川越市その2 川越大師 喜多院

 蔵造りの町並みから南へ10分ほど歩いたところにある川越大師 喜多院(埼玉県川越市小仙波町1-20-1、049・222・0859)に行った。

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 川越大師 喜多院のホームページによると――。
 川越大師喜多院は、仙芳仙人の故事によると奈良時代にまでさかのぼるかもしれません。伝えによると仙波辺の漫々たる海水を法力により除き、そこに尊像を安置したといいますが、平安時代、淳和天皇の勅により天長7年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り、無量寿寺と名づけました。
 その後、元久2年(1205)兵火で炎上の後、永仁4年(1296)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、慈恵大師(元三大師)をお祀りし官田50石を寄せられ関東天台の中心となりました。
 正安3年(1301)後伏見天皇が東国580ヶ寺の本山たる勅書を下し、後奈良天皇は「星野山-現在の山号」の勅額を下しました。更に天文6年(1537)北条氏綱、上杉朝定の兵火で炎上しました。
 慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継ぎますが、慶長16年(1611)11月徳川家康公が川越を訪れたとき親しく接見しています。そして天海の意見により寺領4万8000坪及び500石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、又4代徳川家綱公のとき東照宮に200石を下すなど寺勢をふるいました。
 寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立)を除き堂宇はすべて焼失しました。そこで3代将軍徳川家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てました。家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためです。その他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの現存の建物を数年の間に相次いで再建し、それが今日文化財として大切に保存されています。
 尚、明治維新の神仏分離令からは東照宮、日枝神社は別管理となっています。
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 山門 (国指定重要文化財)。
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 ”宣伝”は少し控えめにした方がいいのでは・・・。
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 慈恵堂(本堂、県指定有形文化財)。

 客殿・書院・慈恵堂・五百羅漢は拝観料(400円)を払って見学できる。
 拝観時間は、3月1日~11月23日が平日 8:50~16:30、日祝8:50~16:50。
11月24日~2月末日が平日8:50~16:00、日祝8:50~16:20。
 客殿には、徳川家光誕生の間・湯殿・厠(国指定重要文化財)、書院には、春日局化粧の間 (国指定重要文化財)がある。これらは撮影不可。
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 庭園は美しかった。
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 小堀遠州流東好み枯山水書院式平庭「曲水の庭」。
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 慈恵堂(本堂)に繋がる渡り廊下。
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 渡り廊下から見た本堂。
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 多宝塔 (県指定有形文化財)も見える。
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 本堂から見た渡り廊下。その先に轉合(てんごう)の庭がある。
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 大石三石の一つ。信長(上を向いて前進した姿)をかたどっている。
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 秀吉(大きく物欲的)をかたどった大石。
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 家康(時機を伺う姿)をかたどった大石。

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 五百羅漢。
 ホームページによると――。
 川越の観光名所の中でも、ことのほか人気の高い喜多院の五百羅漢。日本三大羅漢の一つに数えられます。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。
 十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。
 笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をした羅漢様がおられます。そして、いろいろな仏具、日用品を持っていたり、動物を従えていたりと、観察しだしたらいつまで見ていても飽きないくらい、変化に富んでいます。
 また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています。
 羅漢(らかん)ってなあに?
 阿羅漢。略称して羅漢という。漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味です。

 独断と偏見で選ぶ、羅漢ベスト10!
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 経営者羅漢。こういう経営者に会ったことがある。
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 鼻くそほじほじ羅漢(笑)。
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 暗~い羅漢。
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 だめだこりゃ、羅漢。
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 火、消し忘れたかも(不安)。セコム羅漢。
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 合わせる顔がない。絶望羅漢。
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 がははは。馬鹿笑い羅漢。
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 ちょっとだけよ。何見せてるの?羅漢。
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 「ちゃんと揉んでよ」「もう、疲れたよ、おまえ」~夫婦羅漢。
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 世間話羅漢。和気あいあい♪

