ついつい歩いてしまう「ポケモンGO」、江ノ島に行く

 ポケモンは、子供に任せていたので、まったく未知のゲームだったが、トレーナーになって各地を回っている。ゴルフなどもそうなのだが、ついつい歩いてしまう。1箇所に留まるよりも歩いていた方が、ポケモンが出てくるようだ。歩くとそのキロ数で卵がかえったりするので、さらに歩いてしまう。10キロくらいは軽く歩いてしまう。

 このゲームは落ち着いてきた感じがする。JRの駅ではポケモンが出現しなくなったし、自宅近くでもほとんど出ない。自宅周辺では犬の散歩のついでにスタジアムで遊ぶくらいしかない。しっかりポケモンを集めたい人は「わざわざ、レアポケモンが出てくるところに出向く」のが基本的な行動になる。
 
 ポケモントレーナーにはどこにでも出向き、長い時間、ポケモンを探す根気と熱意と暇が必要だ。 そんな人は、そう多くないので、誰でも楽しむブームとしてのポケモンGOはそろそろ曲がり角に来ているような気がする。
 「ラプラス」というポケモンが出るというので江ノ島に行った。結論は「出なかった」のだが、他の場所にいないポケモンは多く、楽しめた。深夜早朝に遊ぶことを自粛するお願いが出ていたが、確実にレアポケモンが出るという、どっと人が押し寄せてしまうようなことは、ポケモンGOの主催者が自粛。「意外性」を重んじるけれど、「いろいろなところに行く」と「面白いことになる」確率が高いというゲームにしようとしている気がする。 

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 食事をしていたらーー。

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 ピカチューが歓迎してくれた。

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 ピカチューが何度も出てきてくれたのが収穫だった。

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浅草名所七福神めぐり~9つの寺社が個性を競う

 2011年1月の谷中七福神めぐり以来の久しぶりの七福神めぐりをした。

 今回は「浅草名所七福神」めぐり。

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(クリックすると大きな画像で見られます)

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浅草名所七福神めぐりのホームページは、パンフレットとほぼ同じ内容で充実している。

 久しぶりの七福神めぐり。七福神進行の基礎知識を思い出すために、ちょっと長いが、そのなかの「七福神信仰の今昔」を引用しよう。

 人は、禍福を思って悩み、福運を求めて人生をさまよい、ゆえに神仏の信仰が生まれました。「開運」とひとことで片付けられないのが、人それぞれの願望が一様でないからです。家内安全、商売繁盛、縁結び、出産、成長、立身出世、学業成就、健康長寿など、人の願望にはいろいろあります。
 七福神の信仰も、こうした人の願望から発露したものです。
 仁王経という経典の中に、「七難即滅 七福即生」とあります。つまり、教え導くことを篤く信じ行えば、世の中の七つの大難(太陽、星の異変、火災、水害、風害、旱害、盗難)はたちどころに消滅し、七つの福が生ずるというのです。
 この七つの福というのは、その時代、その人の願望によって合理的に解釈されるもので、あなた自身の「心」の在り様といえます。といっても、七福神の神徳を信ずる事を篤くして、人生を救われる人がたくさんいることから、その信仰が現代に継承されていることは確かなのです。
 では、七福神信仰の歴史とは、どのようなものなのでしょうか?
 鎌倉時代、日本古来の守り神恵比須(漁労、労働、商売などの守護神)の信仰に、中国を経てインドから大黒天(五穀豊穣、飲食の神)、弁財天(音楽、知恵、弁説、財福の神)の信仰が加わりました。室町時代にかけて、この三神の信仰が庶民の間に深まってきますと、毘沙門天(人倫の道、仏法の守り神)、布袋尊(吉凶の占い、家庭円満など福徳の神)、福禄寿(幸運、生活の安定、長寿の神)、寿老人(長寿延命の神)の四神が加えられて、人々の願望に応える七福神として信仰の象徴になったものと一般に理解されています。
 江戸時代、かの上野寛永寺の開祖天海僧正が徳川家康に説いて、寿命、有福、人望、清廉、威光、愛敬、大量を七福とし、為政者のあるべき姿としました。
 江戸時代も八代将軍吉宗のころには、世も太平がつづき、庶民も安逸をむさぼるようになります。江戸八百八町には、それぞれ名所が開発され、観光と神仏詣でを兼ねた行楽の気分が旺盛になりました。ちょうど、物資文明の差こそあれ、世界に冠たる高度な生活にひたっている現代日本の姿のようではありませんか!
 そして、江戸末期には、商売繁盛、無病息災、各種大願成就の福徳、福運を求めて各地で七福神詣でが隆盛を極め、とくに正月松の内に巡拝して一年の福徳を願うようになったものが今日の七福神詣での形となったのです。 
 浅草名所七福神詣では、江戸市中でも有名だったのですが、戦後一時期中断のやむなきに至り、昭和五十二年に復活して今日 に受け継がれているものです。古くから江戸市民に霊験あらたかな福の神として親しまれてきております。
 今日は以下の順番で回った。正午にスタート。回り終えたのが午後4時45分だった。
鷲神社<寿老人>(台東区千束3-18-7、東京メトロ 日比谷線入谷駅3番出口徒歩6分、03・3876・1515)→吉原神社<弁財天>(台東区千束3-20-2、都バス吉原大門又は千束下車、03・3876・5966)→矢先神社<福禄寿>(台東区松が谷2-14-1、都バス 萄屋橋下車、03・3844・0652)→浅草寺<大黒天>(台東区浅草2-3-1、都バス 浅草雷門下車、03・3842・0181)→浅草神社<恵比須>(台東区浅草2-3-1、都バス 浅草雷門下車、03・3844・1575)→待父山聖天<毘沙門天>(台東区浅草7-4-1、都バス 隅田公園下車、03・3874・2030)→今戸神社<福禄寿>(台東区今戸1-5-22、都バス 浅草7丁目下車、03・3872・2703)→橋場不動尊<布袋尊>(台東区橋場2-14-19、都バス橋場2丁目下車、03・3872・5532)→石浜神社<寿老人>(荒川区南千住3-28、都バス南千住3丁目下車、03・3801・6425
①鷲神社(おおとりじんじゃ)<寿老人>

