市川海老蔵第3回自主公演「ABKAI2015」

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 Bunkamuraシアターコクーンで、市川海老蔵第3回自主公演「ABKAI2015」を観た。千秋楽でしかも一番前の席。役者の表情、目力、汗がはっきり見える。恐らく、観た場所も良かったのだが、その体験を割り引いても、歌舞伎初心者が歌舞伎の面白さを満喫できる内容だった。1万1000円のチケットが安く感じた。

 2年前の「ABKAI」を観たが、歌舞伎十八番の「蛇柳」という古典も演じながら、新作「はなさかじじい」に挑戦。新旧織り交ぜた構成だった。今回は2作とも新作。
 演出は宮本亜門、脚本は宮沢章夫で、2年前と同じ。脚本、演出が、2年前よりこなれていて、海老蔵の見せ場も多かった。
 
 「竜宮物語」は「浦島太郎」が題材。原作は、良いことをして接待されるが、最後は、老人になってしまう、というなんとも不思議なおとぎ話だが、竜宮物語は海老蔵が乙姫を演じることで、こういう乙姫もありか、と思わせるストーリーになっていた。
「桃太郎鬼ヶ島外伝」は鬼の立場から観た、桃太郎。5レンジャーのような色とりどりの鬼たちのなかで、孤高の姿勢を見せる、赤鬼役の海老蔵は、役を演じるというより、地の海老蔵だった。オチも面白かった。
 市川一門は「荒事」で人気を博しているので、その良さがでるような2作品を選んだのだろう。素人でも「成田屋!」と声をあげるチャンスが何度もあった。
 古典の歌舞伎は、一般人が観ても言葉もストーリーもなかなか100%は理解できないため、イヤホンガイドで、実況中継付きで観ることが多いが、わかりやすいストーリーだと、イヤホンガイドは不要。歌舞伎の生の面白さ、恐らく江戸の庶民が感じた面白さを感じられる。
 新作歌舞伎が、後世になって新18番の一つになるには、もう少し、試行錯誤が必要な気はするが、歌舞伎の面白さを、若者に感じてもらおうという狙いは十分に達成できている。
 イヤホンガイドなしで、五感で歌舞伎と接することができるよう、古典の歌舞伎を観るときは十分に勉強してから楽しんでみたい。そう感じた。新作歌舞伎は入門歌舞伎としては、完成度が相当高まっている。

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新しい歌舞伎座で歌舞伎観劇~團菊祭五月大歌舞伎

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 初めて、新築の歌舞伎座で歌舞伎を見た。 「團菊祭五月大歌舞伎~十二世市川團十郎一年祭」。

一、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)

粂寺弾正 左團次

小原万兵衛 権十郎

小野春風 松 江

腰元巻絹 梅 枝

秦秀太郎 巳之助

腰元若菜 廣 松

錦の前 男 寅

秦民部 秀 調

八剣玄蕃 團 蔵

小野春道 友右衛門

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)

武蔵坊弁慶 海老蔵

富樫左衛門 菊之助

亀井六郎 亀三郎

片岡八郎 亀 寿

駿河次郎 萬太郎

常陸坊海尊 市 蔵

源義経 芝 雀

新皿屋舗月雨暈

三、魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)

魚屋宗五郎 菊五郎

女房おはま 時 蔵

磯部主計之助 錦之助

召使おなぎ 梅 枝

茶屋娘おしげ 尾上右近

小奴三吉 橘太郎

菊茶屋女房おみつ 萬次郎

父太兵衛 團 蔵

浦戸十左衛門 左團次

 収穫は、歌舞伎十八番の内でも最も人気のある「勧進帳」を海老蔵の弁慶で、見られたこと。

 歌舞伎十八番は七代目市川團十郎が制定。「七代目は自分がつくった『勧進帳』という芝居の宣伝にもなると考えて、この十八番を制定したともいわれております」(十二代目市川團十郎『團十郎の歌舞伎案内』)。

 能の「安宅」を歌舞伎にした勧進帳は、いきなり十八番に入れてしまうあたりに七代目團十郎の自信を感じられる。そして、事実、構成も演出も素晴らしかった。

 これを見た後の「魚屋宗五郎」はつらかった。

 新しい歌舞伎座については、建築を手がけた隈研吾氏が次のように言っている。「新開場記念 歌舞伎座」から引用しよう。

 「歌舞伎座の建築は、明治22年の第1期歌舞伎座開場以来、東京の華であった。すなわち、パリにおけるオペラ座のごとく、東京を代表し、東京を象徴する中心的な祝祭空間であった。今回第5期歌舞伎座の建築設計に携わらせて頂く、光栄ある機会を与えられ、その華やかにして重厚な伝統を大事に、丁寧に継承することを考えた」

 「この1期からの流れの中でも、『歌舞伎座』というイメージの確立、確定を達成したのは、大正14年開場の、岡田信一郎の第3期歌舞伎座であった。皇居を起点として、銀座、築地をへて東京湾に至る東京で最も重要な軸線に面して、エントランスに唐破風(からはふ)、中央頂部に千鳥破風、東西対称にこぶりな千鳥破風を擁した。その、求心性がきわめて高い構成によって、人々は歌舞伎座とは何かを理解し、歌舞伎とは何かをも、一瞬にして理解した」