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川越市その1 蔵造りの町並み

 夏休み。群馬に行こうとクルマに乗ったが午前中から大渋滞。予定を変更、所沢ICでおりて、川越市に向かった。川越市はNHKの連続テレビ小説『つばさ』のロケ地。以前一度訪ねたことがあるが、また、行きたくなった。 
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、埼玉県川越市は「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われたという。
 喜多院には江戸城の建物の一部が移築されている。松平信綱・柳沢吉保といった江戸幕府の重臣や親藩が藩主を務めた川越藩の城下町でもあり、幕府との関係は深かった。
 まさに小江戸という通称がふさわしい川越市。市街地の一角には、「蔵造りの町並み」が残っており、平成11年12月には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
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 川越市のホームページによると、「川越市川越伝統的建造物群保存地区は、札の辻を北端とし、仲町を南端とする中央通り沿いの南北約430m、東西約200m、面積約7.8haの範囲で、近世初期以来の十ヶ町四門前の町人地の枢要部を占めている。地区内では江戸時代から蔵造りの町家が一部建築されていたが、明治26年(1893)の大火後、その復興にあたって、商人たちはこぞって防火性能の高い蔵造りを取り入れ、地区内には明治40年(1907)頃までに重厚な蔵造り町家の立ち並ぶ町並みが形成された。さらに、大正以降近代洋風建築や洋風外観の町家等も加わり、各時代の特色を反映した建築が共存するようになった」という。
 市役所に立ち寄り、観光パンフレット「小江戸川越見る遊ぶ」などの資料をもらって、札の辻から歩き始めた。
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 通り沿いには、三十数棟の蔵造りの商家が軒を連ねる。
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 時の鐘。川越市のホームページによると、「時の鐘は、寛永年間(1624年~44年)に川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれています。現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。 3層構造の塔で、高さ約16メートル。寛永の創建からおよそ350年間、 暮らしに欠かせない「時」を告げてきた川越のシンボルです。 現在、1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)、蔵造りの町並みに 鐘の音を響かせています。平成8年6月、時の鐘は環境庁主催の残したい『日本の音風景百選』に選ばれました」。

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高井鴻山記念館(長野県小布施町)

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 北斎館で画狂老人の作品を楽しんだ後、高井鴻山記念館(長野県上高井郡小布施町大字小布施805-1、026・247・4049)を訪ねた。

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 東門から入った。
 この記念館は、高井鴻山の隠宅翛然楼(ゆうぜんろう)など、現存する邸宅の一部を修復したもの。もと高井家は、間口30間(54m)奥行き80間(144m)の広大な屋敷に、本宅をはじめ蔵などが軒を連ねていたが、明治11年の火災その他の事情で多くを失った。

 パンフレットに高井鴻山、北斎と鴻山の関係について詳しく記述していた。
 高井鴻山とは・・・ 高井家のルーツから華やかで多彩な生涯
 高井鴻山 (文化3年~明治16年/1806~1883) 鴻山は幕末維新の激動期に、その時局の変化に対応しつつ、陽明学の教え知行合一の精神で"国利民福"の信条をつらぬいた人である。
 15歳から16年間、京都や江戸への遊学で、各界第一人者から多彩な学問や芸術を修め、自由で幅広い人脈を築いた鴻山は、父の死により高井家の当主となってからも、学問思想に情熱を傾け、佐久間象山をはじめ当時の日本史を彩った思想家や文人たちとの交流において、鴻山もまた日本の行く末を憂い、巨万の財力を惜しみなく使い、幕末の変革に関わったのである。
 また、江戸の浮世絵師葛飾北斎など多くの文人墨客を招き、小布施を文化の香り高い地に育み、飢餓には窮民を救い、維新では教育立県を強調し、東京や長野に私塾を開いて教育活動に専念したのである。
 高井家
 高井家は元和年間(1615~24)に浅間山麓の市村より移住。その後、六斎市を背景に北信濃きっての豪農商となり、飯山藩や京都・九条家などの御用達を勤め、小布施を拠点に、信州はもとより江戸、京阪、北陸、瀬戸内までも商圏とする大きな商いを展開した。そして、築いた巨万の財を惜しみなく困窮者の救済に当てた。
 鴻山の祖父は、天明の飢餓に倉を開き窮民を救ったので、その功績が幕府に認められ「高井」の名字と帯刀を許されたのである。
 このように高井家は、大実業家であると共に、慈善家としての家風も受け継ぎ、庶民のリーダーとして社会に深く関わってきた。この家風は鴻山の生き方の根底になっていたといえる。
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 北斎と鴻山 ふたりをめぐる人間模様
 江戸遊学時代に交流のあった画家・葛飾北斎(宝暦10年~嘉永2年/1760~1849)が鴻山を訪ねて小布施へやって来たのは天保13年(1842年)の秋。80歳を越えた老画家が、はるばる小布施を訪れた理由には諸説あるが、天保の改革の過激な取り締まりを避け、北斎芸術の良き理解者であり、経済的な支援者としても頼もしい鴻山のもとへ、身を寄せたと考えるのが妥当であろう。北斎はその後再三にわたって来訪し、鴻山が提供した「碧漪軒(へきいけん)」をアトリエに、数々の肉筆画の傑作や鴻山との合作を残した。鴻山は北斎を師と仰いで尊敬し、北斎は鴻山を「旦那様」と呼ぶ、折り目ある交流が続いたと伝えられている。

