浅草寺・羽子板市

 浅草寺で毎年17~19日に行われる羽子板市に行った。浅草の羽子板市は明治中期、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」の主要商品として販売されていたのが始まりと言われる。戦後、「羽子板市」の名で呼ばれ、歳末の風物詩として定着したらしい。店の数はピーク時よりもかなり減って十数軒だったが、とてもにぎわっていた。Asakusa091219_001
 仲見世。青空がきれいだった。
Asakusa091219_002
 宝蔵門近くに羽子板の店が開店していた。
Asakusa091219_003
 厚紙に布を張り、綿を入れて立体感を持たせた「押絵羽子板」が並ぶ。歌舞伎の人気役者や、浮世絵の美人画の押絵羽子板が定番だが、世相を反映した羽子板などを置いているところもあり、店ごとに品ぞろえに特色を持たせていた。
Asakusa091219_004

Asakusa091219_005

Asakusa091219_006

Asakusa091219_008
 寅年にちなんでうる星やつらのラムちゃんの羽子板も。
Asakusa091219_009
 大河ドラマやマイケル・ジャクソンの羽子板。
Asakusa091219_010
 政権交代、野村監督、クレヨンしんちゃんも登場。
Asakusa091219_007
 「羽子板は景気をハネあげ、邪気をハネ飛ばす縁起物です」という分かりやすい説明。
Asakusa091219_011
 本堂。
Asakusa091219_012
 もうすぐ正月という気分になる。羽子板は安くても1万数千円のものばかり。とても買えず、見るだけ、という感じだったが楽しかった。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

アキバサイネージを見学

 秋葉原で行われているデジタルサイネージを使った献血キャンペーンを見てきた。

 まず、デジタルサイネージとは何か。
 デジタルサイネージコンソーシアムによると―。
 デジタルサイネージとは、屋外や店頭、交通機関など、一般家庭以外の場所においてディスプレイなどの電子的な表示機器を使って情報を発信するものです。
 「時間と場所を特定できる唯一のメディア」として新たな活用が始まっています。
 とのことだ。
 マスメディア、ネットメディアに加え、こうした家の外のメディアが今後広がっていくという。

 デジタルサイネージコンソーシアムは、東京都赤十字血液センターなどとともに、初音ミクのフィギュア展示で話題の献血ルーム「akiba:F」(今年10月オープン)や「アキバ献血ルーム」へのデジタルサイネージによる誘導効果検証実験を行った(17日から19日まで)。
 初音ミク?
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、初音ミク(はつね みく、HATSUNE MIKU)は2007年8月31日にクリプトン・フューチャー・メディアから発売された音声合成・デスクトップミュージック (DTM) ソフトウェアの製品名、およびキャラクターとしての名称である。
 発売直後より初音ミクで作成された楽曲やキャラクターイメージを用いた動画がニコニコ動画をはじめとする動画投稿サイトに次々と投稿されたことで人気に火がつき、DTMソフトウェアとしては異例のヒット商品となった。初音ミクを用いて数多くの作品が発表されており、その一部は音楽CD等の形で販売されている。キャラクターとしての人気も高く、フィギュアをはじめとするキャラクター商品が多数発売されている。
 秋葉原を訪れるアニメファンらに人気のあるキャラクターのようだ。このキャラクターを使った献血キャンペーンをさまざまなスクリーンを使って展開するということらしい。

 JR秋葉原駅構内。あった、あった。デジタルサイネージ機器が並んでいる。
Digitalsignage091218_001
 初音ミク。セーラームーンみたいな髪の長いキャラクターだった。
Digitalsignage091218_002
 これはなかなか効果がありそう。常設にすればいいと思う。
Digitalsignage091218_003
 カメラに映った人物画像に、初音ミクの髪型等をディスプレイ上で自動合成するAR(Augmented
Reality=拡張現実)と呼ばれる手法も披露された。バーチャルコスプレ。
Digitalsignage091218_004
 可笑しい。
Digitalsignage091218_005
 UDXビルのオフィス入り口のスクリーンでも献血をPR。
Digitalsignage091218_006
 同ビル5階にもサイネージ機器を置いて献血をPRしていた。
 この二つは駅構内ほど効果があるとは思えなかったが、いろいろな場所で多面的にキャンペーンを行うことに意義があるのだろう。

 ゲームセンターなどの「Touch!vision」でもPRを流していた。
Digitalsignage091218_007
Digitalsignage091218_008
 平日の昼間だったので、さすがに人はあまりいなかった。

Digitalsignage091218_009
 気づかなかったが、秋葉原はすでにサイネージがあちこちに設置され、多数のアニメキャラクターのPRが流されている。初音ミクが目立たない。
Digitalsignage091218_010
 一番強く訴えかけてくるのは、やはり人。電子機器プラス人、というのが大事なのではないか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

