群馬県が、ぐんま観光特使を集め、ぐんま情報センター(ぐんまちゃん家)で、「県政説明会及び意見交換会」を開いた。2006年秋からぐんま観光特使をしているが、この会に出席したのは初めて。県人会や同窓会の運営責任者が観光特使になっているケースが多く、参加者は年配の方が多かった(観光特使の平均年齢は63.7歳)が、「ぐんまのやぼう」を作ったRucKyGAMES代表取締役の本間和明さんや、お笑いコンビのエレファントジョンも出席。ぐんま観光特使の奥の深さを感じた。
「ぐんま観光特使」は、群馬県ゆかりの人たちに群馬県の観光資源及び魅力を全国に広く発信してもらう目的で、2004年2月から任命を始めている。現在、111人の観光特使がいる。今日は23人が参加した。
群馬県観光物産課長の黒澤達也さん、ぐんま総合情報センター所長の宮崎信雄さんのあいさつの後、黒澤さんが富岡製糸場などの世界遺産登録に関して詳しく説明してくれた。
四万温泉の顔でもある、宮崎さん。
黒澤さんが富岡製糸場などの世界遺産登録について説明してくれた。
富岡製糸場と絹産業遺産群については4月26日にユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が世界文化遺産への「登録」を勧告。6月下旬にユネスコ世界遺産委員会で登録が正式に決まる見通し。
富岡製糸場はだれでも知っているが、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴という三つの絹産業遺産群を知っている人はかなりの群馬通。
群馬県のホームページによるとーー。
田島弥平旧宅は、通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が、文久3年(1863)に建てた主屋兼蚕室です。間口約25m、奥行約9mの瓦葺き総2階建てで、初めて屋根に換気用の越屋根が付けられました。この構造は、弥平が「清涼育」普及のために著した、「養蚕新論」「続養蚕新論」によって各地に広まり、近代養蚕農家の原型になりました。
高山社(たかやましゃ)跡は、明治16年(1883)、高山長五郎は、通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立しました。翌年、この地に設立された養蚕教育機関高山社は、その技術を全国及び海外に広め、清温育は全国標準の養蚕法となりました。明治24年(1891)に建てられた主屋兼蚕室は「清温育」に最適な構造で、多くの実習生が学びました。
荒船風穴(あらふねふうけつ)は、明治38年(1905)から大正3年(1914)に造られました。岩の隙間から吹き出す冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設で、冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にしました。3基の風穴があり、貯蔵能力は国内最大規模で、取引先は全国40道府県をはじめ朝鮮半島にも及びました。
黒澤さんによると、富岡製糸場も教科書では錦絵の製糸場が紹介されることが多かったため、現存していると思っていない人が多かったらしい。世界遺産登録後のPRが大事になるが、足の便の確保、他の観光地との連携などが課題として残っているという。
意見交換会ではまず順番に自己紹介。
お笑いコンビやーー。
落語家(古今亭今輔)やーー。
ゲーム会社社長らも出席。
そして、いろいろなこだわりを持っている方が多く、面白かった。
日本画誇る数学者、関孝和のミュージアムを開設したいと熱く語る方ーー。
群馬県で生まれた介護予防元気スポーツ、「アンダーゴルフ」を全国に広めたいと言う方ーー。
ぐんま観光特使の名刺に「上毛かるた」を採り入れたらどうかと提案する方。
「プロゴルファーの武藤敏則が群馬県出身であることを知っている人は少ない。群馬県出身で活躍している人をもっと応援すべきだ」と熱弁をふるう方。
「県に任命された特使だから、県に観光振興策を訴える」のが第一かもしれない。しかし、県も財政が厳しくなっており、新たな観光振興策に振り向ける予算は限られてきている。
それならば、いろいろな意見、見方、知識、経験のある観光特使が連携し、おかみに頼らずに、ぐんまを盛り上げることを考えもいいのではないか。そのほうが、自由度も大きい気がする。
ぜひ、ぐんま観光特使のネットワークを作りたいと思った。
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