映画「つむぐもの」

 犬童一利監督の映画「つむぐもの」を観た。

 韓国人女性のユナがワーキングホリデーで、日本の和紙職人の工房を訪れるが、職人は脳の病気で手が不自由になり、要介護状態に。結果的に彼女はヘルパーの役割をせざるを得なくなる。

 介護施設にも所属して職人の世話をするが、言葉が通じない中でも、次第にユナと職人の剛生は、心が通い合ってくる。酒を酌み交わしたり、郊外へ出かけたり…。

 ユナの介護は「安全につつがなくこなす」介護ではない。剛生の和紙への想いを理解したうえで、剛生の生きる喜びを引き出すような介護を始める。それを、家族は全く理解できないが、要介護状態になっても、人として素のままで触れてくれるユナの心遣いに、剛生も、不自由な体を使い、生きる力を振り絞って最後の和紙作りに挑む。

 介護は辛いもの。だから頑張ってと、仲間の介護福祉士が言うと、「タケオの介護は楽しいよ」と答えるユナ。目先のことにとらわれて、大切なものを見失っている可能性のある、要介護者を世話する人たちに、ぜひ見てほしい映画だった。

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高齢社会エキスパートの第一回の交流会、東大で開催

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 「第1回高齢社会エキスパート交流会」が5月23日、東京大学の山上会館で開かれ、82人が参加した(写真はすべて高齢社会検定協会提供)。

 「高齢社会エキスパート」は、一般社団法人の高齢社会検定協会が実施する高齢社会検定試験の合格者が同協会から付与される民間資格(称号)。検定試験は2013年に始まり、2回実施され、718名が高齢社会エキスパートの認定を受けている。

 高齢社会エキスパートが一堂に会する機会を設けてほしいという声が、エキスパートの間で高まっていた。協会側も、今後の運営や協会とエキスパートの協力態勢について意見交換する場を持ちたいという気持ちがあり、交流会が実現した。

 3月末に「高齢者エキスパート企画運営委員会」が発足。協会と協力しながら準備を進めてきた。

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 午後2時から始まった交流会では、まず、検定協会の代表理事である秋山弘子東京大学高齢社会総合研究機構特任教授が、「高齢社会エキスパートの有志の方による企画、運営で第1回の交流会がキックオフできたことを、大変嬉しく思っております」と挨拶。「日本は長寿社会のフロントランナーだが、ジェロントロジーの教育は大変遅れており、2009年から東大で学部横断の教育を始め、昨年、大学院も設けた。しかし、それだけでは超高齢社会の課題解決ニーズを満たせないと考え、現在、社会で活躍されている方にジェロントロジー、超高齢社会の課題を学んでいただこうという趣旨で検定事業を始めた」と高齢社会検定の狙いを語った。

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 東京大学高齢社会総合研究機構客員研究員の前田展弘氏が、高齢社会検定協会の活動報告を行った後、同氏の進行で、秋山代表理事、辻哲夫理事(東京大学高齢社会総合研究機構教授)と、宮谷雅光さん(ニッセイ保険エージェンシー総務部長兼システムプロジェクト推進室長)、小田史子さん(中野区鷺宮すこやか福士センター所長)のエキスパート2人によるパネルディスカッションが行われた。

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 最初のテーマは超高齢社会の課題解決。秋山教授が柏市で取り組んでいるセカンドライフの就労事業について説明した。

 「これから高齢者の人口が増えるのは都市部で、特に都市周辺のベッドタウンで高齢者が増える。彼らはお元気で、知識、技術、ネットワークをお持ちだが、『何をしていいかわからない』『行くところがない』『話す人いない』という人が多いのが現状」「 家でテレビを見てゴロゴロするような生活をしていると、筋肉や脳が弱る。生産年齢人口減少が深刻になっているときに、有能な方が何もしないでいるのはもったいない。彼らは『支える側に回りたい』と願っているので、歩いて、あるいは自転車で行けるようなところで、いろいろな働き場所を作ろうということを考えた。そして、自分で時間を決めて働くという、自由な働き方ができるようにした」「柔軟な就労なスキームを作ろうということで、柏市では、農業、食、子育て、生活支援、福祉サービスなど9つの仕事場を作った」「80歳くらいまでは働くのが普通のまちを作りたい」「常に外に出て人と交わって活動する。生産者であり消費者であり納税者あるというような生涯現役の社会を実現したい」
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 辻教授は、在宅医療と連動した地域包括ケアシステムについて柏市での取り組みを紹介した。

 「東大ではAging in Place(住み慣れた地域で最期まで自分らしく老いることができる社会の実現)を提唱したが、その後、地域包括ケアシステムというほぼ同じ概念を国が推進することになった。『予防』『医療』『介護』『住宅』『生活支援』の5つのサービスを一限定に提供するシステムだ」「日本人は老いて虚弱になって亡くなるというのが一般的になったが、虚弱になって朝から晩まで病院で過ごすのは情けない。家で最期を迎えたい人はそれができるような、住まいで医療や介護のサービスが受けられるシステムに転換していこうというのが国が目指していることだ」「日常生活圏(中学校区)で住まいを中心に医療や介護や生活支援など様々なサービスが提供される。柏ではそういったモデルに取り組んだ」「医者が訪問診療をしてくれるように医師会と組んで研修プログラムを実施した。医師と、他職種との連携も進めた」「豊四季台団地の真ん中にサービス付き高齢者向け住宅を昨年5月に誘致した。1階に24時間対応の訪問看護、介護の事業所や在宅療養支援診療所などが入っており、これらは周辺地域に対してもサービスを提供する」「柏市はこうした施設を日常生活圏単位で計画的に整備していく段階に入った」「生活支援拠点にはコンシェルジェを置いて、高齢者が活動的になるような生活支援をすることもいま、検討している」

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 宮谷さんが秋山教授に質問した。

 「母親が認知症で要介護4。脳梗塞も起こして入院している。70歳を過ぎるころまでは非常に元気だったが、父親が亡くなったあたりから坂道を転げ落ちるように急に何もできなくなった。母が柏のようなところに住んでいたら、いまのようにはなっていなかったのではと思うのだが、柏市での取り組みはどのように全国に広げていこうと思っているのか」「柏市は東大と組んだが、リーダーシップを取るような団体がないような地域では、柏市のような取り組みがどのように展開されていくのだろうか」。

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 秋山教授が回答した。

 「モデル事業として3年間集中的に就労事業に取り組み、最後に、地域にどのように仕事場を作るかということ、および新しい働き方についてマニュアルを作った。これを下敷きにして、ほかのコミュニティでも就労のシステムができるようにした」「人生90年。職業生活70年と言われている。そうすると70年同じ仕事をするとは考えられない。これからの人生は二毛作、三毛作になると思う。長寿社会のニーズに対応した形で雇用制度や、教育制度などの社会のシステムを変えていかなくてはならない」「昨年暮れあたりから生涯現役社会を実現するための委員会が厚労省で立ち上がり、私も委員をしている。最終報告書案もまとまったところだが、人生70年の職業生活を送るためには若いころから自分で職業生活を設計していくという生き方をしていかなければならない。高齢期は柏の事例を具体的に報告書に盛り込み、制度化も検討するというので、柏の事例が全国に広がればいいと思う」。

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 小田さんが辻教授に質問した。

 「在宅医療と介護の連携を進めるためには、何が必要なのか、柏での経験をもとに教えてほしい」。

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 辻教授が答えた。

 「これまで専門医は病院での医療しか知らない人がほとんどで、在宅に人を割くというのは新しいことです。しかし在宅にシフトしないと、日本の病院は患者を受け止めきれなくなる」「柏市の医師会の会長は、在宅医療を医師会としてやることを決めてくれた。これが大きなポイントだった」「在宅を支えるのは看護師であり、介護士であり、ケアマネジャーだ。医師は2週間に1回くらいしかいかないが、そのときの判断とアドバイスが重要になる。医師と他の職種をだれがつなぐのかといえば、それが市町村ということになる。行政が自分がつなぎ役になるということを決意しなければいけない。柏市は市役所と医師会が、連携することに合意してくれた」「成果があったのは医師も看護師も薬剤師も同じテーブルについて議論する多職種連携研修で、これは柏市がコーディネートして実現した」「結果的にはこの仕組みが全国に広がることになり、制度改正されて、全国の市町村が介護保険の地域支援事業として、在宅医療と介護の連携を平成30年4月までに進めなければならなくなった」

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 次のテーマは、高齢者エキスパート。

 宮谷さんは「母の認知症の症状が進んだときに、もう少し知識があれば、接し方も変わっていたかもしれないと思う。超高齢社会に、あまり若い人が関心を持たないのが日本の現状のような気がする。私自身、会社に勧められて受験したが、若い人を含め周りの人に超高齢社会のこと、高齢社会検定にもっと関心を持ってもらえるようにしたい」と超高齢社会の知識の啓発活動の重要性を強調した。

 小田さんは「辻先生の講演を聞き、高齢社会検定があることを知り、受験することにした。そのためにテキストを学び、知らないこともあって、自己啓発になった。私は50代だが、人生二毛作ということで、これから何をしようか、いままでの自分の経験をどのように地域に生かせるのだろうかということを去年から考えるようになった」と、これからの人生への取り組み姿勢が変わったことを明らかにした。

 2人の発言を受け、秋山教授は「自分自身がどう生きるかということと、家族の高齢化にどう対応するかということには役に立つと思うが、もう一つは仕事をしている人や団体で活躍している人にとっても重要な知識なので、次のステップとしては、企業や団体に働きかけていかなければならないと思った」と述べた。

 辻教授は「秋山先生がおっしゃっていたことで非常に感銘を受けたのが価値観の変容ということ。人生肩書きで生きるには長過ぎる。超高齢社会は価値観の変容を伴う非常に大きな変革だと思う。そういうことを論理として学んで、人に話をすると結構重宝がられる。高齢社会のことを皆、知らない。長い人生をどう実りのあるものにするかを知っている人は、これから重宝がられると思う。皆さんもいろいろな場面で高齢社会の生き方などを説いてほしい。高齢社会エキスパートには、ぜひ活躍してもらいたい」。