川越市その2 川越大師 喜多院

 蔵造りの町並みから南へ10分ほど歩いたところにある川越大師 喜多院(埼玉県川越市小仙波町1-20-1、049・222・0859)に行った。

大きな地図で見る

 川越大師 喜多院のホームページによると――。
 川越大師喜多院は、仙芳仙人の故事によると奈良時代にまでさかのぼるかもしれません。伝えによると仙波辺の漫々たる海水を法力により除き、そこに尊像を安置したといいますが、平安時代、淳和天皇の勅により天長7年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り、無量寿寺と名づけました。
 その後、元久2年(1205)兵火で炎上の後、永仁4年(1296)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、慈恵大師(元三大師)をお祀りし官田50石を寄せられ関東天台の中心となりました。
 正安3年(1301)後伏見天皇が東国580ヶ寺の本山たる勅書を下し、後奈良天皇は「星野山-現在の山号」の勅額を下しました。更に天文6年(1537)北条氏綱、上杉朝定の兵火で炎上しました。
 慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継ぎますが、慶長16年(1611)11月徳川家康公が川越を訪れたとき親しく接見しています。そして天海の意見により寺領4万8000坪及び500石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、又4代徳川家綱公のとき東照宮に200石を下すなど寺勢をふるいました。
 寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立)を除き堂宇はすべて焼失しました。そこで3代将軍徳川家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てました。家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためです。その他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの現存の建物を数年の間に相次いで再建し、それが今日文化財として大切に保存されています。
 尚、明治維新の神仏分離令からは東照宮、日枝神社は別管理となっています。
Kawagoe090813_003
 山門 (国指定重要文化財)。
Kawagoe090813_005
 ”宣伝”は少し控えめにした方がいいのでは・・・。
Kawagoe090813_007
 慈恵堂(本堂、県指定有形文化財)。

 客殿・書院・慈恵堂・五百羅漢は拝観料(400円)を払って見学できる。
 拝観時間は、3月1日~11月23日が平日 8:50~16:30、日祝8:50~16:50。
11月24日~2月末日が平日8:50~16:00、日祝8:50~16:20。
 客殿には、徳川家光誕生の間・湯殿・厠(国指定重要文化財)、書院には、春日局化粧の間 (国指定重要文化財)がある。これらは撮影不可。
Kawagoe090813_009
 庭園は美しかった。
Kawagoe090813_010
 小堀遠州流東好み枯山水書院式平庭「曲水の庭」。
Kawagoe090813_011
 慈恵堂(本堂)に繋がる渡り廊下。
Kawagoe090813_012
 渡り廊下から見た本堂。
Kawagoe090813_013
 多宝塔 (県指定有形文化財)も見える。
Kawagoe090813_014
 本堂から見た渡り廊下。その先に轉合(てんごう)の庭がある。
Kawagoe090813_015
 大石三石の一つ。信長(上を向いて前進した姿)をかたどっている。
Kawagoe090813_016
 秀吉(大きく物欲的)をかたどった大石。
Kawagoe090813_017
 家康(時機を伺う姿)をかたどった大石。

Kawagoe090813_019

Kawagoe090813_020
 五百羅漢。
 ホームページによると――。
 川越の観光名所の中でも、ことのほか人気の高い喜多院の五百羅漢。日本三大羅漢の一つに数えられます。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。
 十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。
 笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をした羅漢様がおられます。そして、いろいろな仏具、日用品を持っていたり、動物を従えていたりと、観察しだしたらいつまで見ていても飽きないくらい、変化に富んでいます。
 また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています。
 羅漢(らかん)ってなあに?
 阿羅漢。略称して羅漢という。漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味です。

 独断と偏見で選ぶ、羅漢ベスト10!
Kawagoe090813_021
 経営者羅漢。こういう経営者に会ったことがある。
Kawagoe090813_022
 鼻くそほじほじ羅漢(笑)。
Kawagoe090813_023
 暗~い羅漢。
Kawagoe090813_024
 だめだこりゃ、羅漢。
Kawagoe090813_025
 火、消し忘れたかも(不安)。セコム羅漢。
Kawagoe090813_026
 合わせる顔がない。絶望羅漢。
Kawagoe090813_027
 がははは。馬鹿笑い羅漢。
Kawagoe090813_028
 ちょっとだけよ。何見せてるの?羅漢。
Kawagoe090813_029
 「ちゃんと揉んでよ」「もう、疲れたよ、おまえ」~夫婦羅漢。
Kawagoe090813_030
 世間話羅漢。和気あいあい♪

| | Comments (0) | TrackBack (0)

