« February 2022 | Main | April 2022 »

映画「つむぐもの」

 犬童一利監督の映画「つむぐもの」を観た。

 韓国人女性のユナがワーキングホリデーで、日本の和紙職人の工房を訪れるが、職人は脳の病気で手が不自由になり、要介護状態に。結果的に彼女はヘルパーの役割をせざるを得なくなる。

 介護施設にも所属して職人の世話をするが、言葉が通じない中でも、次第にユナと職人の剛生は、心が通い合ってくる。酒を酌み交わしたり、郊外へ出かけたり…。

 ユナの介護は「安全につつがなくこなす」介護ではない。剛生の和紙への想いを理解したうえで、剛生の生きる喜びを引き出すような介護を始める。それを、家族は全く理解できないが、要介護状態になっても、人として素のままで触れてくれるユナの心遣いに、剛生も、不自由な体を使い、生きる力を振り絞って最後の和紙作りに挑む。

 介護は辛いもの。だから頑張ってと、仲間の介護福祉士が言うと、「タケオの介護は楽しいよ」と答えるユナ。目先のことにとらわれて、大切なものを見失っている可能性のある、要介護者を世話する人たちに、ぜひ見てほしい映画だった。

6765d1f3188a4f99babce7fbb30fa4c2

| | | Comments (0)

地球温暖化問題は小手先の対応では防げないーー斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書)

Hitoshinseinoshihonron

 斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年9月発行)を遅まきながら読んだ。
 「おわりに」から紹介する。

 「マルクス主義で脱成長なんて正気か−−。そういう批判の矢が四方八方から飛んでくることを覚悟のうえで、本書の執筆は始まった」「それでも、この本を書かずにはいられなかった」

 「私たちは資本主義の生活にどっぷりつかって、それに慣れ切ってしまっている。本書で掲げられた理念や内容には、大枠で賛同してくれても、システムの転換というあまりにも大きな課題を前になにをしていいかわからず、途方に暮れてしまう人が多いだろう」

 初めから読後の感想を著者に予想され、それが当たっているので、先に進めるのが難しいのだが、地球温暖化問題への取り組みは一筋縄ではいかないこと、そして資本主義の「行き過ぎ」の部分は「行き過ぎ」として是正を考えた方がいいのではないか、と強く思った。不賛成の部分もあるが、全面賛成でなければ、本が読めないわけではない。とても勉強になる本であった。

 註も含め、365ページもある本について、正確に伝えることは難しいが、まず「地球温暖化問題への取り組みは一筋縄ではいかない」という点。

 「科学者たちの警告を思い出してほしい。2030年には二酸化炭素排出量を半減させ、2050年までにゼロにしなくてはならない。つまり、今後10年から20年のうちに、気候変動を止められるだけの『十分な絶対的デカップリング』が可能かどうかが、問題なのだ」

 「なぜ不可能なのか。デカップリングには、単純かつ強固なジレンマがつきまとうからだ。経済成長が順調であればあるほど、経済活動の規模が大きくなる。それに伴って資源消費量が増大するため、二酸化炭素排出量の削減が困難になっていくというジレンマだ」

 「先進国での『見かけ上の』デカップリングは、負の部分(この場合は、経済活動に伴う二酸化炭素排出)をどこか外部に転嫁することに負っている。OECD加盟国のデカップリングは技術革新だけによるものではなく、この30年間で、国内で消費する製品や食料の生産を、グローバル・サウスに転嫁したことの結果なのだ」

 表向き、二酸化炭素を減らすための製品開発もあまり効果的ではない。例えば、クルマを「電気自動車に代えたところで、二酸化炭素排出量は大して減らない。バッテリーの大型化によって、製造工程で発生する二酸化炭素はますます増えていくからだ。以上の考察からもわかるように、グリーン技術は、その生産過程にまで目を向けると、それほどグリーンではない」

 なるほど、とうなずいた。

 そして、著者は「無限に利潤を追求し続ける資本主義では、自然の循環の速度に合わせた生産は不可能」とし、「脱成長コミュニズム」を提唱する。

 「資本主義の第一目的は価値増殖なのだ。だから究極的には、売れればなんだってかまわない。つまり、『使用価値』(有用性)や商品の質、環境負荷はどうでもいい。また、一度売れてしまえば、その商品がすぐに捨てられてもいい」

