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新しい音楽の形を見た! 演奏会「素晴らしき日本人の歌心」

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 29日夜、杉並公会堂小ホールで行われた演奏会「素晴らしき日本人の歌心」 (企画・制作、藤本裕一)。 

 サブタイトルに「被災地支援チャリティー演奏会」「Facebookから生まれた演奏会」とあったため、“お友達”が被災者のために“この場限り”で集まって行われる演奏会と思っていた。童謡を中心に古くからの日本の歌をゆっくり聴くのもいいだろう。そう思って出掛けた。

 もちろん、そうした側面もあったが、演奏が進むに従って、どんどん、引き込まれていった。

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 期待!?通り、「夕焼小焼」から公演は始まった。2曲目は瀧廉太郎の「花」。

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 演奏が進み、聴衆の気持ちが温かくなってくるのに合わせるかのように、舞台にも彩りが。

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 藤本さんのフルートは優しく、自由だ。あるときはほかの楽器を引き立て、あるときは自らの感情をそのまま表現する。オリジナルの「黄昏」(初演!)、「Lost Love」も披露。

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 冨田廣佑さんはパーカッション。素手で、リズムを紡ぐ。

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 高木麻衣子さん。


 これはすごい音楽会かもしれない。ジャンルが分からない。ジャズでもクラシックでも歌謡曲でもない。
 フランスに「シャンソン」があるが、これはまさに「日本の歌」。ジャンルにとらわれない、新しいつながりの歌ではないか――。

 この公演を企画、素晴らしい音色のフルートで、どの曲にも気合というか気持ちをしっかり込めてくれた藤本裕一さんが、このメンバーを集め、それぞれの個性を引き出す編曲を行った。個性的なメンバーを見たときに、チャリティーとは言え、それぞれが自己主張を始め、演奏はばらばらになるのではないかと、実は危惧していたのだが、アーティスト一人ひとりが個性を出しながらも、楽しみながら、ハーモニーをつくり出していた。

 彼女が登場してから、コンサートの雰囲気が華やいだ。ヴィオラをアドリブで弾く田中詩織さんだ。
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 “いまどきの女の子”なのだが、ヴィオラの演奏が始まると、弁天様がこの世に降りてきたのかと思うほどの存在感だった。

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 藤本さんも気持ちよさそうだ。

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 大寺航さん。とてもぶっ飛んでいた。「山頭火」は確かに日本の歌だが...。

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 彼女の登場で、このコンサートは生易しい「郷愁のひととき」ではないことが明らかに。

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 真っ赤なドレスのジャズボーカリスト、千景さん登場。

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「様々なジャンルを完璧に歌いこなす数少ない実力派シンガーの一人」と、プロフィールにある通り、谷川俊太郎作詞・武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」をうたった後、「涙そうそう」、絢香の「三日月」を歌いこなす。

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 後ろの瀬戸尚幸さん(Electric Bass)。目立たなかったが、コンサートをしっかり支えていた。

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絢香の「三日月」のときに藤本さんがピアノも演奏。

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 菅又-Gonzo-健(Guitar)さん。2012年よりカンボジアの子どもたちの自立支援を目的に、子どもたちにギターを教えている。日本で不要になったギターを集め、カンボジアに届けている。

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 白いドレスの「シンガー、時々ヒーラー」、のがみともみさん登場!

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 「悲しくてやりきれない」「浜辺の歌」のほか、所属するAmbient Groove(アンビエント・グルーヴ)の「青空ふたりきり」を歌う。青空ふたりきりは、3.11の震災前後に作られた曲。

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 終盤は会場も一緒に歌に加わる。

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「赤」と「白」が交じり合った「恋のバカンス」。

 「フラッシュを使用しない撮影」は許可されていたため、写真を撮り始めたが、思わずたくさん、撮ってしまった。杉並公会堂小ホールで行われた演奏会だったが、本当は大ホールで聴かせたいようなコンサートだった。

 歌のジャンルは得てして壁となる。その壁を取り払って、一つになる。そのココロが、「素晴らしき日本人の歌心」 であり「Facebookから生まれた」という言葉なのだということが分かった。

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 ジャンルのない、心もミュージシャンも一つになる音楽会だった。参加者一人ひとりがその垣根を取ってくれた。特に、クラシック音楽を演奏する楽器だと思っていた、ヴィオラとフルートの自由で独創的な演奏は印象的だった。
 今後、ジャンルを超えた「日本の歌」のコンサート、広がっていってほしい。

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柳川範之著『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』、 柳川範之・水野弘道・為末大『決断という技術』(日本経済新聞出版社)

 柳川範之著『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』、 柳川範之・水野弘道・為末大『決断という技術』(ともに日本経済新聞出版社)を読んだ。

 柳川範之さんは、1963年生まれ。父の仕事の関係でシンガポールで小学校を卒業。高校時代をブラジルで過ごしたのち、大学入学資格検定試験合格。大学は慶應義塾大学経済学部を通信教育により卒業。その後、東京大学大学院に進み1993年博士号を取得。現在、東京大学大学院経済学研究科教授。
 日本の多くの若者とはかなり異なる進路を歩んでいる。
 「40歳定年制」の考え方を打ち出していることでも知られており、そのユニークな発想法を知りたいと思い、この2冊の本を読んだ。