川越市その1 蔵造りの町並み

 夏休み。群馬に行こうとクルマに乗ったが午前中から大渋滞。予定を変更、所沢ICでおりて、川越市に向かった。川越市はNHKの連続テレビ小説『つばさ』のロケ地。以前一度訪ねたことがあるが、また、行きたくなった。 
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、埼玉県川越市は「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われたという。
 喜多院には江戸城の建物の一部が移築されている。松平信綱・柳沢吉保といった江戸幕府の重臣や親藩が藩主を務めた川越藩の城下町でもあり、幕府との関係は深かった。
 まさに小江戸という通称がふさわしい川越市。市街地の一角には、「蔵造りの町並み」が残っており、平成11年12月には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
Kawagoe_dentotekikenzobutuhozontiku
 川越市のホームページによると、「川越市川越伝統的建造物群保存地区は、札の辻を北端とし、仲町を南端とする中央通り沿いの南北約430m、東西約200m、面積約7.8haの範囲で、近世初期以来の十ヶ町四門前の町人地の枢要部を占めている。地区内では江戸時代から蔵造りの町家が一部建築されていたが、明治26年(1893)の大火後、その復興にあたって、商人たちはこぞって防火性能の高い蔵造りを取り入れ、地区内には明治40年(1907)頃までに重厚な蔵造り町家の立ち並ぶ町並みが形成された。さらに、大正以降近代洋風建築や洋風外観の町家等も加わり、各時代の特色を反映した建築が共存するようになった」という。
 市役所に立ち寄り、観光パンフレット「小江戸川越見る遊ぶ」などの資料をもらって、札の辻から歩き始めた。
Kawagoe090813_001
 通り沿いには、三十数棟の蔵造りの商家が軒を連ねる。
Kawagoe090813_002
 時の鐘。川越市のホームページによると、「時の鐘は、寛永年間(1624年~44年)に川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれています。現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。 3層構造の塔で、高さ約16メートル。寛永の創建からおよそ350年間、 暮らしに欠かせない「時」を告げてきた川越のシンボルです。 現在、1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)、蔵造りの町並みに 鐘の音を響かせています。平成8年6月、時の鐘は環境庁主催の残したい『日本の音風景百選』に選ばれました」。

大きな地図で見る

| | Comments (0) | TrackBack (0)

神楽坂散歩

 約束の昼食まで時間があり、少し神楽坂を回った。
 神楽坂とは、どんなまちなのか。NPO法人粋なまちづくり倶楽部のパンフレットを参考にしよう(以下専門的な記述はすべてこのパンフレットによる)。
 ■▲神楽坂のまち・路地・歴史
 14世紀頃、群馬県赤城山南麓の豪族大胡氏が今の光照寺周辺の台地に牛込城を築いたのが神楽坂発展のはじまり。現在の神楽坂通り商店街の約4分の1の地域が、城を囲む石垣の郭(曲輪:城の周囲にめぐらされた囲い)の中となり、郭内には武器造りの職人が住み兵器庫のある兵庫町が造られました。兵庫町は、現在の寺内公園あたりにあった行元寺の門前町屋とともに、徳川家康の江戸入城時には新宿区で唯一、町の形をなしていた地区であったといいます。

 江戸時代、大老酒井忠勝が坂上の矢来町に屋敷を拝領した1628年頃、坂下には江戸城の外濠、牛込見附が完成し、両者をつなぐ約1kmの大老登城道が造られ、沿道は武家屋敷として地割りされました。これがほぼ現在の「神楽坂通り」です。また、矢来町の先、現在の神楽坂6丁目付近には多くの寺院が移転され、10軒もの寺が並ぶ通寺町、横寺町が形成されました。
 1658年には、牛込から和泉橋まで神田川が開通、現在の飯田橋駅北側の揚場町に津(湊)が開かれ、軽子坂
付近は多くの人と物資が行き交う場として賑わうようになりました。
 江戸中期になると、善国寺(毘沙門天)の「寅の日」、出世稲荷の「牛の日」の縁日の賑わいに、赤坂神社および行元寺前の岡場所(官許の吉原以外の私娼地)の賑わいも加わって、爛熟の江戸文化を謳歌する街となったのでした。

 明治期になると武家屋敷が撤去されて神楽坂は町人のまちとなり、今より急峻で階段もあった神楽坂通りは明治10年代に緩やかな坂道に変わりましたが、路地などの街割りは現在に至るまでほぼそのまま残されています。行元寺境内から発足した花柳界など、神楽坂の文化はこの江戸時代からの街割りの上で育っていったのです。

 明治28年、甲武鉄道牛込停車場(現在の飯田橋駅)の開設を機に、商店街や住宅地として急速に発展した神楽坂は、大正から昭和初期にかけては東京屈指の繁華街となります。特に関東大震災(大正12年)後、被害のほとんどなかった神楽坂には百貨店が3軒出店し、縁日は連日連夜大盛況、「山の手銀座」とも呼ばれ人が歩けないほどの賑わいを見せたのでした。
 また、この頃の神楽坂は、横寺町に居を構えていた尾崎紅葉の起こした硯友社や、坪内逍遥ら早稲田派文人の活動の舞台ともなり、まさに商業と文化の繁栄するまちとなっていきました。
 
 昭和に入り、戦前は花柳界の最盛期であり、新旧2つの見番に芸者置屋が166軒、芸妓数は619名を数えるほどになっていました。しかしその後開戦、戦争の長期化につれて贅沢や華美さが疎まれ賑わいは下火になっていき、ついに昭和20年の空襲で、神楽坂のまちは焼け野原となったのでした。
 戦後の復興は容易ではなかったものの、昭和30年代後半には花柳界はほぼ戦前の最盛期に匹敵するほどに復興し、第二の隆盛期を迎えました。高度成長期、鉄鋼関係など社用族や多くの政治家が料亭を利用し、花柳界を舞台に活発な活動をした時代でした。