 午後3時20分からは、参加者がA班からG班までに分かれて、50分のグループワークを行った。高齢社会について関心のあるテーマなどを明らかにしながら各自が自己紹介。その後、今後、検定協会に期待すること、エキスパートのネットワークなどを活用して、それぞれが取り組みたいことなどについて議論した。

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 Aグループ。ファシリテーターは岡本憲之さん。

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 Bグループ。ファシリテーターは、小田史子さん。

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 Cグループ。ファシリテーターは村山眞弓さん。

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 D班。ファシリテーターは櫻井恵子さん。

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 Eグループ。ファシリテーターは宮谷雅光さん。

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 Fグループ。ファシリテーターは村松文子さん。

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 Gグループ。ファシリテーターは有安隆さんと野村歩さん。

 時間はあっという間に過ぎ、午後4時20分から、一人2分の持ち時間でグループワーク結果報告。

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 発表資料を読み込んでスクリーンに映す準備も大忙し。

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 グループワーク結果報告は以下の通り。各グループとも発表者が2分程度で手際よく議論の要点を発表してくれた。

 Aグループ

 ◎高齢社会検定協会に期待すること

 ・若い世代に関心を持ってもらうための教育。
 (学校教育などで教育してもらう、etc...)
 ・検定の知名度を上げるための取り組み
 (マスコミの活用、行政をあげての取り組み、etc...)
 ・合格者に対するフォロー研修
  会報、スキルアップーー会費、人手?
 ◎高齢社会エキスパートとして取り組みたいこと
 ・直接参加型だけでなく、サイトを通じた交流を行う
 ・地域や企業内での広報活動

 Bグループ

 ◎高齢社会検定協会に期待すること
 ・定期的なエキスパート向けの情報発信
 最新情報、会報誌
 ・定期的なエキスパートの交流会
 +セミナー、視察など
 ・エキスパートの社会的な価値を高めてほしい
 ◎高齢社会エキスパートとして取り組みたいこと
 ・知識を同僚や地域の人に広めたい
 ・地域での活動をおこしていきたい
 ・高齢者の起業へのサポート、連携
 ・マスターズ陸上選手による
 「かけっこ出前教室」〜世代間交流〜

 Cグループ

 ◎高齢社会検定協会に期待すること
 ・認知度アップ
 ・発表の場
 ・知識・学び
 ・メリット
 ・仕事のあっせん 
 ・活動したい(分科会、etc...)
 ◎高齢社会エキスパートとして取り組みたいこと
 ・支援活動
 ・就労
 ・社会(行政)へのアプローチ
 ・企業へのアプローチ
 ・知識の習得

 Dグループ

 ◎高齢社会検定協会に期待すること
 ・全国で受験できる国家資格へ
 ・広がりを。特に若い世代へ
 ・ネットワークを作り、分科会活動を活発に
 ◎高齢社会エキスパートとして取り組みたいこと
 ・柏事例を各地域へ広げる
 ・エキスパート資格を周知する
  自己アピールと賛同者の組織化

 Eグループ

 ◎高齢社会検定協会に期待すること
 ・もっとわかりやすく
 ◎高齢社会エキスパートとして取り組みたいこと
 ・みんなと一緒に!!

 Fグループ

 ◎高齢社会検定協会に期待すること
 ・検定試験やエキスパート(資格)の認知度の向上、ツールも
 ・地域での活躍の場や情報
 ・検定料の見直す(値下げ)
 ・交流の環境(名簿等、会報誌)
 ◎高齢社会エキスパートとして取り組みたいこと
 ・地域での活躍(場のサポート)
 例:市民サポーターとして健康寿命を延ばす手伝い
 ・検定制度の紹介

 Gグループ

 ◎高齢社会検定協会に期待すること
 ・情報の発信と情報交換
 ・啓蒙活動
 ・行政への政策や制度の提言
 ◎高齢社会エキスパートとして取り組みたいこと
 ・社内啓蒙
 ・ビジネスへの広がり
  個々で出来る取り組みから
 ・世代間交流
 ・有識者の講演

 発表を受けて秋山、辻両教授が講評。

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 秋山教授「認知度のアップは初期段階では重要な課題。名刺に書いていただくのは認知度を上げるのに有効と思う」「もっとわかりやすく。今度、教科書を改訂するが、本当は中学校を卒業していれば、わかるというのがどの分野においてもインパクトのある本だと思う」「いまは検定試験の会場は東京だけだが、関西、札幌でも開催することを検討中」「意見交換会、セミナー、講演会のほか、分科会に分かれてプロジェクトを行うようなことがあるといいという意見があった。1つずつ実現していきたい」「情報発信は、まずはオンラインで、次にニューズレターというように段階的に進めればいいのではないか。フェイスブックなどを使えば双方向で情報がやり取りできる」「もっとわかりやすくということだけでなく教科書の中身を充実していきたい。専門分野をもっと掘り下げたいという意見もあった」「行政への提言は、高齢社会研究機構のプロジェクトとしてはやっているが、みなさんの生活者として、あるいは企業や行政で働く立場から意見を伺い、提言に盛り込むような形にできればいいと思う」「同じような理念をもって活動しているところと連携するという意見もあった。協会の活動を豊かにしていくためには重要だ」「ボトムアップの組織にしてほしいという意見もあった。メンバーはいろいろな専門分野をもっており、一緒にやっていきたい」「みんなで意見交換し、経験を共有しながら、みなさんのそれぞれの活動を広げていってほしい」。

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 辻教授「われわれは未知の社会に向かっている。未知への挑戦だ」「エキスパートは職場や地域で発信してもらい、少しでも仲間を増やす活動をしていただけるとありがたい。自分たちはよりよい高齢社会に向けてがんばっているというプライドがそのもとにあると思う」「東大がいかに良質な情報をエキスパートの方々に発信するかが大事だ。発信の方法としてはメーリングリストなどがあると思う。そのようなもので交流ができ、情報が発信できる。雑誌を作っていたら時間やコストがかかるので、そういった方法で広げていったらどうだろうか」「1回目、2回目に資格をとった方は未知への挑戦の決意をした人。今日を機会に、エキスパートにもムーブメントを広げるお手伝いをしてもらいたい」

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 司会進行を務めた有安隆さん。企画運営委員のリーダー。9月12日の第3回の検定試験を紹介。
 分刻みのスケジュールだったが、予定通り進行し、午後5時10分から1階談話室で懇親会。

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 80歳の竹中誉さん(企画運営委員)がエキスパートを代表して懇親会開会の挨拶。

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 乾杯!

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 企画運営委員最年少37歳の野村歩さんが中締め。

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 記念撮影(クリックすると大きな画像で見られます)

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超高齢社会を前向きに捉える――阪本節郎著『50歳を超えたらもう年をとらない46の法則』 (講談社+α新書)

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50歳を超えたらもう年をとらない46の法則

 博報堂 新しい大人文化研究所所長である阪本節郎が著した「50歳を超えたらもう年をとらない46の法則」 (講談社+α新書)を読んだ。

 この本のタイトルの意味は、博報堂  新しい大人文化研究所の2012年1月19日のリポート「絶滅する中高年!? 新しい大人世代の登場」を読むと、なるほど、と理解できる。リポートを引用しよう。

 「いま中高年の意識が従来の常識から大きく変わろうとしています。 『博報堂エルダーナレッジ開発 新しい大人文化研究所』では、人生を前向きにとらえ、若々しくありたいとする新たな40~60代を総称して「新しい大人世代」と名づけ、彼らの志向や生活を探る様々な調査を実施しています。このたび、全国の40~60代の男女3708名に向けた調査から、40~60代の人生観に関する結果をまとめました」。

 「調査結果からは、従来の中高年意識であった『老い』『余生』といった“下り坂”の人生観は“絶滅”しかかっていることが見えてきました。従来の中高年は、40代が働き盛り、50代で下り坂がはじまり、60代になると余生になって長生きが目標になる、と見られてきました。しかしながら、現在の中高年は、そうした従来型の人生カーブとは180度異なるといってもいい人生観を持っています。年を重ねることを『加齢』と捉えない、エイジレスな感覚を持った新しい40~60代が登場しています」。

 「現在の40代~60代の大きな特徴は、そもそも人生観が従来の『下り坂』から、“人生の花を開かせる”といった『上り坂』へと大きく転換していることです。

 「40~60代男女に『自分が理想とする生き方』について尋ねたところ、『50代を過ぎたら、もう年をとらないという自分でありたい(61.4%)』と、6割を超える男女が50代以降の加齢を意識せず、あたかも50代で年齢が止まったかのように捉える新たな動きが生まれています。また、『何歳になっても若々しく前向きでありたい」と回答した人は、全体の82.7%に上ります。もはや40~60代の大多数が「若々しく前向きでありたい』と考えていることが分かりました」。

 そんな新しい大人の特徴を紹介しているのが本書だ。

 共感できる部分が多々あった。

 最も共感したのが44.社会に「支えられる側」から社会を「支える側」になる③クロスジェネレーションだ。

 阪本氏は言う。「人口の少ない『若い世代』が人口の多い『高齢世代』を支えるというのが年金賦課方式の問題であり、これに対して『自助』ということを述べました。その上で、さらに望ましいのは、具体的に『新しい大人世代が若い世代を支えるクロスジェネレーション』です」「世代間交流を『クロスジェネレーション』と言っていますが、このように『クロスジェネレーション』で若い世代を支えることができれば、若い世代の生産性も向上し、また支えられれば年金を支払ってもいいかという気持ちにもなるでしょう」。

 越川禮子著『江戸の繁盛しぐさ―イキな暮らしの智恵袋』 (日経ビジネス人文庫)によると、江戸では年代に応じたしぐさが尊ばれ、たとえば「耳順(還暦)代の『江戸しぐさ』は『畳の上で死にたいと思ってはならぬ』『己は気息奄々、息絶え絶えのありさまでも他人を勇気づけよ』『若衆(若者、ヤング)を笑わせるよう心がけよ』だった」という。クロスジェネレーションは日本のよき伝統なのかもしれない。

