群馬デスティネーションキャンペーン首都圏説明会「ググっとぐんまプレゼンテーション」

 JRグループ6社と地域(地方公共団体や県民・企業等)が一体となって取り組む国内最大規模の大型観光キャンペーン、デスティネーションキャンペーン(DC)の対象地域に群馬県が選ばれ、7月1日から9月30日まで、JRグループの宣伝媒体を活用した集中的な宣伝が日本全国で展開される。これに合わせ、群馬県の新たなの観光資源の掘り起こしも行われる。
 キャンペーンに先立って、6月10日午後6時からフォーシーズンズホテル椿山荘 東京(東京都文京区関口2-10-8、03・3943・2222)で、都内の観光、旅行関係者、マスコミなどを集め、「群馬デスティネーションキャンペーン首都圏説明会『ググっとぐんまプレゼンテーション』が開かれた。ぐんま観光特使も末席に加えていただいたので、その模様をリポートする。

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 司会・進行は、テレビ東京のEmorning!で天気予報を担当している関口奈美さん。

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 ググっとぐんま観光宣伝推進協議会会長の大澤正明知事は急用で欠席。茂原璋男副知事が代わって挨拶。「群馬は首都圏の宝石。磨けばもっと光る」。

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 JR東日本の代表取締役副社長の石司次男氏。「力いっぱいやりたい。1500の観光素材を準備した。力を入れたいのが列車の旅。C61形蒸気機関車は伊勢崎市に保存されていたが、復活させた。C61の復活は山田洋次監督がドキュメンタリー映画を撮っている。SLはこのほかC57、C58、D51も走らせる。吉永小百合のCMも流す」。

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 日本旅行の金井耿会長。「心配なこともある。震災の復興で東北に視線が集まっており、群馬は陰に隠れる恐れがある。また電力問題なども影響し、観光は大きなパラダイム転換を図らざるを得ない。土日以外が休日となる企業を狙ったり、北関東全体でPRするなど、成功に向け努力する必要がある」。

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 国土交通省関東運輸局長の神谷俊広氏。「行きすぎた自粛、停電、原発の風評被害などの悪影響があるなかで、官民が一体となったキャンペーンが展開される意義は大きい。ピンチをチャンスに変えて、大きく飛躍してほしい。関東ブロックや日中韓での観光面での協力も進めていきたい」。

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 南波和憲群馬県議会議長。「五感を使う体験型観光など、たくさんの魅力を提供したい」。

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 乾杯。

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 群馬ならではの食も用意された。上州牛ローストビーフ。

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 上州麦豚のしゃぶしゃぶ。

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 ギンヒカリのつみれ鍋。

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 ギンヒカリの軽いスモークと茄子のブレゼ ジンジャーバターソース。

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 上州豚のミラノ風カツレツ。

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 "チキンガンボ"上州地鶏とオクラのシチュー サフランライス添え。

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 尾瀬大白豆腐。塩で食べたい豆腐だが、山椒の塩漬けが載っていた。おいしかった。

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 岩名のたたきの手巻き寿司。なめろうののり巻きという感じ。なかなかおいしかった。

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 温泉地からも女将たちが応援にかけつけた。伊香保温泉の女将。

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 群馬県温泉協会会長の岡村興太郎氏。法師温泉を経営。

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 市町村長たちが気勢を上げる。

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 抽選会。女将たちがずらり。

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 群馬女将の会会長の塚越裕子さん(伊香保温泉の塚越屋七兵衛会長)。

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 曽我孝之群馬県商工会議所連合会会長が中締めの挨拶。

 観光特使としても群馬観光の盛り上げに協力したい。

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上州七福神めぐり~クルマで7つのお寺を回る・その3 興禅寺(弁財天)~長松寺(寿老人)~柳沢寺(毘沙門天)

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 15時ちょうどに弁天様を祀る興禅寺(こうぜんじ、渋川市赤城町三原田545)に到着。ここも七福神が勢ぞろいしていた

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 説明書きによると――。
 総本山   比叡山   延暦寺
 高祖    天台大師  智顗
 宗祖    伝教大師  最澄
 立教開宗 桓武天皇  延暦25年(平安時代の初期) 
 