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 左の方に寿老人の神像がある。

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 上半身は見えなかった。

②吉原神社(よしわらじんじゃ)<弁財天>

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 右の方に弁財天が見える。

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 明かりに浮かび上がる弁財天の神像。

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 飛び地にも吉原神社がある。

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 にぎわったかつての吉原の様子を伝える花吉原名残碑。

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 こちらにも弁財天が祀られているようだ。

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 リアルな弁財天。

 合羽橋道具街を通って、矢先神社へ。

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 食品サンプルを扱うサトウサンプル。

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③矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)<福禄寿>

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 拝殿の格子天井には神武天皇の御世から今日にいたる「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されている。

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 合羽橋本通りを経て、浅草寺へ。

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 途中、かみや(東京都台東区浅草2−3−14、03・3841・4430)で腹ごしらえ。

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おなじみ、④浅草寺(せんそうじ)<大黒天>

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 影向堂(ようこうどう)に大黒天が祀られているが、撮影禁止。

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 公開されている写真はこれ。

⑤浅草神社<恵美須>

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 参拝の人の列。

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 恵美須様を拝めるか。

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 がっかり。

⑥待乳山聖天(まっちやましょうでん)<毘沙門天>

 隅田川沿いを歩き、待乳山聖天へ。

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 1月に大根まつりが行われることでも有名。

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 境内各所に巾着と二股大根のモチーフがある。巾着は財宝で商売繁盛を表し、大根は夫婦和合、縁結び、子孫繁栄を表す。1月には大根まつりも行なわれ、大根をお供えする。大根は人間の深い迷いの心を表すといわれており、大根を供えることによって洗い清めていただく意味合いを持っている。

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 古い縁起によると、推古天皇3(595)年9月20日、突然この土地が小高く盛り上がり、そこへ金龍が舞い降りたと伝えられている。

⑦今戸神社(いまとじんじゃ)<福禄寿>

 若い参拝客が大変多い神社。

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 大きな招き猫がいる。招き猫には商売繁盛や招福への願いが込められているが、今戸神社の招き猫の特徴は、オスとメスのペアとなっていることです。つまり、縁結びに御利益があるらしい。なるほど、若い女性が多い理由が分かった。

 この招き猫の登場は江戸時代で、人形としての招き猫はここ今戸で16世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれている。伝承によると今戸焼きの起源は天正年間(1573~1591)に、千葉氏の家臣が今戸辺りで焼物をはじめたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移り住んだともいわれている。

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 最近はなで猫もいてーー。

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 若い男女に大人気。

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 ちょっと福禄寿の影が薄くなっているがーー。

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 招き猫の近くにちゃんといらっしゃる。

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 老若男女すべてに人気の出そうなトレンディスポットだった。

⑧不動院(ふどういん)=橋場不動尊(はしばふどうそん)<布袋尊>

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 不動院のご尊像は江戸時代のころから伝わるもので、肩に袋がなく、お腹が袋代わりの形をしている珍しいもの。大きな度量、清く正しい行為の福を授けてくれる布袋様そのものといったお姿で、古くから江戸庶民に尊信されている。