 「超高齢社会」を実感したのが、46.過去と現在とこれからに感謝し、若い精神を持ち続ける、だ。

 「2020年は東京オリンピックの年です。その年に成人人口すなわち20歳以上人口が約1億人であるのに対して、40歳以上人口が約7800万人、つまり、『大人(成人)の10人に8人は40代以上』となります」というのだ。「人口構造の変化によって、大人世代が圧倒的多数の世の中になります。この圧倒的多数が『人生下り坂』感を持って後ろ向きになり、社会全体が沈滞ムードになると大変です。そうあってはならないのです」。

 30.新3世代は”教えてほしい”が秘密の扉、には世代間交流を後押ししてくれるデータがあった。「肝心の孫のほうは祖父母に何を求めているのでしょうか。そもそもお互いにコミュニケーションを増やしたいかどうか、を調査したことがあります。常識的には、祖父は孫との関係をもっと強くしたいが、孫のほうは敬遠気味、と思いがちです。ところが結果は全く逆でした。たしかに『祖父から孫』は84%と高かったのですが、『孫から祖父』は95%とそれをかなり上回ったのです」「実は求めていることの1位は『自分にない技能や自分の知らない事を教えてもらいたい』でした。

 19.オジサン・オバサンと呼ばれても自分のことだと思わない、にあった、次のくだりが、なるほどと思った。

 「50代以上になると、子供が独立するために、好むと好まざるとにかかわらず誰でもひとりの男性・ひとりの女性に返ります。しかしながら、その手前の40代にも異変が起きています。40代は今までの女性であれば『主婦と母親』、男性であれば『サラリーマンと父親』という二つの顔を持っていました。しかし、その40代が三つ目の顔を持ち始めています。…男性では『ひとりの男性』であり続ける、女性では『ひとりの女性』であり続ける、という顔になります」「男女問わずにSNSはまさにひとりの男性・女性が語り合う場だと言えるでしょう」。

 「アメリカでは、『シニア』という呼び名の代わりに、『50+(フィフティプラス』という言い方が抵抗感なくポピュラーになりつつあります」とのことだ。

 テレビの個人視聴率の区分でM3と言えば、男性50歳以上を指す。50も65も75も85も、同じM3。なんと大雑把な分類か、と、これまでは、思っていたが、なるほど、「50歳を超えたらもう年をとらない」から、これでいいのだ。

 17.会社はリタイアしても社会はリタイアしない、はいい言葉だ。「ピーター・ドラッカー教授が、天寿を全うする前に遺言のように言ったことがあります。それは『日本はもう一度世界をリードできる』ということです。なぜなら日本に定年制があるからだという面白いことを言いました」「日本は世界に先駆けて高齢化が進展し、そして定年制があります。そうすると、今まで会社の仕事に従事していた人たちが定年を機に社会的なことに携わる可能性があるだろう、ということです。…そういう人たちがたくさんいる社会ができれば、世界中が高齢化するなかで日本がそのモデルになると言われたのです」。

 超高齢社会を前向きに捉える本が増えてきたのがうれしい。

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少子高齢化問題にしっかりと向き合った好著―-広井良典著『人口減少社会という希望~コミュニティ経済の生成と地球倫理』(朝日選書)

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 広井良典著「人口減少社会という希望~コミュニティ経済の生成と地球倫理」(朝日選書) を読んだ。

 広井氏は言う。「『人口減少社会という希望』という表現は、かなり奇妙というべきか、あるいは奇をてらった表題と感じる人が多いかもしれない」「しかし私自身は、…人口減少社会は日本にとって様々なプラスの恩恵をもたらしうるものであり、私たちの対応によっては、むしろ現在よりもはるかに大きな『豊かさ』や幸福が実現されていく社会の姿であると考えている」。

 5ページにあるこの図を見せられると、その論拠に、なるほど、とうなずいてしまう。

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(クリックすると大きな画像になります)

 「この図を見ると、それはまるでジェットコースターのようであり、それが一気に落下する、ちょうどその”縁”に私たちは現在立っているように見える。それが多くの『大変な問題』を私たちに突きつけることは、確かなことである」「しかしこの図を少し角度を変えてみると、やや違った様相が見えてこないだろうか」。

「まずそれは、明治以降の私たち日本人が、いかに相当な”無理”をしてきたかという点である」「江戸末期に黒船が訪れ、かつその背後にある欧米列強の軍事力を目の当たりにし、あたかも頭を後ろからハンマーで殴られたような衝撃を受けた。そうしたショックから、体に鞭打ってすべてを総動員し、文字通り”拡大・成長”の坂道を登り続けてきた」「当初は『富国強兵』のスローガンを掲げ、その行き着いたところが敗戦であった後も、あたかも”戦争勝利”が”経済成長”という目標に代わっただけで、基本的な心のもちようは同じまま、上昇の急な坂道を登り続けたのである」「この10年ないし20年は、そうした方向が根本的な限界に達し、あるいは無理に無理を重ねてきたその矛盾や”疲労”が、様々な形の社会問題となって現れていると見るべきではないか」。

 「むしろ人口減少社会への転換は、そうした矛盾の積み重ねから方向転換し、あるいは”上昇への強迫観念”から脱し、本当に豊かで幸せを感じられる社会をつくっていく格好のチャンスあるいは入り口と考えられるのではないか」

 そして、広井氏は、「たとえばイギリス、フランス、イタリアの人口はいずれもほぼ6000万人で、日本の概ね半分に過ぎない」とも言う。「少なくとも現在の日本の人口が、絶対に維持されるべき水準であると考える理由はどこにもない」。

 広井氏は「私は”人口がずっと減少を続ける”という状況が好ましいとは考えていない」という。しかし、「”少子化が進むと経済がダメになるからもっと出生率を上げるべきだ”とか”人口が減ると国力が下がるから出生率は上昇させなければならない”といった発想では、おそらく事態は悪化していくばかりだろう」「そうではなく、全く逆に、そうした『拡大・成長』思考そのものを根本から見直し、もっと人々がゆとりをもって生活を送れるようにする、その結果として出生率の改善は現れてくるものだろう」と語る。

 ここまで読んで、この本は、少子高齢化と言われる社会に初めて正面から向き合った本だ、と感じた。

 高齢者が多くなり病院のベッドや介護施設が不足する。社会保障の負担で若者世代が押しつぶされる。高齢化で経済の活力が失われていくーー。当面の問題を危惧するのはいいが、現在の少子高齢化に絡む議論は、ほとんどが、社会保障費を削るとか、年金の支給開始年齢を引き上げるとか、シニアに保有資産をなんとか使わせるとか、「目先の対応」とまでは言わないが、なぜ、こうした社会になってしまったのか、どうすれば、少子高齢化社会を、生きるに値するいい社会にできるのか、という視点がほとんど欠落しており、「大変だ、大変だ」と騒ぎ立てるばかりだった。

 「『拡大・成長』の強いベクトルとその圧力の中で、”一本道”の坂道をひたすら登り続けてきた(明治維新以来の)日本社会のありようが終焉し、成熟あるいは定常化の時代を迎えつつあるという構造変化」が起きているのだから、そろそろ、そこに向き合わなければ未来はないのだろう。

 その意味で、この本は、少子高齢化が行き着いた先の社会を見通しており、非常に示唆に富む。

 それでは、これから定常化の時代に、何が課題になるのだろうか。

 「第一は、言うまでもなく社会保障などの『分配』をめぐる問題である。高度成長期は、経済のパイが拡大を続け、要は”みんなが得をする”時代であり、『分配』の問題など考える必要がなかった。この結果、高度成長期の”成功体験”にしがみついている人たちは、今もなお『経済成長がすべての問題を解決してくれる』と考えている。しかしそうした時代では全くないのが現在であ」る。

 広井氏が描いているのは「現在よりも高福祉・高負担型の、豊かで安心できる成熟社会のビジョン」「大きくはヨーロッパ(特にドイツ・フランス以北)に近い社会のモデル」である。

 第二が「人と人の関係性」だ。日本社会、あるいは日本人は「集団の内部では過剰なほど気をつかったり同調的な行動をとる一方で、自分の属する集団の『ソト』に対しては無関心であったり潜在的な敵対性をもつ」「そこでは『カイシャ』と『核家族』がそうした閉鎖的な単位となったのだった」と広井氏は指摘する。したがって「日本社会の基本的な課題として、個人をベースとする、”集団を超えた(ゆるい)つながり”や関係をいかに築いていくのか」という課題があるというのだ。

 第三は、日本人は「深いレベルでの、精神的なよりどころあるいは『土台』とも言うべきものが失われている」。戦後は「『経済成長』ということが全ての目標あるいは『価値』となり、今度はひたすらにそれに向かって突き進んでいった」「何をよりどころにすればよいかが見えぬまま、途方にくれているというのが現在の日本社会あるには日本人ではないだろうか」。

 以上は、「はじめに」と「あとがき」からの引用である。

 この後、次のような2部によって議論が深められる。「第一部(人口減少社会とコミュニティ経済)は、人口減少ないし『ポスト成長』の時代において浮上する様々な課題や方向性を、コミュニティ、ローカル化、まちづくり、都市・地域、政治、社会保障、資本主義等々といった多様な話題にそくして論じるもので、いわば本書の中での”社会・現実”編とも呼べる内容である」「続く第二部(地球倫理のために)は、そうしたこれからの時代において問われてくる理念や価値、あるいは世界観のありようを『科学』のゆくえという関心を重視しつつ、『地球倫理』というコンセプトを軸に展開するもので、いわば”理念・哲学編”とも呼べる部分である」。 

 この後の議論で、面白かったものをキーワード的に拾っていくと以下のようになる。

 「なつかしい未来」「非貨幣的な価値」「経済の地域内循環」「『生産のコミュニティ』と『生活のコミュニティ』の再融合」「福祉商店街」「福祉都市」「多極集中」「資本主義・社会主義・エコロジーのクロスオーバー」「スロー&オープン」「エコ&ソーシャル」

 言葉だけを並べても、なんとなく、これからの目指すべき社会の方向が見えてくる。

 面白い一冊だった。 

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人を幸せにする空間づくりのノウハウがわかる!戸倉蓉子著『いい家に抱かれなさい』 (日経BPコンサルティング)