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元気と勇気が湧いてくる経済の考え方

 日本人は敷かれたレールの上を走るのは得意だが、そこから一歩外れたり、そもそもそんなレールがなくなってしまったりすると、当惑してしまう。『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』はそんな将来が見えない人たちのために書かれた本だ。

 「スポーツがうまくなるにもコツがあるように、未来を考えていくときにも、考え方のコツがあります。そんなコツを『経済の考え方』を使って整理してみたのがこの本です」。

 「同じ会社に長く勤めていると、その会社の中での働き場所しか、自分の中の選択肢として考えなくなっていきます。それはそれで思考のコストを節約するうえでは、よいことなのかもしれません」「でも、それによって、その会社を辞めてほかに移ることなどを考えなくなってしまったとすれば、とてももったいない気がします。たとえ結果としては会社に残るにしても、会社を辞めてほかに移ることを選択肢として残し、いろいろな可能性をシミュレーショ
ンしておくことが、よりより方向に決定していく原動力になります」。
 「思考のパターンが固定化してくると、本当はあるはずの選択肢が、事実上、見えなくなっている場合が多くなります。見えなくなっていないか、もっと他に選択肢がないか、と、ときどき考えることは、思考や行動を固定化させないために大切なことです」。
 「今までとは違う『情報と情報の結びつき』『人と人の結びつき』が、思いがけない価値を生み出すことが知られています。だから、少しずつでもよいから、いつもと違う人と会ってみたり、いつもと違う情報にアクセスしてみたりと、今までとは違うことをやってみることが大事だと思うのです」。

 「何か目標を達成しようとすると、意識するにせよ、しないにせよ、なんらかの中間目標を設定するのが普通です。でも、そこを通過するのは、目標達成の手段にすぎません。あるいは、最終目標を何にしたらよいかわからないからにすぎないといえます」。
 「挫折感を感じたときには、もう一度、そもそも何に挫折したんだろう、何にがっかりしているんだろう、と少し頭を冷やして考えてみましょう。ほとんどの場合、自分が設定した中間ポイントを通過できなかったにすぎないと気づくはずです」。

 「将来がよくわからないという状況は変えられそうにはありません。結果がわからなかったら、楽しめないでしょう。そんな場合はどうすればよいのでしょうか。答えは、簡単です。少しずつ進んでいくことです」。
 「これは、と思えるときが来るまでは、少しずつ先に進んでいくほうが、最終的にはよい選択だと思うのです。大事なことは、少しでも「進む」!という点にあります」。
 「将来がよくわからないときには、将来の選択肢をあまり縛らないようなかたちで先に進めておくことが大切です。そうすることで、将来のいろいろなオプション(選択肢)を残しておくことができ、将来の変化に対して柔軟に対応していくことができます」。
 「少しずつ進むというのは、一気に進んで選択肢を狭めてしまうのではなく、オプション価値を比較的残しながら進むことです」。
 「ほとんどの人の人生が、先進国に団体旅行で行くような予定調和的なものではなく、発展途上国に貧乏旅行に行くような先の見えない旅です。だからこそ、貧乏旅行から得られる教訓は、大きな示唆を与えてくれます」「現代の、特に日本で大きく欠けていると思うのは、まず、この立ち止まって情報収集をし、ベストな道をさがしながら進むという発想でしょう」。

 「たとえ、もう寿命があまり長くないと感じられる世代であったとしても、次の世代のことを考えれば、やることはたくさんあるし、やるべきことは見えてくるのです」
 「会社の中にいると、その会社内が自分の人生のすべてのように見えてきます」「『社内がすべて』という意識が強くなり、会社外のことについて、相対的に関心が低くなってしまう面があります」。
 「社内生活でのゴールが早々と訪れてしまうと、あたかも自分の人生のゴールまでもが訪れてしまったかのように錯覚してしまうのです」「自分から選択肢を広げていく工夫が必要です。社内での仕事環境以外に自分にはどのような選択肢があるのか、何がやりたいのか、何ができるのかを考えていくことが必要です」「あくまでいざというときのバックアップ・プランとして、考えておけばよいのです。でも、そのバックアップ・プランが、どこかのタイミングで、自分が走る大きな道となっていく可能性があります」。
 「多くの場合には、新たな道を踏み出すには、新たな知識や技能が必要です。そのための時間と労力は、きちんとかけるべきだと思います」。

 「将来が不透明で不確定な要素が大きいときには、夢や目標も複数のものに分散投資しておくことが、むしろ重要になってきます。そのほうが、予想外の変化に対応しやすいからです」。
 「複数の目標や夢に順番を必ずつけておくこと」「その順位をときどき見直して、入れ替えたり修正したりすることが大切です」。

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決断という技術

 『決断という技術』はアスリートの為末大氏、投資家の水野弘道氏、経済学者の柳川範之氏という別の世界にいる3人の会話をまとめたものだが、共通項は既存のレールとは違う道をもがきながら歩んでいる人たちであるということだ。彼らから見た日本の組織は硬直化しており、何も決められない。彼らには「決める技術」がないと映るようだ。
 
 彼らの会話の中から、「なるほど」と思ったフレーズを抜粋、何が「決断の技術」なのかをあぶりだしてみよう。

 為末 日本は、いつかわかり合えるという、そういう感じですよね(笑)。
 柳川 そうか。日本のほうが、そういう「わかり合える度」に対する期待感は強いんですね。だから、何かこうやって話していけば、やがて真実の姿が見えてきて、そこではみんなが合意できる――と期待してしまう。
 水野 そうすると、決断しなくていいわけです。

