少子高齢化問題にしっかりと向き合った好著―-広井良典著『人口減少社会という希望~コミュニティ経済の生成と地球倫理』(朝日選書)
広井良典著「人口減少社会という希望~コミュニティ経済の生成と地球倫理」(朝日選書) を読んだ。
広井氏は言う。「『人口減少社会という希望』という表現は、かなり奇妙というべきか、あるいは奇をてらった表題と感じる人が多いかもしれない」「しかし私自身は、…人口減少社会は日本にとって様々なプラスの恩恵をもたらしうるものであり、私たちの対応によっては、むしろ現在よりもはるかに大きな『豊かさ』や幸福が実現されていく社会の姿であると考えている」。
5ページにあるこの図を見せられると、その論拠に、なるほど、とうなずいてしまう。
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「この図を見ると、それはまるでジェットコースターのようであり、それが一気に落下する、ちょうどその”縁”に私たちは現在立っているように見える。それが多くの『大変な問題』を私たちに突きつけることは、確かなことである」「しかしこの図を少し角度を変えてみると、やや違った様相が見えてこないだろうか」。
「まずそれは、明治以降の私たち日本人が、いかに相当な”無理”をしてきたかという点である」「江戸末期に黒船が訪れ、かつその背後にある欧米列強の軍事力を目の当たりにし、あたかも頭を後ろからハンマーで殴られたような衝撃を受けた。そうしたショックから、体に鞭打ってすべてを総動員し、文字通り”拡大・成長”の坂道を登り続けてきた」「当初は『富国強兵』のスローガンを掲げ、その行き着いたところが敗戦であった後も、あたかも”戦争勝利”が”経済成長”という目標に代わっただけで、基本的な心のもちようは同じまま、上昇の急な坂道を登り続けたのである」「この10年ないし20年は、そうした方向が根本的な限界に達し、あるいは無理に無理を重ねてきたその矛盾や”疲労”が、様々な形の社会問題となって現れていると見るべきではないか」。
「むしろ人口減少社会への転換は、そうした矛盾の積み重ねから方向転換し、あるいは”上昇への強迫観念”から脱し、本当に豊かで幸せを感じられる社会をつくっていく格好のチャンスあるいは入り口と考えられるのではないか」
そして、広井氏は、「たとえばイギリス、フランス、イタリアの人口はいずれもほぼ6000万人で、日本の概ね半分に過ぎない」とも言う。「少なくとも現在の日本の人口が、絶対に維持されるべき水準であると考える理由はどこにもない」。
広井氏は「私は”人口がずっと減少を続ける”という状況が好ましいとは考えていない」という。しかし、「”少子化が進むと経済がダメになるからもっと出生率を上げるべきだ”とか”人口が減ると国力が下がるから出生率は上昇させなければならない”といった発想では、おそらく事態は悪化していくばかりだろう」「そうではなく、全く逆に、そうした『拡大・成長』思考そのものを根本から見直し、もっと人々がゆとりをもって生活を送れるようにする、その結果として出生率の改善は現れてくるものだろう」と語る。
ここまで読んで、この本は、少子高齢化と言われる社会に初めて正面から向き合った本だ、と感じた。
高齢者が多くなり病院のベッドや介護施設が不足する。社会保障の負担で若者世代が押しつぶされる。高齢化で経済の活力が失われていくーー。当面の問題を危惧するのはいいが、現在の少子高齢化に絡む議論は、ほとんどが、社会保障費を削るとか、年金の支給開始年齢を引き上げるとか、シニアに保有資産をなんとか使わせるとか、「目先の対応」とまでは言わないが、なぜ、こうした社会になってしまったのか、どうすれば、少子高齢化社会を、生きるに値するいい社会にできるのか、という視点がほとんど欠落しており、「大変だ、大変だ」と騒ぎ立てるばかりだった。
「『拡大・成長』の強いベクトルとその圧力の中で、”一本道”の坂道をひたすら登り続けてきた(明治維新以来の)日本社会のありようが終焉し、成熟あるいは定常化の時代を迎えつつあるという構造変化」が起きているのだから、そろそろ、そこに向き合わなければ未来はないのだろう。
その意味で、この本は、少子高齢化が行き着いた先の社会を見通しており、非常に示唆に富む。
それでは、これから定常化の時代に、何が課題になるのだろうか。
「第一は、言うまでもなく社会保障などの『分配』をめぐる問題である。高度成長期は、経済のパイが拡大を続け、要は”みんなが得をする”時代であり、『分配』の問題など考える必要がなかった。この結果、高度成長期の”成功体験”にしがみついている人たちは、今もなお『経済成長がすべての問題を解決してくれる』と考えている。しかしそうした時代では全くないのが現在であ」る。
広井氏が描いているのは「現在よりも高福祉・高負担型の、豊かで安心できる成熟社会のビジョン」「大きくはヨーロッパ(特にドイツ・フランス以北)に近い社会のモデル」である。
第二が「人と人の関係性」だ。日本社会、あるいは日本人は「集団の内部では過剰なほど気をつかったり同調的な行動をとる一方で、自分の属する集団の『ソト』に対しては無関心であったり潜在的な敵対性をもつ」「そこでは『カイシャ』と『核家族』がそうした閉鎖的な単位となったのだった」と広井氏は指摘する。したがって「日本社会の基本的な課題として、個人をベースとする、”集団を超えた(ゆるい)つながり”や関係をいかに築いていくのか」という課題があるというのだ。
第三は、日本人は「深いレベルでの、精神的なよりどころあるいは『土台』とも言うべきものが失われている」。戦後は「『経済成長』ということが全ての目標あるいは『価値』となり、今度はひたすらにそれに向かって突き進んでいった」「何をよりどころにすればよいかが見えぬまま、途方にくれているというのが現在の日本社会あるには日本人ではないだろうか」。
以上は、「はじめに」と「あとがき」からの引用である。
この後、次のような2部によって議論が深められる。「第一部(人口減少社会とコミュニティ経済)は、人口減少ないし『ポスト成長』の時代において浮上する様々な課題や方向性を、コミュニティ、ローカル化、まちづくり、都市・地域、政治、社会保障、資本主義等々といった多様な話題にそくして論じるもので、いわば本書の中での”社会・現実”編とも呼べる内容である」「続く第二部(地球倫理のために)は、そうしたこれからの時代において問われてくる理念や価値、あるいは世界観のありようを『科学』のゆくえという関心を重視しつつ、『地球倫理』というコンセプトを軸に展開するもので、いわば”理念・哲学編”とも呼べる部分である」。
この後の議論で、面白かったものをキーワード的に拾っていくと以下のようになる。
「なつかしい未来」「非貨幣的な価値」「経済の地域内循環」「『生産のコミュニティ』と『生活のコミュニティ』の再融合」「福祉商店街」「福祉都市」「多極集中」「資本主義・社会主義・エコロジーのクロスオーバー」「スロー&オープン」「エコ&ソーシャル」
言葉だけを並べても、なんとなく、これからの目指すべき社会の方向が見えてくる。
面白い一冊だった。
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