群馬デスティネーションキャンペーン首都圏説明会「ググっとぐんまプレゼンテーション」

 JRグループ6社と地域(地方公共団体や県民・企業等)が一体となって取り組む国内最大規模の大型観光キャンペーン、デスティネーションキャンペーン(DC)の対象地域に群馬県が選ばれ、7月1日から9月30日まで、JRグループの宣伝媒体を活用した集中的な宣伝が日本全国で展開される。これに合わせ、群馬県の新たなの観光資源の掘り起こしも行われる。
 キャンペーンに先立って、6月10日午後6時からフォーシーズンズホテル椿山荘 東京(東京都文京区関口2-10-8、03・3943・2222)で、都内の観光、旅行関係者、マスコミなどを集め、「群馬デスティネーションキャンペーン首都圏説明会『ググっとぐんまプレゼンテーション』が開かれた。ぐんま観光特使も末席に加えていただいたので、その模様をリポートする。

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 司会・進行は、テレビ東京のEmorning!で天気予報を担当している関口奈美さん。

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 ググっとぐんま観光宣伝推進協議会会長の大澤正明知事は急用で欠席。茂原璋男副知事が代わって挨拶。「群馬は首都圏の宝石。磨けばもっと光る」。

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 JR東日本の代表取締役副社長の石司次男氏。「力いっぱいやりたい。1500の観光素材を準備した。力を入れたいのが列車の旅。C61形蒸気機関車は伊勢崎市に保存されていたが、復活させた。C61の復活は山田洋次監督がドキュメンタリー映画を撮っている。SLはこのほかC57、C58、D51も走らせる。吉永小百合のCMも流す」。

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 日本旅行の金井耿会長。「心配なこともある。震災の復興で東北に視線が集まっており、群馬は陰に隠れる恐れがある。また電力問題なども影響し、観光は大きなパラダイム転換を図らざるを得ない。土日以外が休日となる企業を狙ったり、北関東全体でPRするなど、成功に向け努力する必要がある」。

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 国土交通省関東運輸局長の神谷俊広氏。「行きすぎた自粛、停電、原発の風評被害などの悪影響があるなかで、官民が一体となったキャンペーンが展開される意義は大きい。ピンチをチャンスに変えて、大きく飛躍してほしい。関東ブロックや日中韓での観光面での協力も進めていきたい」。

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 南波和憲群馬県議会議長。「五感を使う体験型観光など、たくさんの魅力を提供したい」。

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 乾杯。

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 群馬ならではの食も用意された。上州牛ローストビーフ。

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 上州麦豚のしゃぶしゃぶ。

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 ギンヒカリのつみれ鍋。

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 ギンヒカリの軽いスモークと茄子のブレゼ ジンジャーバターソース。

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 上州豚のミラノ風カツレツ。

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 "チキンガンボ"上州地鶏とオクラのシチュー サフランライス添え。

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 尾瀬大白豆腐。塩で食べたい豆腐だが、山椒の塩漬けが載っていた。おいしかった。

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 岩名のたたきの手巻き寿司。なめろうののり巻きという感じ。なかなかおいしかった。

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 温泉地からも女将たちが応援にかけつけた。伊香保温泉の女将。

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 群馬県温泉協会会長の岡村興太郎氏。法師温泉を経営。

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 市町村長たちが気勢を上げる。

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 抽選会。女将たちがずらり。

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 群馬女将の会会長の塚越裕子さん(伊香保温泉の塚越屋七兵衛会長)。

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 曽我孝之群馬県商工会議所連合会会長が中締めの挨拶。

 観光特使としても群馬観光の盛り上げに協力したい。

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上州七福神めぐり~クルマで7つのお寺を回る・その3 興禅寺(弁財天)~長松寺(寿老人)~柳沢寺(毘沙門天)

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 15時ちょうどに弁天様を祀る興禅寺(こうぜんじ、渋川市赤城町三原田545)に到着。ここも七福神が勢ぞろいしていた