 本尊 法華経に説かれている久遠実成の釈迦如来とすべての諸佛・諸菩薩等は同類一体である。
     よって、それぞれの縁に随って奉安敬信する。

 教義 法華経に述べられている一乗真実の教説を根本として、密教・禅法・念佛等をその実戦門とする。
 
 経典 法華経に示されている諸法実相の立場を基本として、ひろく大乗経典を讃仰・読誦する。

 当山本尊 釈迦牟尼如来

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 時間も遅く人影なし。

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 このお寺でもお願いをして参観できた。
 中央が弁天様。こちらから見て左が毘沙門天。右が不動明王。
 
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 七福神唯一の女神である弁天様。インド三美神のひとりで、水・大河の神。水の流れは音楽、話術にたとえられ、音楽・弁舌(知恵)の神様として親しまれている。日本に伝えられてから「弁才天」が「弁財天」となったと言うが、「弁才天」に戻したほうがいいのでは?

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 さらにアップで。

 20分ほどで寿老人を祀る長松寺(ちょうしょうじ、北群馬郡吉岡町大字漆原1284)へ。15時29分。
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 西隣にある「矢落ち観音(ざる観音)」がむしろ有名かもしれないが、長松寺は寿老人を祀っている。
 山門の前には石像の金剛力士像。
 
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 このお寺も留守かと思ったが、諦めかけたところにお寺の家族の方が帰ってきて、参観できた。

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 長い白鬚に杖、玄鹿(中国では二千年鹿のことをいい、長命の象徴)を伴う姿が有名。長寿を授ける神様。

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 アップで。

 いよいよ最後の七福神。毘沙門天を祀る柳沢寺(りゅうたくじ、北群馬郡榛東村山子田2535)へ。
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 15分ほどかかり、15時54分に到着。後で分かったのだが16時で参観は終わりだったという。滑りこみセーフ(汗)。

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 立派なお寺だ。ホームページもあった。
 それによると――。
 この寺の成立について最も古い記録は、今より800余年前に成立した「神道集」の「上野国桃井郷上村八ヶ権現の事」と言う、一章の記載です。
 更に、200年経過した中世末に「船尾山縁起」が成立しました。そこには、この寺の縁起として、次のような伝説が書かれています。
 天台宗宗祖傳教大師の東国順境のみぎり、この地に住む群馬の太夫満行と言うものが大師の徳を慕って、榛名山中の船尾の峰に、妙見院息災寺と言う巨刹を創建し、大師を請じて開山しました。
 本尊千手観音をお祭りし、子授け観音として有名になりました。
 その後、子供に恵まれない事を憂いていた千葉常将という武将が、霊験あらたかといわれた船尾山の観音様に願を掛けたところ、一子相満若が産まれました。
 常将は喜び、子供を船尾山に預け養育しました。やがて相満は立派な若者に成長しました。
 ある時、榛名山に住む天狗が相満に恋慕し、祭礼の日にさらってしまいました。
  父、常将は、寺側が立派な若君を手放すのを惜しんで隠したものとして怒り、手勢を連れて、寺に抗議に押し掛けました。寺側との行き違いから争いとなり、全山消失してしまったそうです。

 その後、天狗が現れ、子供を預かった事を伝えたので、常将は思い違いから寺を焼いた事を悔いて、郎党と共に自害しました。
 常将の妻は、夫や一族を弔うため、現在の柳沢寺の地に寺を再建しました。
 それから後を追って、池に身を投げて死んだと言う事です。

 神道集の説話と、船尾山縁起のそれとは、違っていますが、昔、榛名山中に大寺院があり、それが消失したと言う、土着の古伝説を基盤に、榛名東麓の農村社会と関係の深い相馬岳信仰と結びついて語り伝えられたこの伝説の中には、小地名の起源説話が、多く目に付き、地方農村への唱導文芸の流入事情などが伺えて興味深いものがあります。