 「吉田五十八は、その第3期を継承しながら、昭和という工業化と高度成長の時代にふさわしい東京の象徴へと磨きあげた。外観においては、戦災で破壊された頂部千鳥破風を復元せずに、周囲のハコ型ビルとの調和を重んじて、フラットルーフで上部を収めた」

 「内部においては格天井を、勾配のついた間接照明付の吹寄竿縁天井という、全く独創的で美しいデザインに変更し、舞台と観客を一層近づけ、音響的にも絶大な改善があった。大きな間口と、舞台と観客席の近さを特徴とする、世界に全く例のない歌舞伎という劇場空間が、この変更でさらに強化された」

 「第5期には第4期の考え方をさらに発展させた。舞台と観客とがつながれただけでなく、歌舞伎座自身を街へとつないだのである。東南の角にまず新しく公共広場を設けた。広場から、その奥の木挽町通りへと、人が流れて街ににぎわいと華やぎが加わる。この木挽町通りに面して、格子とガラスで通りとつなげ、通りからも店へのアクセスを可能とした。地下鉄は、防災機能をもつ地下の公共広場を介して、劇場とつながった。この歌舞伎座は、一種のアーバンデザインでもあった」

 さて、義理の母と娘と行った、新しい歌舞伎座を写真でリポートしよう。

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 弁当は歌舞伎座の向かいにある木挽町辨松(03・3541・1804)で購入。

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 美味しそうな弁当が並ぶ。営業時間は午前10時から午後5時まで。

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 イヤホンガイドは必携。

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 名物、歌舞伎座もなかアイスを購入。

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 人形焼も美味しそう。

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 お土産は、いろいろ。

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 芝居が始まる前の売店巡りも楽しい。

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 きょうの席から見た舞台はこんな感じ。

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 幕間の弁当がまた、楽しい。

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 土産は芝居が始まる前に買っておいたほうが良さそう。

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 楽しい歌舞伎見物だった。

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浅草名所七福神めぐり~9つの寺社が個性を競う

 2011年1月の谷中七福神めぐり以来の久しぶりの七福神めぐりをした。

 今回は「浅草名所七福神」めぐり。

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浅草名所七福神めぐりのホームページは、パンフレットとほぼ同じ内容で充実している。

 久しぶりの七福神めぐり。七福神進行の基礎知識を思い出すために、ちょっと長いが、そのなかの「七福神信仰の今昔」を引用しよう。

 人は、禍福を思って悩み、福運を求めて人生をさまよい、ゆえに神仏の信仰が生まれました。「開運」とひとことで片付けられないのが、人それぞれの願望が一様でないからです。家内安全、商売繁盛、縁結び、出産、成長、立身出世、学業成就、健康長寿など、人の願望にはいろいろあります。
 七福神の信仰も、こうした人の願望から発露したものです。
 仁王経という経典の中に、「七難即滅 七福即生」とあります。つまり、教え導くことを篤く信じ行えば、世の中の七つの大難(太陽、星の異変、火災、水害、風害、旱害、盗難)はたちどころに消滅し、七つの福が生ずるというのです。
 この七つの福というのは、その時代、その人の願望によって合理的に解釈されるもので、あなた自身の「心」の在り様といえます。といっても、七福神の神徳を信ずる事を篤くして、人生を救われる人がたくさんいることから、その信仰が現代に継承されていることは確かなのです。
 では、七福神信仰の歴史とは、どのようなものなのでしょうか?
 鎌倉時代、日本古来の守り神恵比須(漁労、労働、商売などの守護神)の信仰に、中国を経てインドから大黒天(五穀豊穣、飲食の神)、弁財天(音楽、知恵、弁説、財福の神)の信仰が加わりました。室町時代にかけて、この三神の信仰が庶民の間に深まってきますと、毘沙門天(人倫の道、仏法の守り神)、布袋尊(吉凶の占い、家庭円満など福徳の神)、福禄寿(幸運、生活の安定、長寿の神)、寿老人(長寿延命の神)の四神が加えられて、人々の願望に応える七福神として信仰の象徴になったものと一般に理解されています。
 江戸時代、かの上野寛永寺の開祖天海僧正が徳川家康に説いて、寿命、有福、人望、清廉、威光、愛敬、大量を七福とし、為政者のあるべき姿としました。
 江戸時代も八代将軍吉宗のころには、世も太平がつづき、庶民も安逸をむさぼるようになります。江戸八百八町には、それぞれ名所が開発され、観光と神仏詣でを兼ねた行楽の気分が旺盛になりました。ちょうど、物資文明の差こそあれ、世界に冠たる高度な生活にひたっている現代日本の姿のようではありませんか!
 そして、江戸末期には、商売繁盛、無病息災、各種大願成就の福徳、福運を求めて各地で七福神詣でが隆盛を極め、とくに正月松の内に巡拝して一年の福徳を願うようになったものが今日の七福神詣での形となったのです。 
 浅草名所七福神詣では、江戸市中でも有名だったのですが、戦後一時期中断のやむなきに至り、昭和五十二年に復活して今日 に受け継がれているものです。古くから江戸市民に霊験あらたかな福の神として親しまれてきております。
 今日は以下の順番で回った。正午にスタート。回り終えたのが午後4時45分だった。
鷲神社<寿老人>(台東区千束3-18-7、東京メトロ 日比谷線入谷駅3番出口徒歩6分、03・3876・1515)→吉原神社<弁財天>(台東区千束3-20-2、都バス吉原大門又は千束下車、03・3876・5966)→矢先神社<福禄寿>(台東区松が谷2-14-1、都バス 萄屋橋下車、03・3844・0652)→浅草寺<大黒天>(台東区浅草2-3-1、都バス 浅草雷門下車、03・3842・0181)→浅草神社<恵比須>(台東区浅草2-3-1、都バス 浅草雷門下車、03・3844・1575)→待父山聖天<毘沙門天>(台東区浅草7-4-1、都バス 隅田公園下車、03・3874・2030)→今戸神社<福禄寿>(台東区今戸1-5-22、都バス 浅草7丁目下車、03・3872・2703)→橋場不動尊<布袋尊>(台東区橋場2-14-19、都バス橋場2丁目下車、03・3872・5532)→石浜神社<寿老人>(荒川区南千住3-28、都バス南千住3丁目下車、03・3801・6425
①鷲神社(おおとりじんじゃ)<寿老人>