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 歩廊。
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 北斎の画稿のコピーが飾ってある。
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 画稿の絵葉書。色の指示などがあって面白い。
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 翛然楼。この建物は、鴻山の祖父作左衛門(宝暦3~文政9・1753~1826)の時代に建てられたものといわれ、鴻山はこれを「翛然楼」と名づけて書斎として使用していた。
 「翛然」とは、「物事にとらわれず思いのままに進退する」という意味がある。中国明時代の文人、陳文燭(ちんぶんしょく)の書斎「翛然亭」にあやかって名づけられたものと推察される。
 鴻山はここで、書画や読書に専念し、あるいは葛飾北斎をはじめ、訪れてくる文人墨客と語り合い、また佐久間象山ら幕末の志士たちと国事を論じたのである。
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 碧漪軒。碧漪軒は、天保13年(1842)、江戸からはるばる鴻山のもとを訪れた浮世絵師葛飾北斎のために、建てられたものである。
 「碧漪」とは、青いさざ波という意味である。室内の床の間落し掛け上部の壁は、貝がらの付着した船板が用いられている。
 北斎はここに滞在して構想を練り、絵の制作にあたったといわれている。
 建てられた当時の場所が明らかではないが、「碧漪軒」と書かれた額が残されている。
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 文庫蔵。鴻山は京都や江戸での修学時代はもとより、小布施に帰ってからも書物の収集に務め、学問に励んだ。
 鴻山の収書は、国学・漢学をはじめ、蘭学・歴史・地理・化学・本草学・生理学・天文学・数学等、学問のあらゆる分野にわたっている。
 この庫は鴻山の書斎「翛然楼」に隣接し、文庫蔵として使用されていたものである。
 ここには、万巻の書物が満たされていたと伝えられるが、明治11年の火災やその他の事情で、一部を残して散逸した。
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 翛然楼は室内も見学できる。写真は2階からみた外の風景。
 幕末から維新にかけて多くの志士が翛然楼へ鴻山を訪ねて国事を論じたとされている。特に佐久間象山とは交情極めて厚く鴻山を月に数度も訪れたといわれている。
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 翛然楼へは、多くの志士が訪れ国事を論じたと言われ、身の安全を考えてとっさの間に逃れる仕掛けを工夫した。一見押入れに見せて中に二重の床板を張りその中にかくれて下におり、逃げ穴を通って本宅と表の座敷へ逃れることができた。
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 正門。
 開館時間は午前9時~午後5時(4~9月は午後6時まで時間延長)。休刊日は年末12月29日~12月31日。
 入館料は300円

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北斎館(長野県小布施町)

 北斎館(長野県上高井郡小布施町大字小布施485、026・247・5206)に行った。

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 パンフレットの説明。
 小布施は、江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)が晩年に逗留し、画業70年の集大成をはかった特別な町です。
  北斎は80代半ば、郷土の豪商・高井鴻山(1806~83)の庇護のもとに、岩松院や東町・上町祭屋台の天井絵を描き遺しました。 当時の小布施は、繁栄を誇り、北斎をはじめ当代の文人を惹き付ける魅力ある町でした。
  北斎館は、これらの天井絵をおく二基の祭屋台と、長く大切に受け継がれた肉筆画をもって、昭和51(1976)年11月に開館しました。肉筆画を中心に、版本や錦絵など、北斎の画業を広くご覧いただけます。

 画狂老人卍の号で描いた絵も多く、北斎のユーモア、自由な精神が感じられた。

 気に入った絵の絵葉書を買った。
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 西瓜と包丁。おいしそう。
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 菊。立体感がある。
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 富士越龍。九十老人卍筆とあり、絶筆に極めて近い制作として注目されている。

 入館料500円。開館時間は午前9時~午後5時 (4月~9月は午前9時~午後6時)。休館日は12月31日。

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善光寺(長野市)