 天台宗に所属し、延暦寺の直末の寺として、中世には、学僧も多く出現したといいます。
 戦国時代末、北条、上杉、武田の争覇の戦場となり、全ての堂宇を消失しました。
 江戸時代に入り、天海僧正、高崎城主 安藤右京進などの尽力により、朱印地三十石を賜り、再建に着手。 貞享元禄に至り諸堂の修復を見ました。
 現在、境内地約3万平方米。戦後、参道の巨木の並木も伐られましたが、まだ残る杉木立は、その中に散在する諸道に色を添えています。
 諸堂並びに庫裡は、大正元年~7年にかけて大修理がなされ、茅葺きより瓦葺きに改められましたが、破損著しく、昭和55年より、2年にわたり、大修理がなされました。

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 奥の厨子にあるのが本体らしいが、手前の像も立派だ。

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 甲冑を身に付け、宝塔を捧げ、槍を持つ。仏に帰依してからは『須弥山』を守る四天王の中でも最強の神となった。
 お釈迦様の道場でいつも説法を聞いていたことから多聞天とも呼ばれ知恵の神様としても祀られている。
 日本では戦勝祈願、国土守護の軍神として武将たちの信仰を集めた。

 無事、上州七福神めぐりを完了。伊香保温泉に向かった。

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上州七福神めぐり~クルマで7つのお寺を回る・その2 正円寺(福禄寿)~珊瑚寺(恵比寿)

 下仁田から前橋まで高速で一気に移動した。
 前橋市の正円寺(しょうえんじ)から榛東村の柳沢寺(りゅうたくじ)までは情報をカーナビにすべて入れた。どのお寺もカーナビがないと、とても行けないような場所にある。

 北関東自動車道駒形ICをおりて、正円寺(前橋市堀之下町155)に向かった。近づいてから狭い道に入るが、すぐには見つからない。
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 行きすぎて戻ったりして、ようやく見つけた。狭い車道から脇道に入った奥に正円寺はあった。13時44分。

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 説明書きによると――。
 正圓寺
 名称 山号 施無畏山 「無畏を施す」即ち、心に安らぎを与えることを本誓とする「聖観音」を本尊とすることに由来する
 院号 延命院 「子安延命地蔵尊」を古代本尊とすることに由来する。
 寺号 正圓寺
 本尊 聖観世音菩薩 地蔵菩薩(古代本尊)
 霊場 上州七福神(福禄寿尊天) 新上州観音(第32番)
 古墳 寺域北の小山は「前方後円墳」で、全長約65メートル、高さ約7メートル。竪穴式石槨と横穴式石室が確認されている。6世紀中頃の築造と推考され、幕末直前頃に盗掘されたらしく、副葬品は皆無であった。遺骨5体が確認されたことから「五霊大明神」とも呼ばれたこともあり、明治維新後は神社として扱われた。古墳頂上の後円墳のみ(約80坪)は寺の管理を離れ、大胡神社所有となった。
 花木 五尺藤(1本)明治初期からの古木、枝は約50平方メートルの棚に伸び、垂れ下がる花の長さは過去160センチメートルを超えたことがある。
 ぼたん藤(1本) だるま藤(約20本) 椿(約30銘柄) 桜 約40本のソメイヨシノ(群馬緑の百選に選ばれた)
 「萩の門」
 当時の山門は棟木が萩の木と考えられ、「萩の門」の名がある。
 古来、上泉町以東は大胡城の所領時代が長く、また正圓寺も大胡城の鬼門に当たる応昌寺の末寺で、大胡城との関係は深い。
 大胡城は廃城となった後、前橋藩のものとなり、建物は取り壊されたり移築された。その北門(裏門)が正圓寺に移されたとされている。
 この様な門の型は「薬医門」と言われ、室町時代初期の建造と推定される。平成9年に大改修を行った。

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 お地蔵様。首のないものも。

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 もうひと組のお地蔵様。

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 静かな境内。

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 宝船。

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 福禄寿は福(子孫繁栄)、禄(財産)、寿(健康長寿)の三徳が揃ってこそ人は幸せという古代中国の道教が起源の福の神。

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 もう少し近づいて。

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 さらに近づいて。この像は自慢の髭に触っているが、ポーズはいろいろあるようだ。

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 北へ向かう。赤城大鳥居を過ぎて、最近まで富士見村石井1227だった前橋市富士見町石井1227の珊瑚寺(さんごじ)へ。