 そして平成のいま、花柳界の規模が縮小するなど往時の神楽坂の姿そのままではありませんが、脈々と受け継がれる古典芸能や花柳界の文化、老舗の伝統に江戸のまちの面影、さらに新たな現代的魅力を加えつつ……「粋なお江戸の坂の町・神楽坂」は今も健在です。

 群馬県と縁の深い神楽坂。いま、最も好きな街だ。

 ▲神楽坂
 旧江戸城の牛込御門を出て外堀通りに出たところが神楽坂下。そこから正面の「神楽坂通り」を上り、毘沙門天善国寺を過ぎ、大久保通りを越えて地下鉄神楽坂駅あたりまでの一帯が、いわゆる「神楽坂」と呼ばれる界隈。
 坂の名前の由来については、「若宮八幡の神楽の音がこの坂まで聞こえてきたから」など諸説がある。

 短い散歩、スタートは■毘沙門天(善国寺)
090513kagurazaka001
 江戸中期の寛政4(1972)年に移転してきた日蓮宗池上本門寺の末寺で、神楽坂の中心として親しまれ続けている、
 江戸時代から後々まで、境内にある毘沙門天(寅の日)と出世稲荷(牛の日)の2つの縁日で賑わい、年に4回寅の日に本尊の毘沙門天像(区文化財)が開帳(一般公開)される。新宿七福神のひとつ。
090513kagurazaka002
 狛犬ではなく虎。毘沙門天は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世にお出ましになったことから、寅毘沙と呼ばれている。
090513kagurazaka003
 鳥茶屋本店の横の路地を入る。
090513kagurazaka004
 和食の店とフレンチ・イタリアンの店が同居する神楽坂らしい光景。
090513kagurazaka005
 =兵庫横丁 これも神楽坂の代表的な石畳の路地で、元は3尺程度の幅であった。料亭のほか、著名作家が逗留して執筆活動を行うことから、「本書き旅館」として知られる「和可菜」などがある。
090513kagurazaka006
 少し歩くと、四季を感じながら会席料理が楽しめる「葉歩花庭」(はぶかてい)がある。
090513kagurazaka007
 =本多横丁 名称はこの横丁の東側にあった徳川家家老「本多対馬守」屋敷に由来する。一時「すずらん通り」と呼ばれたが、昭和50年ごろに戻された。両側に寿司屋、鰻屋、居酒屋等が並び「芸者新道」「かくれんぼ横丁」などの路地にもつながる賑やかな坂である。
090513kagurazaka008
 =かくれんぼ横丁 最も「神楽坂らしい」雰囲気を保っている路地のひとつ。石畳や黒塀、さりげないけれど趣向を凝らした建築などを味わいながらのまち歩きは、神楽坂ならではのもの。
090513kagurazaka009
 天孝の天ぷら、食べてみたい。
090513kagurazaka010
 路地にはいろいろな店がある。発見の喜びがある。
090513kagurazaka011
 =芸者新道 明治時代にできた道で、以前は「ロクハチ」(宴会の始まる夜の6時と8時のこと)ともなると、お座敷に出る御姐さん達が一刻を争って近道に利用した。この通りの東端は傾斜が急になっているが、これがかつての神楽坂通りとほぼ同じ傾斜。
090513kagurazaka012
 神楽坂仲通りを経て、神楽坂通りへ。創業明治22年、神楽坂の老舗中国料理店の「龍公亭」の前を通って―。
090513kagurazaka013
 ■見番(東京神楽坂組合) 花柳界(花街)とは料亭があり芸者さんが行き来する地区や社会を指し、見番は芸者衆の手配、玉代の計算などを行う花柳界の事務所や稽古場のことで、正式名称は「東京神楽坂組合」。
 神楽坂花柳界の最盛期には700人近い芸者衆がいたが、現在は30人ほど。なお今日、東京には代表的な花柳界として神楽坂の他に、浅草、新橋、赤坂、向島、芳町がある。
090513kagurazaka014
 別亭 鳥茶屋を経て―。
090513kagurazaka016
 =小栗横丁 小栗という姓の武家屋敷が、この通りの両端にあったことから小栗横丁と呼ばれた。かつては片側(北側)に幅一尺ほどの小川が流れており、この地に湧水が豊かであったことの証である。通りに中程に銭湯・熱海湯があることから「熱海湯通り」とも呼ばれる。 
090513kagurazaka017
 小栗横町から蕎楽亭のある通りを過ぎ、毘沙門天の裏あたりに行くと、ミシュラン★★の「石かわ」がある。
090513kagurazaka018
 毘沙門天横から、神楽坂通りを渡り、神楽坂郵便局横の狭い路地を通る。ここには、ちょい干してっ平もあった。
090513kagurazaka019
 左に曲がって少し行くと、小さな公園がある。 ■寺内公園(行元寺跡) 現在、超高層マンションが建ち寺内公園がある一帯は、明治40年の土地区画整理で西五反田へ移転した行元寺という広大な寺だった。江戸後期には寺の境内を町屋として年季貸しするようになり、家が立ち並ぶにつれて迷路のような路地ができた。また、境内の一部が遊興の場となり、そこから神楽坂花柳界が発祥した。
090513kagurazaka020
 牛込神楽坂の歴史を語ってくれるベテランガイドの水野正雄さんに公園で出会った。今回、引用している資料は水野さんにいただいたものだ。感謝。この老人に出会ったら、運がいい。
090513kagurazaka021
 大久保通りを渡り、坂をのぼって、今日、昼食をとるミシュラン★のラ・トゥーエルに向かった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