 5時過ぎに起きて、善光寺(長野県長野市元善町491、026・234・3591)に行った。

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 第1駐車場(境内北西)、第2駐車場(境内西)、第3駐車場(境内北東)、第4駐車場(境内西)があり、駐車料金はどこも2時間まで500円だが、せっかく善光寺をお参りするならば、参道を歩いて行きたい。そこで、南にある大本願駐車場(やはり2時間まで500円)にクルマをとめた。
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 善光寺参道(敷石)。正徳4年(1714年)に完成。長方形の石が約7000枚が敷かれている。
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 仁王門。大正7年(1918年)に再建。定額山の額は伏見宮貞愛親王の筆。
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 仁王像は近代彫刻の巨匠、高村光雲と米原雲海の合作。
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 早朝(5時45分)だが、ツアー客もいた。
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 仲見世通り。
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 駒返り橋通り。
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 六地蔵。説明書きによると、「六地蔵は、われわれ衆生が輪廻を繰り返す六つの世界(六道)に現れ、迷いや苦しみから衆生を救ってくださる菩薩です。向かって右から、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界の地蔵菩薩です。地獄界の地蔵菩薩が蓮台から片足を踏み出しているのは、一刻も早く衆生を救いに行こうというお気持ちの顕れだと言われています」。
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 濡れ仏(重要美術品)。説明書きによると「享保7年(1722年)に完成した、高さ約2.7メートルの延命地蔵菩薩像です。六十六部(日本全国を行脚する巡礼者)の供養のため、法誉円信が広く施主を募って造立したものです。江戸の大火の火元として処刑され、のちに歌舞伎や浄瑠璃の題材となった「八百屋お七」の冥福を祈り、恋人の吉三郎が造立したという伝説もあります」。
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 山門(山門)。重要文化財。寛延3年(1750年)に完成した、2層入母屋造りの門。
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 本堂。
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 左手に親鸞聖人像。説明書きによると「鎌倉時代、浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、越後から東国への旅の途中で善光寺に参詣され、善光寺如来さまの御前に松の枝を供えられたと言われています」とある。
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 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「善光寺(ぜんこうじ)は、・・・天台宗大勧進と浄土宗大本願からなる両派の仏教寺院」。「日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている」。
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 善光寺住職は、毎日早朝に行う法要(お朝事)のために本堂へ向かう行き帰りに、参道にひざまずく参拝者の頭を数珠で撫でて功徳を授ける。写真は浄土宗の住職のお上り。
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 写真は天台宗の住職のお下り。最後に数珠で撫でてもらった(^^ゞ。

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「父親たちの星条旗」

 ついにアナログテレビが壊れ、デジタルハイビジョンプラズマテレビを買った。PanasonicのVIERA。42型だが、一年前の旧機種ということでヤマダ電機で約20万円で買えた。
 昨日、設置。最初に見たのが松坂大輔(ボストン・レッドソックス)が8回を0点でおさえた一戦。外野フライが飛ぶと、球場が広く見えた。
 ただ、なかなかハイビジョンに向く番組がない。チャンネルを替えているうちに、はまったのがお試し放送のスター・チャンネル。やはり映画は迫力がある。

 今日は、「父親たちの星条旗」を見た。関連作品の「硫黄島からの手紙」をすでに見ていたので、とても面白かった。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、『父親たちの星条旗』(ちちおやたちのせいじょうき、Flags of Our Fathers)は、2006年公開のアメリカ映画。監督はクリント・イーストウッド。ジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズによる『硫黄島の星条旗』をポール・ハギスらが脚色。製作にはイーストウッド率いるマルパソ・カンパニーの他、スティーヴン・スピルバーグ率いるドリームワークスも参加している。第49回ブルーリボン賞および第30回日本アカデミー賞最優秀外国作品賞受賞作品。
 太平洋戦争最大の戦闘とされる硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」のアメリカ側視点の作品である。硫黄島での死闘と戦場(摺鉢山の山頂)に星条旗を打ち立てる有名な写真の被写体となった兵士たちのその後などが描かれる。2006年10月に開催された第19回東京国際映画祭においてオープニング作品として上映されたのち、10月28日に全国公開された。同年12月に日本側の視点で描いた『硫黄島からの手紙』が連続公開された(ただし、この連続公開は日本とアメリカにおいてのみ)。
 戦闘シーンの撮影は、アイスランドのレイキャネスで行われた。硫黄島のような黒い砂浜を再現でき、大がかりな土木工事や大砲・銃火器の使用許可といった困難な条件を克服できる貴重な場所であった。
  ストーリー:ウィスコンシン州で葬儀屋を営む老人が長い人生に別れを告げようとしていた。彼の名はジョン・“ドク”・ブラッドリー。1945年彼は海軍の衛生兵として硫黄島に赴き海兵隊と共に戦った。その中で撮られた一枚の写真により、彼はアメリカ中から“英雄”と称えられた。しかし彼はその後も、家族へ硫黄島について語ろうとはせずアメリカ中に知れ渡ったこの写真について何も語ろうとはしなかった。硫黄島で何があったのか、彼の息子・ジェイムズは硫黄島の真実について辿り始める。
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 無料キャンペーン画面なので、PRの文字が消えない(笑)。
 圧倒的な戦力を持つアメリカ軍だが、ゲリラ戦を仕掛ける日本軍は"見えない敵"として不気味だ。奇襲を受け、どんどん仲間が死んでいく。手りゅう弾で自害する日本人。その死骸はオカルト映画だ。戦闘を逆に見ると、こういうことなのだろう。
 衛生兵の役割のクローズアップされていた。衛生兵一人が死ぬと他の兵士1ダースが死ぬといわれる大事な役割の兵士だ。助からなくても衛生兵に手当てされ、見取られると、「大丈夫だ」「平気だ」と言いながら、安心したように死んでいく兵士たちが多かった。
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 恐怖の中、何とか生き延びた兵士が摺鉢山の山頂に星条旗を立てる。実は最初の星条旗は米国のお偉いさんが記念に持ち帰ってしまうので、写真に写ったのは代わりの星条旗なのだが、その写真が全米の新聞で大きく取り上げられ、写真に収まった6人が後に英雄としてたたえられ、生き残った3人は、国債調達のキャンペーンに駆り出される。

