落合恵子著『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書)

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 落合恵子著『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書、2012年8月22日発行)を読んだ。

 一篇の詩、一冊の絵本がこんなにも力を持っているのか、と思わせる作品を紹介している。「本書が、あなたにとって、再生に向けての小さな『生の球根』になってくれたら……。」と落合さんは言う。

 詩人・長田弘さんの花を持って、会いにゆく」という詩の一節を紹介、「そうだったのだ、『けっしてことばにできない思いが、ここにあると指すのが、ことばだ』ったのだ。何もかも言葉にかえることはないのだ、と詩人の『ことば』が教えてくれた」。

 平凡で非凡なひとたち、というタイトルで絵本を3冊紹介する。

 「石に魅せられた、ひとりの男の一生を淡々と、けれど力強く描いた絵本」。

 そして『雪の写真家 ベントレー』という雪の結晶を取り続けた男の話を紹介した絵本。

 「誰かに評価されることを目的としない日々の、なんと清々しく豊かなことだろう。人生を誰かと比べることの、なんとさびしいことだろう」と落合さんは言う。

 「水底状態にいるとき、わたしが好んで読むのは、古今東西の言葉たちだ。女性の言葉がほとんどだ」「女性たちはどのようにして、自らの『水底』と向かい合ってきたか。そして浮上してきたのか」「内外の女性たちが紡ぐ言葉たち。そこにこめられた思い、記された言葉と言葉の間に隠されたUnspokend words(語られなかった言葉)だち」。そして、処方餞別に20の詩yや評論を紹介する。

 「社会は危険と矛盾を生産し続ける一方、それらへの対処は個人に押しつける。……2001年に翻訳刊行されたジークムント・バウマンの『リキッド・モダニティ――液状化する社会』(森田典正訳、大月書店)のこの一節に出会った時、思い出したのは『自己責任』という、一時、わたしたちのこの社会を席巻したあの言葉である。社会が、バウマンの言葉を借りるなら『生産しつづける』危険や矛盾はすべて、個人に押しつけられ、個人の責任とされる」。

 後半は映画や音楽、記憶のなかの出来事も加わって、縦横無尽に展開。セイ!ヤング時代の落合恵子さんのようだ。

 そして最後に、OTHER  VOICESについて語る。

 「別の声、別の価値観という意味だ。周縁、周辺の声という意味もあるだろう。つまり主流でない声のことでもある」「OTHER  VOICESに耳を傾けられる社会こそが、誰にとっても風通しのいい関係性を築くうえで、かけがえのないポイントになるはずだ。社会の文化的成熟とは、そういうことからはじまるのだとわたしは考える」。

 途中から混沌としてきて、面白かった。

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落合恵子著『おとなの始末』(集英社新書)

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 落合恵子著『おとなの始末』(集英社新書、2015年11月22日発行)を読んだ。

 「70歳になった。」という書き出し。そろそろ人生のまとめに入る年齢ということで「おとなの始末」という本を書かれたのかと思って読み進めると、ちょっと違う。

 「ある年齢になったら自動的に『おとな』になるわけではないし、また、どんなに多くの体験を重ねても、それを自分に引き寄せ、引き受けることができなければ『おとな』とは言えないとも考える」「おとなとは、『引き寄せ・引き受ける』ことのできるひとのことなのかもしれない」「さらに、生きていくことに対する、自分なりの答えの出しかた、を知っていることとも言える」

 「30代から、うっすらと自分の最期を考える機会をいくつか体験した」「自分の最期について思いを巡らす『ある年代』が、このように人生のわりと早い時期に来るひともいるだろうし、定年後やもっと後になってというひともいるのだろう」「自分が死について意識した時が来たら、そのきっかけをしっかりとつかまえたい。同時にそれは、交友関係も含んだ自分の日常、生きかたというか、生きる姿勢を見直すチャンスでもある」

 「人生の『始末』は、本来、年齢にかかわらず意識しないといけないものでもあるだろう。ひとはみな生まれた時から死に向かって歩いていくのだから」「ほとんどの人は、重い病気になったり、事故に遭ったり、高齢者にならないと、『自分がいつかは確実に死ぬ』という意識からは自由だ。それでいいのだと思う」「けれども、たとえ自分が望まなくても30代、40代で自分自身の『始末』をつけなければならない時が来ないとは限らない」

 「『始末』とは、生きていくことに対する自分という個の答えの出しかたである。よりよく生きるために開けなくてはならない扉とは、むしろ未知の死へ向かっていく扉とも言える」

 この本は、自分らしい人生を生きるための、おとな論なのかもしれない。「始末」という言葉にとらわれすぎずに読み進めなければならない。

 「自分がいま、執着しているものがあるとしたら、それは自分が生きていくうえで大事なものなのか、いったん立ち止まって考えてみる」「自分の掌で握ることができる、本当にかけがえのないものだけをしっかりと握りしめて、その他のものをいかに『始末』するかをこそ考えなければならない」

 「わたしが自分の人生の『始末』を考えたきっかけのひとつは、30年ほど前、ほぼ同世代の女友だちが40歳を目前にして亡くなったことだった」

 「老いや死というものは、時に手に余る大きなテーマなので、ついつい後回しにしがちだ。それでも、定年退職をする、家族の介助や介護が始まる、子どもたちが巣立って住まいを見直すという人生の幾つかの節目などに、考えるきっかけはあるはずだ」「遺言はひとつの方法だが、そうした機会に、いろいろな『始末』の仕方を考えておくことは、『これからの日々』を生きるうえでも必要なものだ」

 「100パーセントひとりで立つことは素敵だし、理想ではあるけれど、どんなにすっくと立っているつもりでも、どこかで誰かに支えられている、というのが本当のところだろう。その曖昧な輪郭を認めながらも、可能な限り自分で立つことが、わたしがわたしである基本。思想も、姿勢も、である。自分で立っていないと、他社ともつながれない」

 以上、第一章「おとなの始末とはなにか」から引用したが、この後、第二章「仕事の始末」、第三章「人間関係の始末」、第四章「社会の始末」、第五章「暮らしの始末」、第六章「『わたし』の始末、と展開する。

 この中では、「仕事の始末」がとても参考になった。

 「次のことを考えよう。自分がしたいのは仕事なのか、それともいままで仕事が意味してきた、『専念し、熱中できるなにか」であればいいのか、と」「わたしたちが『仕事』と呼んでいるものは、自分が熱くなれて、達成感があり、自己満足もでき、やっていることを誰かに還元できる、それらすべての『象徴』に過ぎない気もする」。