⑨石浜神社(いしはまじんじゃ)<寿老神>

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 寿老神の神像。

 9つの社寺を回り終えた。

 石浜神社は浅草のはずれ。この後、中心部までは距離があった。

 浅草名所七福神めぐりは、中心部にある浅草寺、浅草神社がいまひとつだったが、ほかの寺社が個性を発揮。全体としては面白い七福神めぐりになっていた。

 また、長寿の神様が多く、超高齢化が進む時代にはぴったりの七福神めぐりだった。

 

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両国~浜離宮恩賜公園その2)浜離宮恩賜公園

 浜離宮恩賜公園に船から上陸した。

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 浜離宮恩賜公園について、さらに詳しい説明は、東京都公園協会のホームページ「公園へ行こう!!」にある。

 それによると――。
 潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです。浜離宮は、この潮入りの池や池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別されます。
 この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
 以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
 明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往 時の面影はなくなりましたが、昭和20年11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年4月有料公開されるに至りました。なお、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年12月には国の名勝及び史跡に、同27年11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。

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 水門。

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 鴨場。鴨場の池には幾筋かの引堀(細い堀)を設け、小さなのぞき窓から、鴨の様子をうかがいながら、ヒエやアワなどのエサとおとりのアヒルで引堀におびきよせ、機をみて土手の陰から鷹や網で捕らえるという猟を行っていた。板をたたく音が響き渡ると、エサが引堀にまかれる。エサが食べられるとアヒルが引堀に入ってくるが、野の鴨はアヒルの後についてくる習性があり、鴨も集まってくる。

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 松のお茶屋。11代将軍家斉の時代に建てられた茶屋群のひとつ。戦災で焼失したが、残された礎石などの遺構を調査し、平成22年に復元された。

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 燕の茶屋跡。

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 現代の茶店もある。

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 潮入りの池。海水を引き入れ潮の干満によって池の趣を変える様式。都内にある江戸の庭園では唯一現存する海水の池。池にはボラをはじめ、セイゴ、ハゼ、ウナギなどの海水魚が棲息している。

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 中島の御茶屋。宝永4(1707)年に造られて以来、将軍をはじめ奥方様、公家たちがここで庭園の見飽きぬ眺望を堪能した休憩所。現在の建物は、昭和58(1983)年に復元したもの。ここで、抹茶、和菓子セットが楽しめる。

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 新橋方面の出口へと向かうと、紅葉の美しいエリアに出た。

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 三百年の松。六代将軍家宣が庭園を大改修したとき、その偉業をたたえて植えられた松。太い枝が低く張り出し、堂々たる姿を誇っている。

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 開園時間は、午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)。

 年末・年始(12月29日~翌年1月1日まで)休園。

 入園料は、一般300円、65歳以上150円。

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両国~浜離宮恩賜公園その1)両国から水上バスに乗る

 両国から水上バスで浜離宮恩賜公園へ。

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 12時半発の定期便に乗る。

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 まずは、浅草の方へ。

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 蔵前橋をくぐる。

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 厩橋。

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 スカイツリーやアサヒビール本社が見える。

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 駒形橋へ。

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 吾妻橋。

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 浅草(二天門)に立ち寄った後、Uターン。

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 アサヒビール本社の側面にスカイツリーが映る。

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 再び、吾妻橋。

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 橋を下から眺められる。頭が当たりそうな低い橋もあるので要注意。

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 再び、駒形橋。

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 右手にバンダイ本社。

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 再び、厩橋。

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 蔵前橋。

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 JR総武線。

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 両国橋へ。

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 首都高速6号向島線。

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 新大橋。

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 清洲橋。

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 振り返ると、正面に、スカイツリーがよく見える。

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 隅田川大橋。

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 永代橋へ。

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 宇宙船のような船も。

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 永代橋。

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 中央大橋。

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 パリ市長から送られた彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」と呼ばれる守護神の像。帆船を抱いている。

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 佃大橋。

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 佃島。

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 聖路加ガーデン。
 寄港地になっている。

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 勝鬨橋へ。

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 勝鬨橋。

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 築地市場。

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 間もなく浜離宮恩賜公園。かもめが出迎えてくれる。

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 浜離宮恩賜公園。

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 到着。

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小石川植物園(東京・白山)

 小石川植物園(東京都文京区白山3-7-1、03・3814・0318)は正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」という。

