増田幸弘著『プラハのシュタイナー学校』(白水社)

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プラハのシュタイナー学校

 増田幸弘著『プラハのシュタイナー学校』(白水社、2010年6月30日発行)を読んだ。

 著者の増田氏の家族4人は2006年4月、チェコの首都プラハで暮らし始めた。プラハで子どもたちを通わせる学校として選んだのが日本ではシュタイナー学校として知られるヴァルドルフ学校だった。
 子どもたちにとっては言葉がまったくわからないチェコの学校に入ることだけでも相当なプレッシャーだったと思うが、さらにシュタイナー学校と言われる個性的な学校に通うことになった。
 「思春期を迎えた子どもたちの教育環境を変え、ばらばらになりかけた家族を再生する舞台として、この街をあえて選び、移り住んだ」という著者の勇気、父親としての責任感の重さには敬意を表するが、それ以上に新しい環境に順応し、さまざまな問題を乗り越えていった、子どもたち二人に敬服する。

 この本はそんな「信じられないドラマ」をありありと伝えてくれるものの、決してプラハのシュタイナー学校の珍しさだけをリポートしているわけではない。教育の本質や日本の教育のあり方を深く考えさせてくれる。
 
 シュタイナー教育は、「人間の成長を7年周期でとらえたうえ、年齢に応じた教育をすべきであるとする」「第一期は0~7歳で、人間にとって意志の成長が育まれる時期とされる。同様に第二期(7~14歳)は感情の成長、第三期(14~21歳)は思考の成長の時期にあたる」。

 「プラハのシュタイナー学校では小等部の5年間は第二期に、中等部の4年間は第二期のまとめと第三期への移行期にあたるわけだ」。
 
 長男のヒラク君が日本と同じ学年にあたる7年生、長女のツドイちゃんが1学年下げた4年生に転入した。
 
 「シュタイナー学校には教科書というものがない」「黒板に先生の書く文章や図、絵などを写すノートがそれに代わる」「このノートは多彩な色画用紙を表紙に、罫線のないわら半紙をホッチキスで綴じたシュタイナー学校特製のものである」「あたらしいエポック(集中授業)がはじまるときなどに、先生から配られる」。

 「シュタイナー学校では最初の1時限目、エポックと呼ばれる独特の授業ではじまる」「算数なら算数、歴史なら歴史と、同じ授業を毎日、1ヵ月程度続けるのである」「エポックの授業は8時30分から10時30分までのたっぷり2時間」。

 日本の授業では「公式や年号、人名、漢字など、授業を通じて多くのものを覚えていく必要がある。学習する内容をしっかり覚えなくてはならない『記憶型』と呼ぶべき授業」「学んだことをきちんと覚えているかどうかのテストがあり、その結果にもとづいて成績がつけられる」。
 しかし、「シュタイナー学校で導入されているエポックは、その逆に『忘却型』というべきものである」「子どもたちが忘れてしまうことを前提に授業をしているのだ。授業中もなにかを覚えておくようにとは言われないし、覚えたかどうかを確認するためのテストもない。忘れていくなかでも、本当に大切なことや興味深いことなどはしっかりイメージとして記憶に刻み込まれる」「大切なのは、ずっとそれを忘れないようにすることではなく、いかに思い出すことができるかである」。

 例えば、古代ローマ帝国の歴史を学ぶエポック。「小学校6年生の授業なのでローマ帝国の大枠が伝わればそれでよさそうなものだが、日本で使われている高校生向けの世界史の教科書よりも細かく、深い内容まで教えている。それでも生徒は音を上げることはなく、興味を持って授業を受けていた。…授業に出てくる年号や人名、地名などを記憶することは求められていないからだろう。…あくまで歴史の流れがつかめればそれでよいのだ」。

 「シュタイナー学校の教え方は、先生に求められるものがおのずと大きくなり、レベルも高くなる」「教科書を使わないため、内容も質も先生次第だ」「うまくいけばイメージが流れるように子供たちの頭の中を駆け抜けていくことだろう。しかし、もし中途半端な付け焼き刃の知識で授業に臨んだら、授業の内容は支離滅裂なものになりかねない」「一筋縄ではいかない、むずかしい授業なのである」。
 「こうした困難に立ち向かう原動力は、教師と言う職業に対する高い意識と、親が子どもを育てるような熱意や信念にある」。
 「シュタイナーの考えた教育論とは、結局、教師という職業の心髄なのではないだろうか」。

 シュタイナー学校は生徒を数字で評価しないのも特徴だ。
 「通知表にも数字による評価はなく、なにをどのように理解し、問題はどこにあるかなどが具体的に言葉で示される」
 日本のように「テストで何点とるかよりも、なにをどのように理解したのか、そして理解していないのか、自分で知ることを重視しているのである」。
 日本では二人の子どもはテストの点数が悪いと、親に隠していたらしいが、「本当はできなかったテストを見直し、なぜ間違えたのか、なにが理解できていないのか、確認していくべきなのである」。

 シュタイナー教育では父母が積極的に教育に参加する。
 父母会は、「この学校では月1回という、父母会にしては頻繁と思えるペースで開かれ、しかも時間をかけていくつもの話題について話し合う」。

 増田氏は「シュタイナー学校というのは実は教師と親のための学校ではないかと感じることがある」と振り返る。「それはシュタイナー教育というものが、学校や教師からなにかを一方的に与えられるものではなく、学校という場で教師と親と子どもが一体となってつくっていくものだからなのだろう」。
  
 なぜ、日本を離れてプラハで学ぶことになったのか、チェコ語にもがき苦しみながらも克服していく二人の様子、理想と現実のズレとそれを埋めようとする教師の努力などにも心が動かされた。

