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浅草名所七福神めぐり~9つの寺社が個性を競う

 2011年1月の谷中七福神めぐり以来の久しぶりの七福神めぐりをした。

 今回は「浅草名所七福神」めぐり。

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浅草名所七福神めぐりのホームページは、パンフレットとほぼ同じ内容で充実している。

 久しぶりの七福神めぐり。七福神進行の基礎知識を思い出すために、ちょっと長いが、そのなかの「七福神信仰の今昔」を引用しよう。

 人は、禍福を思って悩み、福運を求めて人生をさまよい、ゆえに神仏の信仰が生まれました。「開運」とひとことで片付けられないのが、人それぞれの願望が一様でないからです。家内安全、商売繁盛、縁結び、出産、成長、立身出世、学業成就、健康長寿など、人の願望にはいろいろあります。
 七福神の信仰も、こうした人の願望から発露したものです。
 仁王経という経典の中に、「七難即滅 七福即生」とあります。つまり、教え導くことを篤く信じ行えば、世の中の七つの大難(太陽、星の異変、火災、水害、風害、旱害、盗難)はたちどころに消滅し、七つの福が生ずるというのです。
 この七つの福というのは、その時代、その人の願望によって合理的に解釈されるもので、あなた自身の「心」の在り様といえます。といっても、七福神の神徳を信ずる事を篤くして、人生を救われる人がたくさんいることから、その信仰が現代に継承されていることは確かなのです。
 では、七福神信仰の歴史とは、どのようなものなのでしょうか?
 鎌倉時代、日本古来の守り神恵比須(漁労、労働、商売などの守護神)の信仰に、中国を経てインドから大黒天(五穀豊穣、飲食の神)、弁財天(音楽、知恵、弁説、財福の神)の信仰が加わりました。室町時代にかけて、この三神の信仰が庶民の間に深まってきますと、毘沙門天(人倫の道、仏法の守り神)、布袋尊(吉凶の占い、家庭円満など福徳の神)、福禄寿(幸運、生活の安定、長寿の神)、寿老人(長寿延命の神)の四神が加えられて、人々の願望に応える七福神として信仰の象徴になったものと一般に理解されています。
 江戸時代、かの上野寛永寺の開祖天海僧正が徳川家康に説いて、寿命、有福、人望、清廉、威光、愛敬、大量を七福とし、為政者のあるべき姿としました。
 江戸時代も八代将軍吉宗のころには、世も太平がつづき、庶民も安逸をむさぼるようになります。江戸八百八町には、それぞれ名所が開発され、観光と神仏詣でを兼ねた行楽の気分が旺盛になりました。ちょうど、物資文明の差こそあれ、世界に冠たる高度な生活にひたっている現代日本の姿のようではありませんか!
 そして、江戸末期には、商売繁盛、無病息災、各種大願成就の福徳、福運を求めて各地で七福神詣でが隆盛を極め、とくに正月松の内に巡拝して一年の福徳を願うようになったものが今日の七福神詣での形となったのです。 
 浅草名所七福神詣では、江戸市中でも有名だったのですが、戦後一時期中断のやむなきに至り、昭和五十二年に復活して今日 に受け継がれているものです。古くから江戸市民に霊験あらたかな福の神として親しまれてきております。
 今日は以下の順番で回った。正午にスタート。回り終えたのが午後4時45分だった。
鷲神社<寿老人>(台東区千束3-18-7、東京メトロ 日比谷線入谷駅3番出口徒歩6分、03・3876・1515)→吉原神社<弁財天>(台東区千束3-20-2、都バス吉原大門又は千束下車、03・3876・5966)→矢先神社<福禄寿>(台東区松が谷2-14-1、都バス 萄屋橋下車、03・3844・0652)→浅草寺<大黒天>(台東区浅草2-3-1、都バス 浅草雷門下車、03・3842・0181)→浅草神社<恵比須>(台東区浅草2-3-1、都バス 浅草雷門下車、03・3844・1575)→待父山聖天<毘沙門天>(台東区浅草7-4-1、都バス 隅田公園下車、03・3874・2030)→今戸神社<福禄寿>(台東区今戸1-5-22、都バス 浅草7丁目下車、03・3872・2703)→橋場不動尊<布袋尊>(台東区橋場2-14-19、都バス橋場2丁目下車、03・3872・5532)→石浜神社<寿老人>(荒川区南千住3-28、都バス南千住3丁目下車、03・3801・6425
①鷲神社(おおとりじんじゃ)<寿老人>