 ホームページによると、大変、由緒がある場所で、世界的な植物研究の拠点らしい。

 この植物園は日本でもっとも古い植物園であるだけでなく、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つです。

  約320年前の貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がこの植物園の遠い前身で、明治10年、東京大学が設立された直後に附属植物園となり一般にも公開されてきました。      

    面積は161,588m2(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地などの地形を利用して様々な植物が配置されています。

 この植物園は日本の近代植物学発祥の地でもあり、現在も自然誌を中心とした植物学の研究・教育の場となっており、特に東アジアの植物研究の世界的センターとして機能しています。

 植物園本館には植物標本約70万点(植物標本は、東京大学総合研究博物館と一体に運営されており、全体で約170万点収蔵されています)、植物学関連図書約2万冊があり、内外からの多くの植物研究者に活用されています。   

 園内には長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されており、国の史跡および名勝に指定されています。

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 入り口を入ると――。

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 いきなり「精子発見のソテツ」。研究機関であることを実感する(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 園内を歩いていると、普通の森林をあるいているような気になるが――。

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 木々の1本1本に名前が書いてあり、さすが研究機関。

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 旧東京医学校本館(重要文化財)。

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 シマサルスベリ。

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 バリバリノキ。バリバリ現役?

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 宇宙怪獣、キングギドラのような「カゴノキ」。

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 象の足のような「ナナミノキ」。

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 モビジバスズカケノキ。

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 ユリノキ。

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 イロハモミジ。

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 メンデルのブドウ。

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 解説(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 ニュートンのリンゴ。

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 解説(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 シダ園。

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 解説(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 立派なヒマラヤスギ。

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 お花見に来たい、ソメイヨシノ。

 クライマックスで盛り上がった。

 開園期間は1月4日から12月28日まで。開園時間は午前9時から午後4時30分まで(入園は午後4時まで)。

 月曜日休園(月曜が祝日の場合はその翌日、月曜から連休の場合は最後の祝日の翌日が休園日)。

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伝通院(傳通院、東京・小石川)

 小石川後楽園から小石川植物園に行く途中、伝通院(東京都文京区小石川3丁目14-6、03・3814・3701)に寄ることにした。

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 伝通院のホームページによると、「 当山は、応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。それから200年後の慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75才、伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼」と 号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。正保4年(1647)には、家光の次男亀松君が葬られ、以来徳川幕府の外 護を賜り諸堂伽藍を整えて参りました」とのことだ。

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 於大の墓。

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 説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 千姫の墓。

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 説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

 徳川家の菩提寺が、このお寺にあることはまったく知らなかった。

 小石川植物園へ。

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小石川後楽園(東京・後楽)

 

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 小石川後楽園(東京都文京区後楽1-6-6、03・3811・3015)を訪ねた。  まず正門に行ったが閉鎖中だった。

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 公園についての概要説明(クリックすると大きな画像で見られます)。
 江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の屋敷の後園として造ったもので、二代藩主の光圀の代に 完成した庭園です。光圀は造園に際し、明の儒者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂に先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から後楽園と名づけました。  庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。そして、これらによって湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。  この地は元々小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引き入れ造園されました。また光圀の儒学思想の影響の下に造園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。  なお、後楽園は昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定されています。特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮とここの二つだけです。全国でも京都の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院の5ヶ所だけです。

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 入り口まで、感じの良い小路が続いている。

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 入り口。

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 入り口を入ると、公園についての説明がある(クリックすると大きな画像で見られます)。

 開園時間は、午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)。

 休園日は年末・年始(12月29日~翌年1月1日まで)。

 入園料は一般:300円、65歳以上150円、小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料。

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 庭園に入ると東京ドームの威容に圧倒される。

 土曜日、日曜日と祝日は午前11時と午後2時の2回、ボランティアによる庭園ガイドツアー(無料)があり、参加した。

 本来は正門から回るのが正しいコースらしいが、枝垂桜からのスタートとなった。

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 春は満開の桜で、美しいのだろう。

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「小廬山」の説明をするガイドボランティアの岩崎眞一さん。円い築山の姿、形が中国の景勝地・廬山に似ていることから江戸の儒学者・林羅山がこう名づけた。

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 「小廬山」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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渡月橋。

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 「渡月橋」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 西湖の堤(クリックすると大きな画像で見られます)。

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大堰川(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 屏風岩。仏像の三尊も表しているという。

Byoubuiwa

 「屏風岩」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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清水観音堂後。

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 入り口付近に観音堂を復元した模型がある。

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 通天橋。

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 いまは水が流れていない「音羽の滝」。

Otowanotaki_2

「音羽の滝」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した「得仁堂」は修復中で見られなかった。得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによる。

