映画「三度目の殺人」

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 是枝裕和監督作品をまた、観た。「三度目の殺人」。一度殺人を犯した男が二度目の殺人を犯す。生きる価値のない男と自らを評していた男は、「三度目の殺人」が遂行される過程で、生きる意味を見出す。

 是枝監督の家族の映画のように、観終わった後、心は温かくならなかったが、誰も真実を語らない法廷でのドラマは見ごたえがあった。

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映画「ベイビー・ブローカー」

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 是枝裕和監督の「ベイビー・ブローカー」を観た。

 この映画をすごく観たいと思ったのは6月29日のNHKクローズアップ現代で、是枝監督のインタビューを聞いたのがきっかけだ。

 「ベイビー・ブローカー」は、監督以外、ほぼ韓国人の俳優とスタッフで作り上げた。

 是枝監督は言う。「良くも悪くも慣れ親しんでいるチームの中だと、あえて言語化しないでも済んでしまうことってあるじゃないですか」「もう一度こういうふうにきちんと言葉にして伝えないといけないっていう環境を経験するのは、演出家としては良い訓練だなとは思います」「この人がどう生まれてどう育ってというのは、実は普段はあまりしないのですが、あっても役者には渡さないのですが、今回は結構細かく書いて、台本に現れていない部分も含めて渡した方がいいと思ったので、そこは言葉にして渡しました」。

 そして、「ベイビー・ブローカー」は、見事、第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で、主演のソン・ガンホが最優秀男優賞を受賞。コンペティション部門の出品作のなかから「人間の内面を豊かに描いた作品」に贈られるエキュメニカル審査員賞も受賞した。

 期待通りの映画だった。

 まず、役者の演技が、とても生きる演出が目を引いた。

 最近はロケを減らすために、外のシーンもクロマキー合成を使ってスタジオで撮影することも多いが、「ベイビー・ブローカー」では釜山からソウルまで、役者が実際に車や列車で移動。最後のシーンを先に撮影するようなことはせず、ストーリーの進行とロケの順番を一致させたので、だんだん、役者たちの親密度も高まったようだ。劇場で芝居を観ているような空間が心地よかった。

 お金目当てのブローカーが、いつのまにか赤ん坊の幸せを考えるようになる。ちょっと間違えると、ドタバタ喜劇になりそうなストーリーだが、母親役のイ・ジウン、ブローカーのソン・ガンホが、シリアスさも保ってくれた。

 生まれてきたことに感謝するシーンは、当初の脚本にはなかったというが、この映画のテーマがストレートに伝わった場面だ。命という重いテーマが底流に流れ、役者が常にそれを意識して演技したことが、この映画をスケールの大きな映画にしたのだと思う。

 

 


 


 

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30年ぶりに六平直政さんが出演した新宿梁山泊「下谷万年町物語」を観る

 

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 6月19日夜、東京・新宿の花園神社境内の特設紫テントで演じられた新宿梁山泊の「下谷万年町物語」を観た。

 新宿梁山泊の創設に関わり、看板役者であるとともに代表の金守珍(キム・スジン)さんの右腕であった六平直政(むさか・なおまさ)さんが「30年ぶりの出演する」と聞いて、もうそんなに出演していなかったのか、と驚いた。テレビで活躍する六平直政さんだが、私にとっては、いつでも「新宿梁山泊の六平直政さん」だった。その六平さんが舞台に立ってくれたのが何よりも嬉しかった。ものすごい存在感だった。

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 役者の汗や表情を間近で観られる桟敷自由席の一番前に陣取った。目の前が池のセット。なんども水しぶきを浴びるが、用意されたビニールで身を守る。遊園地のような楽しさだ。

 チラシによると、

 1981年、唐十郎×蜷川幸雄×李麗仙×渡辺謙のタッグで西武劇場(現PARCO劇場)にて初演された幻想超大作に、新宿梁山泊が挑む!

