香山リカ著『若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか』(朝日新書)
若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか
香山リカ著『若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか』(朝日新書、2012年12月30日発行)を読んだ。
1990年代半ば以降、IT(情報技術)化やグローバル化が急速に進行。日本の経済、社会の構造はガラリと変わり、大学を出れば正社員で働ける時代ではなくなってしまった。また、普通に勤めも、一生安定してそこそこの給料をもらえる時代ではなくなってしまった。ヨーロッパは不安定ななかでも社会保障が下支えしているが、社会保障への方針が定まらない日本では不安定な部分が結果的にすべて若者に押し付けられている。
日本では高齢者の割合が増え、超高齢社会をどう乗り切るかという問題とともに、若者の現在の苦境を救わなければ、日本の明るい未来はないという状況になっている。
そんなときに社会保障をめぐる世代間の対立や、価値観の相違による世代間の断絶が進んでいる。中高年と若者の間の精神的、経済的な垣根は取っ払わなければならないと思っているときに、この本とめぐり合った。
この本で、香山さんはいまの若者とかつての若者の置かれた環境や価値観がどう異なっているか、それぞれがどのようにコミュニケーションを深め、歩み寄っていくべきかを論じている。
まず、感じたのは、若者は、生きづらい現代社会をしっかり生き抜いていこうと考え、とても合理的に生きようとしていることだ。一方で、中高年世代の価値観はいまだに高度成長期のころと大きくは変わらず、コミュニケーションが成立していない。
香山さんは、互いの良い部分は認め合い、取り入れていくことによって、相互理解、世代間交流を進めていくべきであると言う。
まず、若者は、将来に備え、消費行動が慎重だ。環境問題などへの意識は高く、健康志向も高い。
たとえば「若者のクルマばなれ」。
「マーケッターの松田久一氏は、その著書『「嫌消費」世代の研究』(東洋経済新報社、2009年)の中で、いまの若者が直面している経済状況として、『将来が不安』『収入の見通しがよくない』『低収入層が増えている』の三つをあげている」「彼らにとっては、『節約すること』『待って安くなってから買うこと』が常識になっている」。
「貯金好き」も最近の若者の傾向だ。
「『なぜ使わずに貯めるのか』と聞くと、『これから世の中もどうなるかわからない』『就職してもいつまで勤められるかわからない』と言う」。
「自分が持っているものは他人から見てもおかしくないものなのか、ということも気になる」。
「唯一、誰にもおかしいと思われないもの、それが『貯金』なのだろう」。
香山さんは言う。「『あのクルマを手に入れたい』という若者ならではの夢は、愚かでもムダでもなく、その後の人生を切り拓いていく第一歩のような気もするのだがどうだろう」。
環境問題への関心の深さが最近の若者の特徴だ。
「いまや『環境に配慮する自分をひそかに誇らしく思う』というのは、彼らにとって自負心を感じる数少ない機会になっているのではないだろうか」。
「消尽、豪快な浪費がカッコいい、という時代は明らかに終わった。おそらくこれから再び経済が活性化する時代がやって来ても、…『もったいない』『控えめに』と常に意識できたりする人が高い評価を受ける傾向は変わらないだろう」。
そしてヘルシー志向。
「いまでは、『体格がいい=健康』という健康観は一変し、…肥満や過剰な栄養は不健康の最大の原因とまで見なされるようになった。同時に若い人だけでなくて子どもまで『スタイル』ということが重視され、『体重を増やしちゃいけない』『ヘルシーな食事をしなきゃ』という意識はほぼ生まれた頃から子どもたちに刷り込まれている」。
香山さん。「アメリカのことわざにある通り、『健康のためなら死んでもいい』となる前に、『自然にまかせて食べたり体型が変わったりするのも、健康のうち』というもっとゆるやかな健康観を取り戻す必要があるのかもしれない」。
「社会貢献したい」という志向が強いのも特徴のようだが、精神科医の香山さんは、それは不安の裏返しかもしれないと指摘する。