 戦争の現場が正しく伝えられないのは日米とも同じ。しかし、観点の違いでまったく違う映画が出来上がったのは面白い。

 無料16日間キャンペーンに申し込んでしまった。これが1年契約となり、ずっと続くのだろう。

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映画『クライマーズ・ハイ』


 映画『クライマーズ・ハイ』を見た。
 配給 : 東映、ギャガ・コミュニケーションズ
 上映時間 : 145分
 監督・脚本 : 原田眞人
 原作 : 横山秀夫
 脚本 : 加藤正人、成島出
 出演 : 堤真一、堺雅人、尾野真千子、高嶋政宏、山崎努

 NHKドラマ「クライマーズ・ハイ」に感動。横山秀夫の原作も読んだので、映画にはとても期待していた。しかし、土日は何かと忙しいので、なかなか見られない。そこで平日の夜、新宿三丁目のシネコン「新宿バルト9」(東京都新宿区新宿3丁目1-26 新宿三丁目イーストビル9~14階、03・5369・4955)に行って、見た。
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 新宿バルト9は、ホームページによると、「最先端のデジタル上映システムと音響設備で、臨場感あふれる作品鑑賞を楽しめ」る映画館。
 具体的には①美しさが違う、全館デジタル上映(日本初、9つのシアターすべてにデジタルシネマプロジェクターを設置。どのシアターでも、デジタル上映ならではの臨場感あふれる鮮やかな色彩をお楽しみいただけます。総席数1825席)②本物そのまま、リアルサウンド(圧縮を一切用いない、製作スタジオそのままのサウンド再生を実現した<バルトゴールドシアター>を採用。音にこだわる映画通の方の期待を裏切らない、最高水準のサウンドをご体験ください)③疲れ知らずのゆったりシート(身体工学に基づいて開発された<バルトリラクゼーションシート>を装備。心地よく体にフィットし、疲れを感じることなくシネマワールドを堪能できます)――などが特長。 
 初めての映画館に行けて、良かった。
 作品について。
 堤真一をはじめ、俳優は熱演だった。
 谷川岳をはじめ、映像はとてもきれいだった。
 前橋商店街をはじめ懐かしい場所がたくさん出てきて楽しかった。恐らく、あの料亭は小松ではないか。レストラン ポンチも出てきたような気がする。
 それだけでも、群馬のエンターテインメント作品としては及第点なのかもしれない。
 しかし、この映画を、原作やNHKドラマを全く見ずに、今回、初めて見た人はどう感じたのだろうか。
 例えば、悠木はなぜ、長男の淳に会おうとしなかったのか、なぜ燐太郎とは何年もしてから山に一緒に登ったのか。
 なぜ、悠木は特ダネにゴーサインを出せなかったのか。
 「オオクボレンセキ」と聞いて、すぐに「大久保連赤」が思い浮かぶだろうか。
 クライマーズ・ハイは新聞社内でのやり取りと谷川岳登山のシーンだけでも相当な時間を要する。145分では、原作で取り上げた要素をすべて盛り込むことは無理。それは分かるが、当然、伝えるべきことは伝え、そのうえで映画監督としての個性を出すべきではなかったか。
 逆に、原作やNHKドラマをしっかり記憶にとどめている私は、「映画の監督は必ずしも原作通りにストーリー展開する必要はない」ということを理解しつつも、監督が付け加えた部分には余計な枝葉が多く、原作やマスコミというものをあまり理解していないのではないかと感じた。
 NHKのドラマについて、私は、つぎのように書いた。