 増田氏は最後に言う。「いつしかなかなか先の見通せない時代になった。そんななか、ぼくら4人の家族が日本を離れ、プラハの街で一緒に暮らした日々は、かけがえのないものだったはずだ。ヒラクとツドイの2人がプラハのシュタイナー学校で学んだことは、これから先、きっと生きる支えになっていくことだろう」。

追記2015.5.5)増田氏の著書『棄 国ノススメ』(新評論、2015年3月11日発行)を読むと、すべてがうまくいったわけではなかったことがわかる。

 「クラスに溶け込んだのは喜ぶべきことのはずだった。しかし、実際にそうなってみると、思ってもいない事態に陥った。子どもたちはまるで自分がチェコ人になったかのように振る舞いはじめたのである」「なにをするのも自由だとばかりに、勝手気ままに自己主張を繰り返したのである。チェコのよさだと思っていた素朴さは、裏を返せばワイルドで、粗雑なことだった」。

 「プラハという街と、シュタイナー学校のもつ自由な雰囲気が子どもたちにうまく作用し、日本の学校に通ううちに萎縮していった心が少しずつときほぐされ、のびのびしはじめた。しかし、いつしか自由のもつ毒牙にすっかりあてられ、自分で自分を抑えられなくなっていた」

 増田氏自身も、ストーカーに執拗に追い回され、外国人ということで、仕事で理不尽な扱いを受け、プラハを離れ、スロヴァキアのブラチスラヴァに移り住む。そこで、「第三の目」を持ち、『棄 国ノススメ』を書くに至る。『棄 国ノススメ』の冒頭にある10の『棄 国ノココロガケ』は彼でなければ書けないリアリティのある見方であると思った。 

 しかし、国に対峙することもなく、会社でのうのうと定年まで勤め上げようとしている私には、増田氏の書いていることをきちんと理解する経験が不足していると思わざるを得ない。これから定年を迎え、会社という「保護者」を失って、はじめて、見えてくるものがあるのかもしれない。 

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必見!「アルフォンス・ミュシャ展」~2011年まで各地を巡回

 三鷹市美術ギャラリーで開かれている生誕150年記念「アルフォンス・ミュシャ展」に行った。
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 オーストリア帝国の支配下にあったモラヴィア地方(現チェコ共和国)のイヴァンチッツェで生まれたミュシャの美術作品は、プラハ旅行中、市民会館の市長ホール聖ヴィート大聖堂で見学した。ミュシャ展のカタログにある年譜を見ると、市民会館の市長ホールの装飾を手がけたのが1910年。聖ヴィート大聖堂のステンドグラスをデザインしたのが1931年。ミュシャがプラハに腰を落ち着けて仕事を始めたのが1910年だ。ミュシャは1860年生まれだから、50代になってから、祖国チェコで『スラヴ叙事詩』などチェコを題材にした作品を手がけたわけだ。

 ミュシャ展では、チェコで祖国をテーマに絵を描き始めてからの絵画、パリ時代のミュシャの華麗なデザイン、そんなデザイン画を描く前の、デッサン力を高めていた時代の作品を、一堂に集め、紹介している。ミュシャの生き様と作品の全容が分かるすばらしい美術展だと思う。

 この美術展は、日本全国を巡回する。
 すでに終わったのが【岩手】岩手県立美術館 2010年4月10日(土)~5月16日(日)
 開催中なのが【東京】三鷹市美術ギャラリー 2010年5月22日(土)~7月4日(日)
 その後は、以下の予定。
 【福岡】北九州市立美術館 2010年7月17日(土)~8月29日(日)
 【群馬】高崎市美術館・高崎市タワー美術館 2010年9月18日(土)~11月7日(日)
 【大阪】堺市美術館 2011年2月5日(土)~3月21日(月)
 【福島】いわき市立美術館 2011年4月9日(土)~5月22日(日)
 【石川】金沢21世紀美術館 2011年5月28日(土)~6月26日(日)
 
 三鷹市美術ギャラリーには初めて行った。
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 ホームページによるとーー。
 三鷹市美術ギャラリーは、「人にやさしいまちづくり」の実現を目指すための文化ネットワークの一環として、交通至便な三鷹駅前(南口)の N・E・O CITY MITAKA 商業棟CORAL(コラル)5階に平成5年10月に開館しました。
 当ギャラリーは、お勤め帰りにも立ち寄っていただけるように開館時間を午後8時までとし、施設内も外光を採り入れたオープンロビーと展示室とを割肌ストーンの大きな曲面壁で仕切り、自然に展示スペースへと誘導されるようにしました。
 近現代美術を主とした企画展示を開催し、優れた美術作品にふれ親しんでいただくとともに皆様の美術作品発表の場としてお役に立てれば幸いです。

 予想外に良い美術館だった。9-11月にミュシャ展を開催する高崎市美術館とコンセプトが似ているかもしれない。

 展示された作品を見る。
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(画像をクリックすると大きな画像で見られます)
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(画像をクリックすると大きな画像で見られます)

 「1.絵画とデッサン」を見ると、パリの自由画塾アカデミー・ジュリアン入り、さらにアカデミー・コラロッシに通ったミュシャの実力が良く分かる。
 しかし、ミュシャはパトロンからの資金援助を打ち切られ、絵画の勉強を諦めざるを得なかったという。そして、本屋や雑誌の挿絵をパリやプラハの出版社に送って生計を立てなければならなくなる。
 挿絵を描いて生計の足しにするような生活から脱することができたのは、舞台女優サラ・ベルナールのためのポスターを制作したのがきっかけだったという。

 その後、アール・ヌーヴォーの時代を代表するデザイナーとしてミュシャはパリで数々の女性をモデルにしたポスターを手がけるが、女性それぞれが個性的で、それぞれに惚れ惚れするほど美しい。デッサン力と構想力が合わさって、完成されたポスターができるのだと感じた。