 
 水野 そうですよ、場のatmosphereはあるんですけれど、下から自然に浮かび上がってきて、誰のリーダーシップもないのに、それが最後の決定まで支配することになるというのは、向こう(海外)ではみたことがないですね。
 柳川 そこがおもしろいところですね。一方ではそういうものが、まさに日本の和の源泉だったりとか、ある種の強みだと言われる場合もあるわけで。
 為末 ただ、それは異質なものが入ってくると、崩れてしまうものかもしれないですね。閉ざされた所で、人々が喧嘩せずに生きていくには必要なものだったのかもしれないですけど、これから多様な文化と向き合っていかないといけない時代にはちょっと。


 為末  「こんなに時間かけましたからね」って言うのでしょうね。「時間をかけたから、ベストは尽くしました」とかなんとか。そういうふうに納得させる言い訳を、自分自身に対してもやっているような気がするな。
 柳川 それ逆に、言い訳のない決断をして失敗すると、責められるということですかね。
 為末 やはり自分の意思で選んで失敗したときは、けっこう厳しくやられる気はしますね。何かこういうルールの中でやって失敗したというときは、しかたがないで許してもられるけれど、そこからはみ出して自分の考えで推し進めたものに対しては、許されない感じがします。

 柳川 …日本では決定をかなり神聖視しすぎるという気がします。すべての情報について、きちっと本当に正しいことを決定できるという思い込みや暗黙の前提がある。だから、一生懸命情報を集めようとして、なかなか決めないし、逆に一度決めたら、それが変わることはある意味で非常におかしなことだったり、その人の人間性を疑うというところにまで行ってしまったりする。

 水野 …日本人のチームでは、その中の個々人が全部知っていなければいけないという感じになるから、結果としてみんなが素人の範囲を出ない程度の知識レベルになって、グループとしての縮小均衡になってしまう傾向がある気がするんですね。だからチームの中の専門家を活かしきれない。


 水野 ・・・最後に誰かが決めてくれるという安心感があれば、すり寄っていく必要がないんですよ。みんなが自分の意見を明確に主張できるわけですよね。それがないから、早い段階から、「なんとなくお互いすり寄らないと、これ、最後、話がまとまらないね」という強迫観念にせまられることになるわけです」。
 為末 僕がアメリカで感じたのって、議論のゲーム化なんですよ。テレビのトークショーからして議論をやっていて、それで観客はどっちが勝ったかを決める。やっている人たちもそれを楽しんでいる感じで。日本では議論がスポーツ的にスカッとなる感じがないですよね。

 柳川 …マネジャーがいなくても、ある意味で下の人が並列的に5人ぐらいいるだけでも、それぞれが全体のことを考えて、全体がある程度合意形成できるような形で組織が動いてくれる。それはやはり日本型の一つの大きなメリットじゃないですかね。…
 水野 その日本の良さを崩す必要は全然ないのだから、アプローチとしては、それを残しながら決断のできるリーダーを育てるにはどうするか、という考え方をしていかないといけないんですね。

 柳川 日本では優劣をつけるのはおかしいという話になりがちなんですけれど、それは一つの尺度で上下を決めようとするからで、いろいろな方向で優秀な人を輩出していくという発想に変えないと、なかなか人材の使い方としてももったいないし、日本の社会としてももったいない。

 為末 凡人を秀才にする仕組みと天才をつくる仕組みって異なるです。

 水野 …客観的にみて、失敗に対するペナルティというのは、欧米企業のほうが強い。ただ、なぜか日本の会社員たちはペナルティを実際より大きいと思い込んでいる。
 柳川 それは、みんなが横並びで、同じ方向へ走ってるから、でしょうね。そうすると一人だけ遅れると、実は遅れたレベルは、ほんのちょっとだけど、すごくみんなと違って、遅れたように見えます。

 水野 …失敗するって行為には、失敗後の新しい確率分布の幅を狭める価値があるから、経過途中での失敗は最終的な成功の確率を高めます。だから、失敗をサンクコストだと割り切れれば、すべての失敗は未来に向けてポジティブな効果しかないんです。

 水野 決断は精神性からくるものではなくて、合理的な判断から起こすべきものなんですよ。だから、この対談で浮かび上がってきたように「技術」がある。

 柳川 決断の練習をさせる上では、ある程度失敗を許す、寄り道を許容することにしないといけないですね。
 為末 ここで話をしてきたいろいろな考え方を教えても、恐怖心でできない、わかっているけれど踏み出せないっている面はあると思うんですよね。そういう人は、ちょっとずつ失敗し、成功に慣れていくしかないのかな。
 柳川 やっぱり、そういう練習を少しずつしていく必要があるんだと思いますね。本質と違うところで練習しておくとよいのではないでしょうか。最初はよくわからなくても、だんだんとわかってくる。わからない度合が大きい中で、大きくステップを踏むのはやっぱり無謀です、それは決断せよというのと違って無謀な賭けにすぎない。…
 水野…人生のように一発勝負ではなく、いくつもの分岐点がつづく事の場合、途中経過で成功しても、次に成功する確率が高まるわけではないけれど、失敗したら、次に成功する確率は確実に上がりますからね。 