 原作に、悠木のデスクワークのシーンがある。
 「まずは不必要な部分をばっさり切った。次いで、危ない箇所を削り、前後を繋げながら文章を整えていく・・・中  略・・・最上級の抜きネタに贅肉はいらない。骨格だけをひたすら際立たせるのだ」
 ドラマはまさに削り込んだ原稿のようだった。悠木の子供の頃の体験、安西が倒れた理由、個々の記者のエピ ソードなどはドラマでは描ききれなかったが、かえって、切れ味鋭いストーリーになったような気がする。
 
 今回の映画はNHKドラマが削った悠木の子供の頃の体験を中心にすえていた。「お前んちの母ちゃんさ、パンパンなんだってなあ」と子供の自分に言われた記憶。それも、悠木の親子関係を描くうえでは必要なのかもしれないが、悠木と社長の関係や、特ダネを掲載するかどうか迷う場面を描く際に無理に関連付けるのはいかがなものか。
 ワンマン社長と悠木の関係は、編集と営業の対立や社内抗争の延長線で描けばよく、特ダネを掲載できなかったのは、夜回りの感触程度で「これが真実だ」と書くには対象があまりに大きく、恐怖心が出てきた故であり、母親についての記憶と関係があるとは思えない。
 
 越えなければならない山の捉え方が私と原田眞人監督とはまったく違った。原田監督はそう解釈したのだから、それでもしかたがないのかもしれない。しかし、パンパンをしていた母親の話が中心に来ると、初めて見た人は何がテーマの映画か分からなくなったのではないか。悠木が社長に寵愛され、寵愛から逃れようとしている?そこで山に登り、おりる?う~ん??
 悠木の秘密、安西の秘密、社長の秘密・・・。クライマーズ・ハイをミステリーのようにしてしまった結果、登場人物の心の動き、感情がうまく描けず、なぜ、部長と悠木は特ダネの場面で仲直りしたのだろう、なぜ佐山は特ダネの場面で逡巡したのだろうと、クライマックスでも考え込んでしまうような映画になった。

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国立新美術館(東京・六本木)でモディリアーニ展を観る

 続いて、国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)にモディリアーニ展を観に行った。
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 乃木坂駅で下車。駅と美術館は直結していた。
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 エレベーターとエスカレーターがある。
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 通路もアート。
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 美術館に入るといきなり巨大なコーヒーカップ。カフェが3つ、レストランが1つある。
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 展示室入り口。 
 面白い建物だと思うのだが、美術館のホームページを見ても、建物のデザインなどについてはほとんど触れていない。 
 国立新美術館Q&Aによると――。
Q1. この美術館は、いつ建てられたのですか。また、誰が設計したのですか?
A. 国立新美術館は、黒川紀章氏と日本設計の共同体による設計で、
  東京大学生産技術研究所の跡地に、2002年の7月から2006年5月まで、3年半余りかけて建てられました。
  地震対策や環境に配慮した構造になっています。
  地下1階・地上4階の、この美術館の延べ床面積は約48.000 ㎡です。
 とのことだ。あっさりとした説明だ。
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 今回のモディリアーニ展については、美術館のホームページの説明が分かりやすい。

20世紀初頭にパリのモンパルナスで活躍したアメデオ・モディリアーニ(1884-1920)は、エコール・ド・パリを代表する画家として知られています。しかし、モディリアーニが自らの創造の源泉として、原初的な力にあふれるアフリカやオセアニア、東南アジアなどの芸術に深い関心を寄せていたことは、あまり注目されてきませんでした。プリミティヴ美術(原始美術)の素朴で純粋な造形は、当時ピカソやマティス、ドランといった前衛的な芸術家たちが新しい表現を探求する過程で、重要な指針となりました。モディリアーニもまた、プリミティヴ美術を理知的に分析し、それを革新的な表現に結びつけた画家であったことが明らかになってきています。本展では、プリミティヴ美術の影響を色濃く示す初期のカリアティッドの作品群から独自の様式を確立した肖像画にいたるまで、幅広い作品を紹介し、プリミティヴィスムに根ざしたモディリアーニの芸術がいかなる変遷をとげたのかを探ります。 10カ国におよぶ国々から集められた作品を通して、前衛画家としてのモディリアーニの功績を一望できるまたとない機会となることでしょう。

 個性的な肖像画が並ぶ。有名な画家だが、35歳の若さで亡くなったことは知らなかった。
 妻、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像画だけが美しく、多様に描かれていたのが印象的だった。正直な画家だったのだろう。

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 国立新美術館が建設された経緯などは知らなかったが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』が詳しく書いていた。