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 左の方に寿老人の神像がある。

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 上半身は見えなかった。

②吉原神社(よしわらじんじゃ)<弁財天>

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 右の方に弁財天が見える。

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 明かりに浮かび上がる弁財天の神像。

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 飛び地にも吉原神社がある。

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 にぎわったかつての吉原の様子を伝える花吉原名残碑。

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 こちらにも弁財天が祀られているようだ。

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 リアルな弁財天。

 合羽橋道具街を通って、矢先神社へ。

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 食品サンプルを扱うサトウサンプル。

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③矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)<福禄寿>

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 拝殿の格子天井には神武天皇の御世から今日にいたる「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されている。

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 合羽橋本通りを経て、浅草寺へ。

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 途中、かみや(東京都台東区浅草2−3−14、03・3841・4430)で腹ごしらえ。

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おなじみ、④浅草寺(せんそうじ)<大黒天>

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 影向堂(ようこうどう)に大黒天が祀られているが、撮影禁止。

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 公開されている写真はこれ。

⑤浅草神社<恵美須>

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 参拝の人の列。

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 恵美須様を拝めるか。

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 がっかり。

⑥待乳山聖天(まっちやましょうでん)<毘沙門天>

 隅田川沿いを歩き、待乳山聖天へ。

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 1月に大根まつりが行われることでも有名。

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 境内各所に巾着と二股大根のモチーフがある。巾着は財宝で商売繁盛を表し、大根は夫婦和合、縁結び、子孫繁栄を表す。1月には大根まつりも行なわれ、大根をお供えする。大根は人間の深い迷いの心を表すといわれており、大根を供えることによって洗い清めていただく意味合いを持っている。

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 古い縁起によると、推古天皇3(595)年9月20日、突然この土地が小高く盛り上がり、そこへ金龍が舞い降りたと伝えられている。

⑦今戸神社(いまとじんじゃ)<福禄寿>

 若い参拝客が大変多い神社。

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 大きな招き猫がいる。招き猫には商売繁盛や招福への願いが込められているが、今戸神社の招き猫の特徴は、オスとメスのペアとなっていることです。つまり、縁結びに御利益があるらしい。なるほど、若い女性が多い理由が分かった。

 この招き猫の登場は江戸時代で、人形としての招き猫はここ今戸で16世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれている。伝承によると今戸焼きの起源は天正年間(1573~1591)に、千葉氏の家臣が今戸辺りで焼物をはじめたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移り住んだともいわれている。

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 最近はなで猫もいてーー。

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 若い男女に大人気。

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 ちょっと福禄寿の影が薄くなっているがーー。

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 招き猫の近くにちゃんといらっしゃる。

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 老若男女すべてに人気の出そうなトレンディスポットだった。

⑧不動院(ふどういん)=橋場不動尊(はしばふどうそん)<布袋尊>

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 不動院のご尊像は江戸時代のころから伝わるもので、肩に袋がなく、お腹が袋代わりの形をしている珍しいもの。大きな度量、清く正しい行為の福を授けてくれる布袋様そのものといったお姿で、古くから江戸庶民に尊信されている。

⑨石浜神社(いしはまじんじゃ)<寿老神>

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 寿老神の神像。

 9つの社寺を回り終えた。

 石浜神社は浅草のはずれ。この後、中心部までは距離があった。

 浅草名所七福神めぐりは、中心部にある浅草寺、浅草神社がいまひとつだったが、ほかの寺社が個性を発揮。全体としては面白い七福神めぐりになっていた。

 また、長寿の神様が多く、超高齢化が進む時代にはぴったりの七福神めぐりだった。

 