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 左の方に寿老人の神像がある。

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 上半身は見えなかった。

②吉原神社(よしわらじんじゃ)<弁財天>

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 右の方に弁財天が見える。

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 明かりに浮かび上がる弁財天の神像。

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 飛び地にも吉原神社がある。

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 にぎわったかつての吉原の様子を伝える花吉原名残碑。

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 こちらにも弁財天が祀られているようだ。

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 リアルな弁財天。

 合羽橋道具街を通って、矢先神社へ。

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 食品サンプルを扱うサトウサンプル。

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③矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)<福禄寿>

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 拝殿の格子天井には神武天皇の御世から今日にいたる「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されている。

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 合羽橋本通りを経て、浅草寺へ。

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 途中、かみや(東京都台東区浅草2−3−14、03・3841・4430)で腹ごしらえ。

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おなじみ、④浅草寺(せんそうじ)<大黒天>

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 影向堂(ようこうどう)に大黒天が祀られているが、撮影禁止。

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 公開されている写真はこれ。

⑤浅草神社<恵美須>

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 参拝の人の列。

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 恵美須様を拝めるか。

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 がっかり。

⑥待乳山聖天(まっちやましょうでん)<毘沙門天>

 隅田川沿いを歩き、待乳山聖天へ。

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 1月に大根まつりが行われることでも有名。

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 境内各所に巾着と二股大根のモチーフがある。巾着は財宝で商売繁盛を表し、大根は夫婦和合、縁結び、子孫繁栄を表す。1月には大根まつりも行なわれ、大根をお供えする。大根は人間の深い迷いの心を表すといわれており、大根を供えることによって洗い清めていただく意味合いを持っている。

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 古い縁起によると、推古天皇3(595)年9月20日、突然この土地が小高く盛り上がり、そこへ金龍が舞い降りたと伝えられている。

⑦今戸神社(いまとじんじゃ)<福禄寿>

 若い参拝客が大変多い神社。

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 大きな招き猫がいる。招き猫には商売繁盛や招福への願いが込められているが、今戸神社の招き猫の特徴は、オスとメスのペアとなっていることです。つまり、縁結びに御利益があるらしい。なるほど、若い女性が多い理由が分かった。

 この招き猫の登場は江戸時代で、人形としての招き猫はここ今戸で16世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれている。伝承によると今戸焼きの起源は天正年間(1573~1591)に、千葉氏の家臣が今戸辺りで焼物をはじめたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移り住んだともいわれている。

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 最近はなで猫もいてーー。

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 若い男女に大人気。

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 ちょっと福禄寿の影が薄くなっているがーー。

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 招き猫の近くにちゃんといらっしゃる。

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 老若男女すべてに人気の出そうなトレンディスポットだった。

⑧不動院(ふどういん)=橋場不動尊(はしばふどうそん)<布袋尊>

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 不動院のご尊像は江戸時代のころから伝わるもので、肩に袋がなく、お腹が袋代わりの形をしている珍しいもの。大きな度量、清く正しい行為の福を授けてくれる布袋様そのものといったお姿で、古くから江戸庶民に尊信されている。

⑨石浜神社(いしはまじんじゃ)<寿老神>

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 寿老神の神像。

 9つの社寺を回り終えた。

 石浜神社は浅草のはずれ。この後、中心部までは距離があった。

 浅草名所七福神めぐりは、中心部にある浅草寺、浅草神社がいまひとつだったが、ほかの寺社が個性を発揮。全体としては面白い七福神めぐりになっていた。

 また、長寿の神様が多く、超高齢化が進む時代にはぴったりの七福神めぐりだった。

 

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