 ところがアメリカ時代を経て、チェコに戻ったミュシャは、チェコ民族意識を高揚されるような絵を描き始める。この画風の違いが面白かった。

 美女の微笑みはチェコ人の厳しい眼差しに変わる。

 絵画と言うものの奥の深さを感じさせてくれるミュシャ展だった。

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ヴァーツラフ・クラウス著『「環境主義」は本当に正しいか~チェコ大統領が温暖化論争に警告する』

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「環境主義」は本当に正しいか

 プラハからの帰りの飛行機の中で、ヴァーツラフ・クラウス著『「環境主義」は本当に正しいか~チェコ大統領が温暖化論争に警告する』(2010年3月1日発行、日経BP社)を読んだ。数年プラハで暮らすM君に「プラハにあって日本にないものは」と聞いたら「自由」と言っていた。正直なところ、そのときは「本当?」と思ったが、この本を読んで、自由をようやく勝ち取ったチェコには、自由をなにがなんでも守るんだという強い意思があることが分かった。自由が「勝手」と同義語になり、本当の自由がどんどん失われている日本。この本は多くの日本人に読んでもらいたい本だ。
 
 本書の筆者紹介によると――。
 ヴァーツラフ・クラウス チェコ共和国大統領。1989年「ビロード革命」による共産党体制崩壊後、財務大臣として政界のキャリアをスタート。1991 年に市民民主党を結成し、2002年まで党首を務める。1992年に総選挙で勝利し、チェコ共和国首相に就任。1997年に内閣総辞職、翌1998年の総選挙では第一党の地位を奪われ、下院議長に就任。2003年にヴァーツラフ・ハベルの退任に伴い第2代大統領に就任。プラハの経済大学で学び、経済学の博士号を持つ。

 まず、注意しなければならないのは筆者が「環境保護には『賛成(イエス)』だが、環境主義には『反対』」と言っていることだ。環境保護に反対をしているわけではないのだ。
 「必要もないのにつけっぱなしにしている明かりのスイッチは切ろう。暖房のきかせすぎ、またはもっといけない冷房のきかせすぎで、エネルギーを無駄にするのはやめよう。・・・」と筆者は言う。
 筆者が問題にしているのは「環境主義」だ。
 「古典的自由主義者たちは、20世紀の終わりから21世紀の初め、自由、民主主義、市場経済、繁栄への最大の脅威が、もはや社会主義ではないと主張している。・・・しかし、代わりに現れたのが、・・・環境主義者のイデオロギーなのである」「環境主義とは、その結果がどうなるかなどおかまいなしに、人間の生命を犠牲にし、個人の自由を厳しく制限することで、世界を根本的に変えようとする運動である」「環境主義は、実際には、自然科学とはまったく無関係なものだ」「環境主義者の自然にたいする態度は、マルクス主義者の経済に対する態度とそっくりだ。・・・どちらも自由で、自発的に進化していく世界(そして人類)を否定しているからである。・・・中央集権的に、・・・地球規模(グローバル)で、世界を最適な状態に創る計画にに取り替えようとしているのである。・・・無理やり実現しようとすれば、人々の自由は制限され、少数のエリートが圧倒的多数の人間に命令を下すという状況がかならず生まれてしまう」。

 筆者は「一流の科学者をはじめとする大勢の人が、気候変化や、その原因、推測される結果について、環境主義者とはまったく異なる見解を取っている。地球温暖化の仮説や、温暖化の問題を人間の活動と結びつけようとする仮説に、警鐘を鳴らしているのである」とし、環境主義とは異なる主張、理論、意見の紹介にかなりの紙数を割く。

 そして結論。
 「何よりも大切なのは人間が思い切り活動できる環境を保つことなのだ。・・・知識があり、合理的な―どんな天才や独裁者にも組織されていない―何百万人もの人間が行動を結集したほうが、綿密な計画によって人間社会を発展させようとするよりはるかにいい結果が得られる」「環境主義者も結局、共産主義者と同じ末路を迎えることになるだろう。(人間社会、経済、言語、法制度、自然、気候のような)複雑なシステムはすべて、無理やり管理しようとしても、かならず失敗に終わってしまう」。
 「成長こそ絶対に必要な条件なのである」「経済が成長しなければ、発生した生態系の問題に対処することはできないからだ」「経済が成長していくと、人々は生存に必要な財から贅沢品に関心を移していく。そして、この贅沢品のリストの一番上にある項目こそ環境保護なのだ!」。
 
 環境保護と環境主義の違いをおそらく考慮しないまま、日本の温暖化ガスの排出を「2020年までに1990年比25%減らす」と表明した鳩山首相。これが、日本企業の成長への足かせとなり、経費削減の大号令のなかで企業で働く人々の自由な活動が抑えられなければいいのだが・・・。
 本書の「危機にさらされているのは人間の自由のほうである」というメッセージを日本の政治家は真摯に受けとめてほしい。

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城、宮殿、教会その3 シナゴーク

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 カレル橋のひとつ北の端を渡ってユダヤ人地区へ。

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 途中、ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)の像があった。

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 ピンカスシナゴーク。すでに17時10分。見学は18時までなので大急ぎで回らなければ。
 ここでマイゼルシナゴーク、スペインシナゴーク、ピンカスシナゴーク、旧ユダヤ人墓地、クラウセンシナゴーク、儀式の家の共通券(300CZK)と撮影券(40CZK)を購入した。

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 壁の模様は実は文字。びっしり書き込まれている。

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 ナチスに殺害されたユダヤ人およそ8万人の姓名と死亡場所、死亡年月日が書き込まれている。

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 15世紀後半にラビ(司祭)、ピンカスにより建てられたが、その後何度も改築を行い現在の姿になった。