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新橋演舞場初春花形歌舞伎「通し狂言 壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)」

 新橋演舞場(中央区銀座6-18-2、03・3541・2600)に初春花形歌舞伎「通し狂言 壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)」を観にいった。

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 チラシの「みどころ」にある作品解説がわかりやすい。

 2014年の新橋演舞場の年頭を飾る「初春花形歌舞伎」では、"悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)の世界"を新たな構想で描く、通し狂言『壽三升景清』を御覧頂きます。

 平家一門が繁栄から源氏との戦いに敗れ没落するまでを描いた軍記物「平家物語」の中の登場人物の一人、悪七兵衛景清。「悪」は勇猛さを指すと言われ、その名の通り源氏との戦いの中で勇将ぶりを発揮した景清は、「平家滅亡の後も源氏打倒を胸に秘め、頼朝の暗殺を三十七回も企てた」など、いわば"反逆の英雄"として数々の伝説的なエピソードが語り継がれています。

 この景清の謎に満ちた波乱の生涯は、魅力的な題材として、能、浄瑠璃など幅広いジャンルで取り上げられ、歌舞伎でも、いわゆる「景清物」として多くの作品が創作されています。七世市川團十郎が撰定した「歌舞伎十八番」には、二世團十郎が初演した『関羽(かんう)』『景清(かげきよ)』、四世團十郎が初演した『鎌髭(かまひげ)』『解脱(げだつ)』の四演目で景清が登場します。

 これまで「歌舞伎十八番」の継承と復活に意欲的に取り組んできた市川海老蔵が新たに挑む『壽三升景清』。「歌舞伎十八番」ならではの荒事で魅了する、お正月にふさわしい華やかな舞台にどうぞご期待ください。

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 入場前にイヤホンガイドを借り――。

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 弁当を買い――。

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 筋書き(カタログ)を買い――。

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 1階16列21番の席に荷物を置き――。

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 海老蔵と妻の麻央さんが初めて出会った場所をチェックした(昨日、日テレの番組で見た)。

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 その後、時間まで演舞場内をウロウロしていた。

 そして、開演。

 

 面白かった。

 勧進帳に代表される歌舞伎十八番だが、ほとんど演じられていない演目もあるという。今回は、景清が登場する4つの演目を「通し狂言」としてひとつのストーリーにまとめた。伝統の十八番を自ら蘇らせようという海老蔵の熱い気持ちが伝わってきた。

 カタログに掲載されているインタビューで、海老蔵はこう言っている。

 「景清が死ぬ間際に走馬燈のように人生を振り返った時に、彼の欲望を全て叶えた夢をみせてあげたいと思っています。『関羽』で無敵の力を得るということを証明し、『鎌髭』で源氏のところに乗り込み、思う存分やりたいことをして引っ込む。そして『景清』では、重忠と問答のようなものがあり、牢を破り、立廻りをする。『解脱』では、そういったものを全部乗り越えて悟りの境地にいく。亡くなる0.0何秒という瞬間の中に、ぱーっと、想像した全てのものを絵巻物的荒事として表現したい、それが私の今回のテーマです」

 見得を切る海老蔵が格好良かった。中村獅童とのコンビが輝いていた。ラストの「解脱の場」は、この世のものと思えない美しい舞台だった。

 今回の歌舞伎を見る前に能を鑑賞したことで、歌舞伎は、格式を重んじながらも、自由自在な展開で観客を楽しませるエンターテインメントであることに気づいた。江戸時代においては、現代の映画のような存在だったのではないだろうか。

 海老蔵は、観客を、まだ見ぬ世界にどんどん誘ってほしい。

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市川海老蔵第1回自主公演「ABKAI-えびかい-」を観る

 

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 Bunkamuraシアターコクーンで、市川海老蔵第1回自主公演「ABKAI-えびかい-を観た。

 
 演目は、歌舞伎十八番の内「蛇柳」(脚本:松岡亮、振付・演出:藤間勘十郎)と、新作歌舞伎 「疾風如白狗怒涛之花咲翁物語。~はなさかじいさん~」(脚本:宮沢章夫、演出:宮本亜門)。

 面白かった。楽しかった。 

 予備知識などがなくても、歌舞伎の面白さを体全体で感じることができる二つの演目だった。

 市川海老蔵。大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』(NHK/2003年) で宮本武蔵の役を演じる彼を見たとき、いい役者だなと思った。しかし、西麻布の飲食店でトラブルに巻き込まれ、頭部、顔面を負傷した海老蔵をみて「歌舞伎の未来は大丈夫なのか」と不安になった。

 しかし、今日の芝居をみて、これだけ華のある役者は、ほかにいないと思ったし、新しいものを取り入れるのにまったく抵抗がない彼のパワーには舌を巻いた。彼が、新時代の歌舞伎を引っ張っていくに違いない。