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いい家に抱かれなさい

 「患者が元気になる病院」や「お年寄りが若々しくなる高齢者施設」づくりを目指すドムスデザイン代表の戸倉蓉子(とくら・ようこ)さんの原点を知りたいと思い、戸倉蓉子著『いい家に抱かれなさい』 (日経BPコンサルティング、2008年12月22日発行)を読んだ。

 同書によると、戸倉さんの略歴は――。

 株式会社ドムスデザイン代表。建築デザイナー。ナースとして慶応義塾大学病院に勤務中、人間は環境で生き方が変わることを悟り、インテリアの勉強を始める。 インテリアコーディネート会社を起業後 1998年、ミラノに建築デザイン留学。世界的建築家パオロ・ナーバ氏に師事し帰国後、一級建築士取得。イタリア滞在中に多くの街を訪ね個性あふれる建築空間と人生を謳歌する人々に感銘を受ける。 回廊の家、路地のあるマンション、元気になる病院などユニークな企画で豊かなライフスタイルを提案する。2006年、日本フリーランスインテリアコーディネーター協会会長就任。 講演活動、雑誌等への執筆多数。

 帯を見ると、ストレスの多い「30代女性」たちに向けて書かれた本のようだが、そこには、高齢者や患者をも元気にする秘訣が書かれていた。

 看護師だった戸倉さんが最も影響受けたのがナイチンゲール。戸倉さんは「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを与えることである」というナイチンゲールの言葉を引用。

 「これはまさに良い住環境をつくる秘訣ではありませんか」とし、戸倉さんなりの分析を加える。

 たとえば、「暖かさ」。

 「現代の私たちはありがたいことに、布団や暖房などが 十分にあります。しかし、私たちに本当に足りないのは「暖かさ」ではなく、人との触れ合いや肌のぬくもりを感じる「温かさ」の方ではないでしょうか」「ひと昔前は、親子三代が一緒に暮らすスタイルが主流でした。『向こう三軒両隣』という言葉もあったように、夕飯のおかずをおすそ分けしたり、隣の子供も自分の子供のように一緒に育てたりする。地域社会が存在していました」「古くは江戸時代でもそうでした。狭い路地を行き来するとき、『傘かしげ』という所作が行われていました」

 「私が10戸、20戸の分譲住宅のデザイン監修を行うときはイタリアの街をモデルにしています。よくお手本にするのはトスカーナ州にある『サンジミニャーノ』という街」「私はイタリア建築を日本に再現するのではなく、サンジミニャーノの街で暮らす人々のような“豊かさ”をつくりたいのです」「—―隣人への心遣い —―街を愛する心 これらは決して目に見えるものではありませんが、人間の心に大きな影響を与えるものです。街はそこに住む人の舞台です」

 

 「CHAPTER2 豊かな私になるための『いい家』選び7つの条件」も、なるほど、と思う。

 「イタリアの玄関は小さくても二畳くらいの大きさがありますが、日本のマンションでは五、六足の靴を置いておくとそれでいっぱい」「日本のドアは外開きですが、イタリアのドアは内開きです。もしドアを外開きにしていたら外に取りつけてある蝶番をはずし、ドアごと取りはずして泥棒が入ってしまう恐れがあるからです。しかし玄関が内開きのおかげで、お客様をそのまま家にスムーズに迎え入れられます」「玄関は単なる靴脱ぎスペースではないのです。玄関スペースに五、六足の靴を並べていっぱいになってしまうような空間では、幸福が入ってくるスペースがありません。運気も玄関から入ってくるのですから」「ゆとりのある玄関スペースの目安は、小ぶりの椅子が置けるかどうかです」「私は30坪くらいの住宅でも玄関には豊かなスペースをつくります。そのポイントは、家の中になるべく壁をつくらないことです」

 「自然界にはまったくの直線など存在していません。つまり、直線は人工的につくり出されたものなのです。人工的に作り出されたものなのです。人工的な空間にばかり見をおいていたら心が疲れてしまいます。あなたのバスルームを見渡してみてください。もし、直線ばかりが目立つ空間であれば、小物などに積極的に曲線を取り入れてみましょう。丸い石鹸・シャンプーボトルを選ぶ時も心地よい色や形かどうかも考えて」 

 この後の章では、女性たちが幸せを引き寄せるためのインテリアのノウハウなどを具体的に紹介する。「8星人・スタイルアップシステム」診断は、男性版もつくってほしい。

 「努力の差がツキを呼び込むのです」「私はイタリアというアンテナを立てたときからイタリアに関する情報をうまくキャッチできるようになりました」「最近、心あたたまるコミュニケーションをしましたか?会話がなくても物が買えるということは、どこかで物のやり取りが金銭的なものだけになっているということです」——戸倉さんの経験に裏打ちされた金言にも共感した。

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胃カメラの検査

 タワーグランディア内科クリニック(東京都豊島区西池袋5-5-21
ザ・タワー・グランディア2F 池袋クリニックモール、03・5911・7591)で胃の内視鏡検査を受けた。

 何年か前にがん研究所有明病院の検査でピロリ菌を発見。駆除したが、その後1年ごとに内視鏡査を受けている。

 いわゆる胃カメラの管を口に入れるのが苦手で、生まれて初めてある病院で胃カメラ検査を受けたときは、「おえ~、おえ~」と言いながら涙が止まらない状態で「もう二度と、受けたくない」と思った。

 しかし、がん研有明病院の内視鏡検査は苦しくないという母の言葉を信じ、受けたら、胃がんの原因になるピロリ菌が見つかったのだ。

 今回はがん研で担当医の山本先生が「私が診療をしているタワーグランディア内科クリニックという病院でも検査はできる。ご自宅から近いのでその方がいいのでは」とおっしゃってくださり、はじめてこの病院で検査を受けた。

 麻酔、鎮静剤の使い方がうまいのか、今回は管が通ったことも知らないうちに検査は終わった。1mくらい管を通していたという。

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 右下は検査のために着色。

 検査してすぐにお話がうかがえるのがいい。

 異常はなかった。(^^)

 父は食道がんで亡くなり、母は胃がんと乳がんを切除した。がんの家系のようなので、毎年の内視鏡検査はありがたい。

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映画『最強のふたり』

 映画『最強のふたり』。電車内で広告をみて、どんな映画だろうと思った。公式サイトにある下記のイントロダクションを要約したような広告だった。

 それは、幸福な騒ぎだった。巻き込まれた人々は、みんな元気いっぱいの笑顔と生きるエネルギーをもらった。2011年11月にフランスで公開された映画が、いきなり年間興収第1位に躍り出たのだ。しかも、『ハリー・ポッターと死の秘宝Part2』、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』、『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』など、並み居るハリウッド超大作をおさえての記録だ。その勢いは止まることなく、ついには歴代記録を塗り替えるという快挙を成し遂げ、堂々第3位に輝いた。世に多種多様なエンターテイメントが溢れる今の時代に、フランスの国民3人に1人が観たという、誰もが愛さずにいられない映画、それが『最強のふたり』だ。

 実話に基づいた、首から下が麻痺した大富豪と、彼を介護するスラムの黒人青年ふたりの奇跡の友情を描いた物語に、「笑いも涙も止まらない」「予測不可能な展開に拍手喝采!」という絶賛の声が、たちまちヨーロッパ中に広がった。ドイツでは7週連続1位となり、『アメリ』を抜いて過去ドイツで公開されたフランス映画の興収No.1を獲得。オーストリアでも6週連続1位、スペインでも記録を更新した。

 介護される側とする側の話。涙なしには見られないヒューマンドラマかと思った。
 
 最近は、高齢者の介護や医療の問題にも関心を持っているのでチェックしておかなければいけないと、半ば義務感で観た。

Saikyonofutari

 冒頭の乱暴な運転のシーンから引き込まれてしまった。
 
 相手を信じていなければ、「こら、危ないだろう。おい、やめろよ」となる。
 ところが助手席の介護をされる男は、それを楽しんでいるふうである。
 いよいよ、絶体絶命という状況でも、見事、チームワークで切り抜ける。

 愛とか、言葉とか、音楽とか、涙とかではなかった。二人の信頼を表現する冒頭のシーンが圧巻だった。

 公式サイトによると、以下のようなストーリーだ。
 
 ひとりは、スラム街出身で無職の黒人青年ドリス。もうひとりは、パリの邸に住む大富豪フィリップ。何もかもが正反対のふたりが、事故で首から下が麻痺したフィリップの介護者選びの面接で出会った。他人の同情にウンザリしていたフィリップは、不採用の証明書でもらえる失業手当が目当てというフザケたドリスを採用する。その日から相入れないふたつの世界の衝突が始まった。クラシックとソウル、高級スーツとスウェット、文学的な会話と下ネタ──だが、ふたりとも偽善を憎み本音で生きる姿勢は同じだった。

 互いを受け入れ始めたふたりの毎日は、ワクワクする冒険に変わり、ユーモアに富んだ最強の友情が生まれていく。だが、ふたりが踏み出した新たな人生には、数々の予想もしないハプニングが待っていた──。
 人生はこんなにも予測不可能で、こんなにも垣根がなく、こんなにも心が躍り、こんなにも笑えて、涙があふれるー。

 楽しくて愉快なシーンが続く。それでいてしっとりとさせてくれる。考えさせられる。作りは軽いが、メッセージは重い。

 われわれが社会的弱者と接する場合、言葉や表現に、ものすごく気を使う。はじめはそれが、優しさであり、当然の気遣いだったのだろう。

 ところが何事でもそうなのだが、行き過ぎる。

 腫れ物に触るような感じなってきて、社会的弱者のことを語ることさえ難しくなってくる。ちょっと表現を間違えると言葉狩りにあう。

 そのうちに、だれも社会的弱者のことを真剣に語らなくなる。美辞麗句しか話さなくなる。

 介護状態になった人。たとえばこの映画の主人公、大富豪フィリップは、自分では何もできないが、やりたいことは山ほどある。

 読書もするが、女性に対する興味だって失われていない。それなのに女性に対する接し方も、「介護」状態に入ると手段は「手紙」だけになってしまう。

 「そんなのおかしいだろう」とドリスは言う。

 笑わせながら、どんどん現代社会の馬鹿らしさ、矛盾を明らかにする。

 そして一番大切なものも。

 ドリスはフィリップに最高のプレゼントをする。

 今年みた映画ナンバーワンである。

【スタッフ】
監督 エリック・トレダノ オリビエ・ナカシュ 脚本 エリック・トレダノ オリビエ・ナカシュ

【キャスト】
フランソワ・クリュゼフィリップ
オマール・シードリス

【原題】
Intouchables

【製作年】
2011年

【製作国】
フランス

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鈴木隆雄著『超高齢社会の基礎知識』 (講談社現代新書)

