群馬県がぐんま観光特使を集め、「県政説明会及び意見交換会」を開催
群馬県が、ぐんま観光特使を集め、ぐんま情報センター(ぐんまちゃん家)で、「県政説明会及び意見交換会」を開いた。2006年秋からぐんま観光特使をしているが、この会に出席したのは初めて。県人会や同窓会の運営責任者が観光特使になっているケースが多く、参加者は年配の方が多かった(観光特使の平均年齢は63.7歳)が、「ぐんまのやぼう」を作ったRucKyGAMES代表取締役の本間和明さんや、お笑いコンビのエレファントジョンも出席。ぐんま観光特使の奥の深さを感じた。

田島弥平旧宅は、通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が、文久3年(1863)に建てた主屋兼蚕室です。間口約25m、奥行約9mの瓦葺き総2階建てで、初めて屋根に換気用の越屋根が付けられました。この構造は、弥平が「清涼育」普及のために著した、「養蚕新論」「続養蚕新論」によって各地に広まり、近代養蚕農家の原型になりました。
高山社(たかやましゃ)跡は、明治16年(1883)、高山長五郎は、通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立しました。翌年、この地に設立された養蚕教育機関高山社は、その技術を全国及び海外に広め、清温育は全国標準の養蚕法となりました。明治24年(1891)に建てられた主屋兼蚕室は「清温育」に最適な構造で、多くの実習生が学びました。
荒船風穴(あらふねふうけつ)は、明治38年(1905)から大正3年(1914)に造られました。岩の隙間から吹き出す冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設で、冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にしました。3基の風穴があり、貯蔵能力は国内最大規模で、取引先は全国40道府県をはじめ朝鮮半島にも及びました。
ゲーム会社社長らも出席。
そして、いろいろなこだわりを持っている方が多く、面白かった。
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