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 14時27分、珊瑚寺に到着。
 寺にあった説明書きによると、古くは石井山三光院三錮寺と言い、大同2年(807年)=別の場所には大同元年(806年)と言う説明もあった(筆者注)=日光山を開いた勝道上人によって開創された。その後約400年近い間無住寺で荒れ果てていたが、正治年間(鎌倉初期)になって、梶原影時の一族(影時の女と伝えられる)が尼僧になり、勝道上人の旧地を慕い、源頼朝及び梶原影時父子の霊を慰めるためにここに移り住んだ。以来、約240年間尼僧がここを住寺していたので、尼寺として広く知られるようになった。
 永享年間の末の頃に、八崎城主の長尾影仲が、子持村の雙林寺を開創した月江上人を伴い遊化した折り、当時尼寺として知られていた古跡寺であることを知り、私財を投じて諸堂を再建した。その後、上人の門徒が相続をし、およそ30年間にわたって禅門の風(禅宗)を唱えたが、これらの僧はいずれも他の寺に移り、再び無住寺となって荒れ果ててしまった。
 文明年間(1469~1486年)になって義貫和尚(27世)が天台宗に改め寺名も珊瑚寺とし、現在に至っている。
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 ここもお寺にお願いして、恵比寿様を拝ませてもらった。
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 各お寺では焼香の準備をしてくれた。線香で行う場合と抹香で行う場合があったが、仏様とのコミュニケーションを取る方法として一般的なのだろうか。葬儀や亡くなられた方の仏壇の前でしかしか焼香はしたことがないもので…。
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 七福神の中で唯一日本の神様が恵比寿様。もともとは漁師の神様。後に庶民の間で豊作の神、福の神として信仰されるようになった。網を使って一気に漁をするのではなく、つり竿を持ち鯛を抱える姿は、暴利をむさぼることのない清い心を表しているとも言われる。

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 このお寺はかつて七福神すべてを祀っているともされたという。

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 そのためか、池には七福神が勢ぞろいしていた。

 前橋市の2つのお寺をめぐり、残る七福神めぐりのお寺は3つに。

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おかた茶屋(群馬県下仁田町、郷土料理・土産物)

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 昼食は国道254号線沿いの「おかた茶屋(群馬県甘楽郡下仁田町大字東野牧2641-1、0274・84・2646)でとった。
 

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 下仁田町(しもにたまち)は、下仁田ネギとこんにゃくが特産品。
 下仁田町のホームページに、「下仁田町でなぜこんにゃくが盛んに栽培されるようになったのでしょうか?」と名産地になった理由を紹介している。

下仁田町は山間の河川に沿って集落が点在し、畑も山の斜面地を利用した段々畑が多いのです。
・・・そこで・・・
【その1】
こんにゃくは強い日差しを嫌います。(山間で日照時間が短い下仁田にピッタリ)

【その2】
こんにゃくは排水の良い所を好みます(下仁田の畑は山の斜面なので水はけが良すぎるくらい)

【その3】
こんにゃくは天災に弱い(下仁田はからっ風も平坦地より穏やかで台風などの水害も少ない)

【その4】
水車小屋で製粉する(下仁田の河川は幅が狭いが流れは速いので水車がよく回る)

などの理由が考えられます。現在では品種の改良が進み、平坦地での栽培も容易になり、産地は拡大しました。
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 この店はサービス満点。刺身こんにゃくが試食できる。

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 こんにゃくの煮物も。おいしい!

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 下仁田ネギも売っていた。下仁田ネギはコンロで真っ黒に焼き、黒く焦げた部分をむいて食べると、とてもおいしいという。

 下仁田町のホームページに面白い話が出ていた。

 下仁田ネギについての由来は明らかではないが、江戸文化2年11月8日付で『ネギ200本至急送れ、運送代はいくらかかってもよい』という趣旨の江戸大名、旗本からのものと思われる名主宛の手紙が残されており、当時すでに下仁田ネギが栽培され、珍重されていたことがわかっています。
下仁田ネギは別名「殿様ネギ」と呼ばれるのはこのためです。