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超高齢社会の基礎知識

 鈴木隆雄著『超高齢社会の基礎知識』 (講談社現代新書、2012年1月20日発行)を読んだ。

 超高齢社会がさらに進んだ2030年の超々高齢社会とはどんなイメージになのか。
 65歳以上が「高齢者」と言われるが、60代と、70代後半から80代とは健康状態もまったく変わってくる。これを一括りにして論じていいものか。
 高齢者が要介護状態にならないようにするためにはどんな予防をすればいいのか。
 生活の質を保ちながら生きるとはどういうことなのか。

 『高齢社会の基礎知識』がタイトルだが、扱うテーマは深く、考えさせられることばかりだ。
 これから深刻化しそうな超高齢社会の諸問題を見渡しながら、それぞれに、どういうスタンスで立ち向かうべきかを示唆してくれる広くて深い、とても良い本だ。
 

 鈴木氏はまず、超高齢社会がどんな社会で、どんな問題が生じてくるのかを説明する。

 「人口学的には、総人口のなかで65歳以上の高齢者の割合が増加することを高齢化という」。
 「高齢者人口が全人口の7パーセントを超えると『高齢化社会』といい、その2倍の14パーセントを超えると『高齢社会』、さらにその3倍の21パーセントを超えた社会を『超高齢社会』と呼んでいる」。

 「高齢化社会となる7パーセントの4倍化(28パーセント)が達成されるのは2030年ころと推定されている」「このような社会は超々高齢社会と呼ばれても不思議はない」

 「社会を高齢化させる要因のひとつが出生率の低下である」「出生率、なかでも15歳から49歳の女性の年齢別出生率の合計である合計特殊出生率は、1人の女性が平均して、一生のあいだに何人の子どもを産むかを示す指標であり、将来の人口の目安となる」「すなわちこの合計特殊出生率が2.0であれば将来人口は横ばい、2.0以上が自然増、2.0以下が自然減となる」「わが国では1970年代後半にはすでに2.0を下回り、1990年以降20年以上にわたり1.2~1.5とずっとその低い値が持続している」「このため、すでに2007年ころから総人口が減少しはじめている」。

 「一方、総人口の減少とは逆に、高齢者人口あるいは総人口に占める高齢者の割合は大幅に増加する。なかでも75歳以上の後期高齢者が急増することが見こまれる」「現在の後期高齢者人口(割合)・・・・・・1430万人(11.2パーセント、2030年ころの後期高齢者人口(割合)・・・・・・2270万人(19.7パーセント)」「この大きな原因は第二次世界大戦後の1946年から50年ころに出生した、いわゆるベビームーム世代が高齢化するからである」。


 高齢化に伴い問題となるのが単身高齢者世帯の増加だ。
 「2009年では、単身高齢者世帯・・・・・・23.0パーセント 高齢者夫婦のみ世帯・・・・・・30.0パーセント と高齢者だけの世帯が50パーセントを超えている」「2030年には、単身高齢者世帯・・・・・・38パーセント 高齢者夫婦のみ世帯・・・・・・30パーセントとなり、今後単身高齢者が急増してゆくことが想定されている」

 「2010年の75歳以上の後期高齢者での配偶関係を見ると、『有配偶』の男性……78.5パーセント 『未婚・死別・離別』の男性……21.5パーセン トにたいして 『有配偶』の女性……33.1パーセント 「未婚・死別・離別」の女性66.8パーセント と著しい差があり、後期高齢女性において配偶者をもたない者の割合が大きい」。
 「これら単身高齢者や後期高齢女性での非配偶化の増加は、高齢者の自立と尊厳を尊重する一方で、見守りやインフォーマルな支援といった社会的支援(ソーシャルサポート)、高齢者の閉じこもりや孤立の防止などを地域(コミュニティ)でどのように作り上げてゆくのかという今後の超高齢社会のもっとも重要な課題を内包している」。


 「今後の高齢者人口の増加は、わが国で均一に生じるのでなく、大きな地域差が存在する。すなわち東京を中心とする首都圏や大阪といった大都市圏で、より大幅に高齢者人口が増加する」「大都市特有の団地の超高齢化や独居高齢者の急増とそれにともなう閉じこもりや孤独死の増加が懸念される。さらに高齢者、とくに虚弱の進行した後期高齢者への支援や介護サービス量の大幅な増加にたいする有効な対応策を生み出していかなければならない」。


 75歳ころを境に「・生活機能障害高齢者 ・要介護高齢者 ・認知症高齢者」が増えてくるという。
 「さらに前期と後期の高齢者における要介護の原因についても明らかな違いが認められる。すなわち前期高齢者での要介護原因の約半数を占める最大の原因は脳卒中であるのにたいし、後期高齢者ではむしろ衰弱、認知症、転倒・骨折が多くなり、まさに老化にともなう心身の機能減弱が顕在化してくるのである」。


 「2030年ころの団塊世代の方々死亡ピーク年齢に達したときの年間死亡者数は、およそ170万人(うち65歳以上hが150万人)に達すると推定される。すなわち現在よりも約50万人の死亡者数増が見こまれているのである」「現在の医療資源、あるいは病院がその急増する死亡者の受け皿となりうるのであろうか? 答えは相当困難であるといわざるをえない」「ひとつは単純に病床数の問題である」「もうひとつの理由は、医療費の問題である」「終末期医療における費用と場所の問題を解決することは必然である。すなわち終末期における濃厚治療のありかたの見直しと、みずからの終末期のありかたを選択しうるリビング・ウィルの普及、あるいは病院での医療から在宅医療への転換などである」。

 
 高齢に伴う衰えは、どんな形でやってくるのだろうか。
 鈴木氏は、旧東京都老人総合研究所が実施している「老化に関する長期縦断研究」をもとに解説する。

 「高齢期では加齢とともに歩行能力が衰えていく」
 「一般に女性では筋肉や骨あるいは関節など筋骨格系の老化が著しく進むのにたいして、男性は血管の老化すなわち動脈硬化を基盤とした血管病変が速く進む」
 「要支援あるいは要介護の1や2といった軽度のサービスを受けている人には圧倒的に後期高齢者の女性が多い。その原因は高齢による衰弱、転倒・骨折、認知症などである」「一方、男性では比較的軽度のものは少なく、たとえ前期高齢者であっても脳卒中により最初から要介護2や3といった重いサービスから受給を開始していく例が少なくない」。

 現在の高齢者は以前の高齢者より若返っているとよく言われるがそれは本当なのだろうか。
 「たとえば、握力については、1992年の65歳以上の集団の平均値と分散に有意差のない、ぴったりと重なる集団は、2002年の男性69歳以上の集団および女性75歳以上の集団であることが明らかとなった」「このことは今日の高齢者は10年前の高齢者に比べて、握力でみるかぎり男性は4歳若返り、女性は10歳若返ったことを意味している」。
 「通常歩行速度は、男女とも11歳若返っており、わずかこの10年間で大きな健康水準の変化が生じていることを示している」

 「今日の高齢者は過去の高齢者とは明らかに異なる身体的に若々しい集団である。とくに65~74歳の前期高齢者、あるいは少なくとも60代は、これまで社会経験が豊富でスキルの十分に備わった社会的資源としても優秀な集団ということができる」「圧倒的多数の企業で定年があるのは労働者としての高齢者の能力を的確に評価できていないのではないだろうか? 意欲と能力のある高齢者の雇用や定年について社会は抜本的な改善が必要だと感じている」。

 「もはや高齢者を一括りにすることはできない。男性と女性、前期と後期の高齢者、10年前の高齢者と今の高齢者、さらには今後出現してくる65歳以上の集団は相当に異なる集団であることを念頭に置きながら、今後の社会においてさまざまな戦略を立て、制度を設計していかなければならない」。


 75歳くらいを超えたら、病気の予防よりも介護状態にならないように予防することが必要と鈴木氏は説く。

 「生活習慣病における死亡率の具体的な変曲点はおよそ70~75歳のあたりに存在してる。ということは、それ以前が生活習慣病の予防対策を重視すべき時期であり、それ以降はむしろ介護予防にその重点を移すべき時期といえるのである」。

 「中年期の男性がとくに注意しなければならない血管の病的な老化(動脈硬化)を予防するためには、まず禁煙が挙げられる」「もちろんメタボ対策の中心といわれる運動は必須である」「中年期から高齢期にいたるまでの継続的な(少しずつ着実で根気強く続ける)運動こそが自分でできる最強の予防対策である」。

 「女性における筋骨格系の老化予防は、高齢期における自立維持の視点から喫緊の重要課題である」「より具体的に対策方法を挙げるとすれば、中年期の生活習慣予防にたいし高齢期においては、『老年症候群』をいかにして予防するかということである」。
 老年症候群とは「転倒、低栄養、口腔機能の低下、認知機能の低下をはじめ、尿失禁、筋肉の衰弱、あるいは老化にともなう足の変形と歩行障害」などである。

 「老年症候群の早期発見と早期対策は高齢者において疾病予防以上に重要な意義をもっている。もっとも重要なことは、自らが老年症候群のさまざまなサインに気づくことであるが、推奨される効果的・効率的方法は健診(検診)のしくみを活用することである」
 「私たちがこの理念にもとづき、2001(平成13)年からモデル的に開始したのが東京都板橋区で地域在宅高齢者を対象とした『お達者検診』である」「高血圧や糖尿病など必要最低限の(高齢者に多い)疾患もチェックし対応してゆくが、基本的な理念としては個々の高齢者の生活機能や老年症候群の有無を確認することがもっとも重要な機能である」「このような高齢者の生活機能や老年症候群に焦点を合わせた健診によって、なんらかの危険性をもつ高齢者、すなわちハイリスク高齢者が抽出されてくることになるが、そのようなハイリスク高齢者にたいしては、科学的に有効性の確認された介入プログラムを提供することになる」。

