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映画「家族を想うとき」

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 映画「家族を想うとき」を観た。

 公式ホームページによるとーー。

 2016年カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝き、日本でも大ヒットを記録した『わたしは、ダニエル・ブレイク』。この傑作を最後に、一度は表舞台から降りたケン・ローチ監督。だが、同作のリサーチ中に社会の底辺で目の当たりにした〈現実〉が彼の心の中に生き続け、いつしか〈別のテーマ〉として立ち上がり、どうしても撮らなければならないという使命へと駆り立てた。引退表明を撤回した名匠が最新作で描いたのは、グローバル経済が加速している〈今〉、世界のあちこちで起きている〈働き方問題〉と、急激な時代の変化に翻弄される〈現代家族の姿〉だ。2019年のカンヌ国際映画祭では、「私たちがやらねばならないことはひとつ。耐えられないことがあれば、変えること。今こそ変化の時だ」という、公式上映後のケン・ローチ監督のスピーチがさらなる拍手を呼んだ感動作が、ようやく日本にもやって来る。

 個人事業主として、フランチャイズ制をとる宅配会社のドライバーになった主人公だが、「個人事業主」は名ばかり。荷物の追跡だけでなくドライバーの勤務状況まで細かく管理され、トイレに行く時間さえない。何か問題が起きると、ドライバーの責任とされ、弁償金を払わされる。企業の正社員ならば、組織で動き、互いに助け合うところだが、すべて責任が個人に帰せられる。配達の車のローンを払いながら、長時間労働を続け、家族と過ごす時間さえとれない。

 妻の介護の仕事も時間外勤務が当たり前で、介護労働の厳しさも描かれているが、それ以上に、「雇用されない働き方」の厳しさが描かれる。

 ダニエル・ピンクの「フリーエージェント社会の到来」を読んでから、雇用されない働き方、フリーランスという働き方に憧れてきて、スキルシャアの記事も何度か書いたが、そのシステムによっては、労働を搾取する仕組みになりかねない働き方なのかもしれない。

 年金保険料は支払われない働き方だから、若い人の働き方としてはおすすめではないのかもしれないが、日本のスキルシェアと言われるジャンルもよく検証をしないと、とんでもない働き方になっている可能性はあると感じた。

 就職氷河期といわれる時期に非正規雇用が広がり、正社員になれない人たちの老後はとても厳しい。

 雇用されない働き方、しっかりと検証していかなければならないと強く感じる映画だった。

 

イギリス、ニューカッスルに住むある家族。ターナー家の父リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意。「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」と本部のマロニーにあおられて「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と答えるが、どこか不安を隠し切れない。

母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日中働いている。リッキーがフランチャイズの配送事業を始めるには、アビーの車を売って資本にする以外に資金はなかった。遠く離れたお年寄りの家へも通うアビーには車が必要だったが1日14時間週6日、2年も働けば夫婦の夢のマイホームが買えるというリッキーの言葉に折れるのだった。

介護先へバスで通うことになったアビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、子供たちは寂しい想いを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう──

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