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 説明書きによると――。
 総本山   比叡山   延暦寺
 高祖    天台大師  智顗
 宗祖    伝教大師  最澄
 立教開宗 桓武天皇  延暦25年(平安時代の初期) 
 
 本尊 法華経に説かれている久遠実成の釈迦如来とすべての諸佛・諸菩薩等は同類一体である。
     よって、それぞれの縁に随って奉安敬信する。

 教義 法華経に述べられている一乗真実の教説を根本として、密教・禅法・念佛等をその実戦門とする。
 
 経典 法華経に示されている諸法実相の立場を基本として、ひろく大乗経典を讃仰・読誦する。

 当山本尊 釈迦牟尼如来

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 時間も遅く人影なし。

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 このお寺でもお願いをして参観できた。
 中央が弁天様。こちらから見て左が毘沙門天。右が不動明王。
 
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 七福神唯一の女神である弁天様。インド三美神のひとりで、水・大河の神。水の流れは音楽、話術にたとえられ、音楽・弁舌(知恵)の神様として親しまれている。日本に伝えられてから「弁才天」が「弁財天」となったと言うが、「弁才天」に戻したほうがいいのでは?

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 さらにアップで。

 20分ほどで寿老人を祀る長松寺(ちょうしょうじ、北群馬郡吉岡町大字漆原1284)へ。15時29分。
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 西隣にある「矢落ち観音(ざる観音)」がむしろ有名かもしれないが、長松寺は寿老人を祀っている。
 山門の前には石像の金剛力士像。
 
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 このお寺も留守かと思ったが、諦めかけたところにお寺の家族の方が帰ってきて、参観できた。

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 長い白鬚に杖、玄鹿(中国では二千年鹿のことをいい、長命の象徴)を伴う姿が有名。長寿を授ける神様。

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 アップで。

 いよいよ最後の七福神。毘沙門天を祀る柳沢寺(りゅうたくじ、北群馬郡榛東村山子田2535)へ。
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 15分ほどかかり、15時54分に到着。後で分かったのだが16時で参観は終わりだったという。滑りこみセーフ(汗)。

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 立派なお寺だ。ホームページもあった。
 それによると――。
 この寺の成立について最も古い記録は、今より800余年前に成立した「神道集」の「上野国桃井郷上村八ヶ権現の事」と言う、一章の記載です。
 更に、200年経過した中世末に「船尾山縁起」が成立しました。そこには、この寺の縁起として、次のような伝説が書かれています。
 天台宗宗祖傳教大師の東国順境のみぎり、この地に住む群馬の太夫満行と言うものが大師の徳を慕って、榛名山中の船尾の峰に、妙見院息災寺と言う巨刹を創建し、大師を請じて開山しました。
 本尊千手観音をお祭りし、子授け観音として有名になりました。
 その後、子供に恵まれない事を憂いていた千葉常将という武将が、霊験あらたかといわれた船尾山の観音様に願を掛けたところ、一子相満若が産まれました。
 常将は喜び、子供を船尾山に預け養育しました。やがて相満は立派な若者に成長しました。
 ある時、榛名山に住む天狗が相満に恋慕し、祭礼の日にさらってしまいました。
  父、常将は、寺側が立派な若君を手放すのを惜しんで隠したものとして怒り、手勢を連れて、寺に抗議に押し掛けました。寺側との行き違いから争いとなり、全山消失してしまったそうです。

 その後、天狗が現れ、子供を預かった事を伝えたので、常将は思い違いから寺を焼いた事を悔いて、郎党と共に自害しました。
 常将の妻は、夫や一族を弔うため、現在の柳沢寺の地に寺を再建しました。
 それから後を追って、池に身を投げて死んだと言う事です。

