柳川範之著『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』、 柳川範之・水野弘道・為末大『決断という技術』(日本経済新聞出版社)
柳川範之著『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』、 柳川範之・水野弘道・為末大『決断という技術』(ともに日本経済新聞出版社)を読んだ。
柳川範之さんは、1963年生まれ。父の仕事の関係でシンガポールで小学校を卒業。高校時代をブラジルで過ごしたのち、大学入学資格検定試験合格。大学は慶應義塾大学経済学部を通信教育により卒業。その後、東京大学大学院に進み1993年博士号を取得。現在、東京大学大学院経済学研究科教授。
日本の多くの若者とはかなり異なる進路を歩んでいる。
「40歳定年制」の考え方を打ち出していることでも知られており、そのユニークな発想法を知りたいと思い、この2冊の本を読んだ。
日本人は敷かれたレールの上を走るのは得意だが、そこから一歩外れたり、そもそもそんなレールがなくなってしまったりすると、当惑してしまう。『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』はそんな将来が見えない人たちのために書かれた本だ。
「スポーツがうまくなるにもコツがあるように、未来を考えていくときにも、考え方のコツがあります。そんなコツを『経済の考え方』を使って整理してみたのがこの本です」。
「同じ会社に長く勤めていると、その会社の中での働き場所しか、自分の中の選択肢として考えなくなっていきます。それはそれで思考のコストを節約するうえでは、よいことなのかもしれません」「でも、それによって、その会社を辞めてほかに移ることなどを考えなくなってしまったとすれば、とてももったいない気がします。たとえ結果としては会社に残るにしても、会社を辞めてほかに移ることを選択肢として残し、いろいろな可能性をシミュレーショ
ンしておくことが、よりより方向に決定していく原動力になります」。
「思考のパターンが固定化してくると、本当はあるはずの選択肢が、事実上、見えなくなっている場合が多くなります。見えなくなっていないか、もっと他に選択肢がないか、と、ときどき考えることは、思考や行動を固定化させないために大切なことです」。
「今までとは違う『情報と情報の結びつき』『人と人の結びつき』が、思いがけない価値を生み出すことが知られています。だから、少しずつでもよいから、いつもと違う人と会ってみたり、いつもと違う情報にアクセスしてみたりと、今までとは違うことをやってみることが大事だと思うのです」。
「何か目標を達成しようとすると、意識するにせよ、しないにせよ、なんらかの中間目標を設定するのが普通です。でも、そこを通過するのは、目標達成の手段にすぎません。あるいは、最終目標を何にしたらよいかわからないからにすぎないといえます」。
「挫折感を感じたときには、もう一度、そもそも何に挫折したんだろう、何にがっかりしているんだろう、と少し頭を冷やして考えてみましょう。ほとんどの場合、自分が設定した中間ポイントを通過できなかったにすぎないと気づくはずです」。
「将来がよくわからないという状況は変えられそうにはありません。結果がわからなかったら、楽しめないでしょう。そんな場合はどうすればよいのでしょうか。答えは、簡単です。少しずつ進んでいくことです」。
「これは、と思えるときが来るまでは、少しずつ先に進んでいくほうが、最終的にはよい選択だと思うのです。大事なことは、少しでも「進む」!という点にあります」。
「将来がよくわからないときには、将来の選択肢をあまり縛らないようなかたちで先に進めておくことが大切です。そうすることで、将来のいろいろなオプション(選択肢)を残しておくことができ、将来の変化に対して柔軟に対応していくことができます」。
「少しずつ進むというのは、一気に進んで選択肢を狭めてしまうのではなく、オプション価値を比較的残しながら進むことです」。
「ほとんどの人の人生が、先進国に団体旅行で行くような予定調和的なものではなく、発展途上国に貧乏旅行に行くような先の見えない旅です。だからこそ、貧乏旅行から得られる教訓は、大きな示唆を与えてくれます」「現代の、特に日本で大きく欠けていると思うのは、まず、この立ち止まって情報収集をし、ベストな道をさがしながら進むという発想でしょう」。