 定年まで一つの企業にいた人にとって仕事はお金を稼ぐ手段であったと同時に、その多くの部分が「生きがい」でもあったはずだ。定年後の再雇用では、仕事は同じであっても、収入が激減し、がっかりする。しかし、「収入も生きがいも」となんでも一つの仕事に求めるのは難しいのかもしれない。仕事は「自分を教育してくれ、社会デビューさせてくれた場でもあった」と割り切り、生きがいは生きがいとして、仮に無収入でも取り組み、生きがい実現のために収入が必要ならば、アルバイトでもなんでもすればいいのではないか、と気づかせてくれた。

 落合さんは「何十年も働き続けてきたのだ。少しの休み時間があってもいいはずだ。急いで、次の椅子をみつけるより、少し時間をかけてみないか。『わたしはいったい、なにをやりたいのか』に」。

 「ある空間における椅子の数は、たいてい決まっている。だから、その椅子を獲得するためには、誰かと争奪戦を展開しなければならない。しかし、争奪戦は時にひとを疲労困憊させる。得ても、失ってもだ。すでにそこにある椅子を自分のものとするために全精力を注ぎこむより、そこにはない、まったく新しい椅子を作るために、そしてそれを自分のものにするために、エネルギーを集中しようと考えるほうがいいのではないか」

 「他者に切実に必要とされることだけをよりどころにするのではなく、自分が豊かになることをやってみる。その結果として誰かが喜んでくれ、それがまた自分の喜びになって返ってくることもまる。そう考えれば『もう必要とされなくなった』という空疎感からも解放されるのではないか」

 11月末で定年退職し、再雇用となったいま、とても心身に染み入る言葉だ。

 そして、「あとがきにかえて」で、

 「『おとなの始末』とは、つまり……。最期の瞬間から逆算して、残された年月があとどれほどあるかわからないが……。カウントすることのできない残された日々を充分に、存分に『生ききる約束』、自分との約束。そう呼ぶことができるかもしれない」

 「生きるなら、『自分を生ききってやろう』という覚悟のようなものが、本書『おとなの始末』の底流に流れる静かな水音と言えるかもしれない」

 とまとめている。

 「人生においてタフなファイターでありたい。同時にデリケートなファイターでありたい、とわたしは考える」

 何を握って人生を生ききるか、を考えたくなる一冊だった。

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萩原栄幸著『「デジタル遺品」が危ない』(ポプラ社)

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『「デジタル遺品」が危ない』

 萩原栄幸著『「デジタル遺品」が危ない』(ポプラ社、2015年10月1日発行)を読んだ。

 パソコンやスマートフォン、デジタルカメラなどに残された故人のデータを「デジタル遺品」という。家族が亡くなったら、どのような手順を踏んで「デジタル遺品」を処理すべきか、自分の死後、家族を困らせないために今すぐに始めるべき生前処理とは何か――の二つが大きな問題だが、だれもがパソコンやスマートフォンを使う時代にも関わらず、この問題の難しさや重要性はほとんど理解されていないのではないか。著者の萩原氏は情報セキュリティーのプロだ。こうしたプロの知識を活用しなければ、「デジタル遺品」問題のスムーズな解決は難しいだろう。

 デジタル遺品、「放置しておけばいいのでは」と思うかもしれないが、放置して問題となりそうなケースとして、まず、「故人が先物取引やFXをインターネットで行っていた場合」がある。「亡くなられた直後に手続きしておけば、『利』が乗って収益のある取引も、気が付かないまま放置することにより、ほんの数日で『損』になるケースがあります」。

 「ブログやホームページには故人の思い出がたくさんつまっていて、その方の人生の足跡といってもいいでしょう」。でも、「いつまでも放っておくとアカウントが乗っ取られて、訪れた方々がウイルスに感染したり、詐欺を行う偽サイトへの誘導路として悪用される恐れがあります」。

 「『企業内の情報は、自宅に持ち帰ってはいけない』というのは常識です。…ただ、現実には企業機密を会社の外に持ち出してしまったことで情報が漏洩した、という事件が起きています。『ひょっとするとこのパソコンの中に、勤め先の情報が入っているかもしれない』と疑いの目を持つことも必要かもしれません」。

 故人のパソコンを、「何の処理もせずにそのまま廃棄したり、中古パソコン店に売却する」ことも危険だ。「安易に手放してしまったパソコンに、もし友人知人の名前、住所、電話番号などの連絡先が入っていたとしたら、その情報をそっくり抜き取られ、名簿として闇ルートとして売買される可能性があります」「最も酷いのは、パソコンに残ったネットバンキングや有料サイトなどのIDとパスワードが盗まれ、多額の被害を被るケースです」。

 こうしたことにならないようにするために、故人が「関わっているデジタル遺品をもれなく探し出すことが何と言っても重要」と萩原氏は言う。最初にやるべきは「パソコンの起動」だが、パスワードがわからない場合は、困難を極める。「相続人全員の合意でパソコンデータの復旧会社に依頼」することも最後の手段としてはあるが、信頼できる復旧会社は少なく、必ずしもうまくいくとは限らないようだ。

 こうした苦労を家族にかけないために、「デジタル機器を起動する際のパスワードやロックナンバー」は「ぜひ遺しておいていただきたい」と萩原氏。

 このほか、遺しておくべきものとして、金銭絡みのデータ(インターネットバンキング、株や先物取引、クレジットカードの利用明細、インターネットオークションや通販サイトの利用状況など)、思い出の写真、住所録ーーなどがあるという。

 遺族がすべきことに戻ると、インターネットバンキングの預金口座の把握は急がなければならない。「故人の財産を合計するとマイナスの財産、つまり借金の方が遺産より大きくなっていた場合は、3カ月以内に相続放棄をしないと、その借金は相続人の借金になってしまう」からだ。

 「銀行預金のほか、株や証券、先物取引、FX(外国為替証拠金取引)などの金融商品の取引」をインターネットで行っていなかったかを、確認しておく必要がある。

 有料サイトについては「遺された方が、これらの自動引き落としに気がつかなければ、クレジットカードの有効期限が切れるまで支払いが続くことになります」。

 このほか、本書には、家族に見せたくない情報は「墓場まで持っていく」、フェイスブックの「追悼アカウント」ーーなどデジタル遺品に関する有用な提言、情報が書かれている。

 死はいつ訪れるかもわからない。デジタル遺品の問題はデジタル機器、コンテンツを利用する万人が関心を持つべき問題だろう。

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ダニエル・ピンク著『フリーエージェント社会の到来』(新装版、ダイヤモンド社)