Tokujindo

「得仁堂」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 丸屋。

Maruya

「丸屋」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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丸屋の引き立て役のサルスベリは「役木」と呼ばれる。

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 白糸の滝は護岸工事中だった。

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 円月橋。光圀があつくもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。

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水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられた。

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 渡ることはできない。

Engetsukyo

 「円月橋」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 花菖蒲田。

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 まだ一部しか咲いていなかった。Img_0402
 手前の藤棚の奥に背の低い藤棚があり、遠いところに藤棚があるように見せているという。

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Atagozaka

愛宕坂(クリックすると大きな画像で見られます)。

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八つ橋。

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 カキツバタ。

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 ガイドボランティアの岩崎眞一さんはカキツバタにちなんで、在原業平の歌を教えてくれた。

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 高低差のある藤棚。

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梅林。

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 不老水。

Furousui

 「不老水」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 稲田。

Tabata

 「田端」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 九八屋。

Kuhatiya

 「九八屋」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 松原。

Matubara

 「松原」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 舟着。

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 蓬莱島。

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 これが灯台の代わりになったらしい。

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 瘞鷂碑(えいようひ)

Eiyouhi

 「瘞鷂碑」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 鳴門。

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 内庭。水戸藩書院のあったところ。護岸の修復工事中だった。本来はここから庭を回る。

Utiniwa

 「内庭」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 唐門跡。

Karamonato

 「唐門跡」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 延段。

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 寝覚の滝。

Nezamenotaki

 「寝覚の滝」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 中山道と東海道の境目。

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 大泉水。この庭園の中心的景観。蓬莱島と徳大寺石を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出したもの。

Houraijima

 「蓬莱島」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 このあたりから京都になる。

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 竜田川。

Tatutagawa

 「竜田川」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 駐歩泉。

Tyuhosen

 「駐歩泉」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

 

 昼食は小石川後楽園内の涵徳亭(かんとくてい)。昼の部は12:30~15:30の営業。とても良心的な値段の昼食や甘味が食べられる。

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 後楽園弁当(630円)。

 ガイドボランティアの岩崎眞一さんのおかげで、短時間に小石川後楽園を満喫することができた。

 ついでに小石川植物園に行くことにし、途中にある徳川家の菩提寺、伝通院にも立ち寄ることにした。

 

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隈研吾、清野由美著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)その5

 高円寺商店街を歩く。北口だけでも相当長い商店街が続く。
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 映画好きにはたまらないレンタルDVD/ビデオショップと『新・ムラ論TOKYO』では紹介されていたが――。

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 全部販売に変わっていた。

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 ディープな中通商店街。

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 著名な古書店、都丸書店は閉まっていた。

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 『新・ムラ論TOKYO』で紹介されていた松本哉さんが経営するリサイクルショップ「素人の乱5号店」。

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 どの店も安い。

 地方の商店街は壊滅状態だが、高円寺の商店街は面白い発展を遂げている。

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隈研吾、清野由美著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)その4

 小田急線に乗って町田に向かった。

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 駅前はペデストリアンデッキが整備され大型店が並ぶが――。
 ちょっと脇道に入ると、賑わいのあるストリートが現れる。

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 しかし、南口、相模原市側は、ヨドバシカメラはあるものの、急に寂れた風景が現れる。

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 ラブホテルなどが立ち並ぶ。

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 地方都市のお決まりの光景とは違い、大型店の脇のの通りは新宿のような賑わいだった。確かに不思議な生命力のある街だ。

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隈研吾、清野由美著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)その3

 隈研吾、清野由美著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)を読んで、実際に街を歩いてみることにした。「ムラ」の要素を持つ、そこの生活がある、ヒューマンスケールのどちらかというと猥雑な場所だ。

 まず、下北沢を歩いた。北口。駅前食品市場は、ほとんどがすでに、もぬけの殻だった。

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 真龍寺。

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 若者の列。バーゲンセールのようだ。

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 ウナギの名店「野田岩」があるのは知らなかった。

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 南口の劇場エリアへ。

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 カトリック世田谷教会。

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 計画が実施されると協会の敷地が削れてしまう。奥のマンションは、道路が通る前提で、道路に壁面を合わせている。

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 神父さまは「道路を通す計画は凍結されたと思っている」と話す。

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 下北沢病院。

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 芸術書の多い古書店。

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 地下化される予定の開かずの踏切。

 クルマが通らない、歩いて回ることが多いシモキタの街。小さい個人経営と思われる店が多い。ヒューマンスケールの街だった。クルマの通る道路を駅前に通す必要はまったくないのではないか。

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