 という作品だ。

 唐十郎が生まれ育った街−−男娼の巣窟〈下谷万年町〉。

 長屋にタンゴが鳴り響くと、何十人もの”オカマ屋さん”たちが歌い踊る。

 町に生きる少年・文ちゃん、オカマの”イロ”・洋一、池の中から現れる男装の女優・キティ。

 敗戦直後の猥雑さの中、底辺に生きる人間たちのたくましさ、そして夢と希望と試練−−

 哀しきノスタルジアにのせて、新宿・花園神社に〈下谷万年町〉の風が吹く!

 

 唐十郎の芝居は会社に入ったばかり、まだ関西にいた頃に下鴨神社のテントで観た。新二都物語だったか。唐十郎が役者として登場した時の異様な盛り上がりが忘れられない。

 唐十郎が主宰する状況劇場にいた金守珍、六平直政両氏が1987年6月に立ち上げたのが新宿梁山泊だ。

 六平さんとは実はテニスのサークルで出会った。文化人類学者の山口昌男さんに誘われて「テニス山口組」に参加させてもらったら六平さんがいて、宿命のライバルに(笑)。彼が唐十郎さんの流れを継ぐ役者とはまったく知らなかった。なんどか観劇をするうちにすっかりはまってしまった。

 1980年代。第三舞台、夢の遊眠舎、遊◉機械/全自動シアターなどもよく観た。小演劇花盛りの時代だったが、その中でも状況劇場の流れを継ぎ、芝居の流れやセリフはよくわからないのだが(笑)、骨があってロマンがあり右脳で感じる芝居をする新宿梁山泊が好きだった。公演後は、必ず酒盛りがあり、混ぜてもらった。

 そんななかで、「日経イメージ気象観測」という、日経データバンク局が発行する媒体(浅田彰編集長のクリエーターの目を通して時代を見る媒体)で、新宿梁山泊の核となる3人(演出家の金守珍、戯曲家の鄭義信=チョン・ウィシン、役者の六平直政)にインタビューする機会を得た。季刊の91年1月号なので、取材は90年末だと思う。

 六平さんが30年ぶりに梁山泊の舞台に出演したが、ちょうどインタビューしたのもおよそ30年前。昔を思い出すためにインタビューを再構成して紹介する。

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 まず、六平さんに「どうして役者になったのですか」と聞く。

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 6月19日夜、東京・新宿の花園神社境内の特設紫テントで演じられた新宿梁山泊の「下谷万年町物語」を観た。

 新宿梁山泊の創設に関わり、看板役者であるとともに代表の金守珍(キム・スジン)さんの右腕であった六平直政(むさか・なおまさ)さんが「30年ぶりの出演する」と聞いて、もうそんなに出演していなかったのか、と驚いた。テレビで活躍する六平直政さんだが、私にとっては、いつでも「新宿梁山泊の六平直政さん」だった。その六平さんが舞台に立ってくれたのが何よりも嬉しかった。ものすごい存在感だった。

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 役者の汗や表情を間近で観られる桟敷自由席の一番前に陣取った。目の前が池のセット。なんども水しぶきを浴びるが、用意されたビニールで身を守る。遊園地のような楽しさだ。

 チラシによると、

 1981年、唐十郎×蜷川幸雄×李麗仙×渡辺謙のタッグで西武劇場(現PARCO劇場)にて初演された幻想超大作に、新宿梁山泊が挑む!

 という作品だ。

 唐十郎が生まれ育った街−−男娼の巣窟〈下谷万年町〉。

 長屋にタンゴが鳴り響くと、何十人もの”オカマ屋さん”たちが歌い踊る。

 町に生きる少年・文ちゃん、オカマの”イロ”・洋一、池の中から現れる男装の女優・キティ。

 敗戦直後の猥雑さの中、底辺に生きる人間たちのたくましさ、そして夢と希望と試練−−

 哀しきノスタルジアにのせて、新宿・花園神社に〈下谷万年町〉の風が吹く!