 為末 チャレンジできる社会、多様性を保てる社会、怖がらずにチャレンジしてそれが評価されて、何回でもチャレンジ出来る社会をつくりたいと思っていて、その怖さを取り除く一歩になればいいなと思います。決断が重いと思い込んでいるだけで、もっとその気軽さも伝えたい。決断の気軽さ、気軽に選んでもよいものだっていうことを伝えたい。
 柳川 それは僕も思いますね。何回でもチャレンジする社会をつくりたい。
 水野 いままでは、決断なんとかって本を読んでも、私はこんなすごい決断をしてきたっていうのが多くて、自分も若い頃読んでも、気分だけは高揚したけれど、どうやって決断したらよいのか、なぜ難し決断をするのが合理的なのかについてはわからなかった。しかも決断するには覚悟がいるよ、軽い気持ちでやるなよって念を押されている気がして、ますますやりにくくなってしまった。決断はそんな自己犠牲的な覚悟なんてなくても、合理的にできるし、特に、新しい分野に踏み出すような決断は、たとえ失敗したとしても、人生の投資としてみたら、合理的だっていうのをわかってもらいたいですね。

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クラシック本の化石

 部屋を片付けていたら「クラシック本の化石」がたくさん見つかった。
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 『音楽入門』は昭和48年に買っている。
 でも、いつもネックになったのは紹介されたり論評されている音楽を聴かなければ、少しも中身が理解できないのだ。レコードやCDをそのたびに買うことはできず、曲の理解を永年、断念していたのだ。

 ありがたいサービスに加入した。「NML ナクソス・ミュージック・ライブラリー」だ。クラシックを中心とする膨大な音源(CD7万860枚)が聴き放題の、定額制インターネット音楽配信サイトで、月額1,890円で会員登録をすると、全てをノーカットで聴ける。スマートフォンの専用アプリもある。

 これらの本を1ページずつ読みながら、クラシックを聴き(ぴったりの演奏はないかもしれないが)、ものすごく素人っぽい感想をこれから書いていきたいと思う。

 なんでも1万時間取り組めば専門家になれると藤原和博さんが言っているが、音楽は「ながら」ができる。すぐに1万時間くらいになりそうだ。

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津田大介著『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書)

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ウェブで政治を動かす!

 津田大介著『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書、2012年11月30日発行)を読んだ。
 要点を引用しよう。

 津田氏の問題意識は「はじめに」に分かりやすく書かれている。

 「国会議員を決める選挙には70歳を超える人々の80パーセント近くが行っているにもかかわらず、20代で選挙に参加しているのはここ10年近く、40パーセントを切っている(さすがに政権交代が起きた2009年の第45回総選挙は、20代の投票率は49.45パーセントと例年より高かったが)」。
 「政治家たちが権力闘争とパワーゲームに明け暮れる、現在の政局中心の日本政治が続く限り、政治と若者の距離は離れる一方だろう」。
 「まずやらなければならないのは『わかりにくくなってしまった』政治を解きほぐすことだ」。
 「本書は、筆者が何より重要であると考える政策にフォーカスを置き、インターネットのような新しい情報技術を政策決定過程の透明化や、決定過程にどれだけ関与させることができるのか考察していく」。

 第1章 政治的無関心は何を引き起こすのか
 まず津田氏の「筆者は現在、政策にフォーカスし、政治と行政をウォッチするネットメディアを立ち上げようと準備を進めている」構想が明らかにされる。

 政治や政策に無関心でいるとどうなるのか。
 「自分の好きなものがいつか誰かの勝手な都合で変容させられてしまう」。
 「特定業界のロビーイングによって、多くの利害関係者が蚊帳の外状態となり、不透明な形で法律があらぬ方向に変わる。

 「政策の議論、もっと言えば『選挙制度や民主主義はどうあるべきか』という国民的な議論は、どこで行われるべきか」「民主党・岸本周平議員は、『街頭演説や小さな集会では不十分。インターネットで意見を集約して、その議論を国会に持ち込む必要がある』と語る」。
 「これまで、政策に関する議論がオープンにされてこなかった理由について、岸本議員は『結論ありきで、官僚がそこに政策を落とし込むためのプロセスにすぎなかったため、できればオープンにしたくなかったのだろう』と分析する。インターネット上で否応なく、議事録や各種のデータが公開されるようになれば、その状況も変わっていくはずだ」。

 第2章 ウェブでつくる新時代のデモ
 「2012年6月22日、首相官邸前で関西電力大飯原発の再稼働撤回を求める抗議運動が起こった。主催者によると約4万5000人(警視庁によると1万1000人)が参加し、歩道を埋め尽くした」「6月22日の官邸前のデモはマスメディアにとっても大きな『事件』だった。というのも、数を少なく発表することが常の警察発表で『1万人』を超したからである」
 「その翌週6月29日の官邸前デモは、主催者発表で前回の約4万5000人を大きく上回る15万~18万人(警視庁調べで約1万7000人)を集め、ネットを中心としたでも活動の大きな転換点となった」。
 「マスメディアによる情報がデモを訪れるきっかけとなった割合は1~2割程度。それに対し、ネットや口コミによってデモに参加した割合は7~8割にも及んだ」「ソーシャルメディアが起こした現時点における最も大きな変化とは何か。それは、人々の意識が共感によってつながり、つながった人々が行動することによって大きなムーブメントを起こせるということだ」。
 「リアルで声を上げることだけがデモの本質ではない」「ソーシャルメディア自体がデモの効果をもたらす――サイバーでもが起きる場合がある」。