 神道集の説話と、船尾山縁起のそれとは、違っていますが、昔、榛名山中に大寺院があり、それが消失したと言う、土着の古伝説を基盤に、榛名東麓の農村社会と関係の深い相馬岳信仰と結びついて語り伝えられたこの伝説の中には、小地名の起源説話が、多く目に付き、地方農村への唱導文芸の流入事情などが伺えて興味深いものがあります。


 天台宗に所属し、延暦寺の直末の寺として、中世には、学僧も多く出現したといいます。
 戦国時代末、北条、上杉、武田の争覇の戦場となり、全ての堂宇を消失しました。
 江戸時代に入り、天海僧正、高崎城主 安藤右京進などの尽力により、朱印地三十石を賜り、再建に着手。 貞享元禄に至り諸堂の修復を見ました。
 現在、境内地約3万平方米。戦後、参道の巨木の並木も伐られましたが、まだ残る杉木立は、その中に散在する諸道に色を添えています。
 諸堂並びに庫裡は、大正元年~7年にかけて大修理がなされ、茅葺きより瓦葺きに改められましたが、破損著しく、昭和55年より、2年にわたり、大修理がなされました。

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 奥の厨子にあるのが本体らしいが、手前の像も立派だ。

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 甲冑を身に付け、宝塔を捧げ、槍を持つ。仏に帰依してからは『須弥山』を守る四天王の中でも最強の神となった。
 お釈迦様の道場でいつも説法を聞いていたことから多聞天とも呼ばれ知恵の神様としても祀られている。
 日本では戦勝祈願、国土守護の軍神として武将たちの信仰を集めた。

 無事、上州七福神めぐりを完了。伊香保温泉に向かった。

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上州七福神めぐり~クルマで7つのお寺を回る・その2 正円寺(福禄寿)~珊瑚寺(恵比寿)

 下仁田から前橋まで高速で一気に移動した。
 前橋市の正円寺(しょうえんじ)から榛東村の柳沢寺(りゅうたくじ)までは情報をカーナビにすべて入れた。どのお寺もカーナビがないと、とても行けないような場所にある。

 北関東自動車道駒形ICをおりて、正円寺(前橋市堀之下町155)に向かった。近づいてから狭い道に入るが、すぐには見つからない。
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 行きすぎて戻ったりして、ようやく見つけた。狭い車道から脇道に入った奥に正円寺はあった。13時44分。

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 説明書きによると――。
 正圓寺
 名称 山号 施無畏山 「無畏を施す」即ち、心に安らぎを与えることを本誓とする「聖観音」を本尊とすることに由来する
 院号 延命院 「子安延命地蔵尊」を古代本尊とすることに由来する。
 寺号 正圓寺
 本尊 聖観世音菩薩 地蔵菩薩(古代本尊)
 霊場 上州七福神(福禄寿尊天) 新上州観音(第32番)
 古墳 寺域北の小山は「前方後円墳」で、全長約65メートル、高さ約7メートル。竪穴式石槨と横穴式石室が確認されている。6世紀中頃の築造と推考され、幕末直前頃に盗掘されたらしく、副葬品は皆無であった。遺骨5体が確認されたことから「五霊大明神」とも呼ばれたこともあり、明治維新後は神社として扱われた。古墳頂上の後円墳のみ(約80坪)は寺の管理を離れ、大胡神社所有となった。
 花木 五尺藤(1本)明治初期からの古木、枝は約50平方メートルの棚に伸び、垂れ下がる花の長さは過去160センチメートルを超えたことがある。
 ぼたん藤(1本) だるま藤(約20本) 椿(約30銘柄) 桜 約40本のソメイヨシノ(群馬緑の百選に選ばれた)
 「萩の門」
 当時の山門は棟木が萩の木と考えられ、「萩の門」の名がある。
 古来、上泉町以東は大胡城の所領時代が長く、また正圓寺も大胡城の鬼門に当たる応昌寺の末寺で、大胡城との関係は深い。
 大胡城は廃城となった後、前橋藩のものとなり、建物は取り壊されたり移築された。その北門(裏門)が正圓寺に移されたとされている。
 この様な門の型は「薬医門」と言われ、室町時代初期の建造と推定される。平成9年に大改修を行った。