 

 唐十郎の芝居は会社に入ったばかり、まだ関西にいた頃に下鴨神社のテントで観た。新二都物語だったか。唐十郎が役者として登場した時の異様な盛り上がりが忘れられない。

 唐十郎が主宰する状況劇場にいた金守珍、六平直政両氏が1987年6月に立ち上げたのが新宿梁山泊だ。

 六平さんとは実はテニスのサークルで出会った。文化人類学者の山口昌男さんに誘われて「テニス山口組」に参加させてもらったら六平さんがいて、宿命のライバルに(笑)。彼が唐十郎さんの流れを継ぐ役者とはまったく知らなかった。なんどか観劇をするうちにすっかりはまってしまった。

 1980年代。第三舞台、夢の遊眠舎、遊◉機械/全自動シアターなどもよく観た。小演劇花盛りの時代だったが、その中でも状況劇場の流れを継ぎ、芝居の流れやセリフはよくわからないのだが(笑)、骨があってロマンがあり右脳で感じる芝居をする新宿梁山泊が好きだった。公演後は、必ず酒盛りがあり、混ぜてもらった。

 そんななかで、「日経イメージ気象観測」という、日経データバンク局が発行する媒体(浅田彰編集長のクリエーターの目を通して時代を見る媒体)で、新宿梁山泊の核となる3人(演出家の金守珍、戯曲家の鄭義信=チョン・ウィシン、役者の六平直政)にインタビューする機会を得た。季刊の91年1月号なので、取材は90年末だと思う。

 六平さんが30年ぶりに梁山泊の舞台に出演したが、ちょうどインタビューしたのもおよそ30年前。昔を思い出すためにインタビューを再構成して紹介する。

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 六平「おれは芝居なんか大嫌いだった。女のやるものだと思っていた。でも唐さんの芝居だけは見ていたんですよ。唐十郎は才能あるなと思っていた。ちょうどそのころ大学院をけんかして1年で辞めて空白の時間があった。その時に朝日新聞に小さく『状況劇場スタッフ・役者募集』とあったんです。申し込んだら三次試験まで通って」

 金「僕は試験を受けても落ちると思ったから、押しかけていって彼より半年前に入っているんです。だから、六平の試験の結果もしっているんだけど、その時の芝居は下手。なぜ受かったかというと一行、履歴書に『溶接免許』とあった」

 六平「不破万作が『唐、こいつ溶接の免許あるぞ』と言ったら、唐さんが『じゃ、採れば』(笑)。だけどあそこは演劇集団でしょう。結局、役者をやらされた」

 金「でも、彼は入ってから1か月間、稽古場に一切足を踏み入れない。鉄工所へ行っていたんです。公演が始まってからは何をしたかというと、公演地ごとに徹夜で毎日穴掘り。花道の下に穴を掘って一幕から三幕までずっと穴の中にいるんです。それで一番最後に、花道から血が吹き出る場面があるんですが、その時に、彼が懸命に土の中でポンプを押して『血』を吹き上げる。一度、血が出てこなかったことがあるんですよ。寝ちゃったんです。だて2時間半も待つんですから(笑)」

 六平「暗くてさ、疲れちゃって」

 鄭「途中から入れないの」

 六平「入れないよ。花道だから」

 金「すごいやつが入ったなと思いました。音を上げないんですから。ただ、今だから言えますけど、彼は2年目の時、自分の才能の無さに落ち込んじゃって、一通のはがきが届いたんです。『一身上の都合により退団します』なんて書いてあった。3日間探しまくりました」

 六平「その話は面白いけれど、そこまで書くと誌面がなくなるから」

 金「で、いまの六平があります」

 