「一般企業への就職がむずかしくなっている中、『卒業してもボランティア団体にそのまま残って活動しようかな』と口にする学生もときどき見かける」。
「『どうやって食べていくの?』ということが当然、心配になる」が、「『社会的起業家』を目指している」らしい。
香山さんの見方。「その考え方の新しさに感心しながらも、上の世代の人間としてはそれを手放しで評価してよいのか、という気も捨てきれない」「精神医学の領域では、1970年代から『仕事となると本気を出せないが、ボランティアや趣味となると生き生きとがんばれる』というタイプの人たちが存在し、少しずつ増えているという現象が注目されていた」。
若者は個人主義が徹底しているように見える部分と、相変わらず、“新しいムラ社会”に縛られているように見える部分がある。
「昔は『とりあえず生ビールを人数分ね』などと言ったものだが、いまはひとりひとりがメニューをじっくり見ながらそれぞれ飲みたいものを決め、ひとりひとり注文する。しかも、“自分仕様”にカスタマイズして飲む人さえいる」。
「若者たちは、わかりやすいブランド品を持ったり頼んだりすることで自分のブランド性まで高めようとすることはないが、自分独自のこだわりでそれぞれが『マイブランド』を確立するのである」。
一方で若者の間では「SNS疲れ」が進行する。
「四六時中、友だちや知人のブログやツイッターなどをチェックし、感情をかき乱されているのだ」。
「全国の大学に設置された学生相談所に寄せられる相談の最近のトレンドは、『“ぼっち”(学生用語でひとりぼっちのこと)にならないようにするにはどうしたらよいか』というものらしい」「深いかかわりはしたくないし、ただ群れているのはムダだとわかっていても、とりあえずひとりでいなくてすむくらいの友だちはほしい」「そういう複雑な友だち観が学生たちを取り囲み、その結果、いつも『メールしたのに返事がない。嫌われているのかな?』『ツイッターでつぶやいても誰もレスしてくれない。ついに“ぼっち”になったか』などとまわりの仲間の顔色を気にしながら暮らすことになる」。
『若者のホンネ』を読んでいると、社会の構造が大きく変わって、昔の大事なものが失われる一方で、それを補うだけの「新しい大事なもの」がまだ、できあがっていないような気がする。
「かつてもたしかに『厳しい上司』や『強引な先輩』はいたが、それでも終身雇用を基本とする日本の会社では、『オレとオマエは一生のつき合い』という前提のもとでの指導であり注意であったと思われる」「言われるほうも『ずいぶんきついな』と思いながらも、『でも定年までここにいるわけだし、そのうちハラを割ってこの先輩と話せばわかるはずだ』といった希望や期待もあったからこそ、苦言や怒鳴り声にも耐えられたのだと思う。いささか情緒的な言葉を使えば、そこには幾ばくかの『愛』があったのだ」。
「ところが、いまは誰もが成果主義に追い立てられ、自分もいつ辞めさせられるか、会社じたいがいつ倒産するか、といった中で、仕事をしなければならない。そこで後輩や新人への苦言、注意は、いきおい自分のうさ晴らし、不安やストレスの解消といった意味合いが強くなる」。
戦争を体験した高齢者の出番、と思われるのが「命の大切さ」「平和」を訴えることだ。なぜなら、「いつの間にか『平和が大事』と口にするだけで、逆にある特殊な思想の持ち主として激しく攻撃されてしまう」。
「これまで日本社会は、『何はなくても、やっぱり経済大国なのだから』ということで、自分たちのプライドと自信をキープすることができた。しかし、いまやそれが危うくなってきた中で、何とか早急に『世界第二のリッチな国』にかわるよりどころを見つけなければならなくなった」「そのよりどころが何なのか、新しい金儲けなのか、IT技術なのか、アニメやゲームなのか、それとも防衛の自立なのか、と誰もが必死に模索しているところなのだろう。その中では、これまで大切にしてきた『平和』『平等』はとにかく新しいよりどころにはなりそうにない、と目の敵にされがちなのだろう」。
高齢者問題が高齢者だけの問題ではないように、若者の問題も、若者だけの問題ではない、と思った。
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