  カタログによると――。

 「『蛇柳』は、宝暦13(1763)年に江戸中村座で上演された『百千鳥大磯流通(ももちどりおおいそがよい)』の三番目で演じられた『夏柳烏玉川(なつやなぎうばたまがわ)』という大薩摩節による所作事がその初演と考えられています。主人公の丹波の助太郎を演じたのは四世市川團十郎でした。初演時の資料はほとんど残っていませんが、道化の役どころであった丹波の助太郎に清姫の霊魂が乗り移り、嫉妬に狂う様子を見せた舞台であったようです」

 「四世團十郎が初演した『蛇柳』は、一度のみの上演で途絶えてしまい、『勧進帳』を初演したことでも知られる七世市川團十郎が、復活を志しましたが未上演に終わりました。そして、昭和22(1947)年に歌舞伎十八番の復活に心血を注いだ十世團十郎(五世三升)によって復活上演されましたが、その後、再演される機会はありませんでした」

 「今回の『蛇柳』は、四世團十郎の初演時の数少ない資料や、高野山の蛇柳の伝説をもとに、まったく新たな構想のもと台本を作成し、長唄の舞踊劇として構成されました。振付、演出を行うのは、これまでも市川海老蔵と歌舞伎十八番の復活、新作歌舞伎など、数々の仕事を共に行ってきた藤間勘十郎です」

 

 ヒーローが登場する華やかな幕切れ。これぞ歌舞伎、と満面笑みになってしまった。

 「数々の舞台演出を手掛け、近年はKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督として話題作を提供、今や日本を代表する演出家のひとりである宮本亜門が演出を、遊園地再生事業団を主宰し、劇作家、演出家、作家として多面的に活躍する宮沢章夫が脚本を、そして次代の歌舞伎を担う花形俳優のひとりである市川海老蔵が主演する『疾風如白狗怒涛之花咲翁物語(はやてのごときしろいぬどとうのはなさきおきなのものがたり)。』~はなさかじいさん~は、まさにこれまでにない歌舞伎ということができるでしょう」

 

 日本昔ばなしを歌舞伎にするという構想を披露する海老蔵をテレビで見ていたが、日本昔ばなしが歌舞伎になるとは思えなかった。しかし、実際に出来上がったものを見ると、歌舞伎というインフラを使えば、どんな話でも歌舞伎になってしまうということがわかった。その出来不出来が問題なだけで、歌舞伎という芸術の懐はとても広いのだ。

 今回のはなさかじじいは、「素人がみて、とても楽しめる歌舞伎」だった。

 

 閉塞感のあるいまの世の中に花を咲かせる。環境問題、人と人のコミュニケーション、本当に人間が必要とするもの――言葉にすると陳腐なのだが、そうしたメッセージが無理なく伝わってくる。ラストシーンには「人類の幸せ」を感じてしまった。

 歌舞伎は昔から庶民のもので、江戸の庶民は、今日の私のような気持ちで、歌舞伎を楽しんだのだろうな、と江戸時代にワープしたような気分にもなった。

 

 せっかく生で歌い、演奏しているのにスピーカーを通したために、録音を流しているような感じになったのはもったいない気がしたが、そうした細かいことは、今後、「昔ばなし」を上演していく過程で洗練されていくのだろう。

 まずは現代の歌舞伎に失われていた(かもしれない)庶民性の回復というところから、次の團十郎はスタートを切ったようだ。

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伝通院(傳通院、東京・小石川)

 小石川後楽園から小石川植物園に行く途中、伝通院(東京都文京区小石川3丁目14-6、03・3814・3701)に寄ることにした。

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 伝通院のホームページによると、「 当山は、応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。それから200年後の慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75才、伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼」と 号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。正保4年(1647)には、家光の次男亀松君が葬られ、以来徳川幕府の外 護を賜り諸堂伽藍を整えて参りました」とのことだ。

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 於大の墓。

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 説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 千姫の墓。

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 説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

 徳川家の菩提寺が、このお寺にあることはまったく知らなかった。

 小石川植物園へ。

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小石川後楽園(東京・後楽)

 

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 小石川後楽園(東京都文京区後楽1-6-6、03・3811・3015)を訪ねた。  まず正門に行ったが閉鎖中だった。

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 公園についての概要説明(クリックすると大きな画像で見られます)。
 江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の屋敷の後園として造ったもので、二代藩主の光圀の代に 完成した庭園です。光圀は造園に際し、明の儒者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂に先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から後楽園と名づけました。  庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。そして、これらによって湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。  この地は元々小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引き入れ造園されました。また光圀の儒学思想の影響の下に造園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。  なお、後楽園は昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定されています。特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮とここの二つだけです。全国でも京都の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院の5ヶ所だけです。

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 入り口まで、感じの良い小路が続いている。

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 入り口。

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 入り口を入ると、公園についての説明がある(クリックすると大きな画像で見られます)。