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フリーエージェント社会の到来

 ダニエル・ピンク著『フリーエージェント社会の到来』(新装版、ダイヤモンド社、2014年8月28日第一刷発行)は、私にとって、定年を前に、これからのライフキャリアを考える際のバイブル的存在になっている。
 昨年はブログは開店休業状態だったが、今年は、これからの人生設計に役立つ本をブログで紹介していこうと思う。すでに読み終わった本を取り上げることが多くなりそうだが、ブログをまとめるにあたって、再読することが、自分にとっても血となり肉となる気がする。
 「フリーエージェント」(free agent, FA)といえば、まず、思い浮かぶのは、プロ野球のFAだろう。ウィキペディアによるとーー。
 いずれの球団とも選手契約を締結できる権利をもつ選手のこと。フリーエージェントとなることができる権利を「フリーエージェント(FA)権」、選手がFA権を行使することを「FA宣言」という。
 FA宣言をして、大リーグで活躍する選手を見ているためか、この言葉には夢を感じる。そして、この本を読むと、特に、定年退職した人の理想の生き方として、フリーエージェントが浮かび上がってくる。
 感動を持って、読み終えたこの本の内容をまとめようと思い、読み返すと、玄田有史氏(東京大学社会科学研究所教授)の序文が、的確にポイントとなる部分を解説してくれているので、この序文をもとに、まず、この本の中身を紹介し、その後で、ぐっと来たフレーズを本文から引用することにしよう。
 ⑴序文より
 「そろそろ、私たちは、組織か、個人か、という不毛な二分法から抜け出さなければならない。大事なのは、組織も、個人も、である」「そんな二者択一を軽々と飛び越えてしまう存在。組織をうまく活用しつつ、同時に個人としての自由や成功を謳歌する。それが本書で示されるフリーエージェントの姿だ」。
 「フリーエージェントとは『インターネットを使って、自宅でひとりで働き、組織の庇護を受けることなく自分の知恵だけを頼りに、独立していると同時に社会とつながっているビジネスを築き上げた』人々のことである」「フリーエージェントに共通するのは、インターネットや地域コミュニティーを活用した、ヨコのネットワークの存在である。ヨコのつながりの存在こそ、フリーエージェントがプロジェクトを成し遂げるための根幹であり、セーフティーネットである」。
 「フリーエージェントの世界では、遊びと仕事の境界がいい意味で曖昧である。むしろその渾然とした状態こそが『クール・フュージョン(かっこいい融合)』という考え方が、フリーエージェントには根を下ろしている」。
 「インターネットが普及し、組織の外部とも格段につながりやすくなり、同時にグローバル化が競争のスピードを加速させるようになると、仕事の前提は『組織』から『プロジェクト(事業)』へ移っていく。仕事はまず組織ありでなく、顧客や取引先から『プロジェクト』がダイレクトに舞い降りてくる。もしくは経営からトップダウンで、リーダーに対し『プロジェクト』のミッションが伝えられ、一定期間内での遂行が求められる」「組織のタテ社会の人間関係に縛られているならば、プロジェクトの期限内での実現は到底不可能である。必要なのは、組織のしがらみにとらわれることなく、適材適所で縦横無尽に活躍できるフリーエージェントの存在だ。重要なプロジェクトの多くは、既存組織のメンバーだけから構成されるのではなく、組織を超えて集まったフリーエージェントたちの手を借りることによってのみ、成し遂げられるのだ」。
 「何から始めればよいのか。まずは、自分はフリーエージェントになると『フリーエージェント(FA)宣言』することだろう。自分のホームページをつくり、そこでFAとなることを宣言する。その上でフリーエージェントとして自分がやりたいこと、やれることの発信をとにかく始めるのだ」「情報であれ、環境であれ、医療・福祉であれ、コミュニティー・ビジネスであれ、今後成長が期待される分野に共通する法則がある。それは『与えられた者こそが与えられる』という法則だ。インターネット上では、情報を発信する人ほど、貴重な情報が集まる」「その上で、日頃思っていたり感じていることについて率直に話し合える仲間を、働いている会社や通っている学校などの外に、せっせとつくることである。それは、SNS、コネクション、同窓会、保護者会、自治会、NPO活動、地域活動など、なんでもかまわない。大事なのは、心をむなしくし、そこで交わされる他人の話や、自分の知らない世界に耳を澄まし、深くうなずき、ときに感動することだ」。
 「フリーエージェントは、けっして夢物語ではない。会社で働いている人なら、オーガにゼーション・マン(組織人)の世界にだけとどまることなく、フリーエージェントとしてもうひとつの別の場所と時間を、今日からつくるはじめるべきだ。大事なのは夢見ることではない。行動することである」。
 1冊を読み終わってしまったような気分になる素晴らしい序文だが(笑)、本文を読み進めていくと、さらにフリーエージェントとして生き、様々なコラボレーションによって、プロジェクトを進めていくことがいかに楽しいか、が分かってくる。
 ⑵本文より
 「大勢のアメリカ人がーーそして次第にほかの国の人々もーー産業革命の最も大きな遺産のひとつである『雇用』という労働形態を捨て、新しい働き方を生み出しはじめている。自宅を拠点に小さなビジネスを立ち上げたり、臨時社員やフリーランスとして働く人が増えているのだ」
 「政治や主流派メディアのレーダーに映らない場所で、数千万人ものアメリカ人がフリーエージェントとして働いている。嫌な上司や非効率な職場、期待はずれの給料に嫌気が差して会社を辞めた人もいる。あるいは、レイオフや企業の合併、勤め先の倒産により、会社を離れざるを得なくなった人もいる。いずれにせよ、彼らの行き着いた場所は同じだった。そして、さらに大勢の人たちがその後に続こうとしている」。
 「いま、力の所在は、組織から個人に移りはじめている。組織ではなく個人が経済の基本単位になった。ひと言で言えば、社会は『ハリウッドの世界』に変わりはじめたのだ」「いまの映画産業は、かつてとはまるで違う仕組みで動いている。特定のプロジェクトごとに、俳優や監督、脚本家、アニメーター、大道具係などの人材や小さな会社が集まる。プロジェクトが完了すると、チームは解散する。その都度、メンバーは新しい技能を身につけ、新しいコネを手に入れ、既存の人脈を強化し、業界での自らの評価を高め、履歴書に書き込む項目をひとつ増やすのだ」。
 「大半のフリーエージェントにとって、必ずしも『大きいことはいいこと』ではない。自分にとっていいことこそ、いいことなのだ。出世や金など『共通サイズの服』の基準で成功を目指す時代はもう終わった。自由、自分らしさ、名誉、やり甲斐など、『自分サイズの服』の基準で成功を目指す時代になったのだ」。
 「資産運用の世界と同じように、仕事の世界でも『分散投資』が生き残りの条件になりつつあるのだ」。
 「弱い絆で結ばれている知り合いは、いつも親しくしている相手ではないからこそ、自分とは縁遠い考え方や情報、チャンスに触れる機会を与えてくれるのだ」。
 「多くの場合、仕事と家庭のバランスを取るという『ゼロ・サム』の世界より、ブレンドするという『ポジティブ・サム』の世界のほうが幸せなのだ。
 「かつて当たり前だった『引退』という制度は、やがて歴史上の一時的な特異な現象として記憶されるようになるのかもしれない」「知識経済の時代には、年輪の刻まれた脳ミソは大きな財産なのだ」。
 「フリーエージェント経済の時代には、人々が生涯を通じて学べるようにするシステムが不可欠だ」。
 「フリーエージェントたちは、職場のコミュニティーを失った代わりに、新しいグループや人的ネットワークを自分たちで築いていく可能性が強い」。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 私自身も近い将来、フリーエージェントとなり、魅力的なプロジェクトをコラボレーションで進めていきたいと思っている。「君ならコラボしてもいいよ」と言ってもらえるように、フリーエージェントとしての力をいかに蓄えていくか、が当面の課題だ。