 これに対して「コミュニズムは生産の目的を大転換する。生産の目的を商品としての『価値』の増大ではなく、『使用価値』にして、生産を社会的な計画のもとに置くのだ」

 「使用価値経済への転換によって、生産のダイナミクスは大きく変わる。金儲けのためだけの、意味のない仕事を大幅に減らすからである」。

 その例として著者は「マーケティング、広告、パッケージングなどによって人々の欲望を不必要に喚起することは禁止される」

 この例示については反発する人が多いのではないか。ある面、表現、文化、コミュニケーションの分野でもあり、これらの基本的なものが「禁止される」というのは穏当ではない。

 しかし、先に行こう。

 次が、脱成長コミュニズムの核になる考え方のようだ。

 「使用価値」に重きを置きつつ、労働時間を短縮するために、開放的技術を導入していこう。だが、そのような『働き方改革』を実行するためには、労働者たちが生産における意思決定権を握る必要がある。それが、ピケティも要求している『社会的所有』である。『社会的所有』によって、生産手段を〈コモン〉として民主的に管理するのだ。つまり、生産をする際にどのような技術を開発し、どういった使い方をするのかについて、より開かれた形での民主的な話し合いによって、決めようとするのである」

 これは言うは易く行うは難し、という気もする。著者も「なにを、どれだけ、どうやって生産するかについて、民主的に意思決定を行うことを目指す。当然、意見が違うこともあるだろう。強制的な力のない状態での意見調整には時間がかかる。『社会的所有』がもたらす決定的な変化は、意思決定の減速なのである。

 強制力のないところでの意思決定は本当に大変だ。構成員が優秀で、しかも互いに信頼し合ってないとなかなか前に進まない気がする。具体例としてバルセロナの試みが紹介されるが、ハードルは相当高い。

 また、次の下りは二つ目の賛成できない点だ。

 「脱成長コミュニズムが目指す生産過程の民主化は、社会全体の生産も変えていく。例えば新技術が特許によって守られて、製薬会社やGAFAのような一部の企業にだけ莫大な利潤をもたらす知的財産権やプラットフォームの独占は禁止される」

 製薬会社やGAFAのビジネスは、血の滲むような努力のなかで生まれたもの。電力事業や通信事業などの独占とは性格が異なる。彼らの努力が「禁止され」、報われないのなら、そもそも新しいITサービスや医薬品は生まれないのではないか。

 そして、「一般に、機械化が困難で、人間が労働しないといけない部門を、『労働集約型産業』と呼ぶ。ケア労働などは、その典型である。脱成長コミュニズムは、この労働集約型産業を重視する社会に転換する」

 これは良い提案と思うが、介護保険制度の中で介護などの報酬は人為的に決められる。制度と絡むので、これもハードルが高いと感じる。

 「脱成長コミュニズム」については議論は多そうだが、資本主義の「行き過ぎ」については的を得ていると思う。

 おわりにで、著者は「ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、『3.5%』の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わる」という。「資本主義と気候変動の問題に本気で関心をもち、熱心なコミットメントをしてくれる人々を3.5%集めるのは、なんだかできそうな気がしてこないだろうか」

 広告やGAFAの知的財産権をとやかくいうのは違う感じがするが、「晩期マルクスの『レンズ』を通して」、資本主義の行き過ぎを意識し、行動を変えることは今後、進むかもしれない。

 いろいろ議論がありそうな本書だが、間違いなく世の中に一石は投じたと思う。

| | | Comments (0)

北岡伸一著『世界地図を読み直す––協力と均衡の地政学』(新潮選書)

65e95d7a52324a0c959a86d1e966a19d

 ロシアのウクライナ侵攻で、先進国の日常があまりにもあっけなく崩れるということを見せつけられた。ロシアとウクライナは、民族的にも地理的にも近いがゆえの紛争かもしれず、近い将来、日本もこうした紛争に巻き込まれないとも限らないーーと考えることは短絡的かもしれない。しかし、ウクライナの映像を毎日見ていると、ロシアのウクライナ侵攻を他人事とは思えない。

 この地域に限らず、世界の国々がそれぞれに抱えている事情に、私はあまりにも疎いのではないかと思い、地政学に詳しい東京大学名誉教授で、国際協力機構(JICA)理事長の北岡伸一氏の著書を読んだ。