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 お地蔵様。首のないものも。

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 もうひと組のお地蔵様。

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 静かな境内。

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 宝船。

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 福禄寿は福(子孫繁栄)、禄(財産)、寿(健康長寿)の三徳が揃ってこそ人は幸せという古代中国の道教が起源の福の神。

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 もう少し近づいて。

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 さらに近づいて。この像は自慢の髭に触っているが、ポーズはいろいろあるようだ。

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 北へ向かう。赤城大鳥居を過ぎて、最近まで富士見村石井1227だった前橋市富士見町石井1227の珊瑚寺(さんごじ)へ。

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 14時27分、珊瑚寺に到着。
 寺にあった説明書きによると、古くは石井山三光院三錮寺と言い、大同2年(807年)=別の場所には大同元年(806年)と言う説明もあった(筆者注)=日光山を開いた勝道上人によって開創された。その後約400年近い間無住寺で荒れ果てていたが、正治年間(鎌倉初期)になって、梶原影時の一族(影時の女と伝えられる)が尼僧になり、勝道上人の旧地を慕い、源頼朝及び梶原影時父子の霊を慰めるためにここに移り住んだ。以来、約240年間尼僧がここを住寺していたので、尼寺として広く知られるようになった。
 永享年間の末の頃に、八崎城主の長尾影仲が、子持村の雙林寺を開創した月江上人を伴い遊化した折り、当時尼寺として知られていた古跡寺であることを知り、私財を投じて諸堂を再建した。その後、上人の門徒が相続をし、およそ30年間にわたって禅門の風(禅宗)を唱えたが、これらの僧はいずれも他の寺に移り、再び無住寺となって荒れ果ててしまった。
 文明年間(1469~1486年)になって義貫和尚(27世)が天台宗に改め寺名も珊瑚寺とし、現在に至っている。
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 ここもお寺にお願いして、恵比寿様を拝ませてもらった。
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 各お寺では焼香の準備をしてくれた。線香で行う場合と抹香で行う場合があったが、仏様とのコミュニケーションを取る方法として一般的なのだろうか。葬儀や亡くなられた方の仏壇の前でしかしか焼香はしたことがないもので…。
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 七福神の中で唯一日本の神様が恵比寿様。もともとは漁師の神様。後に庶民の間で豊作の神、福の神として信仰されるようになった。網を使って一気に漁をするのではなく、つり竿を持ち鯛を抱える姿は、暴利をむさぼることのない清い心を表しているとも言われる。

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 このお寺はかつて七福神すべてを祀っているともされたという。

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 そのためか、池には七福神が勢ぞろいしていた。

 前橋市の2つのお寺をめぐり、残る七福神めぐりのお寺は3つに。

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上州七福神めぐり~クルマで7つのお寺を回る・その1 善宗寺(大黒天)~霊山寺(布袋尊)


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 先週、新宿山ノ手七福神めぐりに行って、すっかり七福神めぐりにはまってしまった。
 京都、奈良、鎌倉・・・それに地方の有名なお寺(長野の善光寺など)は誰もがしばしば訪ねるが、東京のお寺にはあまり行かない。数も多いし、どこに行っていいかわからないということもある。七福神めぐりということで訪ねると良いお寺が都内にもあり、お寺を訪ねることによって、その地域の歴史の一端も分かった。東京の七福神めぐりコースはまだまだある。一つひとつ回ってみることで東京をもっと理解することができるのではないか、と思った。
 しかし。
 その前に回らなければいけないところがあった。
 群馬の七福神だ。幸煎餅の七福神あられは良く食べていたのに、群馬にいる時に、七福神めぐりは、まったく考えなかった。
 さっそくインターネットで調べてみると、群馬の東の地域は七福神めぐりが盛んなようで、太田市、桐生市、館林市、邑楽郡はそれぞれに七福神のコースを定めている。
 「上州七福神」もあったが広域だ。5つの寺は赤城山周辺だが、二つは太田市と下仁田町にある。さすが1世帯が複数のクルマを持つのが当たり前の群馬。七福神めぐりもクルマでないと1日ではめぐれない。
 しかし、調べると行きたくなる。午前8時過ぎに東京・練馬の自宅を出た。