 開園時間は、午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)。

 休園日は年末・年始(12月29日~翌年1月1日まで)。

 入園料は一般:300円、65歳以上150円、小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料。

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 庭園に入ると東京ドームの威容に圧倒される。

 土曜日、日曜日と祝日は午前11時と午後2時の2回、ボランティアによる庭園ガイドツアー(無料)があり、参加した。

 本来は正門から回るのが正しいコースらしいが、枝垂桜からのスタートとなった。

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 春は満開の桜で、美しいのだろう。

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「小廬山」の説明をするガイドボランティアの岩崎眞一さん。円い築山の姿、形が中国の景勝地・廬山に似ていることから江戸の儒学者・林羅山がこう名づけた。

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 「小廬山」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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渡月橋。

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 「渡月橋」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 西湖の堤(クリックすると大きな画像で見られます)。

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大堰川(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 屏風岩。仏像の三尊も表しているという。

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 「屏風岩」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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清水観音堂後。

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 入り口付近に観音堂を復元した模型がある。

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 通天橋。

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 いまは水が流れていない「音羽の滝」。

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「音羽の滝」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した「得仁堂」は修復中で見られなかった。得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによる。

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「得仁堂」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 丸屋。

Maruya

「丸屋」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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丸屋の引き立て役のサルスベリは「役木」と呼ばれる。

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 白糸の滝は護岸工事中だった。

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 円月橋。光圀があつくもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。

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水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられた。

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 渡ることはできない。

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 「円月橋」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 花菖蒲田。

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 まだ一部しか咲いていなかった。Img_0402
 手前の藤棚の奥に背の低い藤棚があり、遠いところに藤棚があるように見せているという。

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愛宕坂(クリックすると大きな画像で見られます)。

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八つ橋。

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 カキツバタ。

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 ガイドボランティアの岩崎眞一さんはカキツバタにちなんで、在原業平の歌を教えてくれた。

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 高低差のある藤棚。

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梅林。

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 不老水。

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 「不老水」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 稲田。

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 「田端」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 九八屋。

Kuhatiya

 「九八屋」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 松原。

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 「松原」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 舟着。

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 蓬莱島。

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 これが灯台の代わりになったらしい。

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 瘞鷂碑(えいようひ)

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 「瘞鷂碑」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 鳴門。

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 内庭。水戸藩書院のあったところ。護岸の修復工事中だった。本来はここから庭を回る。

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 「内庭」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 唐門跡。

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 「唐門跡」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 延段。

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 寝覚の滝。

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 「寝覚の滝」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 中山道と東海道の境目。

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 大泉水。この庭園の中心的景観。蓬莱島と徳大寺石を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出したもの。

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 「蓬莱島」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 このあたりから京都になる。

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 竜田川。

Tatutagawa

 「竜田川」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

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 駐歩泉。

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 「駐歩泉」の説明(クリックすると大きな画像で見られます)。

 

 昼食は小石川後楽園内の涵徳亭(かんとくてい)。昼の部は12:30~15:30の営業。とても良心的な値段の昼食や甘味が食べられる。

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 後楽園弁当(630円)。

 ガイドボランティアの岩崎眞一さんのおかげで、短時間に小石川後楽園を満喫することができた。

 ついでに小石川植物園に行くことにし、途中にある徳川家の菩提寺、伝通院にも立ち寄ることにした。

 

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十二代目市川團十郎著『團十郎の歌舞伎案内』 (PHP新書)

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團十郎の歌舞伎案内

 江戸歌舞伎の豪快な荒事を代表した歌舞伎界のスーパースター、市川團十郎が2月3日に66歳で亡くなった。新しい歌舞伎座の初舞台になくてはならない存在だった。
 彼が歌舞伎のガイドブックを書いていることを知らなかった。 
 さっそく十二代目市川團十郎著『團十郎の歌舞伎案内』 (PHP新書、2008年4月30日発行)を読んだ。

 面白い!
 イチローが「プロ野球案内」を書いたら、きっととても面白いと思うのだ。スーパースターが歌舞伎の入門書を書くと、行間に、歌舞伎への気持ちがにじみ出て、歌舞伎そのものを楽しんでいるような興奮さえ覚える。

 「さて、平成19(2007)年9月、わたくしは青山学院大学文学部の日本文学科客員教授として、『歌舞伎の伝統と美学』というテーマの集中講義をするご縁をいただきました。その際にお話ししたことをベースに、歌舞伎をはじめとする日本の芸能について日々わたくしが考えたり調べたりしたことを、今回このように1冊にまとめることができました」というのがこの本が書かれた経緯だ。

 歌舞伎座さよなら公演「御名残四月大歌舞伎」で「歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜」で運よく團十郎の芝居を観ることができたこと、サントリー美術館で開催中の歌舞伎座新開場記念展『歌舞伎 江戸の芝居小屋』も観ることができたことで、書いてある内容がすぐに浮かんできて、あっと言う間に読めた。

 語り口もやわらかく、愛があり、團十郎の人柄がよくわかる。海老蔵のことをとても心配しているようだった。

 歴代團十郎の紹介が何より面白かった。
 「初代市川團十郎は万治3(1660)年に生まれます。出雲阿国の歌舞伎踊りから遊女歌舞伎、若衆歌舞伎を経て、より演劇的な野郎歌舞伎へと移り変わってきた時代です」。