 「思想家の東浩紀(あずま・ひろき)は著書『一般意思2.0』(講談社、2011年)で、大衆の『無意識』を可視化し、政治家や審議会といった専門家の熟議の場に介入させることの重要性を説いている」。
 「東は、インターネットなどを通じた大衆のバラバラな『意見(無意識的意識)』を、そのまま政策に反映するのではなく、情報技術を駆使することで政治家や官僚が『暴走』しないためのリミッターとして利用すること――『無意識民主主義』を提案している」。
 「原発への忌避感という大衆の無意識が共感を呼び、官邸前に集まるという形で可視化され、それが現に原発の再稼働を推し進めたい政治家や官僚に対する一定のリミッターになっている。これこそ東の考える『無意識民主主義』の具現化だ。

 「一方で、社会運動が実質的にリミッターとしての効果をもたらしても、それがなかなか可視化されないことによる弊害を指摘する声もある」。
 「『一般意志2.0』がリミッターとして機能するためには、運動の継続が大前提になる。しかし、リミッターとして機能している状態では、運動に携わる人間たちは達成感を得られない。彼らのモチベーションが上がらなければ、いずれ運動はしぼんでいってしまう。
 「リミッターとして機能させつつ、運動に携わる人間たちに達成感も与える。湯浅(社会運動家で、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠)は、そのために必要な要素は『調整の共有』であると指摘した」「調整とはまさに『熟議』の一種だ。ソーシャルメディアを通じてどう『熟議』を組み込んでいくのかを考えることが、運動論としての『一般意志2.0』における今後最も大きな課題と言えるのかもしれない」。

 第3章 ソーシャルメディア+マスメディア=?
 「日本でも今、マスメディアによるソーシャルメディア利用が過渡期となりつつある。2012年1月23日、朝日新聞の記者が実名でツイッターを始め、一部で話題になった」「さらに2012年4月からNHK総合でリアルタイムに視聴者から寄せられるツイートを画面に表示し、出演者に疑問として投げかける新しい形式のニュース番組『NEWS WEB 24』がスタートした」「実名記者による『デスクチェックを経ないツイート』を新聞社が認め、リアルタイムで寄せられた番組への批判的な声を画面に表示する報道番組が登場した2012年春は、後から振り返ったときに、日本のメディア史における大きな転換点になるはずだ」。

 「日本人は『信頼する情報のみを流すべきだ』という、旧来のマスメディアに求められていた価値観を、インターネットにもそのまま持ち込んでいるようだ」「情報の正確性を検証することは、言うまでもなく重要だ。しかし、過度な無謬主義は一方で、ソーシャルメディアの果たすべき機能を制限することになり得る」。

 第4章 ネット世論を考える
 「現状の参議院全国比例区では、1議席を獲得するのに必要な政党票+個人票の獲得数は110万票前後と言われている」「つまり、一から政党をつくって参議院の全国比例区で議席を取りたい場合、最低でも120万票程度を獲得しなければならない」。
 「ネットだけで120万票取るというのは、現状では相当難しい」「今後ネット選挙が解禁され、投票前にニコニコ生放送やユーストリームといったネットメディアを駆使し、選挙特番で議員候補が存在感を示すことができれば、『投票行動が変動的』な若者視聴者の直後の投票行動に影響を与えることは十分に考えられる」。

 「気になるポイントとしては、政策(マニフェスト)ベースで投票行動をする浮動票の存在だ」「公示期間中、候補者個人の選挙活動は制限されたが、各メディアのサイトやネットのポータルサイトでは、有権者個人に選挙の争点となっている問題について複数の質問を投げかけることで、自分の政治志向と各党のマニフェストの合致具合を調べて、どこの政党に投票すべきかを示してくれる、いわゆる『ボートマッチ』が人気を集めた」。

 「ここ数年、われわれはソーシャルメディアを通じて、自分たちの生活に直結する問題について『一体何をしているんだ!』と政治家たちの尻を叩くことができるようになった。これは『ネットと政治』の関係を考える上で、ソーシャルメディアがわれわれにもたらした最大の恩恵かもしれない」「現状のネット世論にできることは、人々の投票行動を変え、政権を変えるという『大きな』ことではなく、現在進行形である特定の政策問題に対し、政治家たちの尻を叩くことで強引に『議論のテーブル』をつくることではないか」「東浩紀の『一般意志2.0』風に言えば、『いままでの高級な政治参加とは別の、激安の機能制限版普及型政治参加パッケージ』がソーシャルメディア上に生まれつつあるのだ。だからこそ、その仕組みをブラッシュアップしていくことで、『ネット世論』の影響力は向上させなければならない」「社会が変わるためには、こうした政策決定のプロセスをネットに公開し、それが実際の票を動かすような仕組みをつくるのが何よりの近道だ」。

 第5章 ネット選挙にみる次世代の民主主義
 「ツイッターを生み出し、ネット選挙の先進国でもある米国では、2012年10月3日に行われた、民主党のオバマ大統領と共和党のロムニー候補による第1回テレビ討論会でツイッターが大活躍した」「興味深いのは、今回の討論会で『ファクトチェック』と呼ばれるメディア系のアカウントが活躍したことだ。メディアや市民団体の専門家などの複数のアカウントが、両候補が討論中に示した数字や主張の根拠についてネットで即座に調べてツイートし、テレビと一緒にツイッターを見ている人に討論を考える材料を提供していった」。