 訪ねる順番は次の通りにした。最初に遠距離を走る。最後を榛東村にしたのは、新宿山ノ手七福神めぐりと同様、毘沙門天を最後にしようと思ったのと、その後伊香保に行って温泉に入ろうと思ったからだ。(^^ゞ
 
①善宗寺(大黒天)
太田市原宿町3631-1
0276・37・5184
②霊山寺(布袋尊)
甘楽郡下仁田町下仁田716
0274・82・2493
③正円寺(福禄寿)
前橋市堀之下町155
027・269・6585
④珊瑚寺(恵比寿)
前橋市富士見町石井1227
027・288・3503
⑤興禅寺(弁財天)
渋川市赤城町三原田545
0279・56・8155
⑥長松寺(寿老人)
北群馬郡吉岡町大字漆原1284
0279・54・2298
⑦柳沢寺(毘沙門天)
北群馬郡榛東村山子田2535
0279・54・3954
 
 結論から先に言うと、1日で回ろうと思うと、体もきついし、時間に余裕がなく、年配の方にはお薦めできない。
 また、しっかりとお参りしようと思わない人はやめたほうがいい。なぜなら、各お寺はあまり観光化されておらず、ほとんどのところはお寺につながる住居の玄関で呼び鈴を鳴らして、参拝したいとお願いして、神様を見せていただくことになる。
 恐らく正月はオープンになっているのだろうが、それ以外は、自由にお寺の建物の中には入れないので、挨拶など面倒、という人は七福神は拝めない(お寺の外観だけなら参拝料はないので、自由に見られる)。
 お寺の受付時間も定かではなかったが、あるお寺によると早いところで9時から、遅くても10時からは参拝を受け付ける。受け付け終了は通常午後4時らしい。
 

 東北自動車道・館林IC経由で群馬に入った。
 8時過ぎに出たが、クルマの流れは順調で9時53分に最初の目的地、太田市原宿町3631-1の善宗寺(ぜんそうじ)に着いた。
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 残念ながら、留守で、参観できなかった。
 最初の七福神めぐりのお寺が留守だったが、他の寺は運よく参観できた。観光化されていないので確実に七福神を拝ませていただきたい時は、事前に(参拝日、人数、まわり順、宝印帳の数などを)連絡するのがいい。

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 お地蔵様。

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 祀られているのは大黒天。頭巾をかぶり大きな袋を肩に掛け、手には打出の小槌を持ち、米俵の上に立っている。

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 お寺については、インターネット上にも住所程度の情報しかないので、資料を送ってもらうことにした。
追記)資料を送っていただいた。
 沿革・由緒
 栄昌寺善宗寺は、曹源寺(さざえ堂)9世萬了雷重和尚によって、1699年(元禄12年)頃に開山された。しかし、詳細は不明である。
 当時は本寺の隠居寺として建立され、人別寺ではなく、地域住民の集会所としての存在であった。また、しばしば無住になっていた。
 1891年(明治24年)に、植木野町の宗金寺(群馬197番)住職、吉祥海雲和尚が29世として入山し、檀信徒をまとめて、現在に至る。
 通称、原宿の寺と言われ、かつては、観音札所、東上州新田34所の29番であった。現在は上州七福神大黒尊天の霊場となっている。
 本堂は火災にあい、1783年(天明3年)に再建され、その後、幾度か改修され最終的に平成3年に改修し現在に至る。また、老朽化した庫裡、書院を平成12年に新築した。