現代の人力車、ベロタクシー(VELOTAXI)目撃!

Velotaxi090430
 お昼前後に東京・丸ビルあたりを歩いていて、三輪自転車+人力車といった感じの面白いクルマを発見した。
 待ち合わせがあったので乗れなかったが、次回はぜひ乗ってみたい。
 調べると、これはベロタクシー(VELOTAXI)というらしい。
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、1997年にドイツで開発された高性能な自転車タクシーとその運営システムである。なお、Veloは自転車の意である(ドイツ語Veloziped、フランス語velocipedeなど:ラテン語Velocipediが由来)。
 何も分からず、とにかく写真を1枚撮っただけなので、ウィキペディアを引用するが、車体には、ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭2009と書いてあった。
 2009年4月28日(火)―5月5日(火・祝)、東京国際フォーラム全館及び 大手町・丸の内・有楽町エリアで開かれるバッハの公演と関連イベントのようだ。その告知にベロタクシーが一役買ったわけだ。
 
 以下、ウィキペディアの抜粋。
 2002年4月、京都市で日本最初の運行を開始した。 
 ベロタクシーの車両はシティー・クルーザー (City Cruiser) と呼ばれ、先進国の都市交通に適応させるため、また、人と環境により優しい乗り物にするためのさまざまな技術とアイデアが用いられている。
 電動アシスト
 加速性向上のため、また坂道などでのドライバー負荷軽減のために電動アシストが用いられている。通常、電動アシスト付き自転車はペダルを漕いでいる最中、任意にON・OFFやアシスト力の調整を行えない。しかし、ベロタクシーの電動アシストシステムはペダルを漕いでいる最中に、バイクのスロットルのように右手のグリップを操作することで任意にON・OFFや強弱の調整ができる。そのため、道路状況・乗車人数・体力などに応じて調整しながら6−8時間営業できる。
 油圧式ディスクブレーキ
 定員乗車時で300kg以上になるシティー・クルーザーを確実に減速・停止させるため、リア左右にブレンボ社製の油圧式ディスクブレーキを備えている。このためドライバーは軽い操作で安全に減速・停止することができ、乗客の安心感を高めている。ちなみにフロントブレーキは自転車用のワイヤ式Vブレーキであり、パーキングブレーキを兼ねている。
 変速システム・駆動系
 クランクからリヤアクスルまではチェーン駆動となっており、フロント3段・リヤ7段の自転車用外装変速システムが装備されている。フロントはレバー式、リヤはグリップシフターで変速する。適切なギヤを選択することにより、電動アシストを常に用いなくても、ドライバーの負荷を最小限にして走行できる。リヤアクスルにはデファレンシャルギヤが内蔵され、カーブをスムーズに曲がることができる。
 ボディ構造
 特徴的な卵形のボディは走行時の空気抵抗を軽減する形状となっているほか、万が一自動車などと接触した場合にも乗員を保護できるよう、客席一体型の柔軟なボディが頑強なスチール製のシャシーフレームに載せられ、しっかりと固定されている。ボディの素材は軽量なポリエチレンの中空構造で、スチール製のフレームと共に100%のリサイクルが可能で、廃車時の環境負荷を少なくするように考慮されている。
 灯火類
 都市の交通に対応できるよう、ブレーキランプとウィンカーが装備されている。ただし、ウィンカーにハザードランプの機能は装備されていない。夕方にはテールランプとヘッドライトを点灯して走行する姿を見ることができる。
 ベロタクシーの運営
 ベロタクシーの運営は主にボディに張られたラッピング広告の収益によって行われている。それ故ベロタクシーは広告業としての一面が強く、この基盤がしっかりしていなければ運営は難しい。。
 運営は主にラッピング広告の収益によって行われる。このことは運賃を比較的低い価格に抑え、乗りやすい乗り物とすることに役立っている。また、運行は基本的にドライバーに委ねられており、各自が決められたエリアの中で人の集まる場所へと赴いて行く。車両の特性上、雨天時には運休することもある。それぞれ地元の運営組織が特色を生かし、都市の交通を補完する役割を果たすと同時に、観光ルートのツアーやまちおこしを前面に出し「まちづくりNPO」として活動している組織も多い。
 ベロタクシーが都市を走行することは、環境に対する啓発活動としての一面を持ち合わせている。こうした環境に優しいイメージや、環境保護活動としての趣旨に賛同してスポンサーとなる企業も少なくない。この点に重きを置き、「環境NPO」として運営を行っているケースもある。
 ベロタクシーと日本の法令
 ベロタクシーの車両は道路交通法上は自転車、つまり軽車両にあたり、運行時には道路の左側端を走行することになる。また、交差点で右折する際は二段階右折を行う。
 内閣府によって定められる細則(内閣府令)により、電動アシスト自転車の法的基準が決められている。日本で走行するベロタクシー車両はすべてこの基準に適合するようにセッティングされている。
 都道府県公安委員会によって定められる細則により、ベロタクシーの運行が阻まれている地区も少なくない。問題になってくるのは「自転車の乗車人員」に関連した項目で、「二輪又は三輪の自転車」においては運転者以外の乗車(小児を除く)の例外や特例を認めていない県が多く、その場合は乗客を乗せて走行をすることができない(ドライバーのみの走行は可)。粘り強い交渉により改正された都道府県(京都府、長野県、愛知県、福島県、神奈川県、滋賀県、千葉県)もあるが、「交通渋滞を引き起こす」「事故が起きる」などの運行に対する先入観から公安委員会の理解を得られないケースも多い。
 ベロタクシーは自転車であるので法律上は誰でも運転することができる。しかし、車道を乗客を乗せて走るという性格上、ドライバーは普通自動車運転免許証もしくは自動二輪免許の所持、道路交通法の遵守が必須要件となっている。
 軽車両には車両登録、法定検査については求められていない。しかし乗客を乗せて走行するという性質上、自主的に車両ナンバーによる管理と定められた点検を行い、信頼性を確保している。