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寄付をお願いする行為は社会改革!――鵜尾雅隆著『改訂版 ファンドレイジングが社会を変える~非営利の資金調達を成功させるための原則』(三一書房)

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改訂版 ファンドレイジングが社会を変える

 鵜尾雅隆著『改訂版 ファンドレイジングが社会を変える~非営利の資金調達を成功させるための原則』(三一書房、2014年8月18日発行)を読んだ。

 2009年4月に『ファンドレイジングが社会を変える』を発行後、5年間で「善意の資金循環」をめぐる状況が大きく変わったことが改訂版を発行した理由だと鵜尾氏は言う。しかし、「様々な団体で資金集めに悩む方々に参考となる気づきやアイデアやノウハウをご提供する」狙いは変わっておらず、その部分は改訂していないという。

 これからNPO法人の設立を目指す人にとっては非常に役立つ実用的な話が書かれている。

 「ファンドレイジングとは、NPOなどが事業に必要な資金を社会から集める手段のことを指しています」。

 まず、鵜尾氏がいくつかの「原則」を紹介する。

 第1の原則=ファンドレイジングを「単なる資金集めの手段」ではなく、「社会を変えていく手段」として捉え直す。

 第2の原則=ファンドレイジングは、「施しをお願いする行為」ではなく、社会に「共感」してもらい、自らの団体の持つ「解決策」を理解してもらう行為であると考える。

 第3の原則=「よい活動をしているのに寄付などが集まらないのは、社会が成熟していないからだ」という発想を捨てる。

 第4の原則=大きな支援を得るためには、NPO自身も「つり銭型寄付」のパラダイムのみならず、「社会変革型寄付」のパラダイムを念頭に置く。

 第5の原則=日本には寄付文化がないのではなく、寄付の成功体験と習慣がないにすぎないと理解する。

 第6の原則=活動の質を高め、適切な組織マネジメントを行うことは、良いファンドレイジングの前提であると理解する。

 第7の原則=日本の寄付市場の大きな流れに乗る。

 一言で言えば、社会変革を目指すNPOならば、寄付を集めること自体が社会変革を訴える行為になるという発想に立たなければいけないということだ。

 そして、ファンドレイジングを成功に導くためのステップや技を紹介する。

 「いま一度自分たちのNPOが実現したい状況はどんな状態なのかをイメージします。そして、それを文章化します」。

 組織のビジョンやミッションについては、「『自分たちは何者で、何を目指すのか、そして何を達成したいのか』ということが、簡潔に、かつ共感を得やすい表現になっているかを再確認します」。

 「たとえば1万円で何ができます、といったメッセージに活動を集約して説明できないかという視点も重要です」。

 「『喜び』『嬉しさ』『感動』といったキーワードに引っかかる体験を洗い出して表現します」。

 

 なるほど、と思う指摘が並ぶが、特に組織作りに関するくだりは、秀逸だ。

 「ファンドレイジングの成否は、そのファンドレイジングを『是が非でも成功させたい』と考えている人が、スタッフ以外に5名から10名いるか否かで左右されることがよくあります。こうしたコアな支援者を得るためには、早めの段階での『巻き込み』がポイントです」「実際には『実行委員会』のような組織を設置し、一定期間内に3~4回程度の集まりを持つこともひとつの方法です」「この実行委員会の位置づけは、『運命共同体』として、今回のファンドレイジングの成功も失敗も共有するメンバーを特定することにあります」「ここでひとつ注意すべき点は『そもそも論ばかり言う人』『ネガティブな発言を繰り返す人』は参加させないということです」「ある程度の温度感を持って、どんどん前向きに物事を進められるチームにするということが最優先です」。

 仮にお金は集まらなくても、共感してもらうことが重要。「儲け話」をするのではなく「ビジョン」を訴える。そんな毎日を過ごしたいものだ。

 この本を読むと、NPOを実際に立ち上げてみたい、という熱い思いに駆られる。

 

 

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「馬医」全50話(NHKBSプレミアム他)

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 NHKBSプレミアムで再放送されている「馬医」にはまり、14話をテレビで見たあと、ネットで50話まで一気に見てしまった。

 「トンイ」「宮廷女官チャングムの誓い」を作った、イ・ビョンフン監督の作品。

 魅力的な女性が主人公のトンイ、チャングムに対し、馬医の1回目の放送はやや暗い感じがして、最初の放送は結局、1話しか見なかったのだが、今回の再放送を見て、引き込まれた。主役(ペク・クァンヒョン、チニョン)の二人が爽やかで、恋愛ドラマとしても楽しめるが、テーマは壮大。人を切り裂くことは医術ではないと思われていた時代に、家畜を治す馬医の経験と、天性の針やメスを使う技術を駆使して、次々と難病を外科手術で直してしまうドラマは痛快だった。これに宮廷の権謀術数が絡むいつものストーリーで、視聴者を引きつける。

 イ・ビョンフンの作品をいくつか見るとわかるが、脇役は、同じ俳優が固め、ストーリーも典型的な勧善懲悪。水戸黄門とまではいかないが、わかりやく、親しみやすく作っている。舞台でみる演劇のように、限られた俳優の中で、話の中心が見える形にしたうえで、大きなテーマや深い問題を描いている。どうすれば視聴者の感情と知性に効率よく訴えていけるのかを、イ・ビョンフン監督は知り尽くしているようだ。