 七福神の説明だけでなく、お寺の由緒なども記した公式ホーム―ページを、各お寺で協力して、ぜひ作っていただきたい。
 
 10時過ぎまでしばらくいたが、参観を諦め、次のお寺、下仁田の霊前寺(りょうぜんじ)に向かうことにした。

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 群馬にいた時はまだ北関東自動車道が太田まで開通していなかったが、すでに太田桐生ICができている。下仁田ICまで一気に行ける。

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 11時11分、霊山寺(下仁田町下仁田716)に到着。
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 ここにも六地蔵。
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 羅漢も。
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 このお寺は人の往来が多かった。中ではお茶屋お菓子をふるまっていた。
 お寺のホームページもあった。
 ここは、みんなのおてら「りょうぜんじ」です!
 気さくなお寺だ。(^。^)
 ホームページによると――。

 宗 派  天台宗(てんだいしゅう)
 本 尊  阿弥陀如来(あみだにょらい)
 史 跡  伊勢山百庚申(町指定史跡)
 縁 起  当山は約400年前に畠山重俊公に流れを同じくする重全和尚により開山されました。現世まで38世を経ております。

 とのことだ。

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 大黒様や恵比寿様も遊びに来ている(笑)。

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 ホームページの説明も分かりやすい。 
 当山の布袋さまは「上州」と「鏑川」(かぶらかわ)の二つの七福神霊場を兼ねております。
 霊験あらたかで福徳円満!(福も富も!)、
 平和安穏、家庭円満、交際円満、家運隆盛、なんでもこい!
 円満効果ばっちりです!?(ほんとか?!・・・ ホントですってば!)
 不景気な世の中にオサラバしたい方は一度お参りしてみては・・・?

 そもそも、布袋尊さまは七福神の中でただ一人「実在の人物」とされていて
 吉凶をつかさどる神様です。「布袋和尚」という、中国の唐時代の明州奉化の禅僧で
 名は「契此」(かいし) 号は「長汀子」(ちょうていし)といわれております。
 「雪の降りしきる中で寝ていても布袋和尚の上には雪が降らなかった」という言い伝えや
 没後、埋葬されたのに、なお生存し!?
 「布袋をかついで歩いているのを見た人がいる!」
 という逸話が伝えられております。
 布袋さまのお姿は「弥勒菩薩の化身」とも言われております。

 「行くお寺、行くお寺がすべて留守だったらどうしよう」と不安だっただけに、このお寺の賑わい、親しみやすさはありがたかった。
 
 下仁田町で昼食をとることにした。

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うなぎ小堀(群馬県邑楽郡大泉町)

 久しぶりに群馬県に遊びに行った。チェコに移住、仕事で一時帰国しているM君の温泉旅行に付き合うためだ。
 まず、向かったのが大泉町のうなぎ屋、うなぎ小堀(群馬県大泉町朝日3丁目16-17、0276・62・3134)。
 東松山インターで下り、一般道を太田方面に向かった。
 小堀は創業から100余年の老舗で、地元・大泉では超有名店。群馬にいるときに行けなかったが、前橋から行くのも東京から行くのもそう時間は変わらないので、行ってみることにした。
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 11時間半の開店前に小堀に着いた。一番乗りだ。
 まずはつまみを頼んだ。
 きも煮(500円)。
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 きもは「きもい」ので苦手だが、味は大変良かった。でもきもいので、大部分はM君に食べてもらった。
 鯉あらい(600円)。
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 こりこりしていておいしかった。臭みはまったくなし。池の魚は一度きれいな水で泥などを取る必要があり、料理までに手間がかかる。鯉のあらいがおいしいので、うなぎも期待感が高まる。
 おつけもの(600円)。
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 きゅうりのぬか漬け、たくあん、奈良漬け、しば漬け、白菜の漬け物、野沢菜など、主要な漬け物がすべて食べられる。すばらしい。
 そして、上うな重<お吸物付>(2900円)
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 程よい脂分、やわらかさ。たれもおいしい。シアワセ。
 鹿児島産のうなぎを使っている。台湾産のうなぎは大きいが脂分が多い。鹿児島産はよく泳がせているのでしまっており筋肉質だという。
 このうなぎを井戸水で生かして、臭みなどを取る。
 勝負は鮮度。うなぎを開いたらすぐに蒸して、無駄な脂をとる。それから焼いてたれをつけて出す。焼いてから蒸す店が多い中、この店は蒸してから焼くそうだ。たれの成分は醤油、砂糖、みりんなどだが、たれは注ぎ足し注ぎ足してきたたれ。うなぎをたれにたくさんつけるので、たれはアミノ酸をたくさん含み、おいしくなるという。