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 出口を出ると旧ユダヤ人墓地があった。

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 石板状の墓石。

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 最も新しいものは1787年の墓で、以降は新しく埋葬された者はいない。

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 旧ユダヤ人墓地を出たところに、儀式の家がある。

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 1912年に建てられた。

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 ユダヤの伝統や生活習慣が紹介されている。

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 旧新シナゴーク。これだけ別料金(200CZK)。1270年頃に建てられたヨーロッパ最古のシナゴーク。

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 アーチ状に延びる梁が印象的。

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 祭壇。

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 ダビデの星が中央に描かれたユダヤ紋章旗。

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 スペインシナゴーク。1868年に建てなおされたもの。外観がスペインのアルハンブラ宮殿に似ているためこの呼び名が付けられたという。

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 アラベスク文様。

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 シナゴークごとに個性があることが分かった。
 
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 マイゼルシナゴーク。

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 ユダヤ民族に関するさまざまな品物が展示されている。
 見学中、電気が消えた。営業終了の合図だ。クラウセンシナゴークだけ、行きそびれた。

 プラハ観光終了。最終日も盛り上がった。
 M君ありがとう!

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城、宮殿、教会その2  宮殿、修道院

 城を出てフラチャヌィへ。
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 スグラフィットで装飾されたシュヴァルツェンベルク宮殿。

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 中庭。

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 ストラホフ修道院醸造所(Klášterní pivovar Strahov)で食事をとる。

大きな地図で見る

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(画像をクリックすると、大きな画像が見られます)

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 特製ビール(0.4ℓ 59CZK) Special semi-dark lager, “Amber”, non-filtered

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 Special lager (dark beer)と、チェコの名物料理、スビチコバ(Svíčková、190CZK)。
 幸せ。

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 釜。

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 ストラホフ修道院。入場料80CZK。撮影料50CZK。
 1140年、国王ヴラジスラフ二世の強力な支援によって創建。ボヘミアの学問の中心になる。

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 18世紀に作られたバロック様式の「哲学の間」は残念ながら工事中だった。

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 更に奥へ。

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 17世紀に作られた「神学の間」。フレスコ画がすばらしい。

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 裏に行くと修復前の壁も。

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 フラチャヌィ広場の隅にあるマルチニッツ宮殿。

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 スグラフィット技法を利用した壁画。

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 聖書にあるヨセフとポティファルの妻のひとこま。ポティファルの妻が、夫の留守に「私の床に入りなさい」とヨセフを誘惑し、ヨセフはそれを振り切って逃げる場面。

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 鹿の谷を通り――。

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 カレル広場へ。

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 ベルヴェデーレ宮殿。「夏の離宮」と呼ばれ、ハンガリー王とボヘミア王を兼ねていたハプスブルク家のフェルディナント一世が、1538年に愛する王妃アンナのために計画。彼の死の直前の1563年に完成した。幾人ものイタリア人庭師や建築家たちがかかわったこの離宮は、当時、アルプス以北でもっとも美しい本格的なルネサンス建築といわれた。

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 奥がダリボルカ塔。15世紀末に投獄されたダリボルという騎士の名に由来する。ダリボルは獄中でバイオリンを手にし、練習の後に名手となり、演奏により食料などの寄進を受けていたという。
 手前が火薬塔のミフルカ。

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 鹿の谷をおりて、南へ。

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 最短ルートでヴァルトシュテイン宮殿を目指す。

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 プラハ城からマラー・ストラナを見下ろす。溶岩のような作りものが見えるのがヴァルトシュテイン宮殿。プラハで最大級の宮殿。『プラハを歩く』によると、「ヴァルトシュテインは、チェコ貴族の多くがプロテスタント側であったのにたいし、ハプスブルク皇帝軍側について勝利に大いに貢献し、広大な土地を手にする。さらに富裕な未亡人との結婚によって大資産家となった。そして個人的な傭兵隊をもち、戦争のさなかプラハ一の宮殿を建て、皇帝の権力に迫るまでになった。そのためか、皇帝に、敵軍と密かに手を結ぼうとした、との疑惑を抱かれて暗殺される」。

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 下におりる道が続く。
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 館は上院になっている。

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 池。

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 噴水。

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 白い孔雀。

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 ややグロテスクな鍾乳石の壁。

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 この日はイベントが行われ、大きなソーセージとビールが無料でふるまわれていた。

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 回廊風テラスの天井にはフレスコ画が描かれている。

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城、宮殿、教会その1 プラハ城

 海外旅行とは言え、休みなしでは疲れる。前日は雨ということもあり、M君宅で休養した。そして、普通は旅の前半で回るプラハ城を帰国前日の今日、じっくり見ることにした。
 最終日はM君が付き添ってくれるので百人力だ。

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 まずは無料で入れる聖ヴィート大聖堂へ。ここは昼前後になるとものすごく混むので、昼前後は外したほうがいい。

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 『地球の歩き方』によると、「この聖堂はもともと930年に造られたロトンダ(円筒型のシンプルな教会。ロマネスク様式の典型)から始まった。やがて14世紀のカレル4世の時代に、現在見られるような堂々たる建物に改築する糀が始められた。・・・フス戦争の影響により、1420年に一旦建築が中断され、最終的な完成を見たのは20世紀に入ってから」。『プラハを歩く』によると、「聖ヴィート大聖堂の工事は、着工から完成まで600年という長い年月を要したが、一般的に大聖堂の建設は、順調にいっても200年はかかる大事業である。・・・大聖堂の建設は、少しずつ出来上がってゆく過程そのものが神に捧げる祈りである」。

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 中に入る。奥行き124m、幅60m、塔の高さは96.6m。美しい網目状ヴォールト天井。

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 19世紀末から20世紀初頭にかけて作られたステンドグラス。

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 ムハ(ミュシャ)の作品。

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 下方中央に描かれているのが『聖キリルと聖メトディウス』。

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 聖ヴァーツラフ礼拝堂。
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 聖ヴァーツラフ像。

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 パイプオルガン。

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 一部ステンドグラスでない部分も。予算不足?