 解説はNHKのホームページがわかりやすい。一部を引用する――。

馬の医者からやがて王の主治医にまでなった男、ペク・クァンヒョン。その波乱に満ちた生涯をドラマチックに描く“メディカル史劇”。ペク・クァンヒョンの医療への志を軸に、ラブロマンス、陰謀、復讐(ふくしゅう)、親子愛など、イ・ビョンフンワールド満載の壮大なエンターテインメントドラマ。

時は17世紀。医官カン・ドジュンとイ・ミョンファン、医女チャン・インジュの3人の若者は身分を超えた絆で結ばれていたが、朝廷内の陰謀に巻き込まれ、その友情は悲しくも無残に崩れ去る。イ・ミョンファンの裏切りにより、カン・ドジュンは世子(セジャ)暗殺の罪をかぶせられ処刑に。罪人の息子として生まれたクァンヒョンはすぐに処刑されそうになるが、女児なら処刑を免れるため、カン・ドジュンを慕う奴婢(ぬひ)ペク・ソックが自分の娘チニョンとすりかえる。一命を取り留めたクァンヒョンは、自分の本当の素性を知らぬまま奴婢として牧場で育てられ、やがて腕利きの馬医へと成長。そして、運命に導かれるように実父と同じ医官への道を歩みだす。

イ・ビョンフン監督 渾身(こんしん)の思いを込めた最新作

韓国歴史ドラマの巨匠、イ・ビョンフン監督にとって、『ホジュン』『宮廷女官 チャングムの誓い』に続く3作目の医療ドラマ。馬の医者、獣医学の世界に挑み、新たな“メディカル史劇”を生み出した。監督が特にこだわったのが治療シーンのリアリティー。「恵民署(ヘーミンソ)」や「内医院(ネイウォン)」などを舞台に、医師たちの葛藤や喜びを巧みに描く。

“神医”ペク・クァンヒョン 命に向き合う志

ペク・クァンヒョンのモデルは、朝鮮王朝時代に王の主治医を務めた実在の人物。馬医出身ながら、独学で学んだ鍼(はり)治療の技術で人の病気も次々と治療。当時としては画期的な外科手術を試み“神医”とも呼ばれた。本作では、クァンヒョンの“すべての尊い命に向き合う心”を丹念に描きだす。

歴史に残る疑惑の病死

物語の発端となる王位後継者の「昭顕(ソヒョン)世子(セジャ)暗殺事件」は、朝鮮王朝の歴史に残るミステリー。記録では病死とされている昭顕世子は、父である第16代王・仁祖(インジョ)が、革新的で有能な息子を疎ましく思い秘かに毒殺したとも言われている。時に人の命まで左右する薬や鍼、手術などの医療に本作で誰がどういう思いで向き合っていくのか注目だ。

運命の渦…儚(はかな)く切ない恋物語

生まれてすぐにすりかえられ、数奇な人生を余儀なくされたクァンヒョンとチニョン。それぞれの人生を生きながらも、2人は運命の糸で強く結ばれていた。そして奇跡的な出会いを果たし、やがて互いに恋心を抱いていく。しかし、そこに立ちはだかる身分の壁、陰謀、出生の秘密…。複雑に交錯していく2人の恋と人生の行方に目が離せない。

実力派俳優チョ・スンウ 待望のドラマ初出演!

クァンヒョンを演じるのはミュージカル界のトップスター、チョ・スンウ。最もチケットの取れない俳優と言われるカリスマ俳優で、テレビドラマは本作が初出演。舞台、映画で培った演技力で、医道に邁進(まいしん)するひたむきで純粋な主人公を力強く演じる。

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「まずは一歩踏み出す」ことを提案ーー柳川範之著『40歳からの会社に頼らない働き方』 (ちくま新書)

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40歳からの会社に頼らない働き方

 柳川範之著「40歳からの会社に頼らない働き方」 (ちくま新書)を読んだ。

 柳川範之氏は東京大学大学院経済研究科教授。「40歳定年制」を提言したことで有名だが、「この本は制度や法律が変化しない世の中を前提にし、それぞれの人たちが、具体的にとるべき方策に主眼が置かれています」という。「たとえ制度が変わらなくても、それぞれの人が本書で想定しているような方向に大きく舵をとれば、世の中はかなり変わるはずです」。

 「今の会社を捨てる必要は必ずしもありません。しかし、会社に頼っていても、100%頼りにして安心して生きていける時代では、もはやないのです。頼らず生きられる体制を作っていく必要があります。そうはいっても、そんな働き方なんでできるのか?という疑問をもつ人も多いことでしょう。その人たちに向けて、具体的にどうすればよいかを示すために書かれたのが本書です」。

 柳川氏は、将来を切り拓いて大きなチャンスをつかむために、まず「将来に備えてシミュレーションする」ことに必要性を強調する。

 「遅くても定年後、多くの場合にはもっと早くに、自分の働き方を決めなければいけない時期がやってきます。ですから、そのときに備えて、シミュレーションをして、自分で自分の人生を選んでいくトレーニングをしておかないといけません」「自分がやりたいと思うことを中心に、多少わくわくとした気持ちをもって、明るく未来をシミュレーションするとよいでしょう」

 「専門的には『コンティンジェンシープラン』(状況対応型計画)というのですが、「状況に応じたプランを立てておく」というのは経済学の基本的な発想で、この発想は、多くの人がライフプランを考えるうえでも重要だと思います」。

 環境が変わったときにどう対応するかを、最初からプランに組み込んでおくといというのがコンティンジェンシープランのそもそもの考え方です。『Aだと思っているけど状況がBになることもありえる』というときに、Bになったときのプランも最初から用意しておくのです。こういう発想はビジネス戦略では、『プランB』などとも言われています」「主要なパターンに関しては、それぞれの場合に応じた対応を考えておくという発想力が問われます。その場合に注意しないといけないのが、『将来どんな変化があるのか』を考える際に願望が入ってしまいがちだということです」。

 第二に必要なのが、目標を立てること。

 「目標はできれば二つ持ったほうがよいと薦めています。この二つとは、『近い目標』と『遠い目標』です、近い目標は、状況に応じてコロコロ変えていくべきものです。遠い目標は、そんなにコロコロ変えないで、長い目で見て、動かして調整していくべきものです」