 1995年に鄭義信さんが退団した後、彼の戯曲の上演権を巡って、彼と梁山泊の間でトラブルが起きる。裁判については平田オリザ氏の文章が詳しい。平田オリザさんは「劇団側は、これまでの主張とともに、両作品は同劇団の役者たちの共同作品であ り、それに対し鄭氏は単なる叩き台を用意し、なおかつ役者たちの共同作業を書き留めたにすぎない と主張してきました。共同作品を巡る著作権のトラブルは、よくあるケースです。しかしながら、プロデューサーや演出 家によるアイデアの提示、俳優のアドリブの戯曲への採用などをもって『共同制作、共同執筆』とするならば、劇作家の権利はいちじるしく制限させることになります」という。

 けれど、当時のインタビューでは、なるほど梁山泊の場合は共同制作かもしれないと思われる話が語られていた。

 鄭「僕の作品の時はいつも、守珍さんと『ああじゃない、こうじゃない』と話しながら作り上げていくんです。ただ、けんかになると守珍さんの方が口がうまいから、いつも負ける。でも、本というのは役者や演出家へのプレゼンだと僕は思っているんです」

 金「しかし、僕は彼の書いたことにクレームはつけませんよ、役者を使って表現した上で、これはどうなのかと言います。僕は表現しない限り、彼には物は言いません」

−−演劇を作り上げる場合、役者も加わるわけですか。

 六平「そりゃ、自分の演技は自分で決めていかなきゃね」

 金「演出は産婆なんです。役者の産みの苦しみを少しでもやわらげてあげるのが演出の仕事です。今はあまりにも作・演出が台頭してしまって、役者にやらす前にこうやれああやれと言いすぎる」

 六平「それは役者も悪いよね。才能のある役者は自分で作るよ。『状況』の時から、ずっとそうだものね。作って唐さんに見せて、それで唐さんが『今の面白い』って…」

 金「その緊張感はすごい。そして『つまらない』と言われた時の落ち込み方」

 六平「おれは唐さんが観にきた日だけは緊張する」

−−観にきてくれるんですか。

 六平「うん。毎回来るよ。あとはだれが来ても緊張しない」

 

 戯曲家、演出家、役者が関わり合いながら芝居を作り上げていく、新宿梁山泊らしい演劇の手法があだになってしまったのはとても残念だ。鄭義信さんの作品は「千年の孤独」にしても「人魚伝説」にしても、梁山泊の個性になっていた。ファンとしては、かつての関係に戻ってほしいと思うのだが。

 もう少し、当時の彼らの話を聞いてみよう。

−−義信さんは映画青年で、映画界にもかかわったこともあるそうですが、その経験は生きている?

 鄭「映像的な劇作家だとはよく言われます」

 金「彼は舞台の機構とかを無視するんです」

−−でもやってしまう。

 金「おれたちはこいつに負けたくないから」

 六平「義信のためにやっているんだよ」

 鄭「ありがとうございます」

 六平「だからおまえだけが金持ちになったら許さんぞ(笑)」

−−金さんと鄭さんはいいコンビですね。

 鄭「守珍さんと僕は性格も両極端でよくやっているねって言われるけど、だからやれるんだなと思っています」

 金「麻植は陽で、こいつは陰なんです」

 鄭「おれが陽ですよ(笑)」

 金「彼はとにかく憂いているの。『何で』っていうぐらい湿っているんですよ。おれは湿ったのが嫌いだからドライにする。乾かない限りは彼の魅力はないわけです。おれと六平は完全に乾かす。義信は役者としてはすべてを乾かしてしまう才能があるんですがね」

 

 とても危うい(笑)、いいコンビだったと思う。だからこそ、すごい演劇が生まれたのだろう。

 その後、新宿梁山泊は看板女優の金久美子さんを2004年に癌で失う。

 いろいろなものを失ってしまった。しかし、六平さんが復帰した。

 

 金守珍、六平直政のコンビは2012年に唐作品で、共演という形で復活する。

 2012年、シアターコクーンで上演された蜷川幸雄演出の「下谷万年町物語」だ。

 宮沢りえがキティ役を演じ、オカマたちの毒気を抜いてくれたが、この芝居に、六平さんが、オカマの大親分お市の役、金さんが白井の役で熱演、さっそく二人の共演を見にいった。嬉しかった。