 「国の施策としての介護予防は2006年(平成18)年に開始されたが、まだその歴史が浅いこともあり、現時点では必ずしも十分に機能しているとはいいがたい。介護予防サービスを受ける高齢者を当初5パーセントと想定していたが、現在でもたかだか0.5パーセントぐらいであり、その利用率は低迷を続けている」。

 「ひとつには残念ながら、一般にもそして高齢者本人にもその認知度が低いことにある」「もうひとつの問題は、たとえ高齢者に老年症候群や要支援・要介護状態に陥るリスクが高くても、自分には関係ないとか、自分の体のことを他人に知られるのは恥ずかしいという感覚である」「わが身に起きている危険な老化あるいは要介護状態の始まりに気づかないのである。これからは家族や周囲の方々も含めて、さまざまな危険な老化のサインを早く感じ取ることが介護予防、そして生活の自立の第一歩となる」。

 「介護予防事業をおこなうためには、当然要介護状態となる危険性をはらんでいる高齢者(ハイリスク高齢者)を適正に、できるだけ早く把握する必要がある。その把握のしくみとして、最初に『基本チェックリスト』と呼ばれる25項目からなる質問票がある」

 「これからは、いかに生命の質、生活の質を保つかという一点において国民のコンセンサスを得ることが重要となる。ヒトの限界寿命まで生存が可能であるということは、同時にその限界まで疾病を先送りし、要介護状態を先送りすることでなければならない」。

 「年齢とともに高次の生活機能から障害が発生することは確実である。ここではまず、どのようにそれらの障害が発生するのかを見てゆくことにする」。
 高齢者の高次生機能は以下の3つの領域で測定するという。「手段的自立」(自立的な日常生活を送るための活動能力)、「知的能動性」(余暇や創作などの知的活動の程度)、「社会的役割」(家庭や地域などでの社会的つながり)。
 「高齢期では、 ・社会との交流や関係性の低下→知的関心の衰え と移行してゆくことがわかる。その結果、家庭内ではなんとか独りで生活してゆく(手段的自立)能力は保たれたとしても、いわば外部との関連性が失われ、徐々に閉じこもってゆくことが容易に想像されるのである」「したがって、どうすればいつまでも社会とのかかわりを維持できるかが大切であり、家族や地域での高齢者に対する社会的支援を今後どのように充実させるかが課題である」。

 「世のなかには『ピンピンコロリ(PPK)』で大往生したいという願望が根強く存在する。しかし、…死ぬ直前までピンピンと元気で、あるときコロリと大往生するなどという死にかたは非常に少ないといわざるをえない」「もっとも重要なのは、宝クジに当たるようなPPKを望むのではなく、人生の晩年において、自立した生活に向けて努力し、自分が納得した介護を受け容れ、障害をもったとしてもいかに幸福な人生と感じ、満足して死ぬことができるかということである」「そのためにも、どうしても、やはり介護予防による自助努力、歩行能力の維持、排泄障害時のリハビリ、そして摂食障害時の胃瘻か、自然死か、など自己選択について考えておくことは避けて通れない。これらの問題に正面から向き合って考えなければならない時代なのである」 
  

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河内孝著『自衛する老後~介護崩壊を防げるか』(新潮新書)

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自衛する老後

 河内孝著『自衛する老後~介護崩壊を防げるか』(新潮新書、2012年5月20日発行)を読んだ。

 「序 答えは現場に埋まっている」に本書のエッセンスが詰まっている。
 「おむつを外し、自分の足で歩き、自分の口で食事ができるようにする、つまり『普通の生活に戻る』ための自立支援を進めている施設も増えている。医療機関と連携して認知症を研究しながら『治る認知症』、『収まる異常行動』に取り組んで成果を上げている施設がある。医療と研究から介護、養護まで、さまざまな福祉ニーズに切れ目なくこたえるコミュニティーを独力で築き上げた民間の医師もいる」
 「徹頭徹尾、介護を必要とする側に立って活動する人々がいることを、読者だけでなく全国の介護関係者に知ってほしい。そしてぜひ真似をしてもらいたいと思う。彼らの挑戦は、荒海を行く船に航路を示す灯台のように、『自衛する介護』の道しるべとなるだろう」。

 河内氏といえば、メディア論の第一人者、と思っていた。
 『次に来るメディアは何か』(ちくま新書)では、「メディアコングロマリット化」という近未来のメディアのあり様を示していた。

 ところが、今度は、『自衛する老後』。河内氏はこの分野、詳しいのだろうかと疑ったりもした。

 しかし、実は介護・福祉分野もご専門だったのだ。

 「私は2006年に新聞社を退社した後、特別養護老人ホーム(特養)を中心とした全国老人福祉施設協議会の理事を、2008年からは外国人看護師、介護福祉士候補者の窓口である国際厚生事業団の理事を務めてきた。福祉関係の大学で、『国際比較・福祉研究』という授業も担当している」。
 
 「北海道から九州まで福祉の現場を訪れ、困難な状況下で高齢者、障害者の介護に一生をささげている素晴らしい男女に出会えた。何ものにも代えがたい財産を得た思いだ」。

 「しかし同時に彼らが真剣に、ひたむきに働くほど理想と現実の亀裂が広がり、現場の想いが踏みにじられてゆく有様もみせつけられた。その度、「この国の高齢者福祉政策は、どこかで軸足をたがえてしまったのではないか」という思いに襲われる。

 「ひと言で言うならスタンスの問題、つまり制度と運用が『予算を管理する側』『介護保険を運用する側』の論理と都合で組み立てられているからだ」「少なくとも、介護保険法が国民に約束している、要介護者に、『その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう』なサービスが提供されているとは思えない」。

 「実際に行われているのは、『与える側』の許容範囲内でのサービス提供なのだ」。

 「だからといって、この事態を招いた責任をすべて、政治や行政側に押し付けるのはフェアではない。私たちにも責任がある」。
 「第一は、介護サービスの提供と負担のバランスを直視して、必要な結論を出してこなかったこと。つまり負担増(保険料引き上げ、あるいは増税)を受け入れるのか、それとも低福祉生活に耐えるのか、その選択と決断を避けてきたことである」。
 「第二に、ほとんどの人が自分なりに考えた老後設計を持たぬまま心身が衰え、介護生活に入ってしまうことだ。これでは行政や、ケアマネージャーが提供するプランを丸呑みするしかなくなる。しかし、自分の気持ちを自分以上に知る人はいないし、ましてや誰も一緒に死んではくれないのだから老後を人任せにしてはいけない。自分で考え、要求し、闘いとらなくてはいけないはずだ」。

 「子供たちに親をみる気持ちはあっても経済力が伴わない、そもそも少子化で子供の数自体が大幅に減少している。だから現在60代半ば団塊世代以降は、好むと好まざるとにかかわらず、『自衛する老後』という道しか残されていないのだ」。

 「すべての問題は現場にあり、答えもそこに埋まっている」「介護保険制度の様々な問題を、学者の机上論でも官僚の政策論でもなく、現場の介護職の人々とともに考えてみたかった」「その中から、『自衛する老後』のヒントを発見していただければ幸いである」。

◇  ◇  ◇
 介護の現場で活躍する人としてまず紹介されるのが、国際医療福祉大学大学院、竹内孝仁教授だ。
 おむつ外し、自力歩行、経管栄養や胃ろう装置を外すこと――を目標とした、介護力向上講習会を年6回開いている。
 「プロって何だ? 専門家と専従者の違いだ。医者が尊敬されるのは、専門の技術がなければできない仕事をするからだ。人は、大変だが、誰にでもできることをやったからといって、感心はしても尊敬はしてくれない。人にできない技術を持って初めてプロの介護職になる。プロを目指してくれ!」ということばに、竹内氏の目指すものが凝縮されている。  
 「近代医療技術は人工呼吸器など先端装置を開発し、鼻や胃から管で栄養液を注ぎ込み延命を図ってきた」「竹内イズムは、この発想をひっくり返す。自力更生でおむつをとり、自分で歩いて、口から食べる元の生活に戻ってもらおう、というのである」。
 「医療の側は、医療上の理由があって胃ろうをつけたんだろう。ならば介護の側は、それを外して常食に戻す理由がある。これが差のつく、クオリティの高い介護だ」。

 竹内教授は、認知症に関してもユニークなケア理論を提唱している。
 「認知症は医学的な治療方法が確立されていないのだから、家族、介護者を最も困らせる異常行動が起こる仕組みを解明して、有効なケア方法を見つけ出すことが先」という実用的な理論である。

 竹内イズムを実践する施設も増えている。
 その一つが世田谷区の特別養護老人ホーム「きたざわ苑」だ。
 「心臓疾患や、脳卒中の治療を受けて病院から介護老人保健施設(老健)や特別養護老人ホームに移って来た人の多くが全介助、つまり自分では歩行はもとより、食事もできずに経管栄養という人が多い。そのような入居者であっても『きたざわ苑』では、初日から(事前に家族に通告、了解を得たうえで)おむつを外し、特別の事情がない限り、リハビリ室で職員2人が付き添い、器具につかまってのつかまり立ち訓練を行う。5秒間つかまり立ちができたら、翌日からサークル状の歩行器に移る」。
 きたざわ苑は2006年から「在宅入所相互利用」、通称ベッドシェアリングと言う新しい取り組みも始めている。
 「施設のベッド1床を3人の人が3~4ヶ月交代で使うというもので、ショートステイのローテーションと考えてもいい」「きたざわ苑では、このプロジェクトを『単に長いショートステイ』から質的に進化させている。3ヶ月の間に入居者の自立度を高めて『安心して家で暮らせるようにして、家に帰ってもらおう』と考えた」「家族としても、在宅介護が限界となっている原因が解消されるなら、家に帰ってきて欲しいだろう。歩行障害、排泄、食事の介助、そして認知症に伴う様々な異常行動など、生活上の問題を少しでも改善したうえで家へ帰ってもらう」。