 「ソーシャルメディアをうまく活用することで、お金のかからない選挙活動が可能になれば、有権者にアピールする機会の寡占状態は緩和され、理念的にはよりフェアな選挙が実現される」。

 「歩みは遅いものの、行政情報のオープン化が進み、インターネット上でさまざまな情報が共有されるようになっている。これを分かりやすい形で整理し、国民に届けることで、一定数の国民は政治に興味を持ち、政策ベースで候補者を選びたいと考えるようになるはずだ」。

 「必要なのは、選挙に依存することなく、議員や官僚に対して「洗練された民意」を直接届けていくための仕組みだ」。

 第6章 政治家のソーシャルメディア利用術
 「『ソーシャルメディアと政治』という点で最初に注目されたのは、2008年の米国大統領選挙だ。バラク・オバマはインターネット――とりわけソーシャルメディアを最大限活用することで、多くの個人献金を集め、圧倒的に不利な状況から大統領当選を果たした初めての候補である」。

 第7章 ソーシャルメディアリテラシー
 「橋下徹日本維新の会代表は、マスメディアから自分に対して何かネガティブな報道があると、その一つひとつを名指しで取り上げ、ツイッターで細かく反論する」。

 第8章 きみが政治を動かす
 「多くの関係者に向けて意見を投げかけ、それに対する反応を政治家にフィードバックすることで現実を変えていかなければならない」「ソーシャルメディアは今後、地域に共有されている問題意識や新たな政策アイデアを汲み上げるツールとして大きな役割を果たすだろう」。

 終章 ガバメント2.0が実現する社会へ
 「政策に関連する情報が可能な限りオープンになり、米大統領選の候補者テレビ討論で行われたような外部の専門家による政策情報に対するリアルタイムなファクトチェックが機能し、国民は政治家や官僚が暴走しないためのリミッターとしての機能を果たす――これこそが、筆者の考える理想的な政策環境だ」。

 「英国に行政府が公開するデータと情報技術を組み合わせることで、市民が具体的に行政に対して『対案』を示すことができるユニークなウェブサイトが存在する。『You Choose』と呼ばれるこのサービス、もともとはロンドンのレッドブリッジ特別区がつくったものだ」。

 「オープンガバメントが実現すれば、市民が政治、行政に関心を持ち、政策決定のプロセスにコミットすることにもつながる」「キーワードは、『GOV(ガバメント)2.0』。これは「ウェブ2.0」を提唱した米メディア企業・オライリーメディアの創設者、ティム・オライリーによって生み出された概念で、『政府はユーザーの要求に応じてサービスを提供するプラットフォームであり、IT技術を利用して政府の持つデータをオープンにし、ソーシャルメディアが持つインタラクティブ性を政策決定に生かせる仕組みをつくるべきだ』とする考え方だ」。
 「政治家や官僚の意識が変わり、市民に対する情報公開が積極的に進められることで、われわれ市民の意識も変わっていく。オープンガバメントとは、『政策中心の政治』を実現するための重要なカギであり、われわれが『ウェブで政治を動かす』ための、最強の武器でもあるのだ」。

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東浩紀著『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社)

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一般意志2.0

 東浩紀著『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011年11月25日発行)を読んだ。
 哲学者の東浩紀氏が「18世紀フランス語圏を代表する思想家」のルソーの思想を「コンピュータとネットワークに覆われた情報社会の視点で」読み替えるという試みの本を短いブログでレビューするのは極めて難しいと思うが、とても面白い本だったので、あえて「つまみ食い」しながら全体の論旨を追っていこうと思う。


 序文によると「本書は、情報技術が民主主義を実現すると主張する書物ではない。そうではなく、情報技術が張り巡らされた社会の出現は、むしろ民主主義そのものを変えてしまう、政治や統治のイメージそのものを変えてしまうと主張する書物なのである」。

 「本書の連載版は、政権交代に日本中が沸き、政治への期待が最高潮に達した直後に始まっている。そして翌年、相次ぐ失策で民主党政権への失望が拡がり、政治そのものへの期待が急速に萎んでいく光景を眺めながら書き継がれた」「それはまた、国内でソーシャルメディアが急速に普及し、マスコミとネットワークの力関係が大きく変わった時期でもあった」「つまりは本書は、日本社会が従来型の政治とコミュニケーションに対する信頼をついに決定的に失い、かわりにネットワークを介した新しい合意形成の可能性におずおずと目を向け始めた、そんな時期に書かれた本なのである」。

 「民主主義は熟議を前提とする。しかし、日本人は熟議が下手だと言われる」「かわりに日本人は『空気を読む』ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ『空気』を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか」。


 一般意志2.0を理解するためのキーワードの一つが「集合知」である。
 「『文殊の知恵』の時代には、ひとはせいぜい3人で顔を突き合わせて議論することしかできなかったが、いまやわたしたちは、3000人、3万人の他者とモニタ越しに関心を共有し、同じ話題を追いかけて意見を集約することができるようになったのである。したがって、集合知の思想はいまや、まったく異なる規模、異なる可能性のもとで再検討する必要が出てきている」。