 そして、同じ下谷万年町物語で六平さんを招き入れた金さんの味な演出。

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 そにあたりの経緯はパンフレットに書いてある。

 梁山泊は失うものがあまりにも多かったが、これからは六平さんという相棒とともに、新しい梁山泊を作り上げていってもらいたい。

 

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映画「ひまわり」

 映画「ひまわり」Amazon Prime Videoで見た。

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 50周年HDレストア版が完成して、きれいな映像で見られるようになったらしい。そのホームページによるとーー。

 日本人が愛した、映画史に残る永遠の名作。最新のデジタル技術で修復されてあざやかに蘇る。

  見渡す限りに広がった一面のひまわり畑。ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニの競演、ヘンリー・マンシーニの甘く切ないテーマ曲に彩られた本作は1970年の洋画興行ランキング5位を記録し、イタリア映画としては異例のヒットに。以来何度も劇場公開され、そのたびに映画ファンの心をつかんできた。

 カンヌ映画祭パルムドール、アカデミー賞®外国語映画賞などに輝く世界的巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督による、涙あふれる悲しい愛の名作が、公開から50年の時を経てHDレストア版として復活。広大なひまわり畑はウクライナの首都キエフから南へ500キロほど行ったへルソン州で撮影された。東西冷戦当時にヨーロッパの国がソ連で映画撮影をすることは珍しく、積極的に映画撮影に協力した政治的背景も興味深い。

  『ひまわり』は日本はもとより、イタリア本国でもオリジナルネガが消失しておりポジフィルムしか存在しない。日本で2011年、2015年に続き今回3回目の修復を行った。最新技術を駆使し、映像に関しては画面上の傷を除去して、明るさや色の揺らぎなどの症状を改善。音響に関しては、モノラル作品でありながら、周波数ごとに音を拾い出し、最新のノイズリダクション技術で雑音を除去。オリジナルに近い仕上がりになった。現時点で世界最高のクオリティでスクリーンに帰ってくる。

 ストーリーも、同ホームページが簡潔にまとめている。

 Story

 第二次世界大戦下、陽気なアントニオ(マストロヤンニ)と結婚したナポリ女のジョバンナ(ローレン)は、夫を戦争に行かせないために狂言芝居までするが、アントニオは地獄のソ連戦線に送られてしまう。

 終戦後も戻らない夫を探すために、ジョバンナはソ連に向かい夫の足跡を追う。しかし、広大なひまわり畑の果てに待っていたのは、美しいロシア娘と結婚し、子供に恵まれた幸せなアントニオの姿だった…。

 冒頭の二人のイチャイチャぶりは引いて見ていたが、それも後半の深い悲しみの伏線だったとわかると、この映画は直球勝負なんだなと理解した。かつての名作は、こうした直球勝負の作品が多かった。改めて他の作品も見ていきたいと思った。

 ジョバンナは、普通なら夫は戦死したと諦める状況なのに、戦後、ソ連まで夫を探しにいく。そこで、夫が戦死したよりも辛い場面と出くわす。二人の運命は戦争で大きく変わってしまうのだったが、再会して、語り合ったことは、それぞれが新しい人生を生きる中でも、決して無意味な経験にはならなかったのではないか。そう思わせてくれる映画だった。

 ロシアのウクライナ侵攻がきっかけでこの映画を見たいと思った。

 ウクライナで撮影されたとされるひまわりが一面咲き乱れるシーン。ウクライナの空気感を感じることができた。 

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伝統文化と和みの広場「五月の風に吹かれてアルパの演奏で午後のひと時を」開催

 昨年12月、「 雅楽と舞の会」で楽しませてくれた特定非営利法人 伝統文化と和みの広場が、パラグアイのハープ「アルパ」の奏者、浜根未稀さんとそのお弟子さん(ミキさん)による演奏会を開催した。題して「五月の風に吹かれてアルパの演奏で午後のひと時を」。
 曲目は浜辺の歌/チヨグイ鳥/日曜日はダメよ/ケセラセラ/知床旅情/ラストダンス/銀座カンカン娘/コーヒールンバ/夏は来ぬ/蘇州夜曲