「たとえ、もう寿命があまり長くないと感じられる世代であったとしても、次の世代のことを考えれば、やることはたくさんあるし、やるべきことは見えてくるのです」
「会社の中にいると、その会社内が自分の人生のすべてのように見えてきます」「『社内がすべて』という意識が強くなり、会社外のことについて、相対的に関心が低くなってしまう面があります」。
「社内生活でのゴールが早々と訪れてしまうと、あたかも自分の人生のゴールまでもが訪れてしまったかのように錯覚してしまうのです」「自分から選択肢を広げていく工夫が必要です。社内での仕事環境以外に自分にはどのような選択肢があるのか、何がやりたいのか、何ができるのかを考えていくことが必要です」「あくまでいざというときのバックアップ・プランとして、考えておけばよいのです。でも、そのバックアップ・プランが、どこかのタイミングで、自分が走る大きな道となっていく可能性があります」。
「多くの場合には、新たな道を踏み出すには、新たな知識や技能が必要です。そのための時間と労力は、きちんとかけるべきだと思います」。
「将来が不透明で不確定な要素が大きいときには、夢や目標も複数のものに分散投資しておくことが、むしろ重要になってきます。そのほうが、予想外の変化に対応しやすいからです」。
「複数の目標や夢に順番を必ずつけておくこと」「その順位をときどき見直して、入れ替えたり修正したりすることが大切です」。
『決断という技術』はアスリートの為末大氏、投資家の水野弘道氏、経済学者の柳川範之氏という別の世界にいる3人の会話をまとめたものだが、共通項は既存のレールとは違う道をもがきながら歩んでいる人たちであるということだ。彼らから見た日本の組織は硬直化しており、何も決められない。彼らには「決める技術」がないと映るようだ。
彼らの会話の中から、「なるほど」と思ったフレーズを抜粋、何が「決断の技術」なのかをあぶりだしてみよう。
為末 日本は、いつかわかり合えるという、そういう感じですよね(笑)。
柳川 そうか。日本のほうが、そういう「わかり合える度」に対する期待感は強いんですね。だから、何かこうやって話していけば、やがて真実の姿が見えてきて、そこではみんなが合意できる――と期待してしまう。
水野 そうすると、決断しなくていいわけです。
水野 そうですよ、場のatmosphereはあるんですけれど、下から自然に浮かび上がってきて、誰のリーダーシップもないのに、それが最後の決定まで支配することになるというのは、向こう(海外)ではみたことがないですね。
柳川 そこがおもしろいところですね。一方ではそういうものが、まさに日本の和の源泉だったりとか、ある種の強みだと言われる場合もあるわけで。
為末 ただ、それは異質なものが入ってくると、崩れてしまうものかもしれないですね。閉ざされた所で、人々が喧嘩せずに生きていくには必要なものだったのかもしれないですけど、これから多様な文化と向き合っていかないといけない時代にはちょっと。
為末 「こんなに時間かけましたからね」って言うのでしょうね。「時間をかけたから、ベストは尽くしました」とかなんとか。そういうふうに納得させる言い訳を、自分自身に対してもやっているような気がするな。
柳川 それ逆に、言い訳のない決断をして失敗すると、責められるということですかね。
為末 やはり自分の意思で選んで失敗したときは、けっこう厳しくやられる気はしますね。何かこういうルールの中でやって失敗したというときは、しかたがないで許してもられるけれど、そこからはみ出して自分の考えで推し進めたものに対しては、許されない感じがします。
柳川 …日本では決定をかなり神聖視しすぎるという気がします。すべての情報について、きちっと本当に正しいことを決定できるという思い込みや暗黙の前提がある。だから、一生懸命情報を集めようとして、なかなか決めないし、逆に一度決めたら、それが変わることはある意味で非常におかしなことだったり、その人の人間性を疑うというところにまで行ってしまったりする。
水野 …日本人のチームでは、その中の個々人が全部知っていなければいけないという感じになるから、結果としてみんなが素人の範囲を出ない程度の知識レベルになって、グループとしての縮小均衡になってしまう傾向がある気がするんですね。だからチームの中の専門家を活かしきれない。