 「ルソーは、個人の社会的制約からの解放、孤独と自由の価値を訴えた思想家だった。しかし彼はまた同時に、個人と国家の絶対的融合、個人の全体への無条件の包含を主張した思想家でもあった」。
 「ルソーにおいて社会契約とは、人民ひとりひとりが『自分の持つすべての権利とともに自分を共同体全体に完全に譲渡すること』を意味している。社会契約が社会(共同体)を作る。その結果として生まれるのが、個人の意志の集合体である共同体の意志、すなわち『一般意志』だ。
 「一般意志は、その共同体全体の意志を意味している。したがって、具体的にだれがその意志を担い統治を実現していくのか、つまり権力をだれがもつべきなのかの選定は次の段階になる」。
 「政府は一般意志の執行のための暫定的な機関にすぎない」。
 「一般意志は政府の意志ではない。個人の意志の総和でもない。一般意志は、人民が集まり、会議を開き、侃々諤々の議論を重ねてたがいの差異を乗り越え練り上げる、わたしたちが一般に想像するような『合意』とはまったく異なる存在である」「一般意志は、一定数の人間がいて、そのあいだに社会契約が結ばれ共同体が産み出されてさえいれば、いかなるコミュニケーションがなくても、つまりは選挙も議会もなにもなくても、自然と数学的に存在してしまう。ルソーはそう考えた」。
 「ルソーの『一般意志』のアイデアは、思想史的には、代議制や政党政治の成熟に至るまえの未熟なものとして、あるいは全体主義に近接する危険なものとして理解されてきた」「思想界で『未熟』で『危険』だとされてきたルソーの夢こそが、いま思いがけないかたちで『実装』されつつある」。

 「ツイートにしろチェックインにしろ、むろん個々の行為は意識的なものではある。しかし、数千万、数億、数十億というデータの量は、もはや個々人の思いを超えた無意識の欲望のパターンの抽出を可能とする」「そのデータの蓄積こそを現代社会の『一般意志』だと捉えてみたいと思う」「一般意志とはデータベースのことだ、というのがこれからの議論の核になる主張である」。

 「いま誕生しつつあるのは、たとえブログを眺めているだけでもあるいは音楽を聴き動画を再生しているだけでも、その消費行動そのものがすべてデータとして収集され、集合知の生成過程に組みこまれる、そのような貪欲な社会だ」「それは決して総表現社会ではない、どちらかといえば『総記録社会』とでも呼ぶべき社会である」「総記録社会が生み出す巨大なデータベースは、人々の欲望の在処を、250年前のルソーが想像もおよばなかったようなかたちで浮かびあがらせている」。
 「来るべき総記録社会は、社会の成員の欲望の履歴を、本人の意識的で能動的な意志表明とは無関係に、そして組織的に、蓄積し利用可能な状態に変える社会である」。

 「わたしたちは一般意志2.0を手にしている」「だとすれば、もはや自分たちの意志をだれかに『代表』してもらう必要はないのではないか。ましてや、何十万もの有権者が、数年に一度だけの選挙で『民意を託す』ことはいかなる正当性もないのではないか。ルソーがもしいま生きていたならば、現在の政治哲学が取り組むべき課題は、まずはその一般意志2.0の精緻化であり、つぎにその出力と統治機構を繋ぐ制度の設計だと主張したにちがいない」。

 「来たるべき政府2.0は、市民の明示的な意志表示(それはルソーの言葉では『全体表示』に相当する)ではなく、それよりもむしろ、情報環境に刻まれた行為と欲望の集積、人々の集合的無意識=一般意志にこそ忠実でなければならないことになるだろう」
 「具体的には、これからの政府は、市民の明示的で意識的な意志表示(選挙、公聴会、パブリックコメントなどなど)だけに頼らずに、ネットワークにばらまかれた無意識の欲望を積極的に掬いあげ政策に活かすべきであることを示唆している」。
 「市民の積極性を前提とする従来の政治参加の回路は、結局のところ、問題の政策に強い利害関係をもつ特殊な人々か、あるいは政治参加そのものを目的とした『プロ市民』しか集めることができない」。

 「ブログやツイッターに文章を投稿するとき、わたしたちは投稿したいと考えたこと(意識したこと)を投稿しているだけではない。そこでは同時に、投稿したいと考えなかったこと(意識しなかったこと)もまた投稿してしまっている。一般意志2.0は、そのような『意識しなかったこと』の集積として立ち現れる。だから筆者は『無意識』という言葉を使いたいと思う」。

 「19世紀末のフロイトは病者の非合理的な思考を前にして、20世紀のグーグルはネットに渦巻く欲望の群れを前にして、ともに肯定と否定を区別しないモデルこそが分析に適していると判断した」。

 「21世紀の国家は、熟議の限界をデータベースの拡大により補い、データベースの専制を熟議の論理により抑え込む国家となるべきではないか」。

 「現代社会はあまりにも複雑で、すべてを見渡せる視線はもはや存在しない」「いま『選良』と呼ばれる人々は、現実には特定の『業界』の専門家でしかない。彼らはその業界を離れれば、平凡な消費者、無見識な大衆の一員にすぎない」。

 「社会の見通しが悪くなり、大きな公共が壊れ、政策課題ごとに専門家や『当事者』が集まっては『小さな公共』を立ち上げて議論を深めるほかない、わたしたちはそのような時代に生きている」「乱立する小さな公共たちをまとめあげる大きな公共の再興が無理なのであれば、せめて『大きな無意識』の、つまりは一般意志の可視化を利用するとよいのではないか」。