 都市部は一定時間クルマを締め出して、歩行者天国の街の間をベロタクシーで結ぶなどの試みがあってもいいのではないか。
 平日とはいえ、なぜ、誰も乗っていなかったのだろう。みんなもっと面白がればいいのに。
 現代の人力車、がんばれ!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

パニーノがおいしい!corretto(コレット、鎌倉市、イタリアンカフェ)

 新宿三丁目のイタリアンレストラン、クラウディアで店長&ソムリエを務めていた松山さんが、4月10日、鎌倉に店を開いた。さっそく行ってみた。

corretto(コレット)

090411_040corretto
 corretto(コレット、鎌倉市御成町14-25、0467・23・8959)という店名のイタリアンカフェだ。
 松山さんによると、correttoとはエスプレッソ (Espresso) とグラッパ(Grappa)を合わせた飲み物のことで、松山さんはどちらも好きなのでcorrettoにしたと話す。
090411_041corretto
 空間をゆったりと使ったギャラリーのような店。
090411_046corretto
 実際、店内では水彩画展を開催。季節の花を描いたものを数点展示していた。

 松山さんはクラウディア時代、気前良くどんどん新しいワインを開けてくれ、それをグラス単位で飲ませてくれた。
 スプマンテ→軽い白→フルーティーな白→渋みの強い赤・・・といった感じでワインはいろいろ飲めたほうが楽しいが、世の中の大半の店はボトル単位での提供。グラスでのサービスがあっても、平凡なハウスワインであることが多い。その点、松山さんは、これはおいしいですよ、と言って実際に一口飲んで確かめた自慢のワインを注いでくれるから、本当に楽しかった(その伝統はクラウディアで店長を継いだ木村さんが守ってくれているが)。
 
 correttoは昼間から営業している関係で料理はパニーノ (Panino、パンで具材を挟んだ軽食)が主体。飲み物はいろいろなコーヒー、紅茶が飲めるが、そこは松山さんの店、当然ワインが飲める。メニューを見ると本日のグラスワイン(*スタッフまでおたずねください)がある。
 「昼間から水のようにワインを飲む店にしたい」(笑)と松山さん。

090411_042corretto
 さっそくスプマンテ(600円)を頼んだ。

090411_043corretto
 そして、≪本日のスープ≫(鎌倉野菜で作ったカラダに優しいスープ)
 ごぼうとマッシュルームのクリームスープ(400円)は残念ながら売り切れで、ニンジンとかぼちゃの冷製スープ(400円)にした。おいしい!
 松山さんの名刺を見るとVegetable&Fruit Junior Meisterとある。野菜にもこだわりがあるようだ。
090411_044corretto
 ≪自家製サンドイッチ≫はナポリ産辛口サラミと鎌倉産ルッコラ パルミジャーノ・レッジャーノ(650円)。
 なかなかの味。コーヒーにもワインにも合う。
 サンドイッチはこのほかに
 ベーコンのソテー 鎌倉産トマト、ほうれん草と一緒に(450円)
 ツナとたまご、ブラックオリーブ 湘南レッド(紫たまねぎ)のニース風(450円)
 自家製ロースハムとディジョンマスタード ブラックペッパーをアクセントに(550円)
 ピスタチオの入った ボローニャ産モルタデッラとたまご(650円)
 がある。
 パンは固め、やわらかめの2種類がある。