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 1620年11月8日にプラハ郊外の丘「白山(ビーラー・ホラ)」で行われた戦闘で破れ、城から出るフリードリヒ5世(冬王)を描いたレリーフ。

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 銀でできた聖ネポムツキーの墓碑。

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 カレル4世の墓がある場所。

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 バラ窓。

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 アップ。

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 名所を回るチケット(350CZK)と撮影のためのチケット(50CZK)を購入。有料の展示を回る。

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 プラハ城の「黄金の小道」は、改修工事のため2010年5月1日から約1年の予定で入場中止となった。
 黄金の小道のカフカの仕事部屋をぜひ見たいと思っていたので残念。

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 隙間から覗いてみたが、カフカの仕事部屋は見えない。
 諦めて立ち去ろうとしたら関係者が一時的に柵を取り外している。しめた!と思い、「少しだけ!」といいながら、小道の方に行ってみた。

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 あった!青い建物がカフカの仕事部屋だ。

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 今は書店になっているという。

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 見学コースとして、黄金小道の代わりにロジュンベルク宮殿への入場できることになった。

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 今まで公開されていなかったようなので、ガイドブックなどに記述はなし。ただ、見るのみ。
 
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 窓から聖ミクラーシュ教会が見えた。

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 ハプスブルク家の紋章、双頭の鷲があった。

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 聖イジー教会へ向かう。

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 聖イジー教会。『プラハを歩く』によると、「プラハのロマネスク建築のなかでは屈指の美しさである。ヴラジスラフ一世によって、921年に木造で創建されたが、火事に見舞われ、1142年んい一対の塔を加えて石造で再建された。白い2本の塔が建っているが、右がわずかに太い。太い方がアダムで細い方がイヴだそうだ。・・・17世紀末には、ファサードを錆色と白で塗り分けたバロック様式につくりかえられた」。

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 馬にまたがって竜を退治する聖イジーのレリーフ。

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 静謐な石の空間。キリスト像はない。

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 半円形をしたアプス(後陣)のフレスコ画と、そこへ導かれるバロック様式の手摺りのついた階段が彩をそえる。

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 石を積んだ壁。

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 天井は木造の平天井。初期ロマネスク教会の姿を伝えている。

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 身廊と呼ばれる中央の広いホールを挟んで、左右に幅の狭い側廊がある。

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 身廊と側廊を隔てるのは、アーチをくりぬいた壁。

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 出口付近の部屋。地下にプシェミスル王家の人々の納骨堂があるといい、それに関連した装飾?

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 旧王宮。

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 ヴラジスラフ・ホール。幅16m、奥行き62m、高さ13m。柱の全くない空間。

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 花のパターンが美しい。

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 南側に付き出た部分はボヘミア行政局が使っていた部屋。

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 30年戦争のきっかけとなった「プラハ窓外放擲事件」の説明。
 1610年代に反宗教改革が再開され、カトリックはプロテスタントに対する攻撃を始めた。プロテスタントは1618年に抗議のため王宮にやってきて、国王の役人3人を窓から投げ捨てた。

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 窓から外をみると結構高い。

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 上にあがると。

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 絵画などが飾られたLudvík Wingがある。

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 「プラハ窓外放擲事件」の現場を外から見る。

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 ヨゼフ・ゴチャールの作品が展示されていた。

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 左の入口を上ると――。

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 多数の紋章が飾られた部屋があった。

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 当時の登記簿らしい。

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 奥の祭壇。

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 隣の修道院は美術館になっている。

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 後で行くベルヴェデーレ宮殿が描かれていた。

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 国民劇場の模型。

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 建物の上部に飾られる彫刻の模型。

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 聖ヴァーツラフ。

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 中庭。

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 火薬塔。中は軍司歴史博物館になっている。

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 火薬塔から見た城壁。

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 ここから銃を撃ったのだろう。

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都会の生活その2 市民会館

289
 市民会館のツアーに参加した。写真撮影を許可してもらうには別途55CZKが必要だった。
 市民会館入り口。階段をのぼったところにクロークがある。

287
 さらに階段をのぼったところにスメタナ・ホールがある。
 作曲家であるベドジフ・スメタナにちなんでこの名前がついており、プラハ交響楽団の本拠地でもある。
 スメタナ・ホールでは毎年100を超える、主にクラシック音楽のコンサートが行われている。プラハの春国際音楽祭の5月12日のオープニング・コンサートではスメタナの交響詩『わが祖国』全曲が演奏される。

245
 巨大なアーチ型の天井を支える鋼鉄のリベットによる当時では斬新な建設法が試みられている。
 中央の天井には、色ガラスと装飾格子で形作られた曲線を描く大きなステンドグラスの装飾窓があり、ホール全体に光を供給している。

246
 市民会館の中央に位置するスメタナ・ホールには1200人を収容する客席がある。

247
 バルコニー席。

249
 優美にたなびく布をまとった2人の女性像と、花でつながれている石膏の竪琴。

248
 右側のバルコニー席も同じデザイン。

250


251
 バルコニー席とボックス席の欄干を飾るのはチェコの作曲家たち。

253
 ステージの上のパイプオルガンはロマン派のもので、4814本のパイプからなり、その本数からいっても世界最大のオルガンのひとつにあげられる。
 オルガンには、スメタナのブロンズ製レリーフの肖像がかかげられている。