 ハープというと女神様が奏でるイメージがあるが、パラグアイでは男性が、テンポ良くアルパを弾くそうだ。本日の浜根さんらが奏でる曲は、女性ならではの優雅さ、美しさに溢れ、時間を忘れて楽しんだ。

 

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  会は代表の高橋和子さん宅の庭で開催され、演奏会の後は、ティータイムを楽しんだ。

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 伝統文化と和みの広場が、日本に限らない伝統文化と国際的なコミュニケーションの場を提案しているような会だった。

 

 

 

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知らなかった雅楽の魅力を堪能〜雅楽と舞の会

 特定非営利活動法人 伝統文化と和みの広場が開いた「雅楽と舞の会」に行った。

 11日。14時開演の30分ほど前に三鷹市牟礼の会場に着くと、立礼式の茶席でおもてなしを受けた。久しぶりの茶席、和菓子と抹茶でくつろいだ後、雅楽と舞の会場へ。

 奈良時代から今日にいたるまで、1300年間、雅楽を世襲してきた「東儀家」の東儀九十九さんと東儀雅美さんお二人の伝統の技を堪能した。

 東儀九十九さんは、世界的に活躍する雅楽師、東儀秀樹氏の母親で90歳。パイプオルガンのような形状の楽器「笙(しょう)」の重厚な演奏をこなす。常に温め、乾燥させていないと良い音が出ないと火鉢を抱えての文字通りの熱演。

 東儀雅美さんは秀樹氏の姉で高い音色が特徴の龍笛(りゅうてき)で私たちを魅了する。最初の「蘭陵王」では竜の衣装で舞ったが、龍笛に持ち替えても天空を舞うように自在に演奏をしていた。

 雅楽では最もポピュラーな「越天楽」で2人の絶妙なハーモニーを聴かせてくれたが、私たちを引き込んだのはその後だった。

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 秀樹氏編曲の「越天楽幻想曲」。洋楽と雅楽を融合させた曲は、雅楽の魅了をかえって引き出す曲。雅楽の色っぽく、奥深い調べが洋楽と一緒になって、私たちは打ちのめされた。秀樹氏作曲の「聖家族」は名曲。心が震え、涙が出てきた。

 多くは秀樹氏のアルバムで聴けるので、ぜひ聴いてみてほしい。東西の対立ではなく、融合こそが素晴らしいのではないか。日本の東西の価値を最大圏生かし、いい国になった。米中も対立を乗り越え、二つの文化を融合し、新しい地球文化を作り出してほしいものだ。そんなことを思うほど、インパクトの強い演奏だった。

 この日は秀樹氏の篳篥(ひちりき)がなかったため、それはCDの演奏で補っていたが、笙や龍笛の音もよく分かり、雅楽を少し理解できた。

 とても刺激的な1日だった。 

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ついつい歩いてしまう「ポケモンGO」、江ノ島に行く

 ポケモンは、子供に任せていたので、まったく未知のゲームだったが、トレーナーになって各地を回っている。ゴルフなどもそうなのだが、ついつい歩いてしまう。1箇所に留まるよりも歩いていた方が、ポケモンが出てくるようだ。歩くとそのキロ数で卵がかえったりするので、さらに歩いてしまう。10キロくらいは軽く歩いてしまう。

 このゲームは落ち着いてきた感じがする。JRの駅ではポケモンが出現しなくなったし、自宅近くでもほとんど出ない。自宅周辺では犬の散歩のついでにスタジアムで遊ぶくらいしかない。しっかりポケモンを集めたい人は「わざわざ、レアポケモンが出てくるところに出向く」のが基本的な行動になる。
 
