隈研吾、清野由美著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)その2
隈研吾、清野由美著『『新・ムラ論TOKYO』で、隈研吾氏は言う。
「2011年3月11日大地震と津波とが東日本を襲った。それから3週間後、まだ水の引かない石巻の町を歩き回った」「確かに津波はすべてを流し去った。驚くべき破壊力を目の当たりにして、血の気が引く思いであった。しかし、それでもなお、いや何もないからこそなおさら、そこには何かが残っていることを感じた。場所というもの、そこに蓄積された時間と想いというものは、決して流し去ることのできるものではない」「この大地を切り売りして商品化することが何をもたらすかを、その行きつく先を、その終末をすでにわれわれは見てしまった。持ち家をいくら建てても、公共建築をどれだけ建てても、場所は曇り、ぼやけていくばかりであった」「夢もフィクションも捨てて、場所から逃れず、場所に踏みとどまって、ムラを立ち上げるしか途はないのである」。
「その場所と密着した暮らしがある場所をすべて『ムラ』と僕は呼ぶ」。
最初のムラが「下北沢」だ。小田急線の「開かずの踏切」を地下化する事業が進んでいるが、それとセットになっているのが下北沢の街中に大きな道路を通す計画だ。反対運動も起きているが、計画通りに道路が通り、その道沿いに高い「ビルが立ち並べば、おせんべい屋さんや本屋さん、生地屋さんなど昔からの商店や、小さくて個性的なファッションの店、カフェなどが並ぶ、今のシモキタの雰囲気はなくなってしまう」。
隈研吾は言う。「21世紀に町を再開発するなら、まず、道路を『敵』にする発想が絶対に必要です。ファミレス、コンビニ、新古書店が誘導される町は、まちづくりとして失敗だ、くらいに頭を切り替えなければ」。
次に訪ねるのが「高円寺」だ。
街を歩きながら、隈氏は言う。
「都市はすでに、商業、オフィス、住宅需要に頼るだけでは生きていけない。これからは、福祉系みたいな、孤立した個人を抱擁する新しい機軸が、絶対に必要になりますね」。
「混在を目の敵にすることが都市計画の下敷きになり、風俗営業法などの法律もこの混在恐怖症、潔癖症から発生したわけです。僕はこの、いわゆるゾーニングという制度を見直さないと、都市という抱擁的存在は再生できないと思う」。
この後、「秋葉原」「小布施」と街歩きは進むのだが、読んでいるばかりでは埒があかないと感じ始めた。
実際に、町田、下北沢、高円寺を歩いてみよう。
| Permalink | 0
« 隈研吾、清野由美著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)その1 | Main | 隈研吾、清野由美著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)その3 »
The comments to this entry are closed.
Comments