 下仁田ネギは他のネギに比べ、ネギ特有のタンパク質(ミューシン)と香辛料(硫化アリール)が3倍含まれていて、ビタミンB・Cも豊富です。
 生では刺すような辛みがありますが、煮る、焼くなどすると短時間で柔らかくなり、特有の風味と甘みが出ます。
とろけるような舌触りと味わいはネギの中でも最高のものといえるのです。
 一度覚えた味覚は江戸大名をとりこにしてしまったのでしょう。

 下仁田ネギは二百数十年の歴史をもっていますが、明治以前は主に旧下仁田町周辺農家により自家消費を中心に栽培されていたようです。平地で栽培されるようになったのは明治に入ってからで、大正時代に入り現在の主産地である下仁田町馬山地区で盛んになりました。
 昭和に入って一部篤農家による皇室への献上や上毛カルタに「ねぎとこんにゃく下仁田名産」と詠まれていることから知名度が高くなったと考えられますが、これに伴って、群馬・長野の両県農事試験場が栽培試験をてがけましたが、群馬(前橋)では育ちが悪く、長野では育ちすぎて葉が硬直するなど食べ物にならなくて、結局「下仁田ネギは下仁田におけ」という結果に終わったとのいわれもあります。

 下仁田ネギは、非分けつ性の一本ネギで、軟白部は長さ15~20cmと短く、また太さは最も太いもので直径5~6cmときわめて太いのです。
 地上部の葉も濃緑色で太い。形・大きさ等下仁田ネギはネギの品種の中でも特異なものです。
 土壌適用性は広いですが、下仁田ネギ特有の肉質をしたしまりの良いものを生産するためには、礫を多少含んだ粘質土壌であることが一つの条件です。
 粘質が弱くて軽い火山灰土壌では肉質の良い下仁田ネギを生産することはできません。
 下仁田ネギは播種から収穫まで15カ月と大変に長い栽培なのでその年の温度等の気象条件の変化に左右されやすい品種です。
 育成の限界温度は0℃と35℃で、育成適温は、15~20℃です。
 耐熱性、耐寒性ともに強く、厳冬期でも地上部は枯れるけれども地下部が枯死する事はありません。また耐旱性も強く、夏の高温期でも障害は少ないです。
 しかし、多湿には弱く、特に25℃以上の高温では多湿に対する抵抗力が弱く湿害を受けやすいです。

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 こんにゃくと下仁田ネギのおいしさが一度に楽しめる「もつ鍋定食」(1000円)を食べた。
 あまりもつは好きではないが、こんにゃくやネギと一緒に食べるととてもおいしくなるから不思議だ。
 自家製手作り味噌のお汁もおいしく、下仁田の味を満喫した。

 おかた茶屋の営業時間は8時半から19時半。木曜定休(祝日の場合は営業)。

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上州七福神めぐり~クルマで7つのお寺を回る・その1 善宗寺(大黒天)~霊山寺(布袋尊)


より大きな地図で 上州七福神 を表示

 先週、新宿山ノ手七福神めぐりに行って、すっかり七福神めぐりにはまってしまった。
 京都、奈良、鎌倉・・・それに地方の有名なお寺(長野の善光寺など)は誰もがしばしば訪ねるが、東京のお寺にはあまり行かない。数も多いし、どこに行っていいかわからないということもある。七福神めぐりということで訪ねると良いお寺が都内にもあり、お寺を訪ねることによって、その地域の歴史の一端も分かった。東京の七福神めぐりコースはまだまだある。一つひとつ回ってみることで東京をもっと理解することができるのではないか、と思った。
 しかし。
 その前に回らなければいけないところがあった。
 群馬の七福神だ。幸煎餅の七福神あられは良く食べていたのに、群馬にいる時に、七福神めぐりは、まったく考えなかった。
 さっそくインターネットで調べてみると、群馬の東の地域は七福神めぐりが盛んなようで、太田市、桐生市、館林市、邑楽郡はそれぞれに七福神のコースを定めている。
 「上州七福神」もあったが広域だ。5つの寺は赤城山周辺だが、二つは太田市と下仁田町にある。さすが1世帯が複数のクルマを持つのが当たり前の群馬。七福神めぐりもクルマでないと1日ではめぐれない。
 しかし、調べると行きたくなる。午前8時過ぎに東京・練馬の自宅を出た。