公募団体主導の構想
この美術館の構想はそもそも、従来は公募展のために東京都美術館を使用してきた日展ほかさまざまな美術団体(公募団体)のあいだで、作品出展数に比して展示できる面積の狭い東京都美術館に対する不満と、新たな展示スペースへの要望が高まった結果生まれたものだった。
その際、都ではなく、国が全国的な美術団体のための展示スペースを整備すべきとの意見が出て、美術家や公募団体が文化庁や政党、各地方の国会議員に働きかけた結果、1995年以降、各公募団体の代表作家たちや美術評論家を中心に、国立の新美術展示場建設構想の調査がはじまる。場所は六本木の東京大学生産技術研究所(駒場に移転)の跡地があてられ、建設費は380億円を予定していた。当初はナショナル・ギャラリー(仮称)と呼ばれ、日本の芸術文化の育成・国際的な芸術情報発信拠点としての役割が期待されていた。活動内容は複数の公募展の同時並行開催と、新聞社などの主催の大規模企画展のための会場貸しとされ、美術品コレクションや学芸員は置かない方針だった。
批判
現在、日展はじめ公募団体は作家の技術を磨く場として機能してはいるが、世界の先端の美術(主に、ニューヨークを中心としてアメリカとヨーロッパなどの「アート・ワールド」から発信される現代美術)の動向と、日本の公募団体の作風や創作のバックとなる思想の有無には相当のずれが見られ、近年では公募団体から世界的に注目される作家は登場していない。このため、公募団体のための展示施設を充実させても、美術研究や美術ファンに資する展示や、国際的な情報発信は全く期待できないという批判があった。
また、施設利用料(現行の東京都美術館の、公募団体の払う使用料は比較的安い)が都美術館より高ければ団体はどこも使わず、かといって都美術館と同じ程度の使用料なら新美術館の巨額の建設費をまかなうことは何年かかっても不可能であろうという批判もある。公募団体に属さない作家からは、公募団体の政治家に対する影響力の強さを新美術館建設の真の理由と見て、税の無駄遣いとの声も上がった。
ほかに、そもそも公募団体側も国側も新美術館を通して何を実現したいのか、という展望や戦略がないまま、箱の建設のみを進めていたという、ハード面のみの重視に対する批判もある。これに関し、ナショナル・ギャラリーという名称になると、日本国外から来る観光客が、ワシントンD.C.のナショナルギャラリーやロンドンのナショナルギャラリーと同様の施設と勘違いして来館する恐れがあるという批判を受けて「ナショナル・ギャラリー(仮称)」の名称は無くなった。
ロンドンやワシントンのナショナル・ギャラリーは、貸し展示場という意味のギャラリーではなく、いずれも膨大な美術品を所蔵する国立美術館であり、研究員・展示技術者・修復技術者・外部教育担当者など有能なスタッフを抱えている。常設展だけで充実した内容を持つほか、コレクションと研究実績の力をバックに世界中から美術品を借り集めて、ある作家についての代表作のほぼ全てを集めた決定版的な企画展も開くことができる。
名称を公募した結果「国立新美術館」という名称に決定した。また、外国から美術品を借りる際に、受け入れる学芸員が必要なことや、独自の展覧会も開催すべきだとの指摘を受け、数名の学芸員を置くことになった。
開館後の課題
東京都美術館で開催してきた公募団体のうち、かなりの数が移動することになった。美術館ができた以上、各公募団体が新美術館でどのような展示を行うのか(団体以外の人々への案内・美術鑑賞教育、これまでの絵画や彫刻に拘らない作品の参加の可否)、美術館やその学芸員は各公募団体とどのように連携し意味のある活動をするのか、が問われることになる。
なお、企画展・公募展中心の「箱だけの美術館」という批判に対し、文化庁はアニメ業界や日本動画協会などを巻き込み、この美術館をアニメーションの保存・研究・上映・関連展覧会の拠点とする構想を打ち出している。
また、新美術館の重要な役割として、国内各地・国外の、過去・現在・将来に至るあらゆる展覧会に関する図録などの情報を収集・集積・研究し、来館者やウェブサイト訪問者に公開する情報収集・公開機能というものがある。図録・研究書類はライブラリに収められ来館者も閲覧でき、現在開催中や近い将来の展覧会に関しては、ライブラリに併設された「コモンズ(共有地)」という名の場所でポスター閲覧・チラシ集めなどの情報収集ができる。