 第三が、「少しずつ、踏み出してみる」。

 ポイントは、「大きく踏み出さない」「『うまくいかないこともある』のを当然と考え、その場合には『やり直す』」「試行錯誤するブルペンが必要」だ。

 試行錯誤するブルペンとして、柳川氏が薦めるのが「バーチャルカンパニー」を作ることだ。

 「まず大事なのは、とにかく今のメインの仕事をやめずに、サブの仕事を少しずつ進めていくことです。そのためには、とりあえず仲間作りをすることが、具体的な第一のステップになります」「仲間を作って、お互いに自分に欠けているものを指摘しあうことが大事なのです」「仲間、特に社外の人は、毎日会うということができません。ですので、今の時代では、フェイスブックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を積極的に活用するのも大きなポイントになります」。

 グループを作って何をするか。「ポイントは『能力開発』と『事業計画』です」「具体的にターゲットを決めて、どういった組織形態にするかというところまで話をつめて考えるとよいでしょう」「もし可能ならば、実際に組織や会社を作ってしまいましょう」。

 「いま急激に起こっているのは、バーチャルカンパニーやベンチャー企業を作ったり、社会起業をしたりということを、とても容易にする動きです。インターネットの登場などで社会の構造が変わって、会社を立ち上げるためのハードルは非常に低くなりました」。

 「大事なのは、…プランニングをきっちり考えることです。…社会貢献なり自己実現なりを大事にするのであればこそ、必要な資金や収入は得ていかないといけません」「『自己実現・社会貢献』と『収入を得る』という目的を、どのようなバランスでやろうと思っているのかを自分の中でしっかり考える必要があります」「何を実現させたいのかをできるだけ具体的にしたほうがよいでしょう」「」収益を得ながらも、何らかの社会貢献ができるような働き方にはどんなものがあるのかを、もっと考えて工夫する余地はあるのではないでしょうか」。

 農業体験農園などは、申し込んでみたら、大きな体験ができた。会社の仕事に代わるような「プランB」も、一歩踏み出してみないと見えないのかもしれない。

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雇用の基礎と改革の方向性を分かりやすく解説――清家篤著『雇用再生―持続可能な働き方を考える』(NHKブックス)

Koyosaisei

雇用再生

 清家篤著「雇用再生―持続可能な働き方を考える」(NHKブックス) を読んだ。

 清家氏は慶應義塾長で、労働経済学の大御所。社会保障制度改革国民会議の議長も務めた。「雇用」がどうなるか、を的確に予想するには、清家氏の著書がいいのでは、と考えた。

 雇用改革の方向性の全体像を知るのにいい本だった。

 「雇用の状況を示す代表的な指標である失業率は、…1990年代半ばまでずっと2%台を維持していた。しかし、1998年に4%を越えた後、2000年代には4%台が当たり前となり、不況期には5%を越える場合も出てきた」「ただし、…国際的にみると、…現在でもまだ欧米諸国の半分程度の低い水準に止まっている」。

 なぜか。

 「新規学卒一括採用は、日本の若者の失業率を先進国の中でも際立って低く抑えることに貢献している」「ヨーロッパ等の若者の失業率の高い国では、若者は学校を卒業してから就職活動を開始するのが普通だ。仕事が見つかるまでの期間は、学生でも雇用者でもなく、仕事がなくて職を探している状態であるから、定義的に『失業者』として統計にカウントされる」「労働市場のパフォーマンスという観点からいうと、若者が失業を経ずに就職に至ることができるということは高く評価すべきこと」。

 「新規学卒一括採用にはたしかに問題点もある。そのためその採用方式はやめるべきだという極論さえある。しかし、もしもこの採用慣行がなくなると、…間違いなく起きるのは、若者の失業者の急増である。また、企業は経験者を優先的に採用するようになり、若い未経験者の人が仕事能力を新たに身につける機会が減少する」

 「きちんと政策的に考えるのであれば、むしろ学校卒業後直ちに就職をして、若いときに職業能力を身につける機会を与えられている大多数の若者と同じように、現在はフリーターやニートになっている人も含めて、新規学卒一括採用の対象になる人の範囲を少しでも拡大していくべきなのである」。

 清家氏は、「これまでの日本の雇用制度や働き方の強みを残しつつ、必要な改革を進める」ことが大切と言い、本書で、「どこを改めればいいのか」を提示する。

 「定年延長」の問題はどう考えればいいのだろうか。

 「起業が定年延長、雇用延長をしにくい背景には年功賃金がある。これまでは60歳定年を前提に、労働者の企業への貢献の総量と労働者が企業から受け取る報酬の総量がそこでバランスしていた。そのままで定年延長、雇用延長を行うと、両者がバランスしたポイントを超えて労働者が企業に居続けることになり、延長した期間の賃金と貢献度の差額分だけ企業の負担増となる。定年を60歳から65歳に延長すれば、賃金と貢献度の差額を、それから5年間、企業が払い続けることになる。さらに、勤続の長い者は管理職、監督職にするという年功的な処遇体系がそのままであると、企業内に管理職や監督職などが不必要に数多く滞留してしまう」。

 「もともと年功賃金は企業にとってもコストをかけて訓練した労働者が簡単にやめることがない、そして従業員の企業に対する帰属意識を高めることができる、などのメリットの多い制度であるからこそ、長年にわたって継続されてきたものだ。したがって、右肩上がりに給与が伸びる年功賃金をやめて、完全に水平にするということは企業の経済合理性にも反する」「望ましいのは、そうした年功賃金の本来的な機能は維持しつつも、従来よりも年齢や勤続に応じて高くなる賃金カーブの勾配を緩やかにしていくという方法である」。

 清家氏はあとがきで「先の戦争に突き進む過程で、このままではジリ貧になるだけだから乾坤一擲の日米戦争に打って出るべしという論に対して、開戦直前に参内した米内光政海軍大将は『ジリ貧を避けようとしてドカ貧に陥らぬよう』(阿川弘之『米内光政』)といったと言われている。雇用をめぐる最近の改革論議にも、少しそうした危惧を覚える」と語っている。

 IT化など、過去の経験を不要にする技術が進んできた事実がある一方で、やはり過去の経緯を理解したうえで、変えるべきことも多々ある。「雇用」はまさに、そうしたジャンルなのだろう。

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超高齢社会を前向きに捉える――阪本節郎著『50歳を超えたらもう年をとらない46の法則』 (講談社+α新書)

Gojuwokoetara

50歳を超えたらもう年をとらない46の法則

 博報堂 新しい大人文化研究所所長である阪本節郎が著した「50歳を超えたらもう年をとらない46の法則」 (講談社+α新書)を読んだ。

 この本のタイトルの意味は、博報堂  新しい大人文化研究所の2012年1月19日のリポート「絶滅する中高年!? 新しい大人世代の登場」を読むと、なるほど、と理解できる。リポートを引用しよう。

