落合恵子著『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書)
落合恵子著『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書、2012年8月22日発行)を読んだ。
一篇の詩、一冊の絵本がこんなにも力を持っているのか、と思わせる作品を紹介している。「本書が、あなたにとって、再生に向けての小さな『生の球根』になってくれたら……。」と落合さんは言う。
詩人・長田弘さんの花を持って、会いにゆく」という詩の一節を紹介、「そうだったのだ、『けっしてことばにできない思いが、ここにあると指すのが、ことばだ』ったのだ。何もかも言葉にかえることはないのだ、と詩人の『ことば』が教えてくれた」。
平凡で非凡なひとたち、というタイトルで絵本を3冊紹介する。
「石に魅せられた、ひとりの男の一生を淡々と、けれど力強く描いた絵本」。
そして『雪の写真家 ベントレー』という雪の結晶を取り続けた男の話を紹介した絵本。
「誰かに評価されることを目的としない日々の、なんと清々しく豊かなことだろう。人生を誰かと比べることの、なんとさびしいことだろう」と落合さんは言う。
「水底状態にいるとき、わたしが好んで読むのは、古今東西の言葉たちだ。女性の言葉がほとんどだ」「女性たちはどのようにして、自らの『水底』と向かい合ってきたか。そして浮上してきたのか」「内外の女性たちが紡ぐ言葉たち。そこにこめられた思い、記された言葉と言葉の間に隠されたUnspokend words(語られなかった言葉)だち」。そして、処方餞別に20の詩yや評論を紹介する。
「社会は危険と矛盾を生産し続ける一方、それらへの対処は個人に押しつける。……2001年に翻訳刊行されたジークムント・バウマンの『リキッド・モダニティ――液状化する社会』(森田典正訳、大月書店)のこの一節に出会った時、思い出したのは『自己責任』という、一時、わたしたちのこの社会を席巻したあの言葉である。社会が、バウマンの言葉を借りるなら『生産しつづける』危険や矛盾はすべて、個人に押しつけられ、個人の責任とされる」。
後半は映画や音楽、記憶のなかの出来事も加わって、縦横無尽に展開。セイ!ヤング時代の落合恵子さんのようだ。
そして最後に、OTHER VOICESについて語る。
「別の声、別の価値観という意味だ。周縁、周辺の声という意味もあるだろう。つまり主流でない声のことでもある」「OTHER VOICESに耳を傾けられる社会こそが、誰にとっても風通しのいい関係性を築くうえで、かけがえのないポイントになるはずだ。社会の文化的成熟とは、そういうことからはじまるのだとわたしは考える」。
途中から混沌としてきて、面白かった。
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