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 サロン・ド・テ ロンド[2F]。巨大な逆円すいの最上部に広がる、円形(ロンド:仏語)の洗練された空間。
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 ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ[3F]。1965年以来、三ツ星を維持し続ける『レストラン ボキューズ』。ポール・ボキューズ氏の伝統のブラッスリーの味を受け継いだ、正統なフランス料理を手ごろな価格で楽しめるという店。
 閉館間際に来たため、お茶などは飲めなかった。次回はゆっくり。

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東京国立近代美術館(東京・北の丸公園)で東山魁夷展を観て花見をする

 東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)に行った。お花見に絶好の日和でもあり、帰りにお花見もしようと思ってでかけた。
 国立美術館というと、すぐ上野だと思ってしまう。平和台から有楽町線に乗り、JRに乗り換えようと池袋で降りたところで気づいた。
 最寄り駅は上野でなく、竹橋。
 また、有楽町線に乗りなおして、飯田橋経由で竹橋に向かった。
 竹橋で良かった。上野に勝るとも劣らない花見の絶好のスポットだ。
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 美術館の桜もきれいだ。
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 「生誕100年 東山魁夷展」は今日が初日。5月18日まで開催される。
 美術館のホームページによると、「東山魁夷は、明治41(1908)年に生まれ、東京美術学校の研究科を修了したのち、ドイツ留学をはさんで帝展、文展に作品を発表しました。戦後になって、代表作《道》に見られるような平面的で単純化をきわめた作風へ展開し、風景画家としての独自の表現を確立しました。そして、自然や街を主題に『生』の営みをいとおしむかのように描いた作品、祈りの風景ともいえるほどに沈潜した精神的な深みをうかがわせる唐招提寺御影堂の障壁画などによって、戦後の日本画界に大きな足跡を残しました」。
 見どころは「東山魁夷の画業を語る上で欠かすことのできない代表作、ほとんどすべてが会場に集結します。また、今まで紹介されることの少なかった作品もあわせて会場に並びます。本制作101点、スケッチ・習作53点(いずれも東京会場の出品数)を数える大展覧会は、これまでの東山の回顧展で最大規模です。東山自身が画業の転機とみとめる《残照》、東山を一躍人気作家へと押し上げた《道》、東山作品のなかで最も人気の高い《花明り》などの重要な作品が、展示替えをおこなうことなく全会期を通して展示されることも、本展の大きな特徴です」。
 美術館には出品作品リストと作品解説が無料で用意されていて、便利だった。
 最も感動したのは白夜光(1965)。1962(昭和37)年、東山はデンマーク、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーを旅行。北欧の風景画の中でも秀逸なのが白夜光だ。解説によると、「フィンランドの果てしなく広がる森と湖が、地平線近くに沈んだ太陽の薄明かりに照らされている。1年のうち長い期間を厳しい冬に覆われる北欧では、人々も自然も白夜の短い夏を謳歌する。北欧の風物の中で心を打たれるのは、こうした『過酷な条件の中での生の輝き』であると東山は述べている」。
 曙(1968)は何回か観たことがあるが、好きな絵だ。比叡山を描いている。
 白馬が登場する絵は有名だが、あまり好きにはなれない(アートショップでキーホルダーなどにするときは便利な作品だが)。山や海の風景を見て感動して、その気持ちまでもが表れているような絵が好きだ。
 会場では公式DVDが3000円で売っていた。買って得をした。国内外の写生の現場や東山が唐招提寺壁画に取り組んでいるところなどの映像があり、作品解説としてもわかりやすい。図録より、こちらの方がいいかもしれない。
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 会場から出ると正面に桜。
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 展示室の拡張、閲覧サービスのできるアートライブラリの整備、レストランやミュージアムショップの新設、休憩スペースの増設などが行われて居心地のよい美術館になったのは平成13(2001)年8月。東山魁夷展も美術館もすばらしく、リフレッシュできた。
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 帰りに北の丸公園で花見をした。
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TSUTAYA TOKYO ROPPONGI(東京・六本木、書店&喫茶店)

 TSUTAYA TOKYO ROPPONGI(東京都港区六本木6-11-1 六本木けやき坂通り、03・5775・1515)に立ち寄った。

TSUTAYA TOKYO ROPPONGI

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 1階の書店はアートやインテリア関連をはじめとした専門性の高い書籍・雑誌がそろっている。
 スターバックスコーヒーが入っており、店内のソファーで本や雑誌を読みながらコーヒーが飲める。
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 2階のレンタルビデオ・CDのコーナーではレンタルCDのリスニングができ、人気だ(写真は3月29日撮影)。
 
 営業時間は朝 7:00~朝 4:00。無休。
 2階の通路で24時間営業のスーパー、フードマガジン(03・5410・5445)ともつながっていて便利。

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