254
 ステージの左右を飾るのは石膏でできた彫刻群で、ラヂスラフ・シャロウン作。
 右側がスメタナの『ヴィシェフラト』。

255
 左側がドヴォジャークの『スラヴ舞曲』。

256
 夜のコンサートが待ち遠しくなってきた。

258
 カフェ Cukrárna
 スメタナ・ホールの客席の左出口から廊下に出ると、すぐそこにカフェの入り口がある。
 ここは主にバロック様式であるが(直線的デザインの椅子など)、各所にアール・ヌーボー様式も見つけることができる(金を使用した装飾、ランプやエアコンの格子部分の花柄など)。

259
 スロヴァーツコ・サロンSlovácký salónek
 モラヴィア地方の一地域である『スロヴァーツコ』の民族模様が装飾のモチーフになっている。
 このモチーフは壁の模様やカーテンの刺繍、麻や皮でできた装飾に見ることができる。

260
 金属製カタツムリのミニ噴水のついた水槽。1909年のアール・ヌーボー様式のもの。

261
 ボジェナ・ニェムツォヴァーの小サロン Salonek Boženy Němcové
 このサロンはチェコの女流作家であるボジェナ・ニェムツォヴァーの名を持ち、スロヴァーツコ・サロンとオリエンタル・サロンの間の角に位置する。
 そこには、噴水がある。噴水はカラフルなガラスをはめこんだモザイクで覆われており、白い陶器でできた真ん中の階段状の小さな滝部分は、アール・デコ調である。

262
 オリエンタル・サロン Orientální salonek
 アール・ヌーヴォーとオリエンタルな装飾がみごとに調和しているところであり、主にチェスやカードなど、ゲームを楽しむ目的で作られたサロンである。

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 窓の近くにある引き出し式の小さな机は、チェスやカード遊びのためのもの。

267
 グレーグル・ホール Grégrův sál
 このホールは19世紀における重要な政治家で、チェコ青年団の創始者の一人であり、『国民新聞』の創始者であったユーリ・グレーグル博士にちなんでこの名がつけられた。

265
 壁に据え付けてあるのはフランチシェク・ジェニーシェクの絵画(1911年)。
 これらの絵は生命の誕生から死に至るまでの過程を表している。
 左から慈悲の歌、戦争の歌、弔いの歌。

266
 天井の絵もジェニーシェクの作。
 『生命』。

268
 『詩』。

269
 『死』。

270
 グレーグル博士の胸像。

271
 パラツキ―・ホール Palackého sál
 チェコの歴史学者、政治家であったフランチシェク・パラツキーの名を持っている。
 主にホールを飾るのは、壁や天井のヤン・プレイスレルによる絵画(1910-1912)である。

272
 壁にある二つの絵画は、彼の想像による風景画である。水浴びをする少女たち。

274
 槍を手に白馬にまたがり勝利に浸る青年の姿。

273
 天井画には『少女と飛翔する鳥たち』という題がつけられている。

 次が、いよいよ一番見たかったアルフォンス・ムハ(ミシャ)が内装をした市長の間だ。
275
 市長ホール Primátorský sál
 ちょうど正面玄関の真上に位置するこの市長ホールは、市民会館の中でも造形美術的にもっとも印象的な内装を持つ。
 その装飾はすべて、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)のものである。

276
 ホールの上部全体、壁から天井にかけては、国民の根底にある伝統や歴史を彷彿とさせる、スラブ民族の団結がテーマになった絵画で覆われている。

277
 『スラブの団結』という名をもつ天井の画はスラブ民族の人々の営みが円形に描かれており、その空の中央には翼を盾にしてその人々を守っている大きな鷲の姿が見える。その天井に向かって描かれている8つの人物画は、チェコの歴史上の重要人物で、絵の下にはそれぞれの人物の性格を象徴する言葉が、ムハ独特の飾り文字で書かれている(パラツキ―・ホールからのドアに向かった右上から時計周りに)
①ヤン・ジシカ=戦いに挑む勇者
②ヤン・アモス・コメンスキー=忠誠
③ペルンシュテインのヴォイチェフ=力強さ
④ホツコ人(南西ボヘミアの国境を守っていた俗に“ドッグ・ヘッド”と呼ばれた民族)=番人
⑤ドゥバーのヤン・ロハーチ=厳格さ
⑥ポジェブラトのイジー=独立
⑦ヤン・フス=正義
⑧プシェミスロヴェツの女王エリシカ=母性的叡智

278
 壁を覆う絵。『犠牲(過去)』

279
 『自身の力(未来)』

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 『男らしさ(現代)』

281
 人物画の下にそれぞれ女性の頭が飾られている。

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283
 孔雀をモチーフに贅沢に刺繍を施したカーテン。
 面白いサイトを見つけた。ここに行けばまるで市長ホールにいるような感覚でムハの装飾を楽しむことができる。

284
 リーグル・ホール Riegrův sál
 堂々とした雰囲気が漂うこのホールは、チェコの重要な政治家で新聞記者でもあった、熱烈な愛国心の持ち主フランチシェク・ラジスラフ・リーグルの名がついている。
 壁にあるふたつの絵画にはチェコの作家をはじめ画家、作曲家のポートレートが一堂に描かれている。
 『チェコの春』と名づけられたこの写実的絵画は、1913年のマックス・シュヴァビンスキーの作品で、左の絵には5人の作家(左から)スヴァトプルク・チェフ、ヤン・ネルダ、ヤロスラフ・ヴルフリツキー、ボジェナ・ニェムツォヴァー、ユリウス・ゼイェル。右には彫刻家ヨゼフ・ヴァーツラフ・ミスルベク、2人の画家ミコラーシュ・アレシュとヨゼフ・マーネス、そして大作曲家であるベトジフ・スメタナとアントニーン・ドヴォジャークが描かれている。
 それぞれの人物が生きた年代や地域はじつはバラバラで、スメタナとドヴォジャークが一つの絵にそろって描かれているのはこの絵だけだという。
 絵画の間には、ヨゼフ・ヴァーツラフ・ミスルベク作のリーグルの胸像がある。