 訪ねる順番は次の通りにした。最初に遠距離を走る。最後を榛東村にしたのは、新宿山ノ手七福神めぐりと同様、毘沙門天を最後にしようと思ったのと、その後伊香保に行って温泉に入ろうと思ったからだ。(^^ゞ
 
①善宗寺(大黒天)
太田市原宿町3631-1
0276・37・5184
②霊山寺(布袋尊)
甘楽郡下仁田町下仁田716
0274・82・2493
③正円寺(福禄寿)
前橋市堀之下町155
027・269・6585
④珊瑚寺(恵比寿)
前橋市富士見町石井1227
027・288・3503
⑤興禅寺(弁財天)
渋川市赤城町三原田545
0279・56・8155
⑥長松寺(寿老人)
北群馬郡吉岡町大字漆原1284
0279・54・2298
⑦柳沢寺(毘沙門天)
北群馬郡榛東村山子田2535
0279・54・3954
 
 結論から先に言うと、1日で回ろうと思うと、体もきついし、時間に余裕がなく、年配の方にはお薦めできない。
 また、しっかりとお参りしようと思わない人はやめたほうがいい。なぜなら、各お寺はあまり観光化されておらず、ほとんどのところはお寺につながる住居の玄関で呼び鈴を鳴らして、参拝したいとお願いして、神様を見せていただくことになる。
 恐らく正月はオープンになっているのだろうが、それ以外は、自由にお寺の建物の中には入れないので、挨拶など面倒、という人は七福神は拝めない(お寺の外観だけなら参拝料はないので、自由に見られる)。
 お寺の受付時間も定かではなかったが、あるお寺によると早いところで9時から、遅くても10時からは参拝を受け付ける。受け付け終了は通常午後4時らしい。
 

 東北自動車道・館林IC経由で群馬に入った。
 8時過ぎに出たが、クルマの流れは順調で9時53分に最初の目的地、太田市原宿町3631-1の善宗寺(ぜんそうじ)に着いた。
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 残念ながら、留守で、参観できなかった。
 最初の七福神めぐりのお寺が留守だったが、他の寺は運よく参観できた。観光化されていないので確実に七福神を拝ませていただきたい時は、事前に(参拝日、人数、まわり順、宝印帳の数などを)連絡するのがいい。

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 お地蔵様。

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 祀られているのは大黒天。頭巾をかぶり大きな袋を肩に掛け、手には打出の小槌を持ち、米俵の上に立っている。

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 お寺については、インターネット上にも住所程度の情報しかないので、資料を送ってもらうことにした。
追記)資料を送っていただいた。
 沿革・由緒
 栄昌寺善宗寺は、曹源寺(さざえ堂)9世萬了雷重和尚によって、1699年(元禄12年)頃に開山された。しかし、詳細は不明である。
 当時は本寺の隠居寺として建立され、人別寺ではなく、地域住民の集会所としての存在であった。また、しばしば無住になっていた。
 1891年(明治24年)に、植木野町の宗金寺(群馬197番)住職、吉祥海雲和尚が29世として入山し、檀信徒をまとめて、現在に至る。
 通称、原宿の寺と言われ、かつては、観音札所、東上州新田34所の29番であった。現在は上州七福神大黒尊天の霊場となっている。
 本堂は火災にあい、1783年(天明3年)に再建され、その後、幾度か改修され最終的に平成3年に改修し現在に至る。また、老朽化した庫裡、書院を平成12年に新築した。

 七福神の説明だけでなく、お寺の由緒なども記した公式ホーム―ページを、各お寺で協力して、ぜひ作っていただきたい。
 
 10時過ぎまでしばらくいたが、参観を諦め、次のお寺、下仁田の霊前寺(りょうぜんじ)に向かうことにした。

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 群馬にいた時はまだ北関東自動車道が太田まで開通していなかったが、すでに太田桐生ICができている。下仁田ICまで一気に行ける。