 愛知県豊橋市に福祉村を作り上げたのが、山本孝之医師だ。
 「野依地区にある丘陵一帯の約3万坪が山本先生の治める“領地”である」「社会福祉法人の施設としては、特別養護老人ホーム(定員120人、以下同)、軽費老人ホーム(100人)、ケアハウス(16人)、障害者施設、授産施設(入居、デイサービス110人)がある。医療法人の方は、福祉村病院(療養型医療病棟261床)、介護老人保健施設(100人)。この他に付属施設として認知症研究のための長寿医学研究所、神経病理研究所が並んでいる」
 「高齢者、特に認知症患者は、環境の変化に極めてぜい弱だから、病院、老健、グループホームなど、施設を転々とすることは避けたい。また、日常生活の自立能力を高めるには、菜園や運動場など野外で軽い運動をする空間も必要だ。このように医療から介護まで必要な機能を1ヶ所にまとめ上げるためには、余裕のある敷地内に多くの機能を集約する必要がある。福祉村構想はこうして生まれた」。

 熊本県で大学病院と地域病院、介護施設とのネットワーク「認知症疾患医療センター」作りを進めているのが、池田学・熊本大学大学院教授(神経精神医学)だ。
 「認知症の診断から治療、介護のパターンは次のように進むのが理想的だという」「早期発見→早期診断→鑑別診断→異常行動(BPSD)治療→身体合併症のマネージメント・ケア開始」「なぜ、この流れが理想的かというと、一口に認知症といっても症名や病態が多岐にわたっていて、それぞれに原因も違えば、対処方針も異なるからだ」
 「しかし残念ながら、現実の動きはそうなってはいない。現在、250万人近くいる認知症患者の多くは、専門医による精密診断を受けないまま自宅やグループホーム、介護施設で暮らしている」。
 「認知症に対処するには、何よりも早期診断プラス医療と介護側の連携プレーが大切である」。

◇  ◇  ◇
 本書は単に現場のルポをまとめているわけではない。
 現場からつかみとった介護保険制度下のさまざまな問題に深く切り込んでいる。
 
・「介護報酬は配置基準人員をベースに支払われるから、表現は悪いが、がんばる施設ほど『自分の首を絞めてしまう』のだ」「機械的におむつを替え、寝かせきりにしている施設ほど少人数で済み、コストも安上がり、つまり収益が出る」「逆に、意欲を持って自立支援に取り組んだ職員、職場を評価する基準はない」。

・「単純化すると在宅介護は、『家庭教師型』であり、施設介護は『塾型』といえる。とりあえず優劣の議論はおくとしても、どちらがコスト高であるかは子供でも分かる。在宅介護推進は、逃れようのない家族介護と予算の肥大化を覚悟しなくては選択できないはずだ」。

・「介護保険総費用は、開始時(2000年)の3.6兆円から11年間で8.3兆円と倍以上に増えている」「年間8.3兆円(2011年度)もの膨大なコストは、誰が、どのように負担しているのだろう。介護保険財政は、利用者が1割負担した残りを保険料と税で折半することになっている」「費用はかさむ一方だから月額2911円で始まった1号保険料は、3年後との改定の度に上がって2009年度には4160円(全国平均)となった」「今回の改定では、多くの自治体で壁といわれた5000円の大台を突破することになる」「介護保険は、支給対象が65歳以上で、このうち介護認定をとり、実際にサービスを受けている人は13.8%(2010年)。つまり10人中8人は掛け捨て状態といえる。こうした中では、保険料値上げには限界があるだろう」「膨張を続ける介護保険費用に応じるためには、大幅な給付の削減か、消費税増税、並行して本人負担額を増やしてゆく以外、答えが出ない」。

・「もともと社会保障関係費28.7兆円(2011年度)に占める介護関係費の割合は8%にすぎない。36%を占める年金、29%を占める医療費、社会福祉費(15%)、さらに急増している生活保護(9%)などの下位にある。これらを考えると、介護保険制度を維持するためには、5%程度の消費税増税ではとても足りない」。

・「介護保険制度を今の形で維持しようとすれば、保険料も税投入も増やしていくしかない。消費税が10%台を超えて20%台に近づくこと、保険料も限りなく1人1万円に近づいていくことを覚悟せざるを得ない」「その時になってあわてても遅い。国民、とりわけ65歳以上の人たちは、声をあげ、与野党を追い込んで原稿負担水準で介護保険制度が維持できる対案を要求しなくてはいけない」「たとえば介護保険会計の中で肥大化を続ける介護認定経費、行政事務費について厳しくチェックすることが必要だ」。

・「全国の介護施設で、高齢者の生活ぶりを自分の目で見て痛感するのは、『質の高い介護と、家族愛は両立しない』ということだ」「家族愛と科学的介護は別のもの、という意味である」「あるれる愛情があっても、いや、あるからこそ家族は認知症の肉親者に、疲れや情けなさが絡んだ感情的な対応をしてしまう。他方、経験のあるプロは対処の仕方を知っている。異常行動は不安のあらわれだから決して制止せず、感情的対応をしないで、本人と周囲の安全を同時に確保する」「ベッドから車いすへの移乗、床ずれ対策などの作業は、いくら愛情があっても素人よりノウハウを持っている専門家に任せるべきだ」。

・「厚生労働省は2011年になって、全国のモデル地区で利用者45人に対して介護職、看護師など26.5人体制で『24時間地域巡回訪問サービス』を行う、と言いだした。2012年度から実施地域を広げるという」「利用者一人当たりの要員を1.7人と計算しているが、職員募集をはじめ、莫大なコストをどうやって賄うのだろう」「この計画の真の狙いは、いずれ要介護者に自宅を出て地域内のサービス付き高齢者住宅に住み替えてもらうことにある」「高齢者にとっての難点は、住み慣れた家から引っ越さなくてはならないこと、家賃、管理費で都市部では月額20万円近くかかることである」。

・「介護職員の増加は、身分保障のない非常勤(パート)によって支えられている。彼ら彼女らは当然ながら、他産業の自給が上がればそちらに流れていくだろう。こういう人たちに、これまで紹介したような高い水準の介護を望むのは無理というものである」「2009年に鳩山政権が打ち出した新成長戦略は、医療・介護の分野では規模の拡大、民間からの積極的参入で45兆円の新規市場と280万人の雇用を生み出す、と想定している」「産業育成に力を入れることは大いに結構なのだが、それを支える労働基盤があまりにも脆弱なのだ」

・「社会福祉法人が経営する特養は行政の要請に応じて作られるから、建設費に補助金が出る」「社会福祉法人には独立行政法人『福祉医療機構』が低利で融資してくれるし、県単位の社会福祉協議会が利子補給もしてくれる」「一方の有料ホームは、土地購入費、施設建築費、運営費のすべてを入居者からの一時金と月額管理費、事業体の借金で賄わねばならないから、それが料金に反映される」。

・「介護市場にも経済の原理が浸透し始めた。つまり、供給側の増加と競争が業界再編を促し、淘汰を繰り返すことで最終的には規模の論理が働いて集中と寡占へと向かうだろう」「産業基盤の環境変化を受けて介護施設、有料ホーム、在宅サービスの関係を整理統合して新しい介護サービス供給体を作り出そうという『第三の道』論が生まれている」「本来、介護保険法が制定され措置から契約関係となり、ビジネスモデルが一変した時に医療、老健、有料ホーム、在宅介護など、サービス供給体制も整理・統合し、再編成されるべきだったのである」「この中で、民間の介護サービスと公共性の強い特養を歩み寄らせ、低料金で安心を提供する『国民共有・介護の家』(新型特養)作りを目指すべきだと考える」。

・「社会福祉法人の経営形態を、より自由度の高い企業形態に変革することが必要になる。構想を具体化するうえで、鳩山内閣当時、『新しい公共』円卓会議で提案された『社会事業法人』というビジネスモデルが検討に値する」「有料ホームを経営する民間会社も社会事業法人に転換することで、『新しい公共』の一翼をにない、一定の優遇措置を受け、より使いやすい料金でのサービス提供が可能になる」

・「ただし制度改革といっても、人口減の続く地域では、そもそも民間企業の参入意欲が薄い。こうした地域においては、また低所得者へのセイフティーネットとしても社会福祉法人、従来型特養、養護老人ホームの機能と役割が残るだろう」「他方、一部の富裕な高齢者が介護保険の世話にならず、ハイグレードなサービスを求めて超高級老人ホームに入るのも自由である」「『国民共有・介護の家』が目ざすのは、その中間、都市圏、地方の中核都市で急増している年金収入額300万円前後の高齢者のための『安心の場』作りなのである」。

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町亞聖著『十八歳からの十年介護』(武田ランダムハウスジャパン)

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十八歳からの十年介護

 町亞聖著『十八歳からの十年介護』(武田ランダムハウスジャパン、2011年10月25日発行)を読んだ。

 本書によると、町亞聖さんは「1971年8月3日生まれ。埼玉県出身。子供の頃からアナウンサーに憧れ、立教大学を卒業後、1995年、日本テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、天気、クラッシック、ニュースなど様々な番組を経験」「その後、報道に活動の場を移し、アナウンサーだけでなく、記者、報道キャスターなども務めた。脳障害のため車いすの生活を送っていた母と過ごした10年の日々、そしてその母と父をがんで亡くした経験から 医療を生涯のテーマに取材を続ける」「しゃべりのプロとしての意識を持ち、取材も出来る「伝え手」として経験を重ね、肩書きにとらわれず『自分で取材をして自分で作って自分の声で伝える』アナウンサーを目指す」「活動の幅を広げるために、2011年6月フリーへ転身」。

 この本は略歴にある「脳障害のため車いすの生活を送っていた母と過ごした10年の日々、そしてその母と父をがんで亡くした経験」を綴ったものだ。

 第一章 私、十八歳。母、倒れる
 1990年1月。くも膜下出血になった町さんのお母さん。手術は成功したが、脳梗塞を併発。手術で一命をとりとめたものの、後遺症が残った。「言語障害、右半身付随、そして知能の低下。これから母は、重度の身体障害者として生きていくことになる」「母のサポートをするという、私の、そして家族の、新しい日々が始まった」。