286
 スラトコフスキー・ホール Sladkovského sál
 19世紀におけるチェコの重要な新聞記者で、政治家でもあったカレル・スラトコフスキーの名がついたこのホールは、演説や講義を行うための構造になっており、他のホールに比べるとかなりシンプルなつくり。 

295
 ガイドツアーには地下のバーで一杯飲めるトークンがおまけについていたが、記念にトークンは持ち帰った。
 市民会館周辺はお土産屋が多い。ガラス製品などを買った後、有名な手作り石鹸の店、ボタニクス(Botanicus)に行った。
  Týn 3/1049 (Týnský dvůr - Ungelt)
 110 00 Praha 1
 Tel.: + 420 234 767 446
 Opening hours:
 MO-SU: 10.00 - 20.00

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294
 死海の泥ソープ(デッドシーマッドソープ)を買った。

296
 19時半からのスメタナホールでのコンサートまで、市民会館のカフェで過ごすことにした。アール・ヌーボー様式のカフェ。カバールナ・オベツニー・ドゥーム(KAVÁRNA Obecní Dům)。

298

297
 ハンガリー料理だが、チェコでもよく食べられるBEEF GOULASHZ(グラーシュ)を注文した。
 200CZK。もちろん、Pilsner Urquell(80CZK)も。

300
 お茶(Čaj Černý)を飲んでコンサートの開始を待つ。お茶は60CZK。

301
 残念ながらスメタナの曲は聴けなかったが、チェコでのコンサートの夜を楽しんだ。
 休憩時間にワインを飲む。

302
 夜のスメタナホール。

303
 この位置で聴いた。指揮者はバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクにそっくり。(^^♪

304
 地下鉄で帰る。

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 そうそう、こちらの地下鉄は群馬のJRと同様、扉を開くボタン付き!

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都会の生活その1 ヴァーツラフ広場

221
 今日はまず市民会館に行き、14時からのガイドツアー(180CZK)を申し込むとともに、夜19時半からのスメタナホールでのコンサートのチケットを買った。
 スメタナホールはプラハ交響楽団(FOK)の本拠地。
 今日、聴くのは――。
 Beethoven - Kaprálová - Bruckner

 LUDWIG VAN BEETHOVEN
 Coriolan, op. 62
 VÍTĚZSLAVA KAPRÁLOVÁ
 Concerto for Piano and Orchestra in D minor, Op. 7
 ANTON BRUCKNER
 Symphony No. 7 in E major

 Prague Symphony orchestra
 Conductor: Martin Turnovský
 Soloists: Tomáš Víšek (piano)
 
222
 午後の準備はOK。ヴァーツラフ広場へ。

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 聖ヴァーツラフ像の前方に、1969年1月に焼身自殺をはかったヤン・パラフの遺影がある。

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 『プラハを歩く』によると、「1968年の春から夏にかけて、チェコスロヴァキアでは、政治と経済の自由化に向けての改革が頂点をむかえた。ところが、このようなチェコスロヴァキアの情勢にたいし、ソ連共産党指導部は危機感をいだき、ワルシャワ条約機構軍に属する5ヵ国の軍隊がプラハに侵攻した。8月20日深夜から21にかけて、ソ連の戦車隊がヴァーツラフ広場を占拠し、いわゆる『プラハの春』は無残に打ち砕かれた」。
 このソ連軍の侵攻に抗議してヤン・パラフは焼身自殺した。

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 聖ヴァーツラフの騎馬像。その下には、4人のボヘミアの守護聖者―聖ルドミラ、聖プロコプ、聖アネシュカ、聖ヴォイチェフがいる。

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 彫刻家ヨゼフ・ミスルベクにより1912年に作られた。

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 『黄金のプラハ』によると、聖ヴァーツラフをめぐっては、「ブラニークの騎士」の伝説がある。
 「いつの日か、チェコ民族が滅亡の瀬戸際に立たされるほどの未曾有の危機に瀕する。敵はプラハに迫り、最終決戦がヴァーツラフ広場の端にあった馬門の前で行われる。それは大変な激戦となり、血が広場に流れ込んで溢れる。その血が、広場の聖ヴァーツラフ像を濡らすと、その像が蘇り、ブラニークの丘の方に向かって3回剣を振る。すると、ブラニークに眠っていた聖ヴァーツラフの騎士団が深い眠りから目覚め、疾風のようにやって来て、聖ヴァーツラフの指揮下に敵軍を粉砕する」。

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 国立博物館。

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 天井まで吹き抜けのホール。設計はヨゼフ・シュルツ。国民劇場も手がけた建築家だ。

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 1996年のアメリカ映画『ミッション・インポッシブル』の冒頭シーンに登場。

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 入場料は150CZK。撮影したい場合は50CZK必要。
 化石の標本などが展示されている。

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 珍しい動物のはく製も。

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 展示室と展示室をつなぐスペースでも見事な内装が見られる。