 「團十郎はなかなか子宝に恵まれなかった。ところが成田山にお願いしたら生まれたので、たいへんに感謝しました」「このように初代團十郎はきわめて成田山との関係が深かったので、この時期から成田屋という屋号を使ったといわれております」。

 「初代團十郎は元禄17年(1704)年、40代半ばにして生島半六という役者に殺されてしまいました」「正式な披露の手続きを踏まずに、市川九蔵はひとり劇界に放り出されて、周囲の意見で二代目團十郎となりました」「二代目は血の滲むような努力をしたのだと思います。だからこそ『助六』にしても『矢の根』にしても二代目のつくったものは名作となって、のちの歌舞伎十八番のもととなったのでしょう」「初代は割合に豪快な芸風ですけれども、二代目はそれに巧みな話術が加わっていきます」。

 「四代目は細面。実悪の役柄をよくやっていたようです。実悪とは国家転覆をはかるスケールの大きな悪役ですね。荒事の根本である勧善懲悪の正義の人のイメージとはちょっと違ったタイプの團十郎だったようです」。
 「ちょうどこの時代、劇場機構も発展します。回り舞台が完成して、かなり現代の歌舞伎に近いものとなり、狂言の構成にも影響を及ぼしました」「芝居に求められるものが変わってきた時代、そこで四代目は芝居研究会をつくります。『修行講』と呼ばれました」。

 「七代目團十郎はなんといいましても市川家の中興の祖です」「七代目が活躍したのは文化文政時代(1804~29)。江戸の文化の爛熟期でした。この七代目は新しいものをどんどん芝居に取り入れて、芸風を広げていきました」「七代目が歌舞伎の舞台に能を取り入れた」「能の『安宅』を歌舞伎にしたのが、ご存じ『勧進帳』」「忘れてならないのが『歌舞伎十八番』を制定したことです」。
 「天保の改革で江戸三座が猿若町に移転し、芝居をとりまく規制も厳しくなったころ、七代目はその贅沢ぶりを咎められ、天保13(1842)年に江戸十里四方追放を命じられました」。
 「七代目はたいへん俳句が上手だった。旅興業にもこの俳句で培った人脈をフルに活用しております」。

 「七代目は正妻とお妾さんたち全員を一つ屋根の下に住まわせておりました。いちばん最後のお妾さんだった、ためさんとのあいだに生まれたのが、のちの九代目團十郎です」。
 「当時の江戸歌舞伎といえば、見た目が華やかでおもしろければ物語の時代背景なんて無視していた。それが維新を迎え、とくに知識人のあいだに、できるだけ真実に近いものを、歴史は歴史としてきちんとろらえるべきだという思想が広まってきました」「一方で西洋ではパトロンが演劇をバックアップして、一国の文化程度の高さを示してきた。それをつぶさに見てきた維新の重鎮たちが、日本が外国と対等に渡り合うためにも、日本の文化の高さをもっとアピールしなければならないと考えた」「その手始めとして歌舞伎にスポットが当たるわけです」。
 「まず劇場が変わっていきました。守田勘弥はこれまで江戸三座のあった猿若町から、いまの築地あたりに劇場を移転させます。中央区の現在の新富町に新富座という劇場をつくるんです」。
 「新聞記者として名をなした福地桜痴(源一郎)が、のちに木挽町に歌舞伎座を建てたのも、大きな構想のなかの一つであったといえる、と思います」。
 「もともと歌舞伎は、椅子に縛りつけられるように座りつづけて見る芸能じゃないんですね。好き勝手に見たいときに見る。つまらなければ見ないで飲み食いする。芝居小屋や芝居茶屋で1日中過ごす。ご贔屓が出てきたら見る……そういう自由な楽しみ方から『芸術鑑賞』へと変わっていきました」。
 「芝居の内容も変わってきます。ひと言でいえば、『真実を真実として見せる』という方向へ。それがはたして歌舞伎にとってよいものかどうか。ウソがほんとうに見えて、ほんとうがウソに見える――それが歌舞伎の世界観なんですけれどね」。
 「その九代目も晩年には、歌舞伎のいわゆる古典の狂言へと回帰していきます」。

 九代目の記述あたりに現代歌舞伎の置かれた、ある意味難しい状況が見え隠れする。

 「九代目には男の子が授からず、娘が二人おりました。そこで長女の翠扇にお婿さんをもらった。これが市川三升、没後に十代目團十郎を追贈されます。このお婿さん、役者になる前はなんと銀行マンでした」。
 「十代目に子がなかったため、七代目松本幸四郎の家から市川家へ長男を養子にもらいました」「いまから思うと、父は團十郎という名前に対して気負いすぎていたのかもしれない」。
 「父が生きていたのは、わたくしが高校生のころまで。父にしてみれば、二十代になったら二十代の、三十代ならば三十代の息子に教えたいことがあったのではないかと思います」。