 渡良瀬川が流れる両毛地域は川魚をよく食べていたため、川魚料理のおいしい店は多いらしい。両毛地域を訪れたときはぜひ立ち寄りたい店だ。
 木曜・第3日曜日定休。営業時間は午前11時半~午後2時、午後5時~7時半。

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新田乃庄・寒山亭(太田市、郷土料理)

 ほうとうと群馬の最高級ニジマス 「ギンヒカリ」を出す店として有名な新田乃庄・寒山亭(太田市寺井町896-1、0276・37・4711)に行った。
 ギンヒカリ御膳・和み(2100円)を注文した。
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 ギンヒカリの刺身、寿司などが食べられる。改めて食べてみると、やはりサケに近い。
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 自慢のほうとうも楽しめる。
 年中無休で営業時間は午前11時から午後10時まで。

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大光院(太田市)

 太田の観光地で最も有名な大光院に行った。
 太田市のホームページによると、大光院は、慶長18年(1611)春、徳川家康によって一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、開山には芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人が迎えられた。
 大光院に入山した上人は、看経・講義・説法などに力を尽くしたため、上人の徳を慕う学僧が大光院には多数集まり、周辺農民も上人の教えを受け入れたので、寺運は栄えた。一方、乱世後の人心は乱れ、天災等の影響で生活は困難を極めていたため、捨て子や間引きなどの非道が横行していた。上人は、その非道を憂い、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で寺に受け入れ、寺の費用で養育した。このため、「子育て呑龍」と呼ばれた。
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 案内板によると、吉祥門は元和元年(1615年)に中門として建立されたと伝えられている。名前の由来について次のような言い伝えがある。この山門が上棟された日に大阪城が落城し、徳川方にとってめでたく記念すべきことであったので、徳川家康により吉祥門と名付けられたという。
 吉祥門は間口3間、奥行き1間の切り妻造り、桟瓦葺である。比較的簡素にできているが、瓦の葺き替え・袖垣の修理のほかはほとんど当時のまま保存され、古式をよく残している。大光院創建期の姿を伝えているといわれる本堂内陣・大方丈、小方丈・庫裏とともに、太田市における数少ない近世初頭の建築物として重要なものである。
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 左手の開山堂は昭和9年の築造。
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 正面の本堂は創建以来の建物。
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 太田市には「上州太田七福神」めぐりコースがあり、大光院には弁財天が祀られていた。
 古来インドで水の神として祀られ、水の演でる調べから音楽芸能の神として、またよどみなく流れる水の姿から流暢な弁舌才智を司る神として信仰されている。七福神中唯一の女神である。

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サッちゃんち(伊勢崎市、もんじゃ)

 伊勢崎には伊勢崎駅(JR、東武)を中心に21軒のもんじゃ(もんじゃ焼)の店がある。伊勢崎商工会議所青年部がいせさきもんじゃをまちの名物にしようと3年前から「いせさきもんじゃまつり」を開いたりしているが、ついにもんじゃのキャラクター「もじゃろー」も登場するなどブレークする気配になってきたので、いせさきもんじゃを食べにいった。
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↑もじゃろー