 ポケモントレーナーにはどこにでも出向き、長い時間、ポケモンを探す根気と熱意と暇が必要だ。 そんな人は、そう多くないので、誰でも楽しむブームとしてのポケモンGOはそろそろ曲がり角に来ているような気がする。
 「ラプラス」というポケモンが出るというので江ノ島に行った。結論は「出なかった」のだが、他の場所にいないポケモンは多く、楽しめた。深夜早朝に遊ぶことを自粛するお願いが出ていたが、確実にレアポケモンが出るという、どっと人が押し寄せてしまうようなことは、ポケモンGOの主催者が自粛。「意外性」を重んじるけれど、「いろいろなところに行く」と「面白いことになる」確率が高いというゲームにしようとしている気がする。 

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 食事をしていたらーー。

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 ピカチューが歓迎してくれた。

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 ピカチューが何度も出てきてくれたのが収穫だった。

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誕生日に「スーパー歌舞伎II(セカンド) ワンピース」を観る

 高校の同期の飲み会の時にKさんに、「スーパー歌舞伎のワンピース、席がとれそう。だれか行かない?」と言われ、真っ先に手を挙げた。しかも、その日は誕生日。とても観たい舞台だった。公私ともに、ものすごく忙しいこのごろだったので、最高のプレゼントをもらった感じだ。

 歌舞伎はなんといっても、荒事!(元禄時代の江戸で初代市川團十郎によって創始された、荒々しく豪快な歌舞伎の演技)だと思っている。だから、そろを現代的にアレンジしてくれる市川海老蔵の芝居は大好きだ。新作歌舞伎は、「江戸時代の人たちは、はこんな感じで歌舞伎を楽しんでいたんだろうな」という感覚がわかる。教養も大事だが、それよりも当時の人たちと同じ楽しみ方で歌舞伎を観ることは、とても大事なのではないかと思う。
 で、「ワンピース」だ。これを観ないわけにはいかない。
 
 これに挑むのは、四代目市川猿之助。

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(クリックすると大きな画像で見られます)

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(クリックすると大きな画像で見られます)
 不勉強だったのだが、こうした新しい歌舞伎は、三代目市川猿之助(猿翁)が創設したらしい。筋金入りの、新作歌舞伎だったのだ。それをさらに新しく、挑戦的にということで「Ⅱ」というわけだ。二番煎じというわけではない。
 「ワンピース」がドラゴンクエストのような、仲間を集めて戦い、友情を深めていくドラマであることくらいは知っていたが、マンガを読んだことがないので、スマホソフトで、70話ほど一気に読んでしまった。

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 2話で120円だが4200円も払ってしまったわけだが、これで「ワンピースの世界観はわかった」。さあ、いよいよ、ワンピース歌舞伎が始まる!

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 新橋演舞場。開場前。

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 席は1階15列20番。ほぼ、真ん中の良い席だった。

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 開演前。ルフィの人形が出迎えてくれた。

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 映像も駆使、派手な役者たちが立ち回りを演じ、感情表現も豊か。ワンピースはまさに歌舞伎のためにあるようなマンガだ。すっかりワンピースの世界に入れた。幕間。

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 すっかり歌舞伎役者になっているワンピースのヒーローたちのお菓子がお土産売り場に揃っていた。

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 素直に楽しめるエンターテインメント。

 二幕の最後にはルフィ(猿之助)が宙を舞う(海を渡る)場面があり、ここでは会場のみんなが立ち上がり、さながらロックコンサートのように。

 歌舞伎は庶民の文化であったという。歌舞伎の真髄を見た気がした。

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 ヒーローのドラマは昔も今も変わらない。

 面白かった!

 ありがとう、ワンピース歌舞伎!

 ありがとう、猿之助!