 「いま中高年の意識が従来の常識から大きく変わろうとしています。 『博報堂エルダーナレッジ開発 新しい大人文化研究所』では、人生を前向きにとらえ、若々しくありたいとする新たな40~60代を総称して「新しい大人世代」と名づけ、彼らの志向や生活を探る様々な調査を実施しています。このたび、全国の40~60代の男女3708名に向けた調査から、40~60代の人生観に関する結果をまとめました」。

 「調査結果からは、従来の中高年意識であった『老い』『余生』といった“下り坂”の人生観は“絶滅”しかかっていることが見えてきました。従来の中高年は、40代が働き盛り、50代で下り坂がはじまり、60代になると余生になって長生きが目標になる、と見られてきました。しかしながら、現在の中高年は、そうした従来型の人生カーブとは180度異なるといってもいい人生観を持っています。年を重ねることを『加齢』と捉えない、エイジレスな感覚を持った新しい40~60代が登場しています」。

 「現在の40代~60代の大きな特徴は、そもそも人生観が従来の『下り坂』から、“人生の花を開かせる”といった『上り坂』へと大きく転換していることです。

 「40~60代男女に『自分が理想とする生き方』について尋ねたところ、『50代を過ぎたら、もう年をとらないという自分でありたい(61.4%)』と、6割を超える男女が50代以降の加齢を意識せず、あたかも50代で年齢が止まったかのように捉える新たな動きが生まれています。また、『何歳になっても若々しく前向きでありたい」と回答した人は、全体の82.7%に上ります。もはや40~60代の大多数が「若々しく前向きでありたい』と考えていることが分かりました」。

 そんな新しい大人の特徴を紹介しているのが本書だ。

 共感できる部分が多々あった。

 最も共感したのが44.社会に「支えられる側」から社会を「支える側」になる③クロスジェネレーションだ。

 阪本氏は言う。「人口の少ない『若い世代』が人口の多い『高齢世代』を支えるというのが年金賦課方式の問題であり、これに対して『自助』ということを述べました。その上で、さらに望ましいのは、具体的に『新しい大人世代が若い世代を支えるクロスジェネレーション』です」「世代間交流を『クロスジェネレーション』と言っていますが、このように『クロスジェネレーション』で若い世代を支えることができれば、若い世代の生産性も向上し、また支えられれば年金を支払ってもいいかという気持ちにもなるでしょう」。

 越川禮子著『江戸の繁盛しぐさ―イキな暮らしの智恵袋』 (日経ビジネス人文庫)によると、江戸では年代に応じたしぐさが尊ばれ、たとえば「耳順(還暦)代の『江戸しぐさ』は『畳の上で死にたいと思ってはならぬ』『己は気息奄々、息絶え絶えのありさまでも他人を勇気づけよ』『若衆(若者、ヤング)を笑わせるよう心がけよ』だった」という。クロスジェネレーションは日本のよき伝統なのかもしれない。

 「超高齢社会」を実感したのが、46.過去と現在とこれからに感謝し、若い精神を持ち続ける、だ。

 「2020年は東京オリンピックの年です。その年に成人人口すなわち20歳以上人口が約1億人であるのに対して、40歳以上人口が約7800万人、つまり、『大人(成人)の10人に8人は40代以上』となります」というのだ。「人口構造の変化によって、大人世代が圧倒的多数の世の中になります。この圧倒的多数が『人生下り坂』感を持って後ろ向きになり、社会全体が沈滞ムードになると大変です。そうあってはならないのです」。

 30.新3世代は”教えてほしい”が秘密の扉、には世代間交流を後押ししてくれるデータがあった。「肝心の孫のほうは祖父母に何を求めているのでしょうか。そもそもお互いにコミュニケーションを増やしたいかどうか、を調査したことがあります。常識的には、祖父は孫との関係をもっと強くしたいが、孫のほうは敬遠気味、と思いがちです。ところが結果は全く逆でした。たしかに『祖父から孫』は84%と高かったのですが、『孫から祖父』は95%とそれをかなり上回ったのです」「実は求めていることの1位は『自分にない技能や自分の知らない事を教えてもらいたい』でした。

 19.オジサン・オバサンと呼ばれても自分のことだと思わない、にあった、次のくだりが、なるほどと思った。

 「50代以上になると、子供が独立するために、好むと好まざるとにかかわらず誰でもひとりの男性・ひとりの女性に返ります。しかしながら、その手前の40代にも異変が起きています。40代は今までの女性であれば『主婦と母親』、男性であれば『サラリーマンと父親』という二つの顔を持っていました。しかし、その40代が三つ目の顔を持ち始めています。…男性では『ひとりの男性』であり続ける、女性では『ひとりの女性』であり続ける、という顔になります」「男女問わずにSNSはまさにひとりの男性・女性が語り合う場だと言えるでしょう」。

 「アメリカでは、『シニア』という呼び名の代わりに、『50+(フィフティプラス』という言い方が抵抗感なくポピュラーになりつつあります」とのことだ。

 テレビの個人視聴率の区分でM3と言えば、男性50歳以上を指す。50も65も75も85も、同じM3。なんと大雑把な分類か、と、これまでは、思っていたが、なるほど、「50歳を超えたらもう年をとらない」から、これでいいのだ。

 17.会社はリタイアしても社会はリタイアしない、はいい言葉だ。「ピーター・ドラッカー教授が、天寿を全うする前に遺言のように言ったことがあります。それは『日本はもう一度世界をリードできる』ということです。なぜなら日本に定年制があるからだという面白いことを言いました」「日本は世界に先駆けて高齢化が進展し、そして定年制があります。そうすると、今まで会社の仕事に従事していた人たちが定年を機に社会的なことに携わる可能性があるだろう、ということです。…そういう人たちがたくさんいる社会ができれば、世界中が高齢化するなかで日本がそのモデルになると言われたのです」。

 超高齢社会を前向きに捉える本が増えてきたのがうれしい。

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少子高齢化問題にしっかりと向き合った好著―-広井良典著『人口減少社会という希望~コミュニティ経済の生成と地球倫理』(朝日選書)

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人口減少社会という希望

 広井良典著「人口減少社会という希望~コミュニティ経済の生成と地球倫理」(朝日選書) を読んだ。

 広井氏は言う。「『人口減少社会という希望』という表現は、かなり奇妙というべきか、あるいは奇をてらった表題と感じる人が多いかもしれない」「しかし私自身は、…人口減少社会は日本にとって様々なプラスの恩恵をもたらしうるものであり、私たちの対応によっては、むしろ現在よりもはるかに大きな『豊かさ』や幸福が実現されていく社会の姿であると考えている」。