 北岡伸一著『世界地図を読み直す––協力と均衡の地政学』(新潮選書、2019年11月15日発行)。

 この本の中で、ウクライナについても触れている。

 「キエフを中心にキエフ・ルーシ公国という国が成立し、13世紀にモンゴルに滅ぼされるまで続いた」「その後、ウクライナはポーランドやリトアニア、オーストリア、ロシアなどの支配を受け、独立国家を、作ることはできなかった。1917年、帝政ロシア崩壊とともにウクライナ人民共和国の樹立を宣言したが、やがてソ連の一部となった」

「ウクライナの独立は1991年のことであった」

 ただ、「ウクライナとベラルーシはロシアの中学的部分だとロシアは考えているので、これが独立し、反ロシアならなったとき、ロシアはどう反応するだろうかと、私も懸念を持っていた」と北岡氏は振り返る。

 「2010年の大統領選では、親露派のヤヌコーヴィチが勝利した。そして欧米と距離を置く政策を取り始めた。これに国民から反発が起こり、2014年2月、キエフで反政府運動が高まり、大統領は辞職した」「これに対しロシアはクリミアに軍隊を派遣して、これを制圧した」

 北岡氏は、JICA理事長としてダラス会議にも出席しているが、その時にポロシェンコ大統領と会っていた。

 「その時、大統領はロシアがいかにウクライナに兵士を送り込んでいるかを雄弁に語り、ヨーロッパのリーダーたちは、いやいや、それはウクライナだけの問題ではない、ヨーロッパ全体の問題だと励まし、私も、いや、力による現状変更はヨーロッパで起こっているだけではない、南シナ海でも起こっている、したがってウクライナの問題は世界の民主主義国全てについての問題だと述べた」という。

 この言葉通り、世界情勢は推移している。

 一国のことは、こうした過去の経緯をよく知らなければ語れないし、その国との接し方も、本書で紹介されるJICAの各国での具体的な活動を見て、日本として何できるかをよく考えた上で取り組まないとうまくいかない、ということがわかった。

 ウクライナに限らず、世界各国の置かれた状況、歴史や、複雑な国際状況のなかで各国の政治家が適切な判断をしているのかといったことについて、考え、学ぶことは、各国と関わる仕事をしている人に限らず、日本人としても必要ではないかと感じた。

 たとえばーー。

 「自由で開かれたインド太平洋に対する脅威も登場した。中国である」「中国は南シナ海において、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどと領土紛争があるにもかかわらず、九段線を主張し、多くの島で埋め立てと軍事基地の建設を進めた」「これに対しフィリピンは2013年、仲裁裁判所に九段線の無効確認を訴えたが、中国は裁判に参加することを拒否した。そして、2016年、裁判がフィリピンの訴えを認め、中国の九段線の主張には根拠がないと判断すると、中国は、判決は紙切れだと言い、これを無視したのみならず、中国に同調するよう周辺国に圧力をかけた」

 「法というものは、力によって支えられなければ無力である。中国に対してそうした力を示しうるのはアメリカだけだった。しかしアメリカは、ただちに反論しなかった。中国の海軍高官の発言に対し、太平洋は公海であって、その自由は法によって保障されるものであり、アメリカを含め、特定の国が特別の責任や権利を持つべきものではないと、ただちに明言すべきだった。南シナ海の埋め立てにおいても、ただちに抗議、批判すべきだった。ある国の問題ある行動に対し、沈黙することは、黙認を意味する」

 ロシアと日本との関係についても、「こうした難しい隣国との関係に悩んだのは日本だけではない。ロシアおよびソ連の隣国は、みな、苦しんできた。そのうち、ジョージア、アルメニア、ウクライナ、フィンランドなどの経験に学んでみることは、意味があるのではないだろうか」と語る。

 観光でその国を訪れるとき、ニュースである国が取り上げられるとき、その国の地理や歴史を学びたい。さらに、その国の国民と良い関係ができないか、日本のこれまでの経験が生かせないかを考えるためにも日本の近代史や文化を改めて学ぶべきではないだろうか。

 この本を読んで、そんなことを感じた。

| | | Comments (0)

« February 2022 | Main | April 2022 »