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 11時11分、霊山寺(下仁田町下仁田716)に到着。
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 ここにも六地蔵。
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 羅漢も。
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 このお寺は人の往来が多かった。中ではお茶屋お菓子をふるまっていた。
 お寺のホームページもあった。
 ここは、みんなのおてら「りょうぜんじ」です!
 気さくなお寺だ。(^。^)
 ホームページによると――。

 宗 派  天台宗(てんだいしゅう)
 本 尊  阿弥陀如来(あみだにょらい)
 史 跡  伊勢山百庚申(町指定史跡)
 縁 起  当山は約400年前に畠山重俊公に流れを同じくする重全和尚により開山されました。現世まで38世を経ております。

 とのことだ。

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 大黒様や恵比寿様も遊びに来ている(笑)。

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 ホームページの説明も分かりやすい。 
 当山の布袋さまは「上州」と「鏑川」(かぶらかわ)の二つの七福神霊場を兼ねております。
 霊験あらたかで福徳円満!(福も富も!)、
 平和安穏、家庭円満、交際円満、家運隆盛、なんでもこい!
 円満効果ばっちりです!?(ほんとか?!・・・ ホントですってば!)
 不景気な世の中にオサラバしたい方は一度お参りしてみては・・・?

 そもそも、布袋尊さまは七福神の中でただ一人「実在の人物」とされていて
 吉凶をつかさどる神様です。「布袋和尚」という、中国の唐時代の明州奉化の禅僧で
 名は「契此」(かいし) 号は「長汀子」(ちょうていし)といわれております。
 「雪の降りしきる中で寝ていても布袋和尚の上には雪が降らなかった」という言い伝えや
 没後、埋葬されたのに、なお生存し!?
 「布袋をかついで歩いているのを見た人がいる!」
 という逸話が伝えられております。
 布袋さまのお姿は「弥勒菩薩の化身」とも言われております。

 「行くお寺、行くお寺がすべて留守だったらどうしよう」と不安だっただけに、このお寺の賑わい、親しみやすさはありがたかった。
 
 下仁田町で昼食をとることにした。

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高崎から草津へ・その1 一新していた「おぎのや横川店」

 高崎ビューホテルで正午までゆっくりして、チェックアウト。国道18号で軽井沢・草津方面へ向かった。
 当然、昼食は横川の峠の釜めしだ。おぎのや横川店(群馬県安中市松井田町横川297-1、027・395・2431、営業時間8:00~20:00、23:00~4:00)に立ち寄った。
 行き過ぎそうになった。店のイメージが変わっている。
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 以前は、ごちゃごちゃした感じの典型的なドライブインだったが、上品な店になっていた。
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 店内もおしゃれ。おぎのやのホームページによると、昨年7月20日リニューアルオープンした。
 「名物『峠の釜めし』はもちろん、ファーストフードコーナー『たびーとキッチン』、オリジナルチーズケーキショップ『ドルチェ・エスタシオン』、こだわりのコーヒーが飲める『ストーングラウンドコーヒー』、コンビニエンスストア『アレコレ』これらのニューショップがあなたの旅の思い出作りをサポートします」とのことだ。
 峠の釜めしのキーホルダーなども売っていた。
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 釜めしの味は変わらなかった。ちょっと変わったのは食べた後の釜の扱い。持っていっても良いのだが、返却場所ができていた(以前もあったのかもしれないが目立たなかった)。釜を持って帰ったものの使わずにごみになることが以前は多かったが、リサイクルするほうが環境に良い。
 峠の釜飯は今年、50周年を迎えたそうだ。駅弁の中でもひときわ輝く存在だと思う。これからも頑張ってほしい。
 軽井沢へ行く人は高速の碓氷軽井沢インターで降りるのだろうが、松井田妙義インターで降りて国道18号を走ってもそんなに時間は変わらない。ぜひ、横川に立ち寄って、峠の釜めしを発祥の地で味わってほしい。

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並木屋(富岡市、だんご)