 「母が倒れたことで、私にはまず弟の宗法と妹の亞夢の面倒を母代わりにみていかなくてはいけないという自覚が芽生えた」。

 「春から中学生になる亞夢」「中学三年生だった宗法」。
 「これからは母の分まで、亞夢と宗法のためにできるだけのことをしていこう。そう決意し、もちろん努力もしていたが、私自身もふたりのやさしさや強さに支えられていたのは間違いない」。

 お母さんはどんな人だったのだろう。
 「私にとって母は『お母さん』というよりも、『お姉ちゃん』と呼びたくなるような存在だった」「誰に対しても公平で、根本的に明るい。家族みんなを照らしてくれるような母のことが、父も私も宗法も亞夢も大好きだった」。
 「母が私を産んだのは二十一歳のときで、父は二十三歳だった」「『神田川』というかぐや姫のヒット曲があるが、まさにあの曲で歌われているような、四畳半一間の何もないアパートで暮らしていた」「その後も三人の子どもを抱え、家事とパートの仕事を両立させ、家族のために尽くしてきてくれた母」「私たち子どもたちが、ようやくそれぞれ手のかからない年齢になった矢先に、母は倒れてしまった」「まだ四十歳。第二の人生はこれからだったというのに……」。

 「右手、右脚はまったく動かなくなってしまった。放っておくと、内側に曲がって硬くなってしまうので、毎日のマッサージが欠かせない」「母は言葉を失った。『違う』『痛い』『嫌だ』という感覚的な言語は、発することができる。しかし、例えばスプーンを見せて、『これは何?』と聞いても、母には答えることができない」。

 「倒れてから4カ月後の1990年5月、母はリハビリ専門の病院に転院することになった」「その病院で母は、ベッドから車いすへの移り方、車いすの操作、トイレ、着替え、歯磨きなど、身のまわりの最低限のことが自分でできるようになるための訓練を受けた」「数ヵ月かけて身のまわりのことがひと通りできるようになると、今度は階段の上り下りまでできるようになった」。

 「浪人時代の私の生活は、起きている間は母のそばにいるか、勉強をしているかのふたつしかなかった」。

 「そして、ついに母の退院が決まった」「1991年2月、リハビリを終えて我が家へ帰ってきた」「倒れてからおよそ1年と1ヵ月」。
 「帰ってきた母には、まず自立してもらうことを第一に考えた」「自分でできることがひとつ増える度に、母は母親としての自覚を取り戻しつつあった」。

 「2月になり、ついに受験の時期が訪れた。…春には立教大学へ進むことが決まった」「言葉の話せない母は、泣いて喜んでくれた」。

 「晴れて大学生になったからといって、私には浮かれて遊んでいる時間はほとんどなかった」「でも失ったものよりも、もっと多くのものを母から得ることができた。母とは普通の親子よりも、貴重な時間をたくさん過ごすことができた」。

 このくだりを読んで、落合 恵子著『母に歌う子守唄~わたしの介護日誌』(朝日文庫)、『母に歌う子守唄 その後~わたしの介護日誌』(朝日文庫)を思い出した。
 お母さんを看取った後の彼女の感想。
 「それでも、元気だった頃の彼女とより、いまのほうがはるかに深く親密なコミュニケーションが成立しているように思えるのは、なぜなのだろう」。
 「母の介護を軸にして息せききって走り回っていた日々を、このうえなくいおおしく、このうえなく懐かしく思うわたしがいる」。

 「大学在学中に、母と一緒に障害者が交流する場に出かける機会も増えた」「そういう機会が増えると、ただ町を歩いているときにも、車いすの人や杖をついて歩いている人が多いことに、自然と気づくようにもなる」「そして、そういう人たちにとって、街や道や人がいかにやさしくないのかということも見えてくる」。

 「自分や家族が『健常』であれば、障害を抱える人の存在は目に映りにくいのかもしれない」「でも自分もいつか、いや明日にもそうなる可能性がある。『もし自分だったら』という想像力を働かせたなら、『他人事』で済ませることはできなくなるのではと思う」。

 「介護にしても、公的介護保険制度がスタートしたのは2000年であり、母が倒れた1990年はまだ何の制度もなかった」。

 「母の介護を通して痛感した、日本の福祉におけるさまざまな問題。それらを少しずつでも改善するためのきっかけを作り、よりよい福祉のために自分にできることで社会に貢献したい」「では自分にできることとは何か?」「その答えとして、私が出した結論は『伝えること』」。

 第二章 私、二十三歳。アナウンサーになる
 1995年、日本テレビにアナウンサーとして入社。
 アナウンサーになって2年目。「父と私と弟の収入が合算したうえで、父の名義で中古のマンションを購入することにした」「家の中には手すりやスロープなどはあえてつけなかった。なぜかというと、少しの段差でも、それを克服しようとする勇気が大切だと思うし、またその勇気が『一歩』外に出る勇気につながるからだ」「新しい家の形に慣れることも、母にとってはリハビリになる」。

 「新しい家で暮らし始めてからは洗濯や掃除、食器洗い、観葉植物への水やりなど、母ができる範囲の家事もやってもらうようになった」。

 「身体の使えなくなった機能にばかり気をとられるのではなく、使える機能を生かせるようにサポートする。そうすることで、ハンデをもつ人の生活の質は、かなり変わってくるのではないかと思う」。

 「どんな場合であっても『自分が一番大変だ』という考え方をしないように心がけていた。自分よりももっと大変な人、困難を抱えている人はたくさんいる。自分中心になり、そのことを忘れると、他人への思いやりもなくなってしまう」。

 「まだ大学生だった頃のことだが、母とふたりで障害をもっていながら絵を描いている男性の展覧会に出かけたことがあった。両手が不自由なその画家の男性は口に筆をくわえて見事な墨絵を描いていた。目の前で実際に絵を描く姿を見た母は、『すごいね、すごいね』と、ぽろぽろ涙を流していた」。

 これは星野富弘さん?
 
 「『私たちがいなければ』母は何にもできないのではなく、『私たちがいれば』何でもできるのだ」。

 「一番大きく、取り除くのが難しいのは、人の心の中にあるバリアだと私は思う」「障害があるから『普通じゃない』と決めつけるような意識の低さが、日本の福祉を停滞させている一因であるような気がする」。

 第三章 私、二十六歳。母、四十七歳。がんの告知
 「ひと通り診察が終わると、母から離れたところで先生は私に言った。『どうして、こんなに悪くなるまで放っておいたの?』」「そして何の心の準備もないままに、母が子宮子宮頸がんであることを告げられた。しかも末期」。

 「宗法は一瞬言葉につまったが、力強くこう言った。『人生は長さじゃないよ、深さだよ』」。

 「母は、私たちに素晴らしい贈り物をくれた。失ったものもあったが、私たちに起きた数々の出来事が、思慮深さや他者への思いやり、そして年齢には不相応なほどの寛容さを与えてくれた」。
 「母はまた、私たちに生きることの意味を考える機会を与えてくれている」。

 放射線治療後、退院。そして、「この年の秋、初めて母とふたりで箱根に一泊旅行にでかけた」。
 「車いすの人にとって、どんなことが不便なのか知ってもらうためにも、車いすの人もどんどん外に出たほうがいいと思う。最初は無関心な人でも、車いすの人の存在に気がついて、少しでも関心を示してくれたら、それが次の一歩につながる」。
 「植物には晴れの日も雨の日も必要だ」「きっと人間もそうなのだろう。つらい経験が人を強くさせるし、またやさしくもさせる」。

 「母はうまく会話はできなくなったが、言葉では語りきれない大切なことを私たちに伝えようとしている。見をもって生きることの大切さ、そして当たり前であることの素晴らしさを教えようとしてくれているのだ」。

 治療は抗がん剤治療に。しかし、それはお母さんの食欲を奪う。
 「本当にこれ以上、抗がん剤治療をする必要があるのだろうか」

 「間違っていない。もう母のためには、抗がん剤治療はいらない」。

 第四章 最期を迎えるための介護
 「私の固い決意に反して、父と宗法は母を在宅看護することをためらっていた。男はこういうときに、なんて意気地なしなのだろう。栄養剤を点滴するための手術を受けたのも、危険を冒してまで人工肛門にしたのも、すべては母を在宅で看護できるようにするためではないか」。
 「母の入院中、仕事以外の時間のほとんどを病院で過ごしたのは、母と一緒の時間を大切にしたいという気持ちももちろんあったが、在宅で看取る心の準備をし、そして看護のための具体的なノウハウを覚えるためだったのだ」。
 「埋めようのない大きな穴が私の心にあいて、その中を冷たい風が通り抜ける。母の明るい笑顔が、その心の穴をえぐるように突き刺さる」「私を支えてくれる存在が欲しかった」「最愛の人を失う無念さと哀しさ、言葉では言い表せない揺れ動く複雑な心境は、同じ体験をしている家族としか共有できない」。

 「家族だけでサポートできるなら、それが理想的だとは思うが、やはり限界はある。そういうときに、こうした訪問看護や出張入浴などのサービスも、誰もが気軽に利用できるようになるといい」。

 第五章 私、二十八歳。五十歳目前の母との別れ
 1999年の「11月9日17時21分、母は49歳という短い人生の幕を閉じた」。
 「私は母と過ごす時間のなかで、何度『感謝』という気持ちをもったことだろう。健康な身体に産んでくれたこと、弟と妹を産んでくれたこと、アナウンサーになれたこと、生きる意味を与えてくれたこと。私はただただ感謝を母に伝えたい」。
 「私たちの家族の絆を深めてくれたのも、母である」。

 第六章 私、三十四歳。父、五十六歳で母の元へ
 「18歳からの介護生活が終わったときに思ったことは、これからは自分のことだけを考えてもいいのだ、ということだった」。
 「母を失った哀しみはなかなか消えなかった。今も乗り越えたとは言い切れないかもしれない。それでもなんとか元気に頑張ってこられたのは、仕事があったからである」。


 町さんはこの後、「『生涯現役の伝え手』であるために、独立するには今しかない。そう決意し、2011年5月、16年お世話になった日本テレビを退職し、フリーのアナウンサーとして新たに活動を始めた」。
 「『医療』と『介護』という生涯のテーマと『伝え手』という天職」を町さんが得た経緯がよく分かった。
 これからの町さんの活躍に期待したい。

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