090411_047corretto
 ワインも頼んだ。SAUVIGNON VALBRUNA(白)を開けてくれた。つまみもメニューにないが用意してくれた。モルタデルラ、サラミ、ゴルゴンゾーラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、ドライトマト。
090411_045corretto
 照明もしゃれている。ろうそくの炎のよう。
090411_048corretto
 店名になっているcorretto(コレット)も作ってもらった。エスプレッソ25cc+グラッパ5cc+グラニュー糖。
 ビターチョコレートのような味。濃くておいしい。
 営業時間は11:30~18:00。「慣れてきたら土日は夜の営業も」と松山さん。
 木曜定休。
追記2009.8.11)夜の営業を始めたと聞いて、訪ねた。
 営業時間は11:30-14:30(L.O)、18:00-20:30(L.O)
 木曜定休、水曜はランチのみ。
 に変わった。
 Dinnerは約20種の料理を黒板で紹介。野菜や地魚をつかった前菜は“旬”に、パスタやのピッツァの生地は“手作り”にこだわったという。
Corretto090811_001
 アフェタートミスト(生ハム、辛口サラミ)
Corretto090811_002
 真イワシのシャンパンビネガーマリネ
Corretto090811_003_2
 地野菜の盛り合わせ、バーニャカウダで。
Corretto090811_004
 外はパリッ、中はもっちりのオリジナルピッツァ。アンチョビ、ブラックオリーブ、オレガノのナポレターナ+地シラスとガーリック無農薬ルッコラ。

 すべてぴったりのワインを松山さんがグラス単位で選んでくれる。
 夜の部が出来て、さらに魅力が高まった。

| | Comments (4) | TrackBack (1)

鎌倉その6)鶴岡八幡宮経由で鎌倉駅方面へ

 鎌倉には子供の頃から何度も来ているが、鶴岡八幡宮や鎌倉大仏という観光スポットを訪ねただけで、今回のように北鎌倉駅―建長寺―天園ハイキングコース―瑞泉寺と、鎌倉を面で体験したのは初めてだ。更に季節ごとに訪ねれば鎌倉を立体的に捉えられるだろう。
 東京にこんなに近い古都を訪ねないのはもったいない。お寺と自然のダブルで癒やされた1日だった。
 北鎌倉から鎌倉に入ったこともよかったかもしれない。
 
 バスに乗る手もあったが、歩き足りないので、瑞泉寺から鎌倉駅に向かって歩いた。
 途中感じの良い喫茶店などが多かった。歩くと、世界が広がる。

090411_037tsurugaokahachimangu
 鶴岡八幡宮は人とクルマでいっぱい。
 花は桜が終わり、フジはまだ。ということで参拝しなかった。
090411_038tsurugaokahachimangu
 段葛を歩く。両側はちょっと前までは桜が満開だったのだろう。
090411_039tsurugaokahachimangu
 人力車が走っていたが、驚いたのは乗っている観光客も和服。徹底している(笑)。
 二ノ鳥居から鎌倉駅西側に行った。
 実は知り合いがきのう店をオープンした。今日、鎌倉に来たのは、一つにはこの店を訪ねるという目的があったからだ。店までは瑞泉寺から1時間ほどかかった。今日はよく歩いた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

鎌倉その5)瑞泉寺

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、瑞泉寺(ずいせんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺院。(中略)境内は季節ごとに様々な花で彩られ、梅、つつじ、牡丹、マンサクなど、一年中花の絶えることがない。特にスイセンが有名な「花の寺」として知られている。
 電話は0467・22・1191。拝観料200円。
 拝観券の説明。
 名勝瑞泉寺庭園
 紅葉ヶ谷を囲む三方の山が天然の垣根をなし、わずかに開けた西の空に富士山を仰ぐこの地を選び、天台山、錦屏山を背景として、夢窓国師は庭園を作られました。それは鎌倉石の岩盤に地形に応じ地質に即して巧みに大いなる彫刻をほどこした、鎌倉ならではの性格のものでした。境内に北の一隅の岩盤の正面に大きな洞(天女洞)を彫って水月観の道場となし、東側には坐禅のための窟(坐禅窟・葆光窟)をうがちました。天女洞の前には池を掘って貯清池と名づけ、池の中央は掘り残して島となしました。水流を東側に辿れば滝壺に水分け石があり、垂直の岩盤は滝、その上方をさらに辿れば貯水槽があって天水を蓄え、要に応じて水を落とすしつらえとなっています。池の西側には二つの橋がかかり、これを渡るとおのずから池の背後の山を辿る園路に導かれます。非公開ですが二つの橋も数えて十八曲りに園路を登ると錦屏山の山頂に出て、私たちはそこにまた大きな庭と出会います。鶴ヶ岡から鎌倉周囲の山並みが幾重にも波状をなして重なり、遠くには箱根の山々がかすみ、右手に霊峰富士が大きく裾を広げる足下には、相模湾が自然の池をなしているのです。借景の大庭園の広がるこの山頂に夢窓国師は小亭を建て、偏界一覧亭と名づけました。
 岩盤を彫刻的手法によって庭園となした、「岩庭」とも呼ぶべきこの庭園は、書院庭園のさきがけをなすものであり、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園なのです。
Zuisenjiteien
 庭園を見たとき、うかつにも庭園は木々が植えられている部分であって、岩盤のある部分が庭園とは思わず、写真も撮っていない。そこで拝観券の写真を使った。