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市川海老蔵第3回自主公演「ABKAI2015」

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 Bunkamuraシアターコクーンで、市川海老蔵第3回自主公演「ABKAI2015」を観た。千秋楽でしかも一番前の席。役者の表情、目力、汗がはっきり見える。恐らく、観た場所も良かったのだが、その体験を割り引いても、歌舞伎初心者が歌舞伎の面白さを満喫できる内容だった。1万1000円のチケットが安く感じた。

 2年前の「ABKAI」を観たが、歌舞伎十八番の「蛇柳」という古典も演じながら、新作「はなさかじじい」に挑戦。新旧織り交ぜた構成だった。今回は2作とも新作。
 演出は宮本亜門、脚本は宮沢章夫で、2年前と同じ。脚本、演出が、2年前よりこなれていて、海老蔵の見せ場も多かった。
 
 「竜宮物語」は「浦島太郎」が題材。原作は、良いことをして接待されるが、最後は、老人になってしまう、というなんとも不思議なおとぎ話だが、竜宮物語は海老蔵が乙姫を演じることで、こういう乙姫もありか、と思わせるストーリーになっていた。
「桃太郎鬼ヶ島外伝」は鬼の立場から観た、桃太郎。5レンジャーのような色とりどりの鬼たちのなかで、孤高の姿勢を見せる、赤鬼役の海老蔵は、役を演じるというより、地の海老蔵だった。オチも面白かった。
 市川一門は「荒事」で人気を博しているので、その良さがでるような2作品を選んだのだろう。素人でも「成田屋!」と声をあげるチャンスが何度もあった。
 古典の歌舞伎は、一般人が観ても言葉もストーリーもなかなか100%は理解できないため、イヤホンガイドで、実況中継付きで観ることが多いが、わかりやすいストーリーだと、イヤホンガイドは不要。歌舞伎の生の面白さ、恐らく江戸の庶民が感じた面白さを感じられる。
 新作歌舞伎が、後世になって新18番の一つになるには、もう少し、試行錯誤が必要な気はするが、歌舞伎の面白さを、若者に感じてもらおうという狙いは十分に達成できている。
 イヤホンガイドなしで、五感で歌舞伎と接することができるよう、古典の歌舞伎を観るときは十分に勉強してから楽しんでみたい。そう感じた。新作歌舞伎は入門歌舞伎としては、完成度が相当高まっている。

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高校で美術を習った佐藤先生の個展で、絵を買う

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 新年は毎年、高校で美術を教わった佐藤美智子先生の個展がある。

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(クリックすると大きな画像で見られます)
 今年も東京・有楽町の「ギャラリー日比谷」で開かれ、最終日に訪ねた。
 今回がなんと、49回目!

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 母校で20年も教えていたため、毎回、教え子らが多数訪れる。

 佐藤先生は一昨年、足を挟んだまま脚立から落下。足を骨折して、要介護2になってしまったが、入院せず、取材旅行を続け、昨年も個展を開催した。

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 その時の案内のはがきがこれ(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 2013年11月。杖をつかなければ歩けなかったが、制作に没頭していた。

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 昨年も元気に個展を開催した。

 今回は新作は12点にとどまったが、教え子たちがデビュー作を倉庫から“発掘”。充実した個展になった。

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デビュー作、末人の海A(1961年)
 「ツァラトゥストラ」の中で、ニーチェが「何の目的もなく、人生を放浪し、生をむさぼるだけの人間」としたのが末人。
 太平洋美術展で文部大臣賞を受賞し、安井賞候補新人展に出品された。54年ぶりのお目見えという。

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デビュー作、末人の海B

 そして、今年の新作。

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 絵と言うのは不思議なもの。間近で見ていたら、そんなにいいとは思わなかったのだが、数メートル離れて見ていたら、この絵と心が通った。

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 購入することにした。高価な絵を買うのは初めてだ。12万円。

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 先生も一番気に入っていたという絵。

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 お金を振り込み、最終日なので、絵を外し、梱包してもらった。

 お金を払って絵画を抱えて帰宅するとき、とても嬉しかった。気に入った絵を買ったときに感じる満足感というものを初めて知った気がする。

 佐藤美智子先生の略歴は以下の通り(クリックすると大きな画像で見られます)。

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