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 マンモス。

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 食事は1階のカフェでとった。

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 遠足の子供たちでいっぱいだった。

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 国立博物館からみたヴァーツラフ広場。

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  『プラハを歩く』によると、「現在、ヴァーツラフ広場を囲んでおよそ55の立派なビルが建っているが、ほとんどは、20世紀はじめの10年から15年の間に建てられたものだ」「建築された順に代表的なものを五つほどあげると、ボヘミア・ルネサンスの壁画のある『ヴィール館』、プラハで最初のアール・ヌーヴォー建物の『ペテルカ館』、後期アール・ヌーヴォーを代表する『ホテル・エヴロパ』、アール・デコの『コルナ宮殿』、同じく『ルツェルナ』などがある」。
 ホテル・エヴロパの1階のカフェに入ることにした。
 このホテルは『地球の歩き方』に載っている写真を見ると、歴史を感じさせる煉瓦色の建物だったが、パステルカラーのペンキが塗られていた。
 実はプラハはパステルカラーの建物が多い。古い建物を生き返らそうと努力しているのかもしれないが、半面、ディズニーランドのような作り物っぽい感じもする。
 プラハの人の選択なのだろうが、若い女性が好きそうなパステルカラーの街に統一してしまっていいものかどうか、考えさせられた。

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 カフェカプチーノ(50CZK)を飲んだ。

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 感じの良いカフェだったが、建築史上、卓越したものなのかどうかは正直言って分からなかった。

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 1889年に建てられ、20世紀初めにアールヌーヴォー様式に改築されたホテルとのこと。歴史を感じさせてくれるスペースではあった。

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 ルツェルナにも行った。
 アール・デコ建築。
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 ルツェルナには逆さに吊るされた馬に跨る聖ヴァーツラフ像がある。

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 批判精神旺盛な現代彫刻。作者はDavid Cernyという彫刻家。

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 カフェ・ルツェルナがある。
 Kavárna Lucerna
 Štěpánská 61, Praha 1
 224215495

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 Wi-Fiに対応。パソコンをしている人もいる。

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 アイスティーを飲んだ。40CZK。安い。

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 地元の人が愛用している喫茶店とのことだ。

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スメタナとヴルタヴァ(モルダウ)その5 ヴィシェフラットとキュビスムの家

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 ヴルタヴァ川をさらに南下する。

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 プラハ城の方を見る。 

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 ヴルタヴァ川の河畔におりられるようだ。

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 人懐っこい白鳥。

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 鉄道専用の橋。

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 この橋を過ぎるとヴィシェフラットだが、その前に、キュビズムの建築を見学しよう。

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 リブシナ通りにあるベドジチ・コヴァジョヴィチ邸。ヨゼフ・ホホルが手掛けた。

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 ヴルタヴァ河岸の3世帯住宅。ヨゼフ・ホホル作。

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 窓枠部分にキュービズムが感じられる。

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 この建物を過ぎると――。

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 ヴィシェフラットの城跡も見えてくる。

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 トンネルをくぐり、左へ。

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 右へ行き、さらに大きく右に曲がると――。

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 17世紀の要塞の名残、レオポルド門がある。

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 門をくぐり――。

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 城跡に残る最も古い建物、聖マルティン教会のロトンダがある。1100年頃に建てられた円形礼拝堂。現存する中ではプラハ最古と言われる。ロマネスク様式。

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 聖ペテロ聖パウロ教会。

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 となりに著名人が多数埋葬された墓地がある。

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 スメタナの墓。

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 墓を見守るように建つ聖ペテロ聖パウロ教会。

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 ヴルタヴァ川の先にプラハ城も見える。

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 教会の近くに出口。

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 下におりる階段があった。途中の眺めも良い。

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 トンネルのかなり手前に出てきた。

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 地下鉄のヴィシェフラット駅に向かう途中、偶然、もうひとつのキュビスム建築を見つけた。
 ヨゼフ・ホホル作「ネクラノヴァ通りの集合住宅」だ。
 約70度で交わる角にベランダを配置してキュビスム効果を高めている。

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 地下鉄の駅だが、意外にも、ホテル近くのかなり高い所にところに駅があった。

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 帰りにプラハ本駅に立ち寄った。

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 アール・ヌーヴォー様式の華麗な丸天井が有名だ。

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 プラハは改札にだれもいない。

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 たまに抜き打ちで、乗車券、定期券を持っているかをチェックするのみで、チケットの出し入れが不要なのが楽だ。

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 駅に着いてもさっと出られる。


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スメタナとヴルタヴァ(モルダウ)その4 新市街市庁舎とダンシング・ビル

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 ウ・フレクーの開店がまだだったので、この店の東にある新市街市庁舎に行った。ルネッサンス様式の切り妻屋根が特徴の現在の姿になったのは16世紀後半。
 1419年にフス派のリーダーであるヤン・ジェリヴスキが押し入り、フス派を迫害する13人の議員を窓から放り出すなど、さまざまな歴史的事件の舞台となってきた。

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 カレル広場。幅約50m、長さ約150mの広場。かつては牛市場として整備された場所だ。

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 ヴルタヴァ川にかかるイラーセク橋に向かった。そのたもとにある、ダンシング・ビル(ダンスをするビル)を見るためだ。

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 アメリカの建築家、フランク・O・ゲーリーとユーゴズラヴィアからの亡命者、ウラジミール・ミルニッチが設計。保険会社のオフィスとして建てられた。

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 本当にダンスをしているように見える。
 この後、ウ・フレクーへ。

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 ウ・フレクーで食事後、新市街市庁舎に行き、塔(高さ42m)に上った。50CZK。
 エレベーターはない。ここから上りなさいと矢印に促される。

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 階段を上るのは大変だが、途中、階段を上り続ける映像を流す現代アートの展示があった。ウイットに富んでいておかしい。

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 そのほかにも、各階に現代アートの展示があった。

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 頂上に近づく。

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 なんと部屋が!これも現代アートか。

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 ここに人が住んでいるわけがない(笑)。

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 塔の上からみたカレル広場。

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 旧市街も良く見える。

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 国民劇場。

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 鐘もあった。

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 再びヴルタヴァ川に戻る。ダンシング・ビルを背景に面白い記念撮影を撮ろうとしている女性たち。

 ヴィシェフラットに向かう。 

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