 5ページにあるこの図を見せられると、その論拠に、なるほど、とうなずいてしまう。

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(クリックすると大きな画像になります)

 「この図を見ると、それはまるでジェットコースターのようであり、それが一気に落下する、ちょうどその”縁”に私たちは現在立っているように見える。それが多くの『大変な問題』を私たちに突きつけることは、確かなことである」「しかしこの図を少し角度を変えてみると、やや違った様相が見えてこないだろうか」。

「まずそれは、明治以降の私たち日本人が、いかに相当な”無理”をしてきたかという点である」「江戸末期に黒船が訪れ、かつその背後にある欧米列強の軍事力を目の当たりにし、あたかも頭を後ろからハンマーで殴られたような衝撃を受けた。そうしたショックから、体に鞭打ってすべてを総動員し、文字通り”拡大・成長”の坂道を登り続けてきた」「当初は『富国強兵』のスローガンを掲げ、その行き着いたところが敗戦であった後も、あたかも”戦争勝利”が”経済成長”という目標に代わっただけで、基本的な心のもちようは同じまま、上昇の急な坂道を登り続けたのである」「この10年ないし20年は、そうした方向が根本的な限界に達し、あるいは無理に無理を重ねてきたその矛盾や”疲労”が、様々な形の社会問題となって現れていると見るべきではないか」。

 「むしろ人口減少社会への転換は、そうした矛盾の積み重ねから方向転換し、あるいは”上昇への強迫観念”から脱し、本当に豊かで幸せを感じられる社会をつくっていく格好のチャンスあるいは入り口と考えられるのではないか」

 そして、広井氏は、「たとえばイギリス、フランス、イタリアの人口はいずれもほぼ6000万人で、日本の概ね半分に過ぎない」とも言う。「少なくとも現在の日本の人口が、絶対に維持されるべき水準であると考える理由はどこにもない」。

 広井氏は「私は”人口がずっと減少を続ける”という状況が好ましいとは考えていない」という。しかし、「”少子化が進むと経済がダメになるからもっと出生率を上げるべきだ”とか”人口が減ると国力が下がるから出生率は上昇させなければならない”といった発想では、おそらく事態は悪化していくばかりだろう」「そうではなく、全く逆に、そうした『拡大・成長』思考そのものを根本から見直し、もっと人々がゆとりをもって生活を送れるようにする、その結果として出生率の改善は現れてくるものだろう」と語る。

 ここまで読んで、この本は、少子高齢化と言われる社会に初めて正面から向き合った本だ、と感じた。

 高齢者が多くなり病院のベッドや介護施設が不足する。社会保障の負担で若者世代が押しつぶされる。高齢化で経済の活力が失われていくーー。当面の問題を危惧するのはいいが、現在の少子高齢化に絡む議論は、ほとんどが、社会保障費を削るとか、年金の支給開始年齢を引き上げるとか、シニアに保有資産をなんとか使わせるとか、「目先の対応」とまでは言わないが、なぜ、こうした社会になってしまったのか、どうすれば、少子高齢化社会を、生きるに値するいい社会にできるのか、という視点がほとんど欠落しており、「大変だ、大変だ」と騒ぎ立てるばかりだった。

 「『拡大・成長』の強いベクトルとその圧力の中で、”一本道”の坂道をひたすら登り続けてきた(明治維新以来の)日本社会のありようが終焉し、成熟あるいは定常化の時代を迎えつつあるという構造変化」が起きているのだから、そろそろ、そこに向き合わなければ未来はないのだろう。

 その意味で、この本は、少子高齢化が行き着いた先の社会を見通しており、非常に示唆に富む。

 それでは、これから定常化の時代に、何が課題になるのだろうか。

 「第一は、言うまでもなく社会保障などの『分配』をめぐる問題である。高度成長期は、経済のパイが拡大を続け、要は”みんなが得をする”時代であり、『分配』の問題など考える必要がなかった。この結果、高度成長期の”成功体験”にしがみついている人たちは、今もなお『経済成長がすべての問題を解決してくれる』と考えている。しかしそうした時代では全くないのが現在であ」る。

 広井氏が描いているのは「現在よりも高福祉・高負担型の、豊かで安心できる成熟社会のビジョン」「大きくはヨーロッパ(特にドイツ・フランス以北)に近い社会のモデル」である。

 第二が「人と人の関係性」だ。日本社会、あるいは日本人は「集団の内部では過剰なほど気をつかったり同調的な行動をとる一方で、自分の属する集団の『ソト』に対しては無関心であったり潜在的な敵対性をもつ」「そこでは『カイシャ』と『核家族』がそうした閉鎖的な単位となったのだった」と広井氏は指摘する。したがって「日本社会の基本的な課題として、個人をベースとする、”集団を超えた(ゆるい)つながり”や関係をいかに築いていくのか」という課題があるというのだ。

 第三は、日本人は「深いレベルでの、精神的なよりどころあるいは『土台』とも言うべきものが失われている」。戦後は「『経済成長』ということが全ての目標あるいは『価値』となり、今度はひたすらにそれに向かって突き進んでいった」「何をよりどころにすればよいかが見えぬまま、途方にくれているというのが現在の日本社会あるには日本人ではないだろうか」。

 以上は、「はじめに」と「あとがき」からの引用である。

 この後、次のような2部によって議論が深められる。「第一部(人口減少社会とコミュニティ経済)は、人口減少ないし『ポスト成長』の時代において浮上する様々な課題や方向性を、コミュニティ、ローカル化、まちづくり、都市・地域、政治、社会保障、資本主義等々といった多様な話題にそくして論じるもので、いわば本書の中での”社会・現実”編とも呼べる内容である」「続く第二部(地球倫理のために)は、そうしたこれからの時代において問われてくる理念や価値、あるいは世界観のありようを『科学』のゆくえという関心を重視しつつ、『地球倫理』というコンセプトを軸に展開するもので、いわば”理念・哲学編”とも呼べる部分である」。 

 この後の議論で、面白かったものをキーワード的に拾っていくと以下のようになる。

 「なつかしい未来」「非貨幣的な価値」「経済の地域内循環」「『生産のコミュニティ』と『生活のコミュニティ』の再融合」「福祉商店街」「福祉都市」「多極集中」「資本主義・社会主義・エコロジーのクロスオーバー」「スロー&オープン」「エコ&ソーシャル」

 言葉だけを並べても、なんとなく、これからの目指すべき社会の方向が見えてくる。

 面白い一冊だった。 

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