 青年部のホームページによると、伊勢崎のもんじゃは明治43年に開通した東武伊勢崎線(伊勢崎~東京・浅草間)で東京の下町から伊勢崎にもたらされたものらしい。
 小麦粉を水で溶いて鉄板の上で文字を書いたりしながら焼いて食べることから「文字焼」と呼ばれ、それが「もんじゃ焼」になまったというのが有力説。伊勢崎には「もんじやき」として店を構えているところもあるから信憑性が高い。
 伊勢崎出身の人によると、伊勢崎のもんじゃは、「子供の頃、駄菓子屋さんの店の片隅にあったもんじゃコーナーで食べた」というのが共通体験らしい。伊勢崎の子供たちは毎日小銭を握りしめて出かけ、お店のおばちゃんに仕切られながら七輪で熱くなった鉄板で焼かれた「もんじゃ」をおやつとして食べたという。
 そんな雰囲気が残っている「サッちゃんち」(伊勢崎市寿町208-3、0270・23・7835)を地元の人に紹介してもらい、食べに行った。駄菓子屋で、奥に鉄板がある。
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 子供向けの120円のもんじゃがある。
 具沢山のもんじゃもあるが、伊勢崎の伝統的なもんじゃ(220円)を食べた。
 「甘辛もんじゃ」だ。
 いせさきもんじゃは中力粉を水で溶き、ウスターソースベースのソースを入れ、切りいか(乾燥させたやつ) 少々、キャベツ少々、桜エビ 少々、天かすを入れ、隠し味として甘い味を好む場合は「いちごシロップ」!!を入れ、辛い味にしたい場合はカレー粉を入れる。
 今回はいちごシロップとカレー粉の両方を入れた「甘辛」にチャレンジした。
 う~ん、甘いのは子供向きだと思うがカレー味と混ざると絶妙な味だ。食事には向かないと思うが、「おやつ」ならば結構いけるかもしれない。今まで体験したことのない「甘辛」味に脱帽(笑)。
 東京・月島のもんじゃはよく食べたが、いせさきのもんじゃはもっと庶民的で、地元の人にとっては少年時代のノスタルジーもある食べ物らしい。
 サッちゃんちの営業時間は正午から午後7時まで。水曜定休。
 ほかの店も何軒か回ってみよう。

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マンモス焼(いわじく・照)

 岩宿文化資料館の駐車場前に、おじいちゃんとおばあちゃんが経営している飲食店「いわじく・照」(0277・76・1849)がある。そこの売り物が「マンモス焼」。
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 鯛焼きのマンモス版だが、ふっくらしていてアンコもおいしい。岩宿に行ったら、ぜひ食べてみよう!

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武山本(桐生市、うどん・そば)

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 桐生の地元の人がおいしい、といううどん屋に行った。武(たけ)山本。
 桐生市錦町3丁目、「市役所入り口」とあるがちっとも市役所に近くない交差点近くにある店だ。電話番号はわからない。
 三代目の主は変人らしいが、味は良いという。
 「おしながき」はかつて使っていたのだが、今は使っておらず、みな、うどんやそばだけを食べている。天ざるなどと注文してはいけないそうだ。気分で作ってくれることもあるそうだが、たいていは作ってくれないという。
 もり(400円)、ざる(550円)、あいもり(600円)のどれかを頼む。うどん、そばをそのままで味わってほしいという店なのだ。
 そばとうどんのあいもりを頼んだ。桐生ではあいもりを食べるのが割と普通らしい。
 そばとうどん、一緒に食べてもあまりうまくないような気もするのだが、ここのあいもりは、そばとうどんの関係がしっくりいっていて、どちらもとてもうまかった。
 なぜうまいのか、店主に何も聞けないのでわからないが、打ちたて、ゆでたてというのは間違いない。
 午前11時半ごろから午後2時ごろまでの営業。
 連れて行ってくれた人は桐生のうどん店で一番うまいかもしれないという。私もそう思った。

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