。

 「年金改革でも景気対策でも外交問題でも、いま日本が直面する課題のいずれもが、専門家や当事者にしかわからない膨大なディテールに覆われている。そもそも事実認識の段階で専門家の意見そのものが割れていて、どちらが正しいかわからないことも多い」。
 「では市民は『勉強』すべきだろうか」。
 「そもそもたいていのひとはそれほど暇ではないし、通勤時間に新書に目を通すのが関の山だ。国民のほとんどは、時間的にも能力的にも熟議に参加することができない。彼らに可能なのは、国政選挙の投票時に、二つか三つの『マニフェスト』からなんとなく気に入ったものを選ぶという、じつに粗っぽい『政治参加』だけなのである」。

 「無意識民主主義の提案は、そのあまりにも高くなった政治参加のコストを、劇的に下げることを目的としている。より正確には、いままでの高級な政治参加とは別に、激安の機能制限版普及型政治参加パッケージを別に用意してあげようというのが、筆者が考えていることだ」。

 「筆者が唱える無意識民主主義は、…市民ひとりひとりにはもはやなにも期待せず、ただ彼らの欲望をモノのように扱い、熟議または設計の抑止力として使うだけなのである」。


 これだけ、引用を積み重ねてきて、一般意志2.0を理解したかなと思ったときに、ものすごく一般意志2.0をわかりやすくするたとえを見つけた。

 「以上の提案は、言ってみれば、…政府内のすべての会議を『ニコニコ生放送』で公開しろ、と呼びかけているようなものである」。

 う~ん。妙にわかりやすい。
 この一言の内容を政治史のなかで位置づけ、権威づけをして論じたところに著者の卓越した力を感じる。

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