 「わたしたちは、これからのすべての政策審議について、それを密室からネットに開放し、会議そのものはあくまでも専門家と政治家のものであることを前提としながらも、中継映像を見る聴衆たちの感想を大規模に収集し、可視化して議論の制約条件とする、そのような制度の導入を考えてもいいのではないだろうか。

 「ネットを活かした政治というと、多くの人がまず、電子国民投票やソーシャルメディアによる自治体運営のような直接民主主義的な提案を想像する。しかし、筆者は直接民主主義の導入を提案しているわけではない。そもそも本書の出発点は、現代社会はあまりに複雑で、その理解が有権者の認知限界を超えているために政治が麻痺している、という問題意識にあった。それゆえ、直接民主主義の導入は解決にならない」。

 「年金改革でも景気対策でも外交問題でも、いま日本が直面する課題のいずれもが、専門家や当事者にしかわからない膨大なディテールに覆われている。そもそも事実認識の段階で専門家の意見そのものが割れていて、どちらが正しいかわからないことも多い」。
 「では市民は『勉強』すべきだろうか」。
 「そもそもたいていのひとはそれほど暇ではないし、通勤時間に新書に目を通すのが関の山だ。国民のほとんどは、時間的にも能力的にも熟議に参加することができない。彼らに可能なのは、国政選挙の投票時に、二つか三つの『マニフェスト』からなんとなく気に入ったものを選ぶという、じつに粗っぽい『政治参加』だけなのである」。

 「無意識民主主義の提案は、そのあまりにも高くなった政治参加のコストを、劇的に下げることを目的としている。より正確には、いままでの高級な政治参加とは別に、激安の機能制限版普及型政治参加パッケージを別に用意してあげようというのが、筆者が考えていることだ」。

 「筆者が唱える無意識民主主義は、…市民ひとりひとりにはもはやなにも期待せず、ただ彼らの欲望をモノのように扱い、熟議または設計の抑止力として使うだけなのである」。


 これだけ、引用を積み重ねてきて、一般意志2.0を理解したかなと思ったときに、ものすごく一般意志2.0をわかりやすくするたとえを見つけた。

 「以上の提案は、言ってみれば、…政府内のすべての会議を『ニコニコ生放送』で公開しろ、と呼びかけているようなものである」。

 う~ん。妙にわかりやすい。
 この一言の内容を政治史のなかで位置づけ、権威づけをして論じたところに著者の卓越した力を感じる。

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D社との対抗戦、ライバルに1打差で敗れる。

 昔いたN出版社とD印刷のゴルフ対抗戦。1対1の勝負、18ホールのスコアが良い方が勝ちと言う方式で戦った。ゴルフ場は、ヌーヴェルゴルフ倶楽部(千葉県大綱白里市金谷郷3151-1、0475・70・2001)。2009年8月29日に一度、ラウンド。46、46というまずまずのスコアだった相性のいいゴルフ場だ。

 今回も途中までは好調だった。だが14番。グリーン近くのバンカーショットでホームラン。林の向こう側はOBではなく、木の間を4打でやっと出し、+6。これで対戦相手のWさんに1打差に追いつかれ、18番ホールで3パットを打ち、逆転を許す。この1打差が最後まで響き、Wさんに1打差で敗れた。

 この対戦は負けたものの、わがチームは圧勝した。
 1番手Kan氏vsI氏は89対93でN出版社の勝利。
 2番手Kat氏vsKi氏は120対130でN出版社の勝利。
 3番手G氏vsO氏は103対114でN出版社の勝利。
 4番手が私とWさんで初めてD印刷の勝利。
 5番手N氏vsH氏は89対120でN出版社の勝利。
 6番手WさんvsIさんの女性対決は123対98でD印刷の勝利。
 
Nouvellegc20130113in

Nouvellegc20130113out

 次回もこの方式で、Wさんと対戦したいものだ。

 さて、今日のスコア。
 インが0+1+2+1+1+6+3+1+2=+17で53。 パット数は222322313。
 
 アウトが+2+0+3+1+3+0+1+1+2=+13で49。 パット数は222331223。

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謹賀新年・ゴルフ初練習

 謹賀新年。
 新しい仕事の準備などで年末年始は忙しかったのだが、その分、ブログはお留守になってしまった。

 今年最初のブログはゴルフ初練習。ファーストゴルフの早朝2時間打ち放題に行った。
Golfrenshu20130112

 明日、旧職場のN出版社とD印刷のゴルフ対抗戦がある。頑張らねば。

 ことしは、「品質の良いゴルフ」を目指したい。

 そのために
 
 ①手加減しない。
 ②打ち終わるまでボールを見る=顔を動かさない
 ③腹八分目=マン振りしない
 
 を心掛けたい(これまでの教訓から)。
 
 さらに
 ・左手で引いて右手で打つ(アプローチやパット)。
 ・ユーティリティーはすこし手前から滑らすように打つ。

 以上を心掛けながら練習した。

 ミズノのフィッティングで分かったのだが、アイアンはクラブの付け根に近いところにあたることが多かった。もう少し先のほうで打つ練習もした。

 時間の半分はバンカーショット(ロブショットと同じ?)の練習に費やした。ボールの2cmくらい手間をボールの下をくぐらすような感じで打つ。実戦で試してみたい。

 

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