水野 ・・・最後に誰かが決めてくれるという安心感があれば、すり寄っていく必要がないんですよ。みんなが自分の意見を明確に主張できるわけですよね。それがないから、早い段階から、「なんとなくお互いすり寄らないと、これ、最後、話がまとまらないね」という強迫観念にせまられることになるわけです」。
為末 僕がアメリカで感じたのって、議論のゲーム化なんですよ。テレビのトークショーからして議論をやっていて、それで観客はどっちが勝ったかを決める。やっている人たちもそれを楽しんでいる感じで。日本では議論がスポーツ的にスカッとなる感じがないですよね。
柳川 …マネジャーがいなくても、ある意味で下の人が並列的に5人ぐらいいるだけでも、それぞれが全体のことを考えて、全体がある程度合意形成できるような形で組織が動いてくれる。それはやはり日本型の一つの大きなメリットじゃないですかね。…
水野 その日本の良さを崩す必要は全然ないのだから、アプローチとしては、それを残しながら決断のできるリーダーを育てるにはどうするか、という考え方をしていかないといけないんですね。
柳川 日本では優劣をつけるのはおかしいという話になりがちなんですけれど、それは一つの尺度で上下を決めようとするからで、いろいろな方向で優秀な人を輩出していくという発想に変えないと、なかなか人材の使い方としてももったいないし、日本の社会としてももったいない。
為末 凡人を秀才にする仕組みと天才をつくる仕組みって異なるです。
水野 …客観的にみて、失敗に対するペナルティというのは、欧米企業のほうが強い。ただ、なぜか日本の会社員たちはペナルティを実際より大きいと思い込んでいる。
柳川 それは、みんなが横並びで、同じ方向へ走ってるから、でしょうね。そうすると一人だけ遅れると、実は遅れたレベルは、ほんのちょっとだけど、すごくみんなと違って、遅れたように見えます。
水野 …失敗するって行為には、失敗後の新しい確率分布の幅を狭める価値があるから、経過途中での失敗は最終的な成功の確率を高めます。だから、失敗をサンクコストだと割り切れれば、すべての失敗は未来に向けてポジティブな効果しかないんです。
水野 決断は精神性からくるものではなくて、合理的な判断から起こすべきものなんですよ。だから、この対談で浮かび上がってきたように「技術」がある。
柳川 決断の練習をさせる上では、ある程度失敗を許す、寄り道を許容することにしないといけないですね。
為末 ここで話をしてきたいろいろな考え方を教えても、恐怖心でできない、わかっているけれど踏み出せないっている面はあると思うんですよね。そういう人は、ちょっとずつ失敗し、成功に慣れていくしかないのかな。
柳川 やっぱり、そういう練習を少しずつしていく必要があるんだと思いますね。本質と違うところで練習しておくとよいのではないでしょうか。最初はよくわからなくても、だんだんとわかってくる。わからない度合が大きい中で、大きくステップを踏むのはやっぱり無謀です、それは決断せよというのと違って無謀な賭けにすぎない。…
水野…人生のように一発勝負ではなく、いくつもの分岐点がつづく事の場合、途中経過で成功しても、次に成功する確率が高まるわけではないけれど、失敗したら、次に成功する確率は確実に上がりますからね。
為末 チャレンジできる社会、多様性を保てる社会、怖がらずにチャレンジしてそれが評価されて、何回でもチャレンジ出来る社会をつくりたいと思っていて、その怖さを取り除く一歩になればいいなと思います。決断が重いと思い込んでいるだけで、もっとその気軽さも伝えたい。決断の気軽さ、気軽に選んでもよいものだっていうことを伝えたい。
柳川 それは僕も思いますね。何回でもチャレンジする社会をつくりたい。
水野 いままでは、決断なんとかって本を読んでも、私はこんなすごい決断をしてきたっていうのが多くて、自分も若い頃読んでも、気分だけは高揚したけれど、どうやって決断したらよいのか、なぜ難し決断をするのが合理的なのかについてはわからなかった。しかも決断するには覚悟がいるよ、軽い気持ちでやるなよって念を押されている気がして、ますますやりにくくなってしまった。決断はそんな自己犠牲的な覚悟なんてなくても、合理的にできるし、特に、新しい分野に踏み出すような決断は、たとえ失敗したとしても、人生の投資としてみたら、合理的だっていうのをわかってもらいたいですね。
| Permalink | 0
The comments to this entry are closed.
Comments