 昭和6年から富岡市で営業しているというだんごの専門店「並木屋」(富岡1611、0274・62・0512)に行った。
 市役所前の通りを北に行き、上信電鉄の踏切を渡ってすぐ左側にある。
 たれ(みたらしだんご)は1本63円。あんはパックで売っている。売っているのはこれだけ。本当にだんご屋さんなのだ。
 実は私はみたらしだんごに目がない。みたらしだんごの専門店とはうれしい。持ち帰りのみのようだったが、店頭で3本、食べさせてもらった。お茶も入れてくれた。
 オーソドックスなみたらしだんごだ。たれの甘辛さがちょうどよい。だんごのこげ具合もちょうどよい。こげすぎ、こげてないみたらしだんごが結構多い。
 群馬県は粉モノは本当に充実している。
 ああ、この店が前橋にあったら3時のおやつ(死語?)は毎日みたらしだんごなのに。
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 店にいると次々客が訪れ10本、15本とまとめ買いしていく。地元の人気店のようだ。
 若い女将さんが明るくてとても感じがよい。近くの田島屋と違ってだんごしか作れないのでだんご屋をやっているという。だんごしか作れない。すばらしいじゃないか。それで三代続いているというのはすごい。
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 子供の日などには柏餅も作るそうだが、だんごが主役の店に出合ったのは初めて。がんばって、おいしいだんごを作り続けてください。
 水曜定休。午前9時半から午後4時までの営業だが、売り切れ次第閉店という。


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そば処 泰兵衛(富岡市、そば)

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 富岡製糸場の「感謝のつどい」に行った後、「そば処 泰兵衛(やすべえ)」に行った。
 富岡バイパスシルキーラインを西へ進み右手にベイシアが見えたら、ベイシア方面へ信号を右折。ベイシアの前を通ってしばらく行くと左にある。
 新しい感じの店。うどんは4月から10月までは休み。そばは細打ち、平打ちから選んでほしいということだが、平打ちは売り切れだった。細打ちの「野菜天せいろ」(850円)を頼んだ。
 細打ちということだったが、そばが平ら。とても細いきしめんという感じだ。
 3割が小麦粉。のど越しはよかったが、ここは平打ちが本命のような気がする。平打ちを食べてみたい。
 ガイドブックには「キムチそば」が載っていたが、もうやめたようだ。

 


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下仁田ねぎポテトチップス

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 群馬県の行楽地へ行くと、土産物店でよく見かけるのが「下仁田ねぎポテトチップス」。
 さっぱりうす塩味
 群馬限定
 群馬産下仁田ネギの美味しさを
 揚げたてのポテトにからめました。

 下仁田葱生産者
 下仁田町馬山
 瀬間京三郎グループ

 下仁田葱は、江戸時代から
 栽培されています。
 将軍や各国の大名に献上
 された記録も残る下仁田葱
 は「殿様葱」とも呼ばれます。
 下仁田特有の風土の中で、 
 農家の愛情を一身に受けて
 育ちました。

 袋に書いてあるうたい文句は以上のとおり。
 販売者は株式会社つるまい本舗 TKS
 群馬県利根郡白沢村大字上古語父79番地
 TEL 0278-53-3311
 
 白沢村は現在は沼田市。下仁田とはだいぶ離れているが、群馬県で作っているようだ。
 
 おいしいが、ねぎ味のポテトチップという感じはあまりしない。これまでの経験だと「バーベキュー味」というものに近い。
 内容量160gで値段は315円。日常食べるにはちょっと高い気がするが、土産ならば、へんなまんじゅうを買うよりも喜ばれるかもしれない。
  

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田舎のうどん屋さんは温かい

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 800尾の鯉のぼりが泳ぐ鯉のぼり祭りで有名な万場町と、恐竜の足跡の化石で有名な中里町が2003年に合併して誕生した神流町。群馬の西の端にある人口3000人余りの町に行った。
 昼食時に入ったのが役場近くのうどん店「鍋焼うどん 浦沢屋」(0274・57・2648)。
 店に入ると客がこたつに入ってうどんを食べている。アットホームな雰囲気。
 座敷のテーブルはすべてこたつ。名物?鍋焼きうどんを注文した。
 ほとんどうどんと卵だけ(笑)。食べ進むうちに肉2片とねぎが出てきた。
 なんとシンプルな鍋焼きうどんだ。
 値段は550円。
 田舎らしい温かみに、気持ちのよい時間を過ごした。

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