 さて、これからの團十郎はどうなるのだろうか。
 「わたしのなかには相矛盾した考え方があるんです。たしかに『おまえ、それは市川家の格じゃないよ』といいたい部分もございます。でも一方で『とにかくやるだけやってみろ。それから文句をいわれたほうがいい』と思うんです」「いや、闘わなくちゃいけないんですよ。オスというものはどんな生物も、これまで闘って家族や自分のテリトリーを守ってきた。親子であっても、子どもがある程度成人したらオスどうしは闘わなくちゃいけない」。
 「わが家でも食卓で芝居の話が出ることがよくありました。『違うよ』『いや、そんなことはない』なんて、夜中の2時、3時まで倅と飲み明かしたこともある。わたくしが病気をしてからは倅も遠慮しているのか、近ごろはしておりません」。

 十二代目團十郎の思いを、海老蔵がしっかり受けとめて、十三代目をやり遂げてほしい。

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サントリー美術館・歌舞伎座新開場記念展『歌舞伎 江戸の芝居小屋』

 東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で開催中の歌舞伎座新開場記念展『歌舞伎 江戸の芝居小屋』を観に行った。
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 歌舞伎座は、建築家の隈研吾さんの設計。このサントリー美術館も隈さんの設計だ。

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 チラシの絵は、采女(うねめ)による「茶屋遊び」の場面。

 塚田圭一氏による音声ガイドプログラムもあり、楽しめる展示。
 
 歌舞伎芝居の祖とされる出雲阿国の舞台姿や、劇場内部を描写した「浮絵」などが面白かった。過去4期の歌舞伎座の変遷も興味深かった。
 歌舞伎のスーパースターたちが紹介されていたが、やはり、歴代の市川團十郎は存在感がある。團十郎は書画、俳諧などにも才能を発揮。日本文化のスーパースターとも言えそうだ。

 必見の展覧会。3月31日まで。

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羽田空港国際線旅客ターミナル・EDO MARKET PLACEへ、つるとんたん羽田空港店で食事


 福岡に住む妹の家族を羽田空港に送ることにしたが、時間があるので、羽田空港国際線旅客ターミナル(東京都大田区羽田空港2-6-5)のEDO MARKET PLACEに立ち寄った。

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 出発ロビーのフロアから1階上にあがると江戸をイメージした江戸横丁、江戸小路などがあり、飲食店、物販店が江戸風情の店を構える。

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 国際線旅客ターミナルがオープンするときにテレビで紹介されていた「麺匠の心つくし つるとんたん 羽田空港店」(東京都大田区羽田空港2-6-5 東京国際空港線旅客ターミナル4F、03・6428・0326)に入った。

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 つるとんたんは、大阪府と東京都で展開する関西風うどんの外食チェーン。テレビに映った顔の大きさくらいの大きな油揚げの乗ったきつねのおうどん(780円)をぜひとも食べたいと思った。きつねのおうどんを注文した。

 うどんの種類は多い。
 きつねのおうどんのほか、昆布のおうどん(780円)、若布のおうどん(980円)、玉子とじのおうどん(880円)、梅干のおうどん(980円)、明太子のおうどん(1280円)、肉汁のおうどん(1280円)、鴨汁のおうどん(1280円)、カレーのおうどん(980円)、牛すじカレーのおうどん(1280円)、かつカレーのおうどん(1280円)、海老フライカレーのおうどん(1280円)、きつねカレーのおうどん(1280円)、しゃぶ肉カレーのおうどん(1780円)、カレー三昧のおうどん(1880円)、おろしのおうどん(880円)、黒豆納豆のおうどん(880円)、山かけのおうどん(880円)、天おろしのおうどん(1480円)、天やまかけのおうどん(1480円)、釜玉のおうどん(880円)、釜あげのおうどん(880円)、地鶏のおうどん(1280円)、和牛肉のおうどん(1280円)、浪速脂かすのおうどん(1180円)、京しっぽくのおうどん(1180円)、明太あんかけ玉子とじのおうどん(1280円)、天扶良のおうどん(1480円)、天釜のおうどん(1480円)、和牛しゃぶ肉のおうどん(1680円)、つるとん三昧のおうどん(1880円)、ざるのおうどん(880円)、梅ざるのおうどん(980円)、天ざるのおうどん(1480円)、鍋焼きのおうどん(1680円)、味味噌煮込みのおうどん(1680円)、地鶏クリームのおうどん(1280円)、海老クリームのおうどん(1280円)、博多明太子クリームのおうどん(1280円)、貝柱クリームのおうどん(1280円)、クリーム三昧のおうどん(1880円)など、さまざまな創作うどんがある。
 
 3玉まで0.5玉単位でうどんを大盛りにでき、値段は変わらないとのこと。3玉の大盛りにした。

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 これが普通盛り。

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 3玉の大盛り。
 細麵もある。
 讃岐うどん。油揚げが大きいので3玉でちょうどよかった。

 営業時間は8:00~23:00。

 5階展望デッキにも行った。
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 成田空港のような警戒厳重の空港ではないので、気軽に江戸小路に遊びに行くと楽しいのではないか。空港のホームページなどであまりPRしていないが、なかなか楽しい東京新名所だ。

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