 花の寺ということで、とても楽しみだった。
090411_031zuisenji
 旬の花はショカッサイ。総門を入ってすぐ左手に一面に咲いていた。
090411_032zuisenji
 ショカッサイ。
 ひなびた感じでとても良い寺だった。鎌倉駅から離れているからかもしれない。
090411_033zuisenji
 本堂に向かう階段。
090411_034zuisenji
 山門。
090411_036zuisenji
 本堂。
090411_035zuisenji
 地蔵堂。
 季節ごとに訪ねたい寺だ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

鎌倉その4)建長寺~瑞泉寺(天園ハイキングコース)

090411_023_01kenchoji_2
 半僧坊に天園ハイキングコースの案内。ここが起点らしい。12時55分スタート。少し登ると――。
090411_025kenchoji
 勝上献展望台(しょうじょうけんてんぼうだい)がある。半僧坊からよりも、よく建長寺と周辺が見渡せる。
090411_026kenchoji_kara_zuisenji
 13:00に建長寺勝上献展望台をスタート。
 ゆるやかなアップダウンが続く。
090411_027kenchoji_kara_zuisenji
 13:25に大平山(159m)に到着。15分ほど休憩。
090411_028kenchoji_kara_zuisenji
 鎌倉カントリークラブが隣接。
090411_029kenchoji_kara_zuisenji
 天園峠からの展望。
090411_030kenchoji_kara_zuisenji
 途中の分かれ道でどちらにいくか迷うところもあったが、歩きやすいなだらかな道が続く。
 14時15分には瑞泉寺側のハイキングコース入り口に到着した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

その他のカテゴリー

おどろき・群馬 | 体質改善・フィットネス | 土産、特産品、名物 | 地域/ながながながの | 地域/ホクホク北海道 | 地域/再々さいたま | 地域/愛love愛媛 | 地域/行こうかな♪神奈川 | 奮闘!ゴルフ | 奮闘!ゴルフ2004 | 奮闘!ゴルフ2005 | 奮闘!ゴルフ2006 | 奮闘!ゴルフ2007 | 奮闘!ゴルフ2008 | 奮闘!ゴルフ2009 | 奮闘!ゴルフ/練習 | 山歩き | 怪我なく、楽しくソフトボール | 情報、メディア、オピニオン | 情報、メディア、オピニオン/WSJ日本版 | 散歩・街歩き | 文化・芸術 | 料理 | 旅行・地域 | 東京で「群馬」が味わえるスポット | 東京/上野、浅草、両国、谷根千 | 東京/世田谷 | 東京/中央線沿線(中野・杉並・吉祥寺) | 東京/京王線沿線 | 東京/六本木、西麻布、麻布十番、広尾、白金 | 東京/新宿、四ツ谷、市ヶ谷 | 東京/池袋、目白 | 東京/渋谷、恵比寿、代官山、目黒 | 東京/神楽坂、飯田橋 | 東京/神田、丸の内、八重洲 | 東京/表参道、神宮前、青山、赤坂 | 東京/西武線沿線 | 東京/銀座、新橋、築地、日本橋 | 温泉 | 温泉/万座 | 温泉/伊香保 | 温泉/前橋・高崎 | 温泉/四万・沢渡 | 温泉/川原湯 | 温泉/水上・その他みなかみ町 | 温泉/秘湯 | 温泉/群馬その他 | 温泉/老神・その他沼田市 | 温泉/草津 | 群馬/伊勢崎、桐生、太田、館林 | 群馬/前橋 | 群馬/草津、四万、渋川、水上、沼田 | 群馬/藤岡、富岡、安中 | 群馬/高崎 | 観光 | 釣り | 音楽 | | 食2004 | 食2005 | 食2006 | 食2007 | 食2008 | 食2009 | 食/うどん | 食/うなぎ、川魚 | 食/おでん | 食/お好み焼き、たこ焼き、もんじゃ焼き、鉄板焼き、焼きそば | 食/かつ、豚肉料理、串かつ、串揚げ | 食/そば | 食/イタリア料理、ピザ | 食/インド料理、カレー | 食/エスニック | 食/スペイン料理 | 食/バー、ビアホール、ワインバー | 食/パン、ケーキ | 食/フランス料理 | 食/ラーメン | 食/中華料理 | 食/丼、釜飯、茶漬け、おにぎり、弁当 | 食/和食、居酒屋 | 食/喫茶、甘味、カフェ | 食/天ぷら、天丼 | 食/寿司 | 食/洋食 | 食/焼き鳥、鳥料理 | 食/軽食、スナック | 食/郷土料理 | 食/鍋 | 食/韓国料理、焼き肉 | 食/食堂、